第178話 名実87 (206~208 大島が取り調べで見せた狼狽と、新たな展開の予感)

「彼から何を聞いたのかは知らんが、言うだけなら何でも言えるわけだからな。それこそ、私に無関係なことも、なすりつけることすら可能なわけだ。言うだけなら何でも言える」

大島は「言うだけなら何でも言える」を繰り返したが、西田は畳み掛ける。

「しかし、あなたは田所靖ではなく、本当は桑野欣也なわけでしょ?」

大島は、この西田の発言には反応した様には見えなかった。戸籍を辿るだけでも普通にバレることだと、既に覚悟は出来ていたのだろう。西田はここで更に、真の本名である「小野寺 道利」の名前に踏み込もうかと思ったが、それに関する話題はまだ止めておこうと一旦思い直し、話を続けることにした。


「戦前に、生田原の山中での砂金堀で、伊坂大吉とあなたは出会い、戦後はその雇い主が残した砂金を分け合い……、というより、他人の分まで奪った。そして、あなたは東京へ出て、大吉は北見で伊坂組を作った。その後、再び意図しない状況で2人は出会った。おそらく、あなたの初出馬時の、選挙運動の最中ではなかったかと考えていますが……。あなたが海東匠議員の跡を引き継ぎ、政界進出を目指した、まさにその時でしょう。それからの関係は、共通の利益を目指したものだったはずです。具体的には、伊坂組を公共事業に潜り込ませ、あなたは票やキックバックの政治資金を得るため結託したとは言え、初期の実態は、大吉によるあなたへの脅迫を、前提にしたモノだったはずでは?」

この話は、大島が桑野欣也であることを前提としたものに留まり、彼を油断させる意図もあった。


「君ね。建設業界と政治の癒着と批判されるものの大半は、地方のインフラが未整備のような所には、ほとんど該当しないにも拘わらず、マスコミが騒ぎ立てるから、地方が衰退するわけだよ。しかし、君らにはその実態をわかってもらえないらしい」

大島が、西田の言ったことの本質とは無関係な話題で誤魔化しているのは、政治には特別興味のない西田や吉村にとってみても明らかだ。


 ここで西田は、伊坂大吉が大島を脅迫した原因の根本に、「戦時召集を回避出来た大島への大吉の嫉妬」があったと伝えるかどうか悩んだが、それを出すのも、小野寺道利という名前について、ちゃんと言及した後の方が道理的にも良いと判断した。


「その点についての見解の相違はともかく、その後の2人のある意味『バランスの取れた関係』が壊れるきっかけとなったのが、それこそ佐田実の出現だったことを、大吉から聞いたと政光は証言してます。佐田は、伊坂大吉が戦前、砂金掘の飯場で殺人を犯したことを知りました。加えて、それを知った理由であると共に、その話の根拠となる事実関係を記した佐田の兄の手紙と、それを裏付ける血判付きの証文の存在を突き付けて、大吉を恐喝したわけです。困った伊坂大吉は、佐田を始末する必要性に駆られた。そして、ここは未だにはっきりしていないが、大吉はあなたに、佐田実があなたが本当は『小野寺道利』という人物だと知っていると、ハッタリをかましたと見てます」


 この時、これまでになく大島は動揺を隠せなかった。目を剥いて、喋った西田に何かを言い掛けて、ギリギリでとどまった。吉村もそれを視認した上で、

「田所さん! あなたが本当は、桑野欣也の3つ下の従兄弟である、『小野寺道利』と言う人物だと我々は既に把握してます。そしておそらく、これも繰り返しになりますが、佐田があなたの正体を見破ったと、伊坂大吉があなたに嘘の情報を伝え、あなたもまた、佐田実を消す必要があると認識したと推測しています。その結果として、あなたに頼まれて、箱崎派に近い葵一家から派遣された本橋が北見にやって来て、佐田を殺害した。その際、本橋の北見での犯行の為に、具体的に協力したのが伊坂大吉だった、こういう判断をしています。あなたは、大吉に今までずっと騙されていたんじゃないですか? 本来なら、佐田を殺害するほどの理由は、あなたには一切無かった。例え、利害関係を共にしていた伊坂大吉を脅かす存在が現れたとは言え、伊坂にとっても、あなたは単なる使いっ走りではなく、利をもたらしてくれる相手でもあり、殺人の片棒まで担がせられるほど、一方的に搾取される関係でもなかったはずでしょう?」

と追い打ちを掛けた。


 この連続した追及に、大島は微かではあるが唇を震わせ、怒りを押し殺しているように見えた。明らかに、小野寺道利が本名だと指摘された点に加え、大吉にこれまで騙されていたことに今気付かされ、心境に波風が立ったのではないか? 老獪な大物政治家が初めて見せた隙に、西田も吉村も本格的な手応えをこの取り調べで初めて感じていた。


