第221話 名実130 (310~312 大島による遺産提供の理由)

 大まかに大島から説明を受けた2人は、金子堅太郎という人物や囚人道路との関係について大方理解はした。さりとて、どうコメントして良いのかわからない為、頷く素振りをしつつ、「そういうことでしたか」と言った以外は、ほぼ黙ったままだった。しかし大島は構わず、

「とにかく、そういう国家の中枢も中枢に居たエリートによる、下々の人間のことを、単なる使い捨てにすべき存在であると言う発想が、あらゆる意味で明治維新以降の日本を急速に成長させ、そして最後に破滅させたと私は考えている。そして、その考察とそれに対する批判こそが、私の政治家としての基礎であり原点となっているんだ。今の私からは信じられないかもしれないが、この思いについては、今でも全く変わっていないと断言出来る」

と言い切った。


 言うまでもなく、長年の金権政治と殺人まで犯した大島海路のこの言葉に、信用度という点において、どこまでの意味があったのかについては、西田達には多いに疑問があった。勿論それは大島海路自身もわかっていたはずだ。自分に政治家としての遺言を言わせて欲しいと、自供の条件として言い出した際にも、それについて自ら言及していたからだ。しかし、それでも言わずにはいられない心境と背景は、西田や吉村にもこれまでの話で、少しは理解は出来ていた。


「なるほど。そういうこともあって、政治家になりたいという思いは、徐々にはっきりとしてきたんでしょうか?」

「西田君。確かにそういう感情が強くなっていったことは事実だ。ただそれでもまだ、漠然と政治に関わりたいという程度の思いであって、具体的に政治家という役割までは描けていなかったと思う。実際、私が政治家になれるような土台も、当時はまだなかった訳だから」

大島は先程までとは違い、静かに答えた。


「その後大学を卒業して、そのまま海東議員の秘書として、東京在住のままでしばらく働くことになったんでしたっけ?」

西田の後を吉村が受けた。

「そうだ。そして卒業の翌年に、既に出会っていた家内と結婚することになり、婿となることになった。私としては、多田家の養子になった時点で既に姓は捨てていたし、問題としては桜さんの同意を得られるかどうかだけだったが、元来が「姓」を変える為だけの養子だったのだから、その点はむしろ喜んで受け入れてくれた。私としても感謝の言葉しか無かったものだよ」

在りし日の義母に思いを馳せたか、しみじみと感謝の言葉を述べた。


「そして奥さんと結婚してからは、婿入りとは言え、奥さんを東京へと呼んで、桜さんが亡くなるまで東京で一緒に暮らしていたそうですね。その後、桜さんが亡くなって、かなりの不動産を相続されましたよね? そしてそれを、都議会議員として公民館をどうするか困っていた小柴さんを助ける為、土地を公民館として寄贈したはずです。同時にそのことで、小野寺さん。あなたの人生は、海東議員の後を継ぐという、思いもしなかった劇的な展開を遂げたはずです」

西田にそう言われた大島だったが、思いもしないことを言い出した。


「最初は、公民館をどこに建てるか困っていた小柴さんの為に、海東先生が私に、『建物を取り壊させてもらって、上に公民館を建てさせて欲しい。お願いついでに厚かましくて大変申し訳無いが、借地料も安目に設定してもらえれば』という話だった。桜さんからは、遺産は社会の役に立つように使えという話を、以前から聞いていたのだから、勿論私はその提案を受け入れる基礎はあった。ただ、理由はそれだけではなかった」

「理由が他にもあった?」

西田は思わぬ展開に聞き返した。


「西田君。先生はその頃から、心臓の問題で既に体調が余り優れず、後継について色々と考えていた時期でもあった。当初は地元の道議会議員、次に先輩の秘書を考えていた様だが、いずれも後継として決めるに至らなかった。その頃、別の秘書相手に、東京の議員会館の事務所で先生が嘆いていたのを、私は密かに物陰から聞いていた。『後継をどうすればいいのか……。政治経験問わず、わたくしを公のために完全に捨て去れる人間が居るのであれば、その人間に託すこともやぶさかではない』と。そしてそれからしばらく経った後に、公民館の話を先生から頼まれた。私はここで初めて『時が来た』と、遂に議員になる覚悟を決めると共に、欣ちゃんの夢を叶えられるのではないかとも思ったんだ。そして土地の完全な寄贈を申し出た」

