第169話 名実78 (179~181 竹下が語る京葉病院問題)

「俺は構わんぞ。竹下なら、解決前に口外することは無いと信用出来るし……。それに、一連の事件に対する思いの強さも、元同僚且つ上司として、俺なりに良く理解してるつもりだよ。だから、伊坂の件だけじゃなく、これまでの捜査で竹下に言ってないことも、今教えてやるよ。大島の件についても、警察側こっちが率先して社会にバラしたようなもんだし、状況も変化してるから」

西田はそう言うと、竹下には一切伝えていなかった、北村の録音テープ中にあった「アベ」の真実や、そこから産まれた東館の逮捕劇と、彼が大原というヤクザの身代わり犯だったという点の、報道されてない部分の詳細や、紫雲会事務所爆破事件との絡み。そして竹下が問題点を指摘していた、小野寺が従兄弟の桑野に成り済ました理由、実行犯が大島の事務所に潜伏していたこと等、特に強調して説明した。


 さすがに「アベ」という言葉が、人の苗字ではなく、岩手などの東北の方言だったことは勿論、組事務所爆殺事件の裏に、葵一家側に実行犯と勘違いされていたと思われる幹部の口封じの意味があった可能性に加え、高松政権が目論んでいた北朝鮮との外交問題が影響していた可能性があったこと。更に大島海路こと小野寺道利の、桑野欣也への成り済まし逃亡に、戦争の影があった可能性が強いことについては、かなり感心しながら聞いていた。


 その中でも、アベと桑野の徴兵回避からのくだりの発見については、2人を絶賛レベルで褒め称えてくれたので、西田と吉村は、単なる偶然も左右したこともあり、何だか照れくさい思いを抱く程だった。


 また、伊坂政光の証言から、伊坂大吉が大島を脅した根本に、大島海路が徴兵逃れをしたことへの妬みが実は強く影響していたことや、大島と共に横取りしたはずの、北条正人や免出の息子の取り分を、ちゃんと保管していたという政光の証言については、捜査時には思いもしなかったと、驚きを持って受け止めていた。


 そして、今の北見方面本部長が、あの海東匠の外孫だということについては、妙な縁を感じつつも、今回の記者会見や大島事務所のガサ入れの繋がりで大いに納得していた。


「海東イズムですか……。東京での捜査で、小柴さんから直接聞いてましたが、西田さんも憶えてたんですね……」

「ああ。何となくだが、お前から聞いて憶えてた。しかし、彼は正義感が強いだけでなく、なかなか良い意味で狡猾だよ。今日の会見を見ても」

「まあ、それぐらいの頭がないと……。正論だけでは大きな組織じゃ、到底出世できませんから。残念ながらキレイ事だけじゃ……」

口にこそしないが、おそらく過去の自分と照らし合わせ、実感のこもった言葉を口にした竹下だったが、

「そういえば、小柴さんですが、2年前に亡くなったそうです。ふと気になって調べてみたら……。まああの年ですから、十分に大往生と言って全く問題ないでしょうが」

と報告した。


「そうか、亡くなったか……。大島自身も桑野欣也としては87歳、小野寺道利としての実年齢が84歳……。おそらく、実際には逮捕出来ない程ではないようだが、どうも脳梗塞であることは事実のようだし、いつあの世に逝かれても驚けないというか、出来るだけ早くに解決しておかないとな……」

西田はしかめっ面をしながら、額に拳を軽く打ち付けた。


「でも佐田殺害は9月末で時効でしたよね? 相当厳しいですよ」

「いやいや、年末ですよ竹下さん!」

らしからぬ発言に、吉村が「討ち取ったり!」とばかりに得意げに否定してみせた。事実、竹下にしては初歩的なミスだった。


「そうか! 起訴から確定判決までの、公判期間分も足さないとならないんだったか……。海外渡航分はどうなんだ?」

してやられたという表情を隠さなかったが、更に確認を求めた。

「海外旅行嫌いで、要職は引退してたこともあって、延べ2週間もなかったんですよ、残念ながら」

吉村が残念そうに告げると、

「そいつは、なかなか悪運が強いな」

竹下も舌打ちをして、顔を歪めた。


「竹下も警察離れて7年だからな。ついに、そういう初歩的なミスをする程、時間が経ってしまったってことかな」

と西田に指摘され、

「かもしれませんねえ……。十年一昔って言葉から考えれば、ある意味7割も昔のことですから……。でも、事件関係をやったこともあるブンヤとしても、これは言い訳が効かないミスじゃないですか?」

