第156話 名実65 (150~151 伊坂政光の告白1)

「本当に、北条の弟の居場所を調べたんだろうな?」

そんな西田の思いを知ってか知らずか、吉村が、如何にも怪しそうという口ぶりで確認した。勿論、それが悪いわけではないが……。

「親父は、戦後から数年経ってから色々とツテを使って、そして死ぬ前にも興信所使って調べたが、弟含め、北条の親族の居場所はわからなかったらしい。俺もあくまで聞いただけだし、俺は改めてわざわざ調べてないが」

刑事達と視線を合わせることもなく、淡々と政光は語った。その様子を見ながら、西田は敢えて、

「失礼かもしれないが、あんたは親父さんを余り良く思っていなかったんだろ? 以前にあんたを調べさせて貰った時、元々北見に戻って来ることも、伊坂組を継ぐことも、心から良しとはしてなかったと聞いてる」

と尋ねた。事実、95年に伊坂政光を探った際、父親と確執があったと確信していたからだ。


「ああ……。それがどうかしたのか?」

悪びれもせずに答える。

「そのあんたが、今になって親父さんの遺志を尊重してるのは、どうも違和感があってな……」

「違和感? フッ」

西田の言葉を聞くと馬鹿にしたように鼻で笑い、

「死んだ父親の遺志きもちぐらい、ちょっとやそっとの確執があったところで守らんようなもんでもないだろ……。血縁ってのはそういうもんだと思うがな」

と呆れたように言った。


「それにだ、俺と親父の確執ってのは、突き詰めると、俺の人生そのものに関わってくるわけだから、親父を完全否定すれば、結果的に自分も完全否定してしまうことにもなる。目を背けたい現実だったかもしれないにせよだ。だからこそ、俺は最終的に親父の後を継ぐことにしたんだ」

続けて出てきた政光の発言は、西田からは理解し難いものだった。

「申し訳ないが、あんたの言ってることは、抽象的過ぎてさっぱり理解出来ん」

西田は、事件と直接関係ないことではあったが、妙に気になったので、政光の真意を探りたくなっていた。

「うーん、それを説明しろと言われてもな……。俺の半生から説明しないとならん。それでも良いか?」

そう確認された刑事2名は黙って頷いた……。というより、吉村は西田に従ったという方が正確だったろう。


「俺が生まれたのは、昭和24(1949)年だ。そして伊坂組を親父が立ち上げたのは、翌年の25年だ」

そこから説明し始めるのかと、一瞬、少々戸惑ったが、こちらから頼んだようなものなのだから文句は言えない。

「その伊坂組を立ち上げた際、砂金が使われた?」

「……みたいだな。親父が死ぬ前にそう言ってた」

「すまん。話を続けてくれ」

西田は腰を折ったことを詫びたが、一連の事件の流れの基礎をしっかり確認しておく必要があったので、それはそれで仕方がない。それに、場合によっては、事件の本質にも絡んでくる可能性がある。政光は謝罪には反応しなかったが、すぐに話を再開する。


「最初の方は、国鉄の保線の下請けまでして糊口をしのぎながら、細々と土建業をやってたらしい。実際、俺が小さい時は、うちの生活もそう楽じゃなかった。親父も、大した金にもならない仕事で駆けずり回って、ほとんど家には帰ってこなかった。ただ、俺はそんな親父の頑張りを、それなりに尊敬していたんだよ、小学生ぐらいの時には」

政光はゆっくりではあったが、割と滑らかに話した。


「そんな中、俺が中学を卒業しようとする辺りに、伊坂組は徐々にではあったが、やっと軌道に乗り始めた。それで、自分で言うのも何だが、俺はそこそこ勉強は出来たもんだから、地元の高校ではなく、わざわざ札幌の、道内でもトップクラスの高校に行かせてもらえることになった。俺も親の期待に応えようと、札幌で懸命に頑張った。そして高校を出る頃になると、中学時代は経済的に想像すらしていなかった、大学に行ける状況になっていたし、しかも、東京の大学まで行かせてもらえることになった。その当時は、まだ親父の跡を継ぐつもりが強くあったから、理工学部に進んで建築やら建設関連について学ぼうとしてたわけだ。ある意味希望に燃えていた。今となっては、青臭くて恥ずかしい限りだが……」

一瞬悔しそうな表情を浮かべたのを、西田は見逃さなかったが、そのまま話を続けさせる。


「大学生になった頃には、伊坂組は地元では、既にかなりの土建会社になってた。しかし、同時にさすがにその頃には、俺もそのカラクリについて、良く理解し始めていた。高度経済成長期でもあったが……。それはあんた達も良くわかってるだろうが……」

ここまで言うと、政光は一度言いづらそうに話を切った。


「結局、政治との癒着が、更に大きなエンジンとして、事業拡大に作用してたわけだ。もっと正確に言えば……わかってると思うが、大島との癒着だ。そこで公共事業なんかに不当に食い込んで、談合にも加わり、好き放題やって大儲けし始めたってことだな……。おまけに、これはそれ以前からだが、ヤクザともズブズブの関係だ。土建なんて、そんなものだと言われれば、その通りにしてもだが」

