第155話 名実64 (148~149 板垣完落ち 伊坂政光の意外な暴露)

 8月12日午前。取り調べ開始早々、捜査本部ににわかに緊張が走った。伊坂組社員2人のうちの板垣が、とうとう「落ちた」という報告が、取り調べしていた日下から入ったためだ。


 さすがに、逃走に使用された盗難車から、自分の毛髪が発見されたことが大きかったようで、勾留延長もあって、逃げられないと降参したようだ。建設会社の銃撃事件も、自分と坂本が、複数のトカレフを使い分けて関与したとゲロした。既に伊坂組の資材置き場から、銃撃練習に使用されたと見られる、建設会社銃撃にも使用された一部の銃弾と同じ線条痕の銃弾も発見されており、そこで練習していたことが証言からも裏付けられた。


 そして、偽装抗争事件では、二人によるもの以外の銃撃は、目論見とは違い結局最後まで無く、他の暴力団は、一切陰謀に乗せられなかったということも判明した。警察が早い段階で動いたこともあったが、それ以上に、各建設会社のケツ持ち側の士気が、「報復」をするまで行かなかったのかもしれない。


 捜査本部が既に関与を疑ってはいたが、これまでの捜査では明確に立証出来ていなかった、銃撃「指導役」としての双龍会の関与についても、双龍会の山里という幹部組員から射撃を習ったとも自供していた。


 その日の昼前には、山里に対し逮捕状を請求し、夕方、北見隣の端野たんの町(吸収合併により現・北見市)の自宅で逮捕することに成功した。


 山里は全くの捜査対象外というわけではなかったが、経済ヤクザ的な部類の幹部だったため、イマイチマークが薄かったことも、発覚が自供まで遅れた要因となっていたかもしれない。


 しかし、板垣が完落ちしたことで最も有益だったのは、建設会社銃撃事件も北見協立病院銃撃事件のいずれも、伊坂政光により犯行に関与することを指示されたと認めた点だった。


 特に建設会社銃撃事件においては、かなり具体的に、政光から指示を受けていたと証言した。一方で、病院銃撃事件については、「中川(の指示)に従って協力するように」というレベルの指示に留まっていたようだ。


 いずれにせよこの証言は、最終的には、伊坂が中川とも繋がっていたことまで示唆しているわけで、2人を追い込む更なる材料にもなる。そして、政光に対しては、詐欺に加え、更に殺人幇助・教唆という新たな逮捕罪状が加わることを意味していた。これにより、取り調べ時間的にはかなり余裕が出てきたが、時効との絡みの制約は依然残ったままだ。ただ、詐欺での立件が可能になっただけでも、かなり満足の行く結果だと言えるはずだ。


 中川は大島との関係を考えれば、「主君」に「殉死」する覚悟はあるのかもしれないが、伊坂はそこまで、大島との強い結び付きは無いと捜査本部では見ていた。


 元々、先代社長である伊坂大吉と大島の関係自体が、相互利益とある種の伊坂から大島への脅迫で結び付いたモノだったと捜査上考えられており、更に政光は、それを成り行き上踏襲していた程度の関係だったはずだからだ。


 しかも、政治家と土建という結び付きは、以前のような利益は産んでおらず、代替わりしていることもあり、多少なりとも薄弱化している可能性は高いだろう。であるならば、落ちる可能性は、中川よりは高いと見るのは当然のことであった。


 一方捜査本部では、4名逮捕後、連日それなりに厳しい取り調べを行っていたわけだが、安村本部長から、「度を超した長時間の取り調べだけは、何があっても絶対に避けるように」という厳命を受けていた。


 安村は、7年前に喜多川専務が取り調べ中、くも膜下出血を発症して入院した際、しばらくの間、軽微な別件逮捕の捜査手法や厳しい取り調べを松田弁護士に逆利用され(背後には当然大島海路の影響力もあった)て、マスコミ(つまり北海道新報)を使って叩かれたことを、捜査資料から読み取っていたのだ。


 その経緯から、大島のようなバックが強い相手には、「絶対に相手有利になるような事態は発生させるな」と、捜査陣に対してかなり注意していたのだ。無論、一定の厳しさは取り調べには必要なので、最低限、時間だけは厳守するようにという指示だった。


 そのため、取り調べは、午前はまず9時から12時の間で、そして昼休憩挟んで、午後は13時から19時ぐらいまでと、殺人絡みの被疑者の聴取の割には、割と緩いスケジュールが組まれていた。


