第167話 名実76 (172~174 東日本新聞記者の思わぬ質問)

 結果的に、なし崩しのように質疑応答の時間となったので、小藪が、1社1質問を前提に質問を受け付けると記者団に告げた。各々の記者が再び質問し始め、それについて、安村や北見署側が淡々と回答した。


「東西新聞の浪越と申しますが、質問させてください!」

そして、いよいよ民友党とべったりの東西新聞の質問が始まった。西田は、この記者がどういう質問をするかによって、今の東西新聞のスタンスがわかるのではないかと聞き耳を立てた。


「一般論としてですが、入院中の被疑者の逮捕は、通常ないケースが多いと思いますが? それについては?」

いきなり、核心を突いてきたので、西田は思わず「おっ!」と声を漏らした。

「えー。被疑者が入院しているしていないについては、コメントを避けたいと思います。ただ、一般論として、正式な診断書が提出されれば、逮捕状の執行は厳しいということになるかと思います」

「こちらの情報では、想定している人物については、既に診断書が出ているという話がありますが?」

更に突っ込んできた。

「繰り返しますが、具体的な話はしておりません」

浪越のしつこい質問にも、安村は冷静に対応した。


 取り敢えず、この質問内容からして、東西新聞も大島の逮捕の可能性について認識していることはわかった。無論、与党べったりのスタンスだとしても、今の民友党中枢は、大島の属する梅田派ではなく、非主流派の志徹会である以上は、このような流れになっても不思議ではない。ただ、この質問した記者が、東京の本社からの指示を受けているのか、或いは受けていないのかすらわからないのだから、東西新聞全体のスタンスと取るのは、案外早計かもしれないと思い直してもいた。西田自身も思索の中で揺れていたのだ。


 いずれにせよ、東西新聞の記者ですら、大島の「先行き」については暗いものと判断していることだけは、まず間違いないと見てよい。逆に西田達、現場の感覚では、まだ大島を現実に追い詰められる程ではないと考えていたので、その点はむしろ認識に差があったかもしれない。


 捜査上は、権力者である大島を起訴する場合には、直接的に大島からの指示があっただろう中川の証言があった方が、どう考えても圧倒的に有利で、同時に肝心の中川の証言が得られていなかったからだ。現時点における、北見共立病院銃撃事件での逮捕は、絶対的に無理ではないが、こちらも中川の証言があった方が良いに決まっている。


「東日本新聞の正木です。質問させていただきます」

そうこうしている内に、左派系の通称「東日とうじつ新聞」の記者が手を挙げ質問を始めた。

「今回の中川、坂本、板垣の3人の逮捕は、北見共立病院での3名の殺害事件に関してのモノで、このうち坂本、板垣の両容疑者については、すでに自供を開始しているという話が出てるようです。中川容疑者については、今回のことがありましたが、同時に伊坂組の社長も逮捕されてますね? これは、前述の3人の逮捕との関係はあるんでしょうか?」


 伊坂の逮捕については、巷では色々と言われている様だったが、警察として明確な態度を示したことはこれまで一度もない。東日本新聞としては、そこを確認したかったのだろう。そして、坂本と板垣が落ちた情報は、何となく捜査陣から漏れて入っているが、伊坂が落ちたことはまだ情報が入っていないようだった。西田が直接取り調べしたことも影響しているようだ。


「その件につきましては、取り調べ中ですのでノーコメントで」

安村はそう答えたが、ニュアンス的には肯定したと受け取る記者の方が多いだろう。


「えー、他には?」

そう小藪が仕切ると、再び各社の質問が始まった。

「スイマセン! もう1つ伺っても……」

再び手を挙げて、そう切り出した東日本新聞の記者である正木に、小藪が、

「事前の説明通り、1社当たり1機会の質疑でお願いします!」

と不機嫌そうに制した。しかし、横に居た安村が、更にそれを制し、

「時間もありますので、特別に。出来れば手短にお願いします」

と許した。


「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらいます。15年前の話になりますが、87年に佐田実氏の殺害事件があったのはご存知ですよね? 正確に言えば、事件が発覚したのが95年でしたが……」

突然の話の転換に、会見に臨んでいた小藪は、軽く目を見開いたように西田には見えた。安村の表情に特に変化はなかったが、正木は構わず続ける。


「それについては、95年に判決が確定した本橋死刑囚が、新たに殺害を自供して大騒ぎになったことが、特に印象に残っているかと思います。で、その際ですが、今回逮捕された伊坂政光氏が、当時既に故人で、父親でもあった伊坂大吉氏により、本橋が殺害を依頼されたという関係で、警察に事情を聴かれたと言う話があったかと思います。話が今現在に戻りますが、今回の子息である政光氏の逮捕は、その事件とも何か関係があるんでしょうか、それとも無いんでしょうか?」


