第193話 名実102 (244~245 六甲望洋墓苑で日向子の墓にあったモノ)

 六甲山のふもとにある六甲望洋墓苑には、そこから大して時間も掛からずに到着した。駐車場は、墓地の区画ごとに分かれている様で、黒田の指示で、日向子の墓がある区画に一番近い所に駐めた。


 日曜の午後ということもあり、ポツポツとだが車が見られた。墓苑からは、確かに神戸の街並みや海は見えたが、事前に予想していたよりは、眺望はさほど良くはなかった。見える範囲が限られていたのだ。とは言え、六甲山にある墓地の類では、ここが最も神戸の街が見える墓地だと黒田は語った。六甲山に限らなければ、もっと眺望の良い墓地はあったのだが、それでは、日向子と共に夜景を見た場所ではなくなってしまうので、こちらにしたと言う。


 久保山が指示して、車にそのまま残らせた運転手の新庄を除いて、竹下達は黒田に付いて一度管理事務所へと向かい、黒田はそこで墓参り用の手桶や柄杓ひしゃくなどを借り出した。


 その後、黒田の案内で墓苑の中を歩いたが、傷ついたり欠けたりした墓石が竹下の目に付いた。7年前の震災時に倒れたのだろう。ここにも震災の傷跡はまだ残っていた。


 そして、いよいよ芝谷日向子の墓の辿り着くと、確かにかなり立派な墓石に、その名が刻まれていた。

「震災で倒れたりは?」

竹下の問いに、

「俺も神戸があんな状態やったから、すぐには来れずに、(来られたのは)2週間以上後やった。ただ、はっきりはせんが、墓石の位置こそ多少ズレとったもんの、傷一つ無かったんやから、持ちこたえて倒れなかったんやろうね……。もし、管理人が直しとったとしても傷跡ぐらいは残るはずやから。……とは言っても、倒れっぱなしの墓石も結構あったから、やっぱりそんなことも無かったやろな」

と答えた。大きな墓石だったので、激しい揺れに耐えたのかもしれない。


「久保山さんを、震災直後、何の被害も無さそうな河内長野の黒田さんの所へと、本橋さんが行かせたのは、実はこれの確認が理由だったんじゃないですか?」

そう竹下が久保山に語り掛けると、

「なるほど合点が行ったわ。心配しとったのは、黒田はんの方やのうて、神戸こっちの墓のことやったんか……。それ自体言うてしもうたら、ワシが尋ねて来たのは、兄貴からの差し金と黒田はんにバレてまうしな」

と、心底納得したようだった。

「何やその話は?」

黒田が尋ねてきたので、久保山が事情を最初から説明した。


「あん時、あんたが訪ねて来たんは、そういう理由わけがあったんか……」

黒田は、「二度と面会に来なくて良い」と自身に伝えていた本橋が、彼にバレないようしつつ、墓のことにまで気を回していたことに驚きつつも、本橋の当時の気遣いに、ようやく思いを馳せることが出来た様だった。


 それから、黒田が墓石を磨き、雑草を抜いて花を手向けている間、邪魔にならない様に、竹下は墓石の周囲を見回していた。この場所を本橋が指定した以上、何かのヒントがここにあるのは、ほぼ間違いないからだ。しかし、竹下にピンとくるものは一切無く、刻まれてもいなかった。この時点で、竹下は、やはり墓の中に何か隠されているのは間違いないと確信していた。


 そしていよいよ、黒田は線香を上げて祈りを捧げた。久保山や竹下も、知人ではないが、行きがかり上黒田に習って手を合わせた。


 一通りの儀礼が済むと、しゃがんでいた黒田は立ち上がり、供養のために供えたたこ焼きを2人に勧めた。このまま放置していても、生ゴミになるだけだから、今は大半の人が墓参りの後、供物を持ち帰るわけで、別に非礼ということではない。しかし、何となく手を出しにくい感情は竹下にはあった。勿論、勧められた以上は、断る方が結果的には非礼なので、入っていた爪楊枝を刺してそのまま口にした。


「日向子は、ホンマたこ焼きが好きやった……。出掛けた時も、食える時には必ず食っとった……。関西人でも、あんだけたこ焼きが好きな奴は、未だに会うたことがない」

黒田はそう言うと、墓石の方へと振り返り、

「幸夫が葵を破門されてから、確か殺人で捕まる半年前ぐらいの秋やったかな……。2人で墓参りして、たこ焼き供えた時、幸夫あいつはボソッと、『俺は、既に家族や親族からも縁を切られた存在や……。そう考えると、まるで日向子と同じ境遇やから、もし、俺が死んだら、この墓に日向子と一緒に入ろうと思うが、良いやろか? こんな言い方もなんやけど、一応俺が買ったようなもんやし』と、俺に確認して来たんや。そん時は、『お前はヤクザ辞めて、今、何しとるかはっきりわからんが、少なくともヤクザではのうなったんやし、(墓も)お前の名義やからな……。普通に入る資格はあるんやないか? 俺は構わんぞ』と言うたら、『入る資格か……』と呟いたまま黙りこくった。そん時、既に人を殺めていたはずの幸夫からすれば、思う所があったのかもしれん……。ほんで、そん時になって初めて、幸夫はひょっとして、日向子に本気で惚れとったんやないかと気付いた。いや、幸夫はそういうのを一切、態度おもてに出さんかったもんやから、未だに、それが当たってるかどうかは、俺にもはっきりとは未だにわからんのやけど……。そうやのうて、同じように不遇なガキの頃を過ごした、『戦友』という意識やったのかも知らんが、真相はもう語られることもないからな……。でも、おそらくは惚れとったんやないかと思っとるんや」