やや投げやりな自虐だったが、その裏には、少なくとも本来の自分の理想とは、今の立場がかけ離れているのだと、強く主張したい様に西田には思えていた。


嘲笑わらわれるかもしれないが、昔はこう見えて、そこそこ正義感が強いタイプの人間だったんだ。しかし、自分の生活や夢の大部分が、そういう『不正義』で成り立っているという自己矛盾に、学生時代から酷くさいなまれるようになってきた。当時流行りだった学生運動にも身を置いたこともあったが、自分の立場を考えると、矛盾極まりないこともまた自分を苦しめることになって、そのまま(学生運動も)フェイドアウトした」

ここまで一気に話すと、政光は乾燥が気になったか唇を舐めた。西田は吉村の様子を確認したが、意外と真剣な面持ちで話を聞いているようだった。無駄話と苛立っていないかと心配したが、今のところは西田の作った流れに沿ってくれているようだ。


「そして大学院まで行って、親の望む通り建築士の資格を取って何となく修了した。その先も、何の苦労もなく、そして何となく、大手ゼネコンの大黒(建設)に入った。学歴もそれなりにあったが、就職は親父のコネがそれなりに効いたってのもある。ここでもコネに全く頼らず、自分で就職すりゃ良かったんだろうが、何もかも面倒になってそのまま言うなりだ……。これもまた、俺をその後悩ませる結果になった。一応は申し訳程度にあった良心と、それに反して、自分の豊かな暮らしを親父の不正が支えていたという矛盾って奴だ。このことで、その後の俺は、酷くニヒリズムというか、物事を斜めから見る、自分でも嫌な奴になってたって話でね……。自分の環境に疑問を持ちつつ、その『待遇』に甘んじる自分に苛立って、中途半端に自暴自棄になってた気がするな……。親からの援助が、社会人になってからも、特に結婚してから、家を買ったり子供が生まれたりした時に多額にあったが、断りたいという思いを甘えが上回ったりして、情けなさを強く噛み締めていた時期でもあった……。仕事だけはきちんとしてたが、会社の人間に対しては、どうも真摯な対応はしてなかっただろうし、実際周囲からは嫌われてたんじゃないか? まあ、そんなことすらどうでもよくなってたのも確かだ」


 最後は、疑問口調で唇を噛んで、一度話を切った政光だったが、西田と吉村が、95年の秋に大黒建設に聞き込みに行った際に、同僚や上司や部下から話された内容を、本人もまたしっかりと自覚していたということなのだろう。頭は悪くないだけに、自分を支える環境と理想の間で、ひねくれた方向に行ったという感覚は、ここまで聞かされると、西田にもわからないではなかった。


「いつかは、親父の後を継ぐ運命だというモヤモヤとした気持ちと、俺に経済的に十分な生活を送らせてくれた一方で、同時にどこかで精神的には苦しめられている、親父や会社と自分との距離感というものを、ずっと掴めないままの、宙ぶらりんの状態を長年続けていたって話だ。幸い、その原因となってる北見から遠く離れた本州に居たことが、ギリギリで持ちこたえられた理由でもあっただろう。経済的には恵まれた中、色々考え込まないように努めながら、仕事と家庭生活を送り続けることで、なんとかやり過ごしていた……。自分で言うのもなんだが、まあまあの器量の嫁さんと、子供2人の幸せな家庭と、それなりに金を持っているということを表面上の鎧にして、何とか精神のバランスを保っていたようなところがあった。ところが、92年の秋に、俺の生活や心境を一変させる連絡が親父から入った」

そう言うと、政光は西田と吉村を一度見据えた上で、視線を下げた。


「それは、親父さんが脅迫されていることを、あんたに自白したってことで良いんだな?」

これまで黙って聞いていた西田だったが、ここぞとばかりに間髪入れず、うつむき気味の政光を下から覗き込むように尋ねた。それを聞いた政光は、驚きつつも逆に質問してきた。

「先日も聞かれて、内心びっくりしたんだが、どうしてわかったんだ? この話は誰にもしてないぞ!?」

「誰に聞いたわけでもないよ。7年前の95年から、あんたが居た大黒建設や周囲に地道に聞き込みしてたんだ。そして、あんたの生活の変化と、起きた出来事を時系列で見て行けば、自ずとそういう結論になったってことだ」

政光と対照的に、西田は落ち着いて答えた。

「7年前の95年か……。確か秋頃、任意で警察に聴取されたことがあったが、あの頃から東京にまで聞き込みに行ってたとはな……。警察もなかなか執念深い」

西田の発言に、腹を立てたのか、或いは感心したのかわからないような複雑な表情を浮かべ、

「それにしてもここまで喋ってしまったら、もう諦めて喋るか……。まんまと作戦にハマっちまったかな。ウチの会社はもうダメだし……」

と、覚悟を決めたような言い方をした。それを聞いた西田も吉村も思わず身構えつつ、

「もし良かったら、正直に全部話してくれないか?」

と、西田は相手の気が変わらないように、伊坂と対面した直後とは違い、諭すように語りかけた。ただこの時、政光は自分の話をすれば、こういう展開になることを最初からわかっていたはずだと、西田は初めて気が付いてもいた。真の覚悟は、会社を継ごうとした理由を語ろうとした段階で既に決めていた。そういうことだったのだろう。