西田も吉村もこの発言にびっくりし、

「ということは、公民館への一切の遺産の提供は、計算尽くだったんですか?」

と声を上げた。それに対し、

「勘違いしないで貰いたい! 桜さんの遺言通り、私にはそうする義務もあったし、それが正しいとも思っていた。但しそのついでに一挙両得の意思も生じた、そういうことだ。今の私からは想像出来ないかもしれないが、その時はあくまで滅私の上での欲得だった。言うまでもなく、議員になって世直しをするという目的のための欲得だ」

と、やや声を荒げて反論した。計算尽くという言葉が気に入らなかったらしく、否定したかったのだろう。


 しかしそうは言っても、私財提供と海東の後継に収まったことの間に、偶然ではなくある程度の必然があったことは、やはり驚きであったことに代わりはない。

「その時点では、道東で本格的に政治活動していくことについての、恐れやトラウマは払拭されていたんですか?」

西田は確認すると、

「学生時代の休みの間、先生に付いて地元を回っているうちに、これは何とかなるだろうという思いはあった。だからこそ、大学を出てから先生の正式な秘書になることを決心した。東京だけの勤務という訳にはいかないだろうからね……。とは言え、さすがに居を構えるとなると、多少身構えるところもあったのは間違いない」

と本音を語った。


「そこまではわかりました。で、それから昭和38(1963)年の選挙で、海東匠の路線を継ぐことから海路かいじと付け、海東さんが所属していた大島派から大島の姓を貰い、通名・大島海路として初の選挙戦を戦ったんですね。それで選挙の最中か、当選してからかはわかりませんが、伊坂からコンタクトがあったと我々は見ていますが、間違いありませんか?」

「そうだな。あれは……、選挙運動も終わって投票日の夜だったか……」

西田に聞かれた後、大島はそう言ってしばらく考え込んでいた。ただ、それは詳細な時期を思い出そうとしたというより、むしろ思い出したくないという気持ちの表れだった様に西田には思えた。


「……私は投票を済ませて、家内と共に締め切り前に選挙事務所に戻った。すると、そこに私の知人が来ていると、事務所のベテラン女性職員から言われたんだ。誰だと思いながら奥へと入って紹介された瞬間、すぐに相手があの伊坂だとわかった。さすがに私は大層驚いたが、相手はそんな私の反応を楽しむかの様にニヤつきながら、名詞を差し出して、『どうも久しぶり。あれからもう20年近くになるべか? こっちは、おかげさんで今は細々と土建業をやってるんだわ』と話し掛けてきた。私としてはその時点でアタフタしてしまって、取り敢えず、事務所の裏へと伊坂を連れ出し、『何しに来た!』と問い詰めた。すると、『小野寺……、というより今は大島海路こと田所靖さんか……。あんたの正体を俺は知ってる訳だ。そして戦中に召集逃れをしたことも知ってる。更に戦後は俺と共に、他人の取り分の砂金まで分捕った。もしあんたが選挙で当選したら、俺はそれを世間にバラすことも出来るんだわ。特に戦地へズルをして行かなかったってのは、議員さんとしてはかなりの醜聞だべ? それが嫌なら、ちょっとはこっちに仕事を回してもらえねえか? そんぐらい出来るべ?』と言い出した。どうせ碌な話じゃないだろうという予想はしていたが、全く以て最悪な提案だった。海東先生の後援会の支援こそあれ、実績も皆無の若造で、選挙で当選出来るかどうかという心配もあったが、その時に至っては、もはやそんなことはどうでも良くなっていたな……。それから、当時は選挙結果が出るまで、今と違って丸1日がかりだったが、その間の記憶はほとんど無い上、当選して支援者と共に万歳三唱の間も、虚ろな気分だったのは間違いない。さすがに家内は、私の異常に気付いていたが、本当のことはこの年になるまで打ち明けられずで来た。しかしまあ、人生の最後も最後になって、こうなるとは……うん。家内にも大変申し訳ないことになった」

唇を噛み締めたまま唸り、そのまま絶句した。


「小柴さんから聴取した、当時の私の部下によれば、当選して国会へ初登院した際も、全然嬉しそうじゃなかったそうですね。しかも、選挙中に嫌な思い出が蘇ったと話していたと聞いています。こちらとしても予想はしていましたが、やはりそういう流れでしたか」