と喋って、黒田は竹下達へ向き直った上で、やや俯いた。


 それを聞いた黒田は、

「兄貴は、ああ見えてそれなりにもてはった割に、結局独り身だったのは、ヤクザってこともあったかもしれんが、ひょっとすると、この日向子はんに、操を立てたのかもしれまへんな。まあ、言うまでもなく、ワシもはっきりしたことはわからんのやけど」

と語った。


 その直後、上空からポツリポツリとだが、小さな雨粒が落ちてきた(作者注・この日の関西地方は夕方まで晴れ時々雨、夕方以降土砂降りという日だったと気象庁HPで確認しております)。竹下と久保山は、顔を空に向けて手をかざしたが、黒田はそのまま顔だけ上げて、厚くなってきた雲を見つめていた。


 竹下はしんみりとした空気に、墓の探索をどう切り出すか迷っていたが、

「ところで、あんたはここに、幸夫が大事なことを伝えるのに、重要な意味があると思うてやって来たんやろ? わかったんか? わからんとなれば、さっき言ってたように納骨の所を確認してみるより他ないやろ?」

と、先程まで空を眺めていた黒田が、言い難いことを先に切り出してくれた。


「残念ながら、墓の周りに何か刻まれているとか、そういうことがあるかと思ったんですが……。良いんですか?」

そこまで言って口ごもると、

「車ん中で聞かせてもらった時に、『ええ』と言うたやろ」

と竹下の背中を押した。


「じゃあ、思い切って、そうさせていただきます!」

竹下は一度拝み直してから、黒田と共にコンビニに入った際に買い求めていた軍手を取り出し、排石を静かに避けた。


 遠軽署時代の、あの辺境の墓標での捜査が思い出されたが、あの時は僧侶に読経してもらったので、心置きなく捜査に集中出来た。しかし、今回は単なる一般人による墓参りだったので、多少負い目を感じながらの作業だった。その様子を黒田と久保山も見守る。そして、納骨スペースの中を覗くと、骨壷が複数あるのをすぐに視認した。


「あれ? 日向子さんの骨壷は、当然1口分ですよね?」

「勿論そうや。それにしても、片方はかなり小さいな。日向子の奴は、確かそっちの大きい方ぐらいはあったと思うわ。30年以上前のことやけど、記憶が確かなら」

竹下に聞かれて、スペースを覗き込んだ上での黒田の発言を受けて、竹下は小さい骨壷の方を取り出した。おそらく遺骨の類は入っていないと確信こそすれ、やはり蓋を開けようとする際には、多少緊張が走った。


 そしてゆっくりと蓋を取り除くと、中には、透明のビニール袋と、外側にそれとは別の小分けされた透明のビニール袋に入った封書が目に入った。そしてそこには「久保山へ」という文字が書いてあった。

「これは幸夫の字やな……」

横から覗き込んでそう言った黒田の言葉に、久保山も同意するように頷いた。


 竹下は、まずその封書の入ったビニール袋を取り出し、すぐ宛先である久保山に渡した。次に、その下のビニール袋に入っているものを、外から確認した。すると、カセットテープが複数、そして小さめの大学ノートが入っていた。更に吸湿剤とみられる、お菓子に入っているシリカゲルのような小袋が幾つも見えた。


 竹下は、本橋が手紙をわざわざ別にして、テープが入ったビニール袋の上に目立つようにしていたことから見て、まずそれを先に読むことを求められていると感じ、久保山に封を開くように求めた。久保山も神妙な面持ちで開封して、中から便箋を取り出した。


