第137話 名実46 (105~106 東館の証言から浮かび上がる真実2)

一方、取調室ではそのまま取り調べが続けられていた。

「それで、その兄貴から来た電話の内容を詳しく教えろ」

日下の言葉に、

「あんたも学習しねえな! そう焦んないでくれ! 記憶がはっきりしてるのもあれば、ぼやけてるのもあって、こっちも思い出し思い出しの状態で、何とか話してるんだからよぉ! つい最近のことじゃねえんだぞ! ちったあ、考える時間も与えてくれていいんじゃねえのか?」

と、急かされたことに腹を立てた。やはり、日下と遠賀なら、同じ急かしでも反応が違う。遠賀の方が、根本的な当たりが柔らかいせいだろう。しかし、自分が悪かったと思い直したか、すぐに話を続ける。

「兄貴はな……。確かその前の年、94年の年末になるのかな……、長年付き合ってた女……、俺より年がかなり下だから、姐さんって呼ぶこともなかったけどよ、その女とやっと籍入れたんだ。何せヤクザ稼業だから、なかなか結婚には踏みきれなかったが、さすがに孕んだことで、やっと踏ん切りがついたんだな。そして夏、そう、事件の年の夏に、娘が生まれた。娘だけは真っ当に育って欲しいってんで、しんじつと書いて真実まみって名前を付けてた。ヤクザでも子供が産まれりゃ、人並みに親心が芽生えるってもんだ。俺にはその経験はねえが、それでもなんとなくは分かる。かなり可愛がってたな……。だけどよ、皮肉なことに、人の親になった兄貴が、それから時間も置かずに、いよいよ人をばらす必要が生じたっていう、何とも酷え話だろ? 当然、兄貴もヤクザの幹部クラスだ。警察の世話になったことは数度あったが、さすがの殺しとなると、相当気が重いわけよ。まして、自分の可愛い娘が生まれたばかりとなると余計だよな……。それで、酔った勢いで、俺に北見からの電話してきて、それを愚痴っちまったってわけだ。本来なら絶対に口外しちゃいけねえんだが、相当参ってたんだろうなあ……」

そう言うと、口を真一文字に結んで目を閉じ、一度話を止めた。


 しばらくの間、取調室は静寂に包まれた。だが、緊張感だけがより凝縮されたかのように、室内の空気も張り詰めていたのが、マジックミラー越しにも伝わった。そして軽く「うーんっ」と吐き出すように言うと、重たい空気をゆっくりと押し出すように、東館は喋りを再開した。、

「兄貴の話では、組長の上川から、『葵一家の瀧川から直々の命令だ。お前に頼むしか無い』って言われたそうだ。ウチの組はシャブはやるが、殺し関係は縁がねえ組だったから、兄貴もどうしてそんな話が来たか、当初は正直わからんかったようだ。俺も、兄貴からその話を聞いても、やっぱりわからんかった。だが、上川から兄貴が話を聞く内に、だからこそ、葵からすればそれが狙いだった気付いたらしい。さつから足がつき辛いって意味で……。それに、駿府の方の忠誠心も見たかったんじゃないかと、兄貴や上川は思ったらしいな。ウチはシャブでかなり儲けていて、ぶっちゃけた話、葵の看板はそんなに必要なかったし、同時に、上納金の額の割に扱いが悪かった。葵の傘下になったのも、最近という程でもないが、かなり昔からって訳でもないんで、上納金の割に発言力がないわけよ。それで、以前からたまにトラブルめいた話もあったみたいだな。勿論、紫雲会も似たような感じだったらしいが、兄貴と一緒に鏡が指示を受けて、北見で一緒に居たとは、その時は俺も知らなかった」

ゆっくりと静かに喋る東館だったが、更に詳細を明かした話は、それと矛盾するような、生々しい中身だった。裏でじっと成り行きを見守っていた西田達もざわついていた。


「そうして色々と話してるウチに、兄貴が電話で突然泣き出してよ……。兄貴が泣くなんて、今まで見たことも聞いたこともなかったから、俺もびっくりしちまった。でも、逆に俺が兄貴に出来る最後の恩返しの機会が今じゃないかと、その時すぐに思い付いたわけよ。兄貴もさすがに俺が代わりになることを受け入れようとはしなかったが、最後は折れた。当然、どこかに助かったと言う思いはあったのかもしれないな……。言うまでもなく、俺はそれを責める資格もなければ、そのつもりもなかったけどよ……」

ここで、東館は明確に、自分が大原の代わりとして殺人を行ったことを示唆した。

「つまりお前が、命令を受けた大原の代わりに殺しをするってことか?」

日下は少々上ずった声で確認した。

「ああ、そう言ってるだろ? しつこいねあんたも……」

この時ばかりは、発言の中身と違い、東館は聞き取りづらい程小さな声でそれを認めた。


「東館が事件に関与することになったのは、あくまで予定外の出来事だったのか……」

横で呟いた吉村の言葉に西田は黙って頷いた。組抜けする予定の男が、直前に重大な任務に従事したこと(確かに、組み抜けの条件として、殺しをさせるという可能性もなくはないが、単なる暴力団同士の抗争の類を原因とするレベルの犯行ではなかったが故)に、違和感が捜査陣にはあったが、その後、更に出世した大原の代わりに事件に関与していたとなると、その周辺の疑問は全て解けたことになる。