西田は自分達の7年前の推理が当たっていたことを喜ぶでもなく、淡々と回顧した。そして、

選挙区じもとには、1年間ぐらいは余り戻らなかったとも聞いています。やはり、戻りたくなかったんですか、伊坂の出現で?」

と改めて問うと、

「まさにそういうことだ。伊坂からは、地元に戻る度に色々と頼まれていたから、私としても困り果てていた。しかも海東さんは基本的に、行政に口先介入するような議員ではなかった訳だから、私としても議員としての経験の浅さ以上に、初期にはそういう圧力を、そう簡単に掛けられる状況でもなかった部分もある。伊坂からは大分突き上げられたもんだ。そしてますます足が遠のくこととなった。わざわざ東京まで押し掛けてきたこともあったな、交通事情の悪い当時ですら」

と回想した。


「実はですね……」

西田はためらいがちに切り出したが、思い切って、

「さっきも言いましたが、その時に小野寺さんを脅迫したのは、仕事を得ようという以上に、砂金を横取りした時同様、召集を逃れたあなたを、再び困らせてやろうという思いが強かったと、政光は大吉から聞いていたそうです」

と伝えた。先程は激怒しただけに、西田としても迷っていたが、相手が胸襟を開いて全てを語ってくれている以上は、そのまま告げるべきだと考えたのだ。


 しかし、大島は今度は動じることなく、

「そうか……」

とだけ呟き、

「伊坂の中で、それだけ私に対する憎悪があった訳だ。しかし伊坂も私も、徐々に政治と土建という両輪で協力して、北見や網走を牛耳っていくことになるのだから、大層皮肉なものだな……。海東先生は、私の豹変をほとんど見届けることなく、引退してすぐに亡くなったが、多少悪い噂が出始めた時も、特に苦言を呈するようなことはなかった。おそらく言いたいことはあったはずだが……」

と、ある意味他人事のように言って力なく笑った。


「しかし2期目には、そんな政治姿勢のせいで、従来の海東議員の地盤を失いかけたとも、小柴さんが言っていた様ですが?」

「それは事実だ。クリーンなイメージもあった、海東先生の従来の支持層がかなり離れてしまった。次の選挙では、1期目よりも遥かに厳しい選挙になった。ただそれ以降は、徐々に成果を生みつつあった利益誘導と結び付き、先生の頃より強固な地盤を築いていくことつながった。高度経済成長期を経てバブルへと、主義主張より、ドンドンとカネの時代となっていくのに合わせて、私も権力の道を急激に駆け上がった」

ここまで言った後、大島は何とも言えない微妙な表情になっていた。自分が大物になっていくことと、本来あるべき姿との乖離に、当時大島も人知れず苦しんだのだろう。


「大島派もやがて箱崎派となり、どちらかと言えば、本来の官僚的公家体質から、徐々に金権政治に重きを置くようにもなった。派閥は更に大きくなり、私もその中で大臣にもなって、官僚にも口出し出来る様になっていたんだな……。それによって伊坂組を始めとする、支援者の土建業者に国費をドンドン回して行くことも出来た。まあ、それもバブル崩壊後からは右肩下がりで、橋爪の後の久米が、消費税増税後の不景気に公共事業に大金を突っ込んだが、それでも北海道の不景気にとっては、残念ながら焼け石に水(作者注・いわゆる橋本政権下での消費税増税による不況に対処するため、次の小渕内閣が公共事業を乱発したものの、現実には、バブル崩壊で痛手を負っていた金融機関の赤字解消に使われたため、市中に資金の供給がなされず、公共事業の効果がほとんどなかったとも言われています)だったからな……。結局のところ、多くの私の支援者の土建業者を、バブル以降切り捨てることになってしまった」


 北見共立病院銃撃事件や土建業者間の諍いを起こそうとして、坂本や板垣を使って銃撃騒ぎを起こしたことなど、まさにこの流れの話に関わってくるが、今は詳細について話を詰めるのは、我慢しておかないと話が面倒になる。西田はそのまま突っ込まずに腕時計を確認すると、既に昼飯の時間帯となっていた。キリも良いので、