 これを聞いた西田と吉村は、いきなり核心を突いた質問に、思わず顔を見合わせた。病院銃撃事件の件については、他の被疑者逮捕との同時性から見て、何か関係があると見ることは不思議ないが、佐田実殺人事件は、95年の本橋の判決を以って、表向きは完全に解決したと見なされており、マスコミも当然その認識だと思ったからだ。しかもこの案件については、捜査陣の中でも、最近までマル秘の扱いを受けていた。それが東日本新聞の一記者の口から、唐突に質問として出たわけだ。


 勿論、質問自体は、表向きそれ程具体的なモノではなかったが、明らかにこちらの捜査の狙いを把握している節のある質問の仕方だった。この質問には、安村も先程と違い、多少驚きが顔に出ていたか一瞬強張った。他の捜査員、西田達程、詳細について把握している者は少ないにせよ、トップシークレットであることはわかっているのか、再びざわつき始めた。その様子を確認しながらも、2人は記者会見の安村の発言に耳を澄ませようと、再びテレビ画面に集中した。安村は短い間だったが、熟考した様に見えた後、

「現状お答えできません」

と、簡潔に口にした。これは、これまでの肯定的ニュアンスの「誤魔化し」より、「現状」と付けたことで、更に積極的な「誤魔化し」を意味しているのだろうと西田は考えた。安村はこの件をある意味、強く黙認を意識させることで、結果的に表沙汰にして良い、つまり、事実上の「お墨付き」を与えようと意識していたのかもしれない


「安村本部長も踏み込みましたけど、何よりあの記者もいきなり突っ込んできましたね」

やり取りを黙って聞いていた吉村が、西田にそう語り掛けてきたので、

「ああ……。確かにびっくりしたな。こっちの情報が漏れてるんじゃないだろうな!?」

と言いつつ、周囲を軽く見回した。


「この件について、マスコミに漏れてるとしたら、ちょっと嫌な感じがしますわ。勿論、政治も警察ウチらも、ついでにマスコミもですが、大島や梅田派の影響力が排除されつつあるようですから、妨害のような形にはならないかもしれませんが、大島側にこっちの狙いがバレてるってことにもなりかねないわけで」

吉村はやや曇った表情を浮かべたが、とは言え、もはやバレたから捜査が邪魔されるという段階にないことも、彼の言葉通りで、今更気にしても仕方ないとも言えた。そもそも、中川の取り調べ内容が、弁護士との接見で大方漏れているとするなら、今更感は否定出来ない。


 それに、佐田殺害事件の時効までは期間的にまだ余裕はあるが、大島が病院に逃げ込んだのもそういう意図、つまり捜査の手が近付きつつあると知った佐田の事件については、大島が何とか逃れたいという考えを持っていると、既に西田達は考慮していたこともあった。安村が最終的に暗に認めたのも、そう覚悟したこともあったろう。


「あ、でもどうなんでしょうね?」

「うん? 何かあったか?」

吉村の何かを思い付いたかのような言動に、西田はすぐに反応した。


「あの記者の質問の仕方から見て、一見、最後の質問は、最初に聞き忘れたようにも思えますが、本当に聞き忘れるようなレベルの話ですか? それにしては、随分強烈な爆弾ぶっこんできたように思うんですが」

つまり、吉村は、東日の記者がかなり突っ込んだ質問を最初の質疑の段階でしなかったことに、大分だいぶ違和感があるということなのだろう。


「最初の質問も、結構重要だから、そっちに気が取られたんじゃないか?」

上司としてそう答えておいたが、自身も部下の疑問を機に、少々腑に落ちない感覚を抱いた。


※※※※※※※


 その後の質疑は特に大きな波乱も無く、記者会見は無事に終わったが、終わった後の北見方面本部は波風が立っていた。さすがに、道警本部や警察庁の動向はまだ伝わっていないので、それについてはともかく、北見方面本部内では、「ぶっちゃけ過ぎた」という論調が強かったからだ。


 安村と方面本部内の他の首脳陣との軋轢は、やはりかなり高まったようで、捜査本部内でもヒソヒソと、その状況についての噂話が広まりつつあった。


 だが、道警本部から何かあったという話は、時間がほとんど経っていないとしても、何故かそれ以降も全く無く、ここに来て、やはりあの会見は「上」から見ても想定通りだったのだと西田は解釈しつつあった。もし問題があれば、すぐに何らかのアクションが向こうからあるはずだからだ。


