第170話 名実79 (182~184 大島を追い出す新たなアプローチ)

「さすがに2人とも、そこは見失ってないですね。まあそういうことです」

そう言った時の竹下は、含み笑いを浮かべていたようにさえ思えた。

「御託はいいから、さっさと話せよ」

西田は手酌でウイスキーを雑に注ぎながら、言葉を荒げて急かした。

「はいはいわかりました。じゃあ……。こうなってくると、病院側を積極的に動かす手段を講じないといけない、そうは考えませんか?」

「うん? 動かすってのはどういう意味だ?」

西田は真意を求めた。

「うーん……」

竹下にしては珍しく、自分から話を振っておきながら、即座に答えなかった。


「何だよ、口からでまかせか?」

酔いも手伝ったが、少々煽り口調になってしまった。

「そういうわけじゃないんですが……。警察自体が取れる方法としては、ちょっと無茶ですから……。それにこれをやったから、確実に病院側を動かせるという保証もないんで」

「竹下さんが自分で言い出しておいて、それだけ歯切れが悪いってのも珍しい」

吉村は、むしろ心配そうに様子を窺った。


「病院側のアキレス腱を掴めれば、政治側が責任をある意味ぶん投げている以上、大島を守り切る体制を、これ以上維持出来ないんじゃないかと……」

「何だ? その相変わらず曖昧な話は? はっきりしろはっきり! さっきの神奈川女子医大? だかの話が絡んでくるんだろ!?」

ようやく喋った内容ですら、かなり抽象的だったので、西田は不満を隠せず更に煽りを入れた。それを聞いた竹下は、まいったなとばかりに苦笑いしながら、ウイスキーを軽く口に含むと、

「まあそうなんですが……。わかりました! やり方としてはですね、京葉病院側の弱みを掴み、おそらく偽の診断書を撤回か、新たにまともな診断書を出させるかのどちらかしかないでしょうね、結局は」

と言い出した。


「まあ、それが逮捕の障壁を無くす、おそらく最も手っ取り早い方法ではあるが、そんなことは、こっちにも理解わかり過ぎるほどわかってる! だけどな、それは所詮医者の専権事項だからな……。それこそ警察としては、医者が無理だと言うならどうしようもないんだ! さっき竹下が言ったように……。だから、その弱みを掴むってのを、どうやって実現するかを教えてくれや! 医療ミスとの絡みもようわからん」

絡み酒のような感じになっていたのを、西田もよく自覚していたが、しばらくぶりの元部下との会話ということもあり、許されるという前提を以って、勢いだけで済ませていた。


「具体的に言うと、2つのアプローチを利用することだと思います。まず1つは、手術ミスから情報隠蔽まで、東日が記事に出来なかったことを、別の媒体で暴くってことです。病院側から政治家を使って圧力掛けたとなると、ただでさえ、大島匿ってる状況に加えて、新たな批判材料が加わりますから、病院としても苦しくなる。最終的には大島を匿えなくなるでしょう。そのために、具体的には週刊誌を利用する手があるかと。最近特ダネ連発して、タブーなき報道を自認してる『週刊センセーショナル・スクープ』でもやらせるという方法が考えられますね」

「ははあ、『センスク』ですか!」

吉村がニヤニヤしながら週刊誌の通称を口にした。


「週刊センセーショナルスクープ」は90年代前半まで、大物作家が創設した「週刊文学論考」、通称「文論」として知られていたが、名前が堅いということで、センセーショナルスクープに96年から改名していた。「文論」時代から、割と保守的な紙面内容が目立っていたが、ここ最近編集長が変わったせいか、やけにあらゆる方向に噛みつき出し、政財界、芸能界、スポーツ界を巻き込んで大スクープを連発していたのである。