 当然のことながら、安村の指示に対しては、刑事達からは、「片手をもがれるようなもの」と、それなりに反発もあったが、そこは西田がなんとか宥めた。安村との関係が急激に「接近した」ことも、その「擁護」に繋がったかもしれないが、それ以上に相手に有利な状況を与えたくないと言う思いが強かった。


 問題としては、4名を通常の取り調べで、最後まで追い詰める材料があるかどうかだったが、今のところは、想定していた状況よりは多少マシで、板垣の今回の完落ちも、確実に良い方向に影響していた。この点は追及する側としても、気分的には助かっていた部分と言えた。


※※※※※※※


 8月14日。ついに北央銀行北見支店が、北見署に伊坂政光相手の詐欺罪の告訴を行った。これまでも強く要請していたが、北央銀行と大島海路の関係上、躊躇していた。しかし板垣の完落ちなどの情報が、小藪刑事部長により「上手く」マスコミにそれなりにリークされ、道報などを中心に報道されたこともあり、いつまでも大島に気を使っていられないと、最終的に経営陣が判断した模様だった。既に社長の伊坂自身が逮捕されていたことも、強く影響していたのは言及するまでもなかろう。


 どんな大型船でも、沈みかければ、客が我先にと逃げ出すのは世の常である。北央銀行が、公に伊坂組に対して三行半を突き付けたというわけだ。


 これで伊坂組への融資は引き上げられ、公共事業への参加も締め出されるのは確実であった。社長の逮捕という悪評を払拭出来ないとなれば、民間需要もまずは皆無になると言って良い。つまり、伊坂組は経営危機どころか、おそらく半年持たないのは確実な状況となっていた。


※※※※※※※


 これを受けて、午後から西田と吉村が、直接伊坂への取り調べを行うことになった。既に昼前に、「敢えて」松田弁護士との接見を認めており、その時に、北央銀行の告訴については聞いていたはずだ。取調室に先に連れて来られていた伊坂政光は、かなり憔悴していた。父親が築いた会社が、自分の代でいよいよ終わりと宣告されれば、彼でなくてもそういう心境になっておかしくなかろう。


「どうだ、そろそろ正直に話してもらえないかな? もう大島に気を使っても仕方ないだろ? 伊坂組も北央がこういう動きをした時点で、残念ながら立ち行かないのは明らかじゃないか? それに、このまま黙っていたところで、どうせあんたは起訴されるんだから……。板垣が既にゲロってるんだぞ! あんたの指示だと」

吉村は相手を脅すというより、概ね説得するような言い方で自供を促すが、伊坂は目を閉じたままだ。


「メインバンクの北央に手をひかれたら、会社持たんだろ? 行政もダークイメージの付いたゼネコンなんて使えん。言うまでもなく民間もだ。にっちもさっちも行かないはずだ。何か手があるのか? 7年前の本橋の事件が明るみになった時は、殺人を依頼したとされた親父さんは既に故人で、あんたに代替わりしてたし、あんたは無関係扱いだったから、伊坂組へのマイナスイメージは最小限で澄んだけど、今回はそうは行かない。それに板垣同様、坂本の方も時間の問題だろ? 中川はまあ……。あんたもわかってるとは思うが、あれは大島とは、完全な運命共同体みたいなもんだろうし、主従関係的なものもあって、おそらく口は割らないかもしれんが、どっちにせよ、アイツのことも既に現状で立件は可能だ」

西田は、逐一伊坂の反応を見ながら、具体的に伊坂組の窮地を説明して喋った。状況的に見れば、警察側が伊坂より圧倒的に有利だと言えた。


 ただ、その有利さとは、あくまで伊坂を起訴する際の有利さであり、その先の大島を見据えれば、伊坂政光の何らかの証言を必要としていたことは言うまでもなかった。特に、佐田実殺害について大島が何か絡んでいることを知っているとすれば、この伊坂か、五十嵐の話で明らかになった中川の2人以外、現状居ないと言って良い。


 勿論、葵一家の瀧川組長などの幹部は、おそらく絡んでいたのだろうが、その連中を、今のまま別件で無理にしょっぴいたところで、何か出てくるはずもなければ、逮捕出来る罪状も今のところはない。時効もゆっくりとではあるが確実に迫っている。その観点から見れば、西田もまた、ある意味追い詰められていたのかもしれない。