 葵一家は勿論、直属の駿府組自体もその事実を認識していなかったはずだ。だからこそ、逆に東館は、そのまますんなりと組を抜けられたのだろう。だが、その発覚以上に、その先の話に西田は気が行っていた。場合によっては、聴取している2人に具体的に指示を与える必要があるとも考えていたが、遠賀を信頼し、取り敢えずは我慢して見守ることにした。


「それで、そのことは組は知ってたのか?」

遠賀は西田達が既に察していたことを確認した。遠賀自身もわかっていたのかもしれないが、どちらにせよ、しっかり確認しておくこと自体は悪いわけではない。

「いや、当然一切知らん! 知ってたら、俺も抜けられてねえだろうよ。何しろ組長と仲の悪い奴が、そんなことをやったと知ったら、相手から見りゃ、弱み握られたという考えも成り立つからな。俺と兄貴、そして北見で会った鏡だけが、俺が『兄貴の代わりとして』加わったことを知っていたわけよ」


 ここで、東館が、「兄貴の代わりとして」と、北見に東館が行ったことを知っていた人物を挙げる際、通常なら必要がないにもかかわらず、敢えて付け加えて説明した理由は、これから先にわかることになるが、誰もまだその意味に気付いておらず、そのまま流していた。そして、東館は更に喋り続ける。


「そもそも、これだけの話に、ヤクザに嫌気が差して組を抜ける人間が関わっていたなんて知られたら、葵の方から見ても大問題だろ? それに兄貴のメンツも丸つぶれだ。一方の鏡は、兄貴と以前一緒にシャブの取引で北朝鮮に渡ったことが何度かあったから、割とツーカーの仲だったらしい。そういうことが、あの2人の人選につながったのかもしれん……。おそらく兄貴が先で、鏡は後だと思うけどな……。まあ俺が見る限り、あんまりまともな男だとは思わなかったから、兄貴みたいなタイプと仲が良いのは、かなり意外だったのは確かだ。鏡もそれまでばらした経験はなかったらしいが、あんまり悪びれる素振りも、ビビってる様子も無かったぐらいだから。それより、成功したら幹部昇格ってことで浮かれてた様子すらあった。根っからの悪人だなあいつは」

そう言った後で、東館は、

「ああ、俺に言う資格なんてねえって話か? それはそうだな」

と1人で勝手に自嘲した。それに対し、聴取している2人は何も反応しなかった。そんなことよりも、真実を知ることに頭が行っていたのだろう。西田もまた同じだった。


 ただ、西田としては、この証言から大きな疑問が湧いた。今回の紫雲会ビル爆破事件においては、紫雲会と駿府組の幹部が集まっていたところを、一気に始末する意図があったと見るべきだ。そしてその目的は、高垣の話も加味すると、葵一家への、江田組との接近に絡んだ裏切りに対する見せしめと、葵一家から殺害実行犯への中間指示役であった両組織を破壊して、実行犯が万が一ゲロしても(この時点では、東館が既に逮捕されている事実は漏れていなかったにせよ)、葵一家へと「遡れない」ようにしたと考えていた。


 しかし、どうも東館の証言を真とする限り、葵一家は勿論、紫雲も駿府も、捕まった東館が実行犯になっていたとは気付いてすらいなかったようだ。だとすれば、中間指示役を消すというよりむしろ、幹部の中に駿府の実行犯(つまり大原)が居たとわかっていたか、或いは予想したかで、単純に実行犯ごと消そうとしたのではないか? そういう可能性が浮上したと言えた。


 そしてそれは、真の実行犯である東館が、既に逮捕されていたことについては、葵一家は、その逮捕を知る知らない以前に、そもそも興味がなかったということになる(つまり爆破した側は、実行犯を大原と知って、或いは勘違いしていたか、名前こそわからないが、出世して、まだ駿府組に残っていたと勘違いしていたことになるので)。これは西田が不安視していた、「捜査情報漏れ」について、完全に否定する材料になるわけだから、その点は好材料と言えた。


「それで、組抜けしたその後も、たまに連絡とっていた兄貴の様子に大きな変化もなかったから、鏡からも、その話が漏れることはなかったみたいだな。そもそも、鏡自体が、兄貴の境遇を憐れに思ってたように、当時の俺から見ても感じた。紫雲から選ばれた鏡ですら、駿府の人選についてはおかしいと感じてたみたいだから。ばらすには、そういう経験は2人ともなかったわけだし、それ以上に兄貴の当時の生活環境がな……」

東館は未だに納得できていないのか、クビを強く捻りながら嘆いた。


「とは言っても、当時の駿府に平気で殺せるようなタイプの組員も見当たらなかったから、信用度と言う消去法だったんだろうな……。上川が、俺ならともかく、兄貴に嫌がらせする意味もなかっただろうし、嫌いな奴に嫌がらせ込でやらせて裏切られたらもっとヤバイことになるし