「小野寺さん。あなたは、本来は佐田実を殺す必要がなかったにも拘わらず、伊坂にすっかり騙されていたんでしょ?」

もはや、戸籍上の本名「田所」もすっ飛ばして、小野寺として西田は質し始めた。大島は唇を堅く結んだまま、何とか我慢しているようだ。しかし、これまでの、「上手く応対し続ける」戦術は、既に鳴りを潜めたと言って良いだろう。こうなってしまえば、黙るしか手段が無いのも当然だ。


 追及する側も、この部分に絞ってこの後20分程格闘し続けたが、埒が明かないこともあり、西田は、中川が本橋と殺害実行後に、北見駅で会っていた話に切り替えてみた。

「ところで、あなたの忠実な下僕しもべである中川秘書が、15年前、当時佐田実が殺害されたと思われる日ですが、その日に北見駅のホームで、佐田実殺害実行犯の本橋と落ち合っていたという情報が入りましてね。こちらとしても、正直言ってかなり前のことで、当初は信憑性を疑ったんですが、どうも色々と具体的に裏付けられる証拠が出て来て、非常にびっくりしているんですよ」


 この質問を聞いても、大島は新しい反応は示さなかった。伊坂政光は、新しい弁護士に替わることもあり、改心した側面もあったか、「小野寺の件をバラした」という話を、以前の担当だった地元・北見の松田弁護士にすることもなかったのだろうが、中川の方が、松田弁護士にもしこの話をしていれば、大島に伝わっていたとしても全く不思議はない。既に知っていたという意味で、特に驚かなかった可能性は十分にあった。


「中川と本橋が会っていた理由は、殺害実行の報告を、真の依頼者であるあなたに報告する為、それでしょ? 中川秘書とあなたは一心同体なんだから」

吉村がそう尋ねても、大島は微動だにしない

「その時、着手金とは別の成功報酬が、中川秘書の手から本橋に直接手渡されたんじゃないですか?」

尚も食い下がる吉村だったが、これ以降の大島は、黙秘を多用しつつ、割と冷静に尋問側の追及をかわした。結局、それなりの成果はあったものの、最後まで詰め切れないまま、短い取り調べ時間は時間切れとなってしまった。


※※※※※※※


「ちょっとは近付いたんですかねえ……。そう信じたいところですが」

取り調べ終了後に、札幌拘置支所の長い廊下を歩きながら吉村が呟いたが、

「まあ、小野寺道利というところは、さすがにびっくりしたようだ。そこら辺については、こちらの考えは合ってるのはもう間違いがない。ただ、佐田実殺害の犯行そのものを、何としても相手に認めさせないと話にならん。一方で、今日の大島の様子を見る限り、9月26日が、佐田実殺害の『時効』だという勘違いをしてはいなかったのは間違いないはずだ。さすがにそこは単純馬鹿ではないわな、相手も」

と返した。


「海外渡航分の時効停止、延長を意識してるんでしょうか?」

「延べ8日だったか? 取り調べて、本橋の公判分の延長の方も、あっちが把握してるかどうか確かめる必要はあるかもしれないが、今日の手応えからして、そちらもちゃんと理解わかってると見て間違いなさそうだ」

「まあ、そこは把握してる可能性が高いのは当然ですか……」

「とにかく、今度は喋らなくなった相手との戦いになるんだろう。一歩進んだのは喜ばしいが、それはそれで大変だ……」

西田はそう言うと、溜息が自然と漏れた。


 そしてこの日、9月27日までの、大島に対する最初の勾留期間が切れることもあり、9月28日からの勾留延長請求がなされ、すぐに認められていた。


※※※※※※※


 9月27日金曜日。9月30日で切れる、北見で留置されている4名の勾留延長期間を前に、勾留罪状での起訴並びに、新たな罪状での逮捕方針が決定した。逮捕状請求は土日でも可能なので、その点は金曜中にする必要もなく、北見方面本部は通常の取り調べ体制だった。


 一方の札幌では、最初の勾留の最終日を迎え、一区切りとしての大島への「緩い」追い込みが掛けられていた。だが、大島は特に反応せずそのまま幕切れとなって、札幌拘置支所の隣にある、札幌刑務所に併設されている医療センターで再検診を受けた。健康状態には大きな問題はなかったものの、再入院を検討すべき事態があるかもしれないという医師の診断結果もあって、先行きについては暗雲も出て来ていた。さすがに再入院だと、取り調べには問題も出て来そうだったからだ。 