 しばらくの間、西田と吉村で一方的に伊坂に喋りかけていたが、伊坂は目を閉じて腕組みしたままだった。苛立った吉村が、無視する相手にドンと机を叩いて威嚇したものの、その程度のことはこれまでもあったはずで、さすがに直接手を出すことは絶対にやってはならないことであり、その後はなんとも重苦しい雰囲気になった。


 西田も言うべき言葉を失いかけていたが、

「じゃあ、先日俺が聞いた件についてはどうだ? あんたの家から出てきた砂金と親父さんの証文の話だ。あの謎ぐらいなら、まず教えてくれてもいいんじゃないか?」

と口にした。すると伊坂はいきなり目を開いて、

「あのかねはな……。北条の分だ。砂金は免出の子供の分だ」

と喋り始めた。


 さすがにこれを聞いた2人は驚き、

「どういうことだ! ちゃんと説明してくれ!」

と机から身を乗り出さんばかりに詰め寄ったが、伊坂は相変わらず目を閉じたままだ。そして、

「刑事さん方は、あの証文が残された経緯を理解してるのか?」

と不意に尋ねてきた。


「勿論だ。殺害された佐田実が保管していた、彼の兄である佐田徹の書き残した手紙を読んで、あの証文が書かれた経緯はちゃんと把握してる」

西田は興奮を何とか抑えつつ答えた。

「そうか……それならこちらとしても説明する手間が省ける。……わかった。じゃあ説明してやろう。あれは親父がずっと残していて、死んだ後も遺言で、『北条と免出の相続人が現れるか、見つかったら渡せ』と言われてたから、俺がそのまま保管してたものだ。親父が戦後調べた限りでは、北条本人は戦争で死んでたらしい。その弟が滝川に居たという話を、生前北条本人から聞いていたので、それを頼りに探そうとしたがダメだったようだな……。免出の子供の方は、免出自身も名前がわからんし、免出からはっきりと居場所も聞いてなかったんじゃ、さすがにどうしようもなかった。繰り返しになるが、札束の方は、大島が2人分かっさらって、砂金が足りなくなった北条の取り分を、親父が後から金額に換算して、札として遺していたモンだよ。砂金は免出の子供の分という考えだったそうだ」


 意外な政光の話に、2人はしばらく言葉が出なかった。確かに、北条正人は戦争で死んでいたが、この話が本当なら、伊坂大吉はある程度自分で調べた上で、ずっと砂金と砂金相当の対価を保管し、更に死後も息子にその管理を託していたことになる。


 しかも、おそらく伊坂大吉と大島海路こと小野寺道利の2人で山分けした分のうち、大島が横取りして処分してしまっただろう分まで、大吉がお金に換算して、わざわざ自己負担していたというのだ。


「ちょっと待て! そんな誠意ある対応を後からするぐらいなら、何故あんたの親父は砂金を残さずそのまま持ち去ったんだ! そこまで知ってるなら、その理由も聞いてるだろ?」

西田は全く話が理解出来ず混乱していた。

「あんたの言う通り、確かにその場では、大島と一緒に総取りしようと持ち去った。だが後から、一緒に働いていた仲間の取り分を奪ったことを、大いに後悔したんだとよ……。そして、同じ話になるが、何とか返そうとして調べたが、北条の故郷の役場で聞くと、既に北条は戦死していたらしい。弟が居たという話を本人から聞いていたので、そっちについても調べてみたが、既に行方不明だったので、どうしようもなかったようだな」

西田と吉村は政光の話を聞いて、7年間想定していたことの一角が崩れ、新たな事実の発覚であったにも拘らず、目の前が急激にぼやけつつあった。


 ただ、この話が本当であれば、大いなる皮肉が存在していると言えた。と言うのも、佐田実は、伊坂大吉を脅迫した際、免出重吉の遺児に対しても、単なる「他にも知っている人間が居る」と言う脅し目的だけではなく、どうも本気で取り分を与えようとしていた節があった。


 一方の伊坂大吉も、政光の話が本当であれば、免出の遺児に、仙崎の遺産を本気で与えるつもりはあったらしい。つまり2人は、免出の遺児に対しての思いは、ほぼ同じだったということになる。


 そうなると、その話を、たまたま佐田実が「脅し」に用い、伊坂大吉がそれを「ブラフ」と取ったことで、悲劇が生じたわけだ。もし、2人が共通する「目的」を共に認識出来ていたら、あの悲劇はひょっとしたら防げたのかもしれないと思うと、西田はやるせない思いに駆られていた。しかし、今更それを言ってもどうにもならない。西田はその思いをすぐに封印した。

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