※※※※※※※


 拝啓


 久保山へ


 久保山、お前がこれを読んでいるんやとすれば、万が一に備えていた、その

万が一が現実に起こったっちゅうことやね。本来であれば、俺はこの事実を表

に出すつもりは毛頭なかったんやが、こうせざるを得なかったということや。

ただ、その理由が具体的に何なのかは、今、この手紙を書いている段階では

俺も全くわからん。しかし、今の時点で、そんなことは起こらんと信じとった

のは確かや。と言うより、起こって欲しくないという方が正確かもしれんわ。


 ビニール袋に入ってるカセットテープは、俺と『やすの親父』との

電話での会話を録音したもんや。電話本体に付いとるちっこいテープやと、

聞くのに難儀するかもしらんから、別に録音する機械買うて、普通のテープに

録音したったから、聞くのは楽やと思う。特に最初の依頼の時は丸々1回分

その後は、会話の最初の方が入ってないモンもあるが、急遽録音することに

なったもんやからしゃあない。詳しい話は、一緒に入っとるノートに

色々細かく書いてあるから、そっちで補完してくれや。


 因みに、依頼っちゅうのは、何れも、俺が親父から頼まれて、ばらしに

関わった件のことや。会話っちゅうのは、その件に関する会話のことやね


 この後のことは、現時点ではようわからんが、おそらく俺が一切警察相手に

うたっとらん内容のオンパレードがそこに含まれていると思う。


 これらをお前に託したのは、このことを世間に公表してもらうためや。

お前がこれを見てる時点で、俺がパクられとること以外については、正直どうなって

いるのかも全く読めん。豚箱、いやおそらく死刑やから拘置所か……に居るかも

しれんし、はたまた死刑で既に死んどるかもしれん。


 細かい状況は読めんが、とにかく、お前に公表してもらいたくて、この場所を

あいつから聞き出すように仕向けて、今こうして、これを読んでるはずやと思う。


 俺としても、本来はパクられたくはなかったんやが、こうでもしないと、他人を

いつまでも殺め続ける羽目に陥りそうやったもんで、わざとパクられることにした。

事件については、一切うたうつもりはないもんの、おそらく十分有罪になるような

状況証拠は上手く相手に渡すつもりやから、出てこれる可能性はないやろな……。

一応は無実を、形だけは主張するつもりやけど……。


 自首と言う手も考えたが、組の方に子分を面倒見てもらってる立場やと

例え、親父の関与をうたわなくても、親父の依頼を自分から断ったっちゅう

扱いにされて、あいつらの立場を悪くする恐れがあるやろ?それだけやのうて

俺自身の評判も落ちるわけやから、是非とも避けたいパターンやった。


 となると、残念ながら、自分で下手打って、パクられたっちゅうことにせんと

あかんという結論になったんや。まあこっちの選択も恥っちゃあ恥やけどな。


 そして、これらの証拠を何処に隠すかとなると、一番安全そうなのが日向子

の墓やったんで、日向子には申し訳ないが、パクられる前にここに安置させて

もろたって訳でな。ここは、お前が、あいつから聞かん限りはバレる心配も

ほぼないやろし。そもそも、この手紙をお前が見ていることも、まずあり得ん

と考えとるが……。


 ただ、お前に公表してもらうとしても、それ自体がかなり危険な役目になる

ことを俺は恐れとる。大阪や兵庫のポリやデカは、葵と繋がってる連中が

わんさかおるからな。告発が握りつぶされた挙句、お前にも危害が加わらん

とも限らん。だからこそ、俺の指示を忠実に実行してもらいたいんや。


 まず、テープは全てダビングしておくこと。そしてダビングの際には、元の

テープもダビングしたテープも一切素手で触ったらアカン。勿論、ビニール

から取り出す際も同じや。外に出した時に、お前の、前に取られとる指紋と

合致したら、提供元がお前とバレちまうわけやから、そこは、絶対に忘れたら

アカンぞ


 更に、大学ノートも全部コピーしとけ。勿論、原本もコピーも触る時には、

テープ同様、一切素手はアカンぞ!


 さて、その上で提供先や。大手マスコミより先に週刊誌にたれ込め。ただ、

東西新聞系のメディアは、一切送らんでエエ。あそこは、ウチと懇ろの

民友党の、特に箱崎派の連中とも懇ろやから、揉み消される可能性はグンと

高くなるからや。無駄な上に、色々警察と連携してちょっかい出してくる

可能性すらあるわ。


 せやから、その他の新聞やらテレビ局やら週刊誌やらに、コピーしたもんを

ガンガン送り付けることが肝要や。勿論その際も、封筒なんかは素手で

触ったらアカンからな。何遍でも言うたるわ。


 お前は一切名前は出さなくて良い。俺の目的は、親父が事件に関与

したことを公表することやからな。勿論、そうなった理由は、今のところは

全く想像すら出来んが……。


 それから、もう一つ重要というか、絶対約束して欲しいことがあるんや。

どんなことがあっても、あいつの名前は出したらアカン!無責任なようやが

命に代えても、この約束は守って欲しいんや。こんなことを言える義理じゃ

ないのもわかっとるし、お前に俺の姿は見せられんとしても、心の中じゃ

間違いなく土下座しとる。ただ、あいつをトラブルに巻き込みたくない一心や。

預けた三百万は、全部お前にやるさかい、この約束だけは守り通してや。

お前ならどんなことがあっても、それを必ず守り通してくれると見込んでの

頼みやから、是非とも頼むわ。


 本当にこないなことに、結果的に巻き込んでしもうて、申し訳ないの一言

やし、大きな借りを作ることになってしもうたが、この借りは地獄で返す

つもりや。それで、何とか我慢して欲しい。では、ホンマによろしく頼む。


 そして、お前がこれを読まずに済むことを、心の底から祈っとったこと

だけは是非とも理解して欲しい。


                     1991年 4月21日


                       本橋 幸夫 


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