「スミマセン。丁度良い時間帯ですから、一度休憩を挟みましょう」

と提案した。

「そうか……。もうそんな時間か……。よろしい。君らに任せることとしよう」

大島はそう言うと、何度か首を軽く回していた。自分の過去を語るだけだとしても、やはり向き合いたくもないことを喋るというのは、精神的疲労に繋がるはずだ。それを見た吉村が刑務官を呼び出し、大島を連れ出させた。


※※※※※※※


 西田と吉村は、拘置所の職員食堂で昼食を摂りながら、大島海路の波乱万丈の人生について話し合っていた。それにしても、戦地へ行かなかった大島もまた、国内のタコ部屋労働で死に掛けていたというのは、人生というものはそう上手く行かないのだと、改めて認識させられていた。そしてその辛酸を嘗めた経験が、実は労働族として、労働者を守る為の政治活動につながっていたというのだから、ゴリゴリの利権政治家と思っていただけに、人は見かけによらないものだとも思わされていた。


「しかし伊坂が脅してなかったら、海東議員や桑野の意志を継いで、立派な政治家になってたんですかねえ、大島は……」

ラーメンをすすりながら、吉村が懐疑的な口調で西田に話し掛けたが、西田はその時丁度、後半の取り調べについて考え始めていたこともあり、半ば上の空で、

「まあ、遅かれ早かれ、そういう体質に取り込まれたかもしれんな……。それが政治だろ」

と、少々投げやりに返した。

「そりゃそうなんでしょうけど、色々ともったいない感じがして……」

そう言うと吉村はしばらく箸を止めていたが、数秒程でズルズルと再び音を立てた。


 吉村の言う通り、海東匠と桑野欣也という、人格も優れたエリートに囲まれ、彼らに影響されながらも、最終的に酷く間違った方向へと舵を切った大島海路こと田所靖、否、小野寺道利。彼は、あり得ない状況から議員になるという好機を活かしながらも、その本質を見失ったという点も含め、大島自身において、対照的な2つの人生をまとめて歩んでいたのかもしれない。


 腹ごしらえが済むと、西田も吉村も、後半の取り調べについて軽く打ち合わせをした。と言っても、後はほぼ大島に任せた上で、疑問点を突いていくという形でしかなく、それもすぐに終わり、食器を下げると取調室へと歩を向けた。


※※※※※※※


 大島も取調室に戻り、いよいよ核心部分について大島に回顧してもらう形でスタートするつもりだったが、それに当たって西田はまず、1つの疑問点を質しておく必要があった。

「いよいよ、佐田実殺害について聴きます。事の始まりは、佐田実が伊坂大吉に、例の戦前の高村の殺害について、脅迫・恐喝してきたことでした。ここからの話では、我々が既に話を聴いた政光の話を前提に色々と聴かせてもらいたいと思います。ただその話には、父・大吉から話を聞いた上での、具体的なことではなく、あくまで政光の所感だったことも含まれていますから、色々と小野寺さんの記憶と違うこともあるでしょう。その点については色々と指摘していただきたい。それで以前の取り調べでも言いましたが、政光が言っていた話では、『大島海路の実人物は、元の桑野欣也に成り済ました、小野寺道利という人物であり、証文に記載されていた他人の分の砂金まで横取りした』ということまで佐田にバレていると、大吉が小野寺さんを伝えたってことでいいんですか? 我々はそれ自体が、大吉が小野寺さんに、佐田を殺害する必要性を感じさせる為の嘘だったという認識なんですが?」

と話を振った。

「それについては概ね正しいが、正確なところは私が補正しないといかんな……。伊坂は、『砂金相続の証人であった、佐田徹の弟である実が、高村の殺害について脅してきた。これは何とかしないとならんと思い、あんたも巻き込む為に、相手にこちらから、[大島海路は小野寺道利という奴がその正体で、湧別機雷事故の際に、本来死んでいたはずの桑野欣也と言う人物に成り済ました]とバラしてやった。その目的は、桑野が手に傷害を持っていて、それを理由として徴兵免除だったからってのも付け加えておいた』と、電話で伝えて来たんだ」

大島の発言がもたらした思わぬ展開に、西田と吉村は

「ええっ?」

と思わず声を上げていた。

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