「わかった……。じゃあ仕方ない。正直に喋るとするか……。そうだな。あの連絡は、もう10年前になるんだな……。92年の9月の末だったはずだ」

視線を目の前の机に落としたまま、政光の回顧がいよいよ始まった。


「親父から、東京の俺に珍しく電話が掛かって来た。いつものような、ある意味、傲慢そうな力強い声じゃなかった。そのちょっと前から、お袋の話で、親父の体調や様子がおかしいということを聞いてはいたが、それ程心配していなかったんだ。しかし、思ったより状態が悪かったらしい。そして親父は、唐突に恐ろしい話をし始めた。つまりだ……、自分の過去について脅迫してきた男を、大島のツテで連れてきた男に殺害させたが、その事実を知っていた奴が別に居るらしく、更にそいつから脅されて金銭まで要求されていると……。俺は、親父が談合やら贈賄やら、仕事関係の不正をしまくっていることは当然認識していたが、まさか人殺しまでやっているとは思ってもいなかったから、酷く驚いて……」

その時の心境を強く思い出したか、言葉に詰まったが、気を取り直したように続ける。


「何度もホントかと聞き返したが、親父らしからぬか細い声で、それを事実と認めた。脅迫の当初は、殺したはずの男、あんた方の言う通り、それは佐田実だったが……、そいつが生きていると思わされたらしい。それで物凄く驚いて、心臓に一気に負担が掛かったようだった。しかし、その新たな脅迫者は、そのうち真意が金にあることを表にし始めたということだった。佐田実は確かに死んでいたが、誰かが当時の真相を知って、自分を脅迫しているという事実は揺るがないので、『他のこと』も相まって、親父の心労はどんどん溜まっていく一方だったみたいだな。俺は仕方ないので、相手の要求通り金を払うように、その時はアドバイスした」


 この時西田は、取り敢えず話の流れを止めずに聞いていたが、「他のこと」の意味は、後で詳しく聞き出した際に知ることになる。


 それにしても、この証言をし始めた政光は、いよいよ大島との決別を覚悟したのだと西田も吉村も再確認していた。大島の佐田実殺害関与をはっきりと明言したのだから……。


 そして、これを聞いた西田は、佐田実を殺害する主導権について、伊坂大吉は息子に話す際にも、自分が主導したと断言はしていないことに着目した。勿論、息子の前で自分を悪く見せたくなかったという可能性も否定出来ないが、この言い回しからは、伊坂大吉が主導したようには聞こえなかった。その上で、

「あんたが会社を継ぐ決心をしたのは何時なんだ? その頃、かなり荒れていたこともあったらしいな?」

と質した。本来であれば、重要なのは大吉がした『昔の悪事』なのだから、そこに焦点を一気に当てても良かったが、その前に、西田は、政光の当時の心理を知っておきたいという気持ちに妙に駆られていた。これまでの会話から得た政光の半生について興味が湧いたことによる、単なる好奇心だったと言えばそうなのかもしれない。


「荒れていた? ずいぶん具体的だな。……そうか、おそらくだが、須見から聞いたのか?」

確かに西田は、大黒建設の、伊坂と同郷でもある後輩の須見から話を聴いてはいたが、時間が経っているとは言え、それを認めることは避け黙っていた。

「答えないならまあ良いや……。別に須見を恨むわけじゃない……。そうだ。確かに荒れてた。しかし、徐々に考えが変わってきた。年明けぐらいには、会社を継ぐという、具体的な決心というか覚悟が生まれていたはずだ。……ところで刑事さん方は、永井荷風っ作家を知ってるか?」

突如話がおかしな方向に進んだので、西田も吉村も「バカにされているのか」と怪訝な表情になったが、高校の国語でやった文学史において、有名作家であると言う程度の知識はあったので、

「ああ。作品を読んだことはないが、名前だけなら知ってるぞ」

と、西田は平静を装って答えた。


「そうか。知っているならいいんだが……。谷崎潤一郎と並ぶ耽美派の代表作家だ。実は俺も大してちゃんと読んだこともないから、正直偉そうなことは言えないんだが、ある逸話で有名な作家だ。永井は父親が官僚で、自身も身体の弱い所はあったが、十分な高等教育を受けていながら、当時としてはかなり自由主義的であり、反権力的な人間のはずだった。ところがだ、国家による弾圧(作者注・いわゆる大逆事件)を前にして、何も言えずに日和った自分の情けなさを痛感した。そして、その情けなさを痛感したが故、己を政治的や表向き高尚なモノから、一切離れさせる決意をして、放蕩三昧の通俗的な生き方を徹底するより他ないという結論に至った。それはおそらく、諦観でありながら、逆説的な意味での覚悟だったはずだ。それが正しいかどうかは置いておくにしても、一見理解しがたいが、よくよく考えると納得出来る出来る生き方じゃないか?」

政光は2人に尋ねたというより、自分に言い聞かせているように、目の前の刑事2人には思えていた。

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