「お前、そことコネあるの?」

西田がやや目が座ったまま視線を向けた。

「いや、全くありません」

清々しい程に全否定されたので、西田も吉村も酔っていたこともあったが、大袈裟に仰け反った後、

「それじゃ意味ないじゃない!」

と机をバンバンと叩いた。

「当然それを自分でやるとは、一言も言ってないですよ!」

大袈裟なリアクションに内心苛立ったか、机をバンと叩き返して反論した竹下だったが、

「要は、高垣さんに依頼するってことですよ!」

と、続けてピシャリと言い切った。


「ははあん。なるほど、高垣さんか! ただ、高垣さんもフリージャーナリストとは言え、センスクとコネあるかどうかは別問題だろ?」

西田は納得したものの、すぐに不安を訴えた。


「95年に、西田さんに指示されて、高垣さんに初めて接触する前、黒須と一緒に高垣さんの著書を見て、『予習』しておいたんです。で、その時読んだ本が、当時のセンスクの前身の『文論』で連載していた記事を、まとめて本にした奴だった記憶があって……。さっきネットで確認したら、やっぱりそうでした。勿論かなり古い本でしたから、今のセンスク編集部との関係ははっきりしないこともあって、更に調べてみたんです。すると、99年に書いた著書が、改めてセンスク連載だったようで、多分行けるんじゃないかと。まあ編集部の入れ替えが、その後あったとかないとかって話もネットで見ましたから、そこがどうなってるかは微妙ですけどね」

「そこまで調べてるなら、確かに行けるかも……。高垣さんが協力してくれるならですけど」

吉村もビーフジャーキーを口の中で「揉みほぐし」ながら、満足そうに言った。


「まあセンスクが仮に記事にしてくれたとしてだ、問題はその先だろ? 目的は大島を病院から追い出してもらうことなわけで、それが実現出来るかどうかだ」

西田は竹下の方へと、肘を付いて顔を近付けて言った。

「正木の話ですが、京葉病院といえども、告発した医師同様、内部にはそれなりに外部の医学部出の医師も居るようです。よって、トップはともかく、内部は必ずしも一枚岩とは言えないそうです。医療ミスを内部告発した医師の出身は、関東医科大学だったとか。今は既に、出向先の神奈川女子医大も、本来の所属である京葉病院も共に辞めているというか、居られなくなったという感じのようで。その結果として、やはり病院内部では、外部から入ってきた医師を中心にして、色々と不満が渦巻いてるみたいです。記事が出れば、そちらにも影響を与えておかしくありません。病院を真っ当な運営に戻そうという、大きな助力になる可能性は十分にあります。それが2つ目のアプローチですね。まあ正確に言えば、週刊誌利用と密接に絡んでますが」

「なるほど。週刊誌による外圧と内部の不満を利用して、力学を変えようって魂胆ですか」

吉村はもっともらしい表現をしてみせた。ビーフジャーキーで顎の筋肉を使っているため、脳の血流が良くなっているのかもしれない。


「まあそんなところかな」

「いやいや、そんなところは一向に構わんが、そこまでやろうとすれば、時間が掛からないか? 下手すりゃ年単位だろ?」

今日の西田は、竹下の意見に対して、かなり懐疑的な立場を貫いていたが、意図的と言うより、客観的に見て、竹下の作戦がそう簡単ではないと言いたいだけのことだった。


「京葉病院の佐久間院長が、9月末で退任するタイミングを利用しない手はないでしょ? さっきも言いましたが、既に候補者は、一応佐久間の影響下にある教授で、内定済みです。京葉医学部出身でもあるようです。しかし対立候補には、神戸医療大学出身の若手教授が居たそうで、こちらは病院改革を積極的に主張してたみたいです」

「つまりそこにスクープ記事をぶち込むってわけか?」

「ええ。9月末の退任と言えども、実質その前に。新しい院長での体制が整うわけですから、そこにイレギュラーな状態を作り出して、無理やり内部変革を促すか、もしくはそれに近い状態を作り、大島を追い出せる状態にしたいところです。まだはっきりしたことは言えませんが、9月の中旬までにはやらないとダメでしょうね」


 これを聞いてしばらく西田は熟考していたが、

「面白い話ではあるな。ただ、なかなかそう上手く行くかはわからないところが、やはり問題だな。楽観出来る類のことじゃない」

と絞りだすように言った。

「西田さんの言う通り、あくまで絵に描いた餅状態かもしれません。でも正木からは、情報提供の協力は取り付けてます。辞めた記者との連絡先も入手済みです。とは言え、北海道の地方紙の、しかも更に地方支局の記者が、何故そこまで知りたいかは、よくわかってないようでしたけどね」