と悔しそうに唇を結んだ。しかし気を取り直したように、

「とにかく、年末までに佐田の件でも起訴しないとならないですね」

と2人に向かって強調した。


「勿論だ。だから逆に言えば、最悪でも11月中旬には、病院銃撃事件の方からでいいから、ひとまず逮捕したいところだが……」

そう口を濁した西田に、

「しかし、権力側が大島を『見捨てた』のなら、そう遠くないようにも思えますけど」

と吉村が口を開く。

「それはそうだが、高松政権が大島を大方見捨てたことが、即、警察による逮捕を可能とするかは、相当微妙だな」

竹下は疑問を呈した。


「どういう理由で?」

「吉村、よく考えてみろよ。京葉病院は、言わば政財界大物の『御用達病院』且つ『駆け込み寺』だ。そもそも京葉大学自体、政財界にOBが多いし、高松首相自身も母体の京葉大学の出身だからな。そして今現在、大島海路の所属する梅田派が、民友党の主流を外れたとは言え、未だ大物議員であることは変わらない。民友党自体も離党勧告までしてるわけじゃない。あくまで『出処進退は議員個人の専権事項』と最後は突き放してる。と言うよりも、責任放棄してると言い換えることも出来る。やはり、梅田派の力が以前程でないとは言え、党内勢力としては、完全に無力であるわけもないことが影響してるだろう。そうなると、京葉病院側としても、これまでの対応をすぐに180度変えられるとは思えないんだ。いつまで匿っているかはわからないが、すぐに追い出せる状態にないと思って間違いない」

「そうなると、佐田の件が時効を迎えるまでは、まさか逮捕出来ないなんてことはないでしょうね?」

吉村は不安そうに尋ねた。

「そこまでは……。何時までとはわからないが……」

竹下はそう口ごもったが、西田も竹下の説明が的を射ているように感じていた。


「脳梗塞の話までは本当だとして、さっき言ったことと矛盾するかもしれないが、さすがに、すぐにどうこうとまでは行ってないんじゃないかと思う。そもそも国会にも出てたし、割と元気だったはずだしなあ、中川が逮捕されるまでは……。どっちにしろ時効もあるし、出来るだけ早くとっ捕まえたいのはやまやまだが……。しかし竹下の言う通り、政権側の思惑は、『あくまで俺達はもう知らない』ってだけで、具体的に病院追い出すところまではやってくれないし、やるつもりもないだろ。自分達の『テリトリー』の外に追い出しゃ、後はどうでもいいってのが、高松政権と警察の上の方の立場なんじゃないか? そこに方面本部長が多少追撃食らわしてくれたけど……」

西田はそう言ってみせたが、それ以上会話は広がらなかった。


 少し場の空気が冷え、会話が止まった所に、陽子がウイスキーと氷にグラスを持って来た。ビールを全部空けたのを確認して、タイミングを待っていたらしい。西田と竹下が礼を言うと、吉村がボトルを開けて、それぞれのグラスに氷を入れてウイスキーを注いだ。3人は黙ったまま軽くグラスを合わせ、ウイスキーを味わう。