 月も変わり10月1日火曜日。坂本と板垣に、拳銃の使用方法を教えた、双龍会の山里の裁判が始まった。そして夕方、西田の携帯に遠賀係長から連絡が入った。

「何だろう? 坂本と板垣の企業銃撃関連の勾留請求で、何かあったのかな?」

そう独り言を言いながら電話に出ると、遠賀は遠慮がちに話し始めた。

「忙しい所スミマセン。課長補佐、遠軽の桝井刑事課長から先ほど連絡が入りまして……。課長補佐も札幌で忙しいでしょうから、お耳に入れるか迷ったんですが……」

忙しいと2度も気を使いつつ、煮え切らない遠賀の言葉に、相手が年上であることを意識しつつも、西田は、

「係長、申し訳ないんだが、忙しいからこそ、用件があるなら率直に伝えてもらいたいんですが……」

と苦言を呈した。

「確かにそれもそうでした、申し訳ない……。じゃあそのまま伝えさせてもらいます」

遠賀はそう前置くと、気が楽になったかすぐに話し始めた。


「遠軽署の方に、昨日封書が届いたって話です。宛先は、遠軽署の住所に加え、西田様、竹下様という連名で」

その言葉を聞いた途端、西田は思わず、

「遠軽署に俺と竹下宛で届いたんですか!? どう考えても、6年以上前の情報で送ってきてるなあ……。何だそりゃ……」

と言って、状況が飲み込めず困惑したが、次の遠賀の言葉は、更に西田を混乱させるものだった。

「それでですね。もっと問題というか……、その封書の送り主が『本橋 幸夫』と書かれていたようでして」

一瞬、ゴクッと唾を飲み込んだ上で、

「ちょっと待ってくださいよ! えっと、本橋ってのは、まさかあの死刑になった本橋じゃないでしょうね!?」

と、焦るように、本橋幸夫という名前に反応して確認した。

「まあ名前については、漢字も含めてそのままみたいです。念の為、封筒に付着した指紋の『前(歴)』を調べたら、正体不明の指紋複数と、1名分のヒットがあったそうですが、それは『前そのもの』というわけじゃなく、どうもスピード違反で捕まった際に、印鑑代わりに指印で違反切符に押した記録が残っていた奴で、おそらく郵便局員のモノらしい分しか出なかったそうですわ。その上で、課長補佐の居る北見に転送しようかどうかって話をしてこられたんで、一応、課長補佐が、現時点で札幌に出張中という話をして、今、ご本人に確認してみようと思って電話した次第です」

そう遠賀は説明してみせた。


「なるほど……。でもまあ、どう考えても悪戯でしょうから、あっちで処分してもらって……」

そう言い掛けて、ふと違う判断が西田の中で頭をもたげた。その理由わけとしては、悪戯にしては、本橋を直接取り調べたことのある2人の名前が、具体的に挙げられていたことがあった。そして、それだけ具体的にも拘わらず、遥か前の2人の所属である遠軽署に、何故か連名で送り付けるということが、より違和感を醸し出していたからでもあった。


 もし差出人が、その手の情報を知っていた、例えば警察関係者なら、その2つの事実はあり得ない組み合わせのような気がしたのだ。警察関係でもなければ知らない情報を持っているが、警察関係者ではない。そうなると、極論すればその情報は、本橋本人ぐらいしか知らないとも言えるわけだ。勿論のこと、本橋は既にこの世の人間ではないわけで、その最大の難点は説明しようがないのだが、西田としては、そのまま処分するより、まず自分でちゃんと調べた後での方が良いと感じた末の翻意だった。


 同時に、本橋本人が既に死んでいる以上、仮に中身が本橋本人により書かれたとしても、現実に遠軽署に向けて差し出したのは、確実に本橋本人ではなく、収監中の本橋から依頼を受けた人物だろうと推測出来た。いずれにしても、現物を見るまでは何も断定は出来ないことは確かだ。


「ああ、今の処分の話はなしで。そっちも忙しいだろうから、手数掛けますけど、遠軽署の方に、速達で道警本部さっぽろの刑事部捜査一課・西田宛に送付するよう伝えること、やってもらえますか? 後、送付されて来た封筒を、更に別の大きな封筒にまるごと入れて送るようにも言っといてください」

改めてそう言い直すと、遠賀は

「はあ……。まあ課長補佐がそういうなら、そう遠軽あっちには伝えておきます」

と、イマイチ納得しきれないような口調だったが、指示を受け入れた。


 会話を終えると、西田は「わざわざ送らせなくても良かったか」と言う若干の後悔をしていたが、この西田の判断が、佐田実殺害の全容解明に大きな役割を果たすことになるとは、この時は、本人もまだ全く気付いていなかったのである。

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