そう言うと竹下はニヤリとしてみせた。

「ま、それについては、俺らは全く関与出来ねえ話だから、そっちに丸投げせざるを得ないわな」

西田は姿勢を元に戻すと、1人頷いた。


「さっきも言った通り、警察がどうこうってのは、やはりどう考えても無理ですね。あくまで自分が勝手に筋書きを作って、どうにかしていこうってレベルの話です」

竹下自身も、少しトーンを落とした。

「ところで、そんな暇あるんですか? ブンヤ家業も忙しいでしょ?」

吉村が探るような目つきをしたが、

「幸い、こう言っちゃなんだが、閑職にある以上は、取れる時間は徹底的に利用させてもらうつもりさ。転んでもただじゃ起きないよ!」

そう言って竹下は目を細めたが、その目の奥にある強い意志が、西田には見えたような気がした。


※※※※※※※


 8月20日。捜査本部は担当検事との協議で、中川、伊坂、坂本、板垣4名それぞれの逮捕勾留容疑での起訴を確認。更に勾留延長最終日である8月21日を以って、中川については、坂本や板垣、伊坂への病院銃撃事件での殺人幇助に対する教唆。坂本と板垣においては、病院銃撃事件前の建設会社銃撃事件での最初の銃撃(九谷建設)における銃刀法違反(拳銃等の発射)。伊坂は、北央銀行北見支店に対する詐欺での新たな逮捕方針も決め、釧路地裁北見支部にに逮捕状の請求を午後には求めた。中川も無事に病院から北見署の留置場に戻っており、看守による24時間、直接マンツーマンでの監視の下に置かれることとなっていた。


 伊坂については、殺人幇助や銃刀法違反の教唆に加え、伊坂組での経済的違法行為、中川については、建設会社銃撃事件での、銃刀法違反の教唆での逮捕も考えられた。ただ、特に伊坂については、北央銀行側に協力を要請し、実際に告訴してもらったこともあって、まずは詐欺罪について優先して起訴するべきとして、その要件で逮捕することとしていた。中川も建設会社銃撃事件は数件あるので、後に回す判断がなされていた。


※※※※※※※


 8月21日水曜日。日中は起訴と新たな逮捕や捜査会議で忙しく過ごし、泊まり込み覚悟で一息付いていた西田に、午後9時過ぎに竹下からメールが入った。特にメールにした理由については言及されていなかったが、おそらく業務で忙殺されていることを見越し、そうしたと思われた。


 内容は、高垣と20日に連絡が付き、週刊誌側との交渉を依頼したこと。新しい編集部には、高垣と以前から付き合いのある編集員や記者もいるが、編集長とは全く面識がないので、現時点での記事掲載の確約は出来ないということが書いてあった。


 更に正木から、記事の件で抗議し、東日本新聞を辞めた記者である光岡みつおかを電話紹介してもらい、その光岡から、潰された記事のソース元であった医師を更に電話紹介され、記者と医師を両名の了解を受けた上で、高垣に連絡し、電話紹介したことも綴られていた。言うまでもなく、両名とも、匿名であれば、週刊誌側に取り上げられても問題はないという了承を既に得ていた。これについては、正木から記者会見場で話を聞き、19日に西田と吉村に会った段階で、おそらく問題ないだろうと言う確信を、既に竹下は得ていたのだろう。それでなければ、この計画を、西田や吉村に当日すぐに提示することはなかったと西田は考えていた。


 だが残念なことに、高垣自身は現時点で抱えた仕事があり、仮にセンスク側が記事を掲載してくれるとしても、直接的に、今回の記事のライターとして活動することはないと明言していたようだった。


 一方で、高垣が知り合いの編集部員に軽めの相談をした段階では、もし掲載する場合には、取材して記事がすぐに出来上がれば、9月の上旬頃には、予定記事と差し替えても掲載してくれるというだろうという感触を掴んでいたと、竹下はメールに書いていた。病院長の正式な就任が決まる10月頭前に、病院側の人事に影響を及ぼす方が、京葉病院側に早々に処理しておきたいというモチベーションを与えることに繋がるので、出来るだけ早い記事の掲載が望まれるわけで、その点は幸先が良いと言えると書かれていた。