「実は、今日会いたいと電話した理由は、まさにその件なんです。話が違う方で盛り上がって、ここまで来るのに回り道しましたが」

グラスを回しながら、竹下がやおら口を開いた。

「お? これが竹下がしたい話題だったのか?」

西田は思わぬ展開に意表を突かれたが、言われてみれば、竹下が何の話をしたいかはちゃんと聞かないまま、勝手に記者会見絡みの話に終始していた。


「話の流れが、最初から記者会見そのものの方向だったんで、遠回りしてすいません」

竹下はひたすら恐縮してみせたので、

「そういう流れにしたのはこっちだから、悪かったな」

さすがにそこまでされる憶えはないと、西田は打ち消した。

「いやいや、別に悪意があるわけでもないですし」

西田の率直な詫びを笑って受け流したが、顔はすぐに真剣なモノへと変わっていた。


「それで、大島の入院の件? についてだろうが、具体的にはどういう話なんだ?」

西田が改めて竹下の意見を求めると、

「2人は、今年の頭ぐらいに、神奈川女子医大付属病院で、親から女児への生体肝移植が失敗した話、記憶にありますか?」

と、いきなり聞く分には、全く無関係に思えることを言い出した。


「いやこっちには全く憶えがないが、京葉病院じゃなくて神奈川女子医大の話でいいのか?」

西田は勿論、横の吉村も全く記憶にないようだった。忘れたというより、最初から情報として持っていなかったという方が正確だろう。


「じゃあ記憶にないってことで。簡単に説明しますと、神奈川女子医大病院で、実父から娘への生体肝移植が、手術ミスで失敗して、提供者の父親が死亡したんです。提供相手の娘については、成功して退院しているようです。ここまでは自分も記憶にあります。東日本新聞始め、幾つかの全国紙が報じましたから」

「いやあ、ここまで説明されてもさっぱりわからんなあ」

西田は話を聞いても、全くのお手上げという感じで、両手を頭の後ろに回し、

「どっちにしても、神奈川女子医大の話じゃなあ……」

と呟いた。


「いや、問題はその先なんです。しばらく我慢して聴いてください」

竹下は、やんわりとだが注意するような言い方をして、

「ところが突然、追撃の記事を出そうとしていた東日本新聞では、初期報道以上の記事は出さないことになったそうです」

と続けた。


「ということは、どこかから圧力が掛かったってことですね?」」

吉村が右手人差し指を竹下に向けて、あたかも早押しクイズかのように早口でまくし立てた。

「吉村にしては上出来だな。今日の記者会見の後、東日の正木記者に『代理で質問してもらって申し訳ない』と礼を言ったら、『こっちも面白い情報もらえて助かった』という話になって。そして当然、流れは京葉病院に入院中の大島海路の話になったわけです。その時正木は、『京葉病院は腕は確かだが、倫理的に腐ってますから、残念ながらしばらく籠城されるんじゃないかな? ウチの記事にも政治家使って圧力掛けたって、東京の先輩(記者)から聞いてる』ということを言い出したんです。


「ちょっと待て! さっきの話は神奈川女子医大病院の話だったよな?」

西田は首を傾げながら口を挟んだ。

「話はまだ先がありますから、しばらく黙っていてもらえますか」

今度は語気を先程より強めて、竹下は西田の割り込みを制した。

「神奈川女子医大病院での生体肝移植を行っていた医療チームは、その『界隈』ではそこそこ有名な、魚住うおずみという移植外科医が率いるチームだったそうです。因みに日本の生体肝移植は、京大と並んで京葉大が最高権威だとされているらしい(作者注・京葉大学のモデルは違います)んですが、魚住も京葉大医学部の移植外科出身で、チームも京葉病院の医師や京葉大医学部出身の医師を中心に構成されていたそうです。そして、その師匠であり名誉教授が、京葉病院の今の院長の佐久間で、これは日本でも、移植外科の最高権威だとか。勿論、日本での生体肝移植手術も、佐久間や、魚住のようなその愛弟子達が数多くこなしてるわけです」