 無論安村もまた、それを読み切っていたが故の言動だったということになる。しかし、安村がその既定路線に乗ったとしても、丸乗りした理由は、安村自身にもあったはずだ。先程の消化不良の追及を補完するためではないが、西田はそれをちゃんと確認してみたくなった。


※※※※※※※


 再び方面本部長室で安村に面会した西田は、最初から疑問を投げ掛けた。正直、今日だけでも、2度も付き合わされる安村の気持ちを考えると、邪険に扱われても仕方ないという思いはあったが、安村は特にそういう雰囲気を醸し出すこともなかったのが幸いだった。


「安村本部長は、かなり踏み込んで会見されてましたが、上からは何も言ってこない自信がおありになった?」

言葉遣いこそ丁寧だが、まさに刑事が被疑者を追及するような勢いだった。

「正直言いまして、ある程度は大丈夫だろうという考えはありますが、本当に何も言って来ないかはやっぱり賭けですよ。今のところその賭けに勝ったと言えそうですが……」

苦笑いしながら、正直な心境を吐露した。

「それにしても、ちょっと踏み込み過ぎじゃないですかねえ……。聞いてるこっちがヒヤヒヤしたぐらいで」

上司の様子を窺いつつ、疑問符を付けた西田に対し、

「他の連中ならいざ知らず、西田課長補佐がそれじゃあ困りますよ」

そう若いエリートは笑ったが、すぐに真剣な表情に戻った。そして、

「あれぐらいやれば、多少は『相手』へのプレッシャーにはなったでしょう。さっきも言ったように、もう手の内を明かす明かさないの分水嶺は、既に超えたと思いますから」

と西田に告げた。


「それはそうかもしれません。それでもこっちとしては、聞いていてびっくりしたことには変わりないですよ」

西田はおどけたような素振りだったが、思い出したように付け加える。

「そういえば、東日本新聞の記者がいきなり伊坂について言及してきて、それにも驚きました」

と言うと、

「ああ、あの件ですか……」

そう言って安村はスッと立ち上がった。そして、机を挟んで向かい合っていた西田の方へ歩み寄り、応接セットのソファへ座るように促した。その直後

「正直に言うと、あの質問は仕込みですよ」

と唐突に発言した。

「え?」

思わぬ安村の回答に、狐につままれたようになった西田は、ソファに座ろうとしていたが、そのまま立ちすくんだ。


「ということは、あの記者の質問は、事前に方面本部長が用意させたってことで?」

「全くその通りです。私がああいう質問をするように、事前に伝えていました。最初質問する素振りが見えなかったので、こっちとしてはヒヤヒヤしましたが、自分の言葉としての質問ではなく、ヤラセだったので、あんまり気が進まなかったのかもしれませんね」

それを聞いた西田は、やっとソファに腰を下ろし、安村をマジマジと見つめた。

「そんなにジロジロ見られても対応に困りますよ。なんか拙かったんでしょうか?」

居心地が悪そうに返したので、

「否、方面本部長がそういう小細工をするようなタイプだとは、露程も思わなかったもんですから、ちょっと意外で……」

と言い訳してみせた。

「あはははは! 小細工ですか……。仰りたいことは、『汚いマネ』をするとは思わなかったという意味だと思いますけど」

西田の真意を見透かしたように、そう高らかに笑った安村だった。

「まあ、当たらずとも遠からずですが……」

西田も苦笑するより他なかったが、そもそも小細工という言葉の選択自体、マイナスの意味合いが強いのだから、バレるのは当然と言えた。ただ、こういう暴露を聞けば、なるほど、やけに突っ込んだ質問を記者がしてきたのも当然のことと言えた。


「私の大学の同窓生が、東日本の社会部に居るもんですから、急遽連絡して、今日質問した記者に、質問内容を指示してもらって、質問してもらいました」

「なるほど。東大の同窓ともなると、影響力のあるポジションにあるわけでしょうし」

「否、そういうわけでもないですよ……。とにかく、そっちの方でもちゃんと迫ってるぞと、政権の思惑に乗せられるついでに、高らかに宣言してやろうと、そういうわけです」

「こりゃまた性格が悪い」

西田のこの発言は、会話の中のある種の諧謔かいぎゃくとして言ったように見せかけたが、内実、安村に対してこれまでイメージしていた、「聖人君子」的なエリート像からは、良くも悪くも変化したことを含んでいた。しかし、よくよく考えれば、大島の事務所のガサ入れで揉めた時の胆力は、単純な「線の細い」正論派では無理と言えばその通りだったはずだ。


 いずれにしても、捜査を取り巻く状況が変わったことを含め、あらゆるものを徹底的に利用してでも追及してやるという、安村の心意気と覚悟を示したのが、この一連の流れだったということになるのだろう。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る