 そして、実はセンスクは、中川の逮捕以降、大島の事件への関与疑惑についても記事にするように動いていたが、現時点では断念していたことも判明したと言う。取材の裏取りなどに限界があり、まだ記事に出来る段階に無いと判断したとのことだった。おそらく、否、確実に現場の刑事達にはきちんと取材出来てないのだろう。逆に言えば、捜査本部からの情報流出は、現時点までほぼ無かったと断定出来たということでもあった。高垣も知っていることについては、当然センスク側に黙ってくれていたということでもある。


 いずれにしても、竹下の週刊誌を利用した陽動作戦が、どこまで実現性があり、現実に実行されたとして、どこまで実効性があるかは、依然として不透明なところだった。但し、現状大島海路を早期に院外に追い出す方法が思い浮かばないだけに、西田としても期待せざるをえない状況だったのは間違いなかった。


 また、メールの最後に1つだけ気になることが書かれていた。この日、7月中に覚せい剤の所持・使用で逮捕、懲戒免職されていた、岩田という道警・生活安全部所属の元警部が、覚せい剤取締法違反(営利目的所持)で再逮捕されたという。西田はまだその情報を把握していなかった。


 この件については、所持容疑で逮捕された際に、道警の現役警官が覚せい剤で捕まったとニュースになり、西田も捜査で忙しい最中ではあったが、その点について警察内部の噂話含め、多少知ってはいた。しかし、今度は「売っていた」側として逮捕されたのであり、かなり重みが違ってくる。更に、どうやら岩田の問題は覚せい剤にとどまらず、過去に違法捜査に絡んでいたと、道報に情報が入っているというのだ。具体的なことはわからないが、過去に所属していた銃器対策課での拳銃の捜査絡みだという。


 岩田関連では、既に7月中に、岩田の銃器対策課所属時代の元上司が、札幌の南区にある自宅近くの公園で首吊り自殺しており、それも含めて事態はかなり深刻な方向へと進んでいるように西田にも感じられたが、竹下も同様の感想を持っているようだった。わざわざ関係ないメールに添えてきたのだから、そう推測するのが当然だろう。とは言え、この時点でまさか翌年以降に、岩田絡みで道警をとんでもないスキャンダルが襲うとは、西田も竹下も予期はしていなかった


※※※※※※※作者注


 この話はこの作品では「さわり」以外は扱いませんが、映画「日本で一番悪い奴ら」の映画でも描かれた「稲葉事件」は、翌年の2003年から本格的に問題になります。初期に告発した北海道新聞も、最後は警察に折れるという、何とも言えない結末を迎えますが、道警の腐敗が世間に晒されたのは間違いありません。因みに、洗いざらい告白した稲葉氏は、出所後、今社会復帰しており、探偵業を札幌で営んでおります。本人がそれをそのまま表にして営業していますので、ここでも敢えて触れさせていただきます。尚、稲葉事件については、元・釧路方面本部長・原田宏二氏著作「警察内部告発者・ホイッスルブロワー」、稲葉氏本人著作「恥さらし 北海道警 悪徳刑事の告白」辺りを読むと詳細がわかりますが、「稲葉事件」だけで検索しても、ネットだけでかなりわかります


※※※※※※※


 8月22日木曜。検察に送致された4名は、担当検事より勾留請求された。本来であれば、23日金曜でも良かったが、24日が土曜日のため、当日中の裁判所の判断を待つより、1日余裕を持っておきたかったということがあって、通常より勾留請求を1日早めていた。間違いなく明日には、裁判所側は全員の勾留を認めるだろうと思っていたので、捜査員は若干だが気を緩めていた。


 暫しの精神的休息と言ったところだったが、西田と吉村はその先の大島逮捕への道のりを思案していた。病院側を揺さぶる企てが仮に上手く行ったとして、大島が逮捕可能な状況になった段階で、逮捕状を請求するかどうかは警察の問題になる。つまり、その後バトンは警察の側に委ねられる。現実に逮捕へのハードルは下がりつつあり、計画が成功する状況まで行けば、それは更に格段に下がるが、大島を確実に有罪に出来るかどうかはまた別問題であり、同時に現状は微妙だ。だが、ここ最近の安村方面本部長の言動から見て、100%では無くても、おそらく勝負は賭けてくれるだろう。外部の竹下や高垣の力を借りつつ、自らの取り調べで中川を攻略し、安村を援護しなくてはならないと強く考えていた。

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