「話の流れから行くと、京葉病院の佐久間院長が、どうも根本で絡んでるってことか……」

西田も、徐々に話の方向性が読めてきたので、聞く態度にも身が入ってきた。


「そういうことですが、まだ先があるので……。それで正木の話では、『自分の可愛い愛弟子が、新聞紙上で酷く叩かれかねない。それどころか、自分の一門そのものが叩かれるかもしれない』となると、さすがに黙ってはいられなかったのか、はたまた弟子の魚住に泣きつかれたのかはわかりませんが、東日本新聞に圧力掛けてきたそうです。直接圧力を掛けたのは、現・厚労大臣の小笠原でしたが、奴は民友党重鎮の三重野議員の指示を受けてやっただけのようですね。三重野は、中堅派閥の大野グループの議員ですが、京葉出身の上、父親の代から厚生族で厚生大臣の経験もあり、医師会やら看護師協会とはかなりコネが強い。小笠原も逆らえなかったみたいです。そして重要なのは、その魚住を告発していたのは、神奈川女子医大で魚住のチームに居た医師だったということです。但し、元々は京葉医学部の出ではない外部から、京葉病院に勤務していた医師のようで、それが魚住と共に神奈川女子医大に医療チームとして出向していたということです。そして、今回のミスに遭遇したが、それが表沙汰にならなかったのを見て、これは佐久間の力のせいだと認識したようです。今年の9月に、佐久間が病院長を退職するにもかかわらず、後釜も佐久間や京葉閥の強い影響下にある人物になりそうということでは、医療界全体も自分が元居た京葉病院も、体質が変わらないといけないと考え、覚悟を決めて東日本新聞中心に告発したようです。そして初めて記事になったが、その先は……、そういう結末になってしまった……」


 竹下の話をじっと聞いていた西田だったが、大きな疑問があった。

「しかし、東日本新聞は割と左で権力批判が強いから、そんなもんが効くのか?」

「西田さん! 日本のマスコミの本質に、右も左もありませんよ! 『表看板』は確かに東西新聞のように権力側だったり、毎朝、東日本のようにリベラルから左派ってのはありますが、最終的には記者クラブに番記者が、あたかも魑魅魍魎のように跋扈してる世界ですから……。取材出来ないようなレベルやスポンサーを怒らせるとなると、残念ながら簡単に日和るし報道しません。業界に居てこんなことは言いたくないんですけどね……。入る前から、薄々わかってはいましたが、入った後は、残念ながら、その点を強く再認識することが多いのが現実です。閑話休題それはさておき、東日本は結局、更に記事にすることを諦めたそうです。担当した記者は、抗議の意味を込めて退社したという、何とも救いがたい結末だったようで……」

竹下はそう言うと、グラスの氷をガリガリと噛み砕いた。報道に携わる者として、忸怩たる思いがあるに違いない。


「何せ、国民から大人気の高松内閣ですから、ちょっとでも批判するような記事を書くと色々支障があるし、番記者が機能しないと情報が入ってこない。その内閣の現役大臣から『圧力』が掛かったわけですから、悪意の無い医療ミス程度では、糾弾記事を載せるのは、相当ためらわれたということみたいです。逆に言えば、今回の安村方面本部長の『お願い』が、大学の同窓生とは言え通ったのは、高松内閣からの、大島切り捨ての暗黙の了解があったと双方で認識していたからこそ、成り立った連携プレーだったかもしれませんね……。あくまで、西田さんから今聞いた話も含めた仮説で、そうじゃない可能性もありますけど」

竹下はそう言うと、西田に視線をやった。


「でもそうなると、やっぱり大島は、近いうちに院外に放出されるってことになるんじゃ? なにしろ、高松内閣から見放されたってのが、今回の記者会見が許可された理由って見方を安村さん、課長補佐、竹下さんもしてるわけですからね」

吉村はグラスを無造作に置くと、納得できないとばかりに口元を歪めた。

「いやいや、さっきも俺が言っただろ? 高松が見放したと言っても、それは『政権は無関係』だという、ある種の責任放棄に近いものであって、民友党から完全に見放されたわけではない。高松のやり方は、『旧来の民友党と自分の内閣は決別する』という手法を世論にアピールするだけで、世論がそこを納得してくれれば、極論すればそこで完結済みだ」

西田は忌々しい感情を隠さなかった。


「そもそも、今までの京葉病院の駆け込み寺としての性格は、京葉閥をはじめとした旧来の大学や付属病院上層部と、民友党のそういう古い権力構造の連中との関係で維持されて来たはずで、それが急に覆るはずもない……。とは言え、こんな偉そうなことを言っている自分も、今日聞いたばかりの話が大半で、自分としてもわかったようなことは到底言えないんですがね……」

竹下もそれに補足してみせたが、少々バツが悪そうだった。


「だけど、竹下さんもそんな説明を最後までするためだけに、わざわざ寄ったわけじゃないんでしょ?」

吉村の喋りに西田も、

「ああ。何か大島を逮捕するのに、役立ちそうな話があるからわざわざ話をしにやって来た、そうだよな?」

と同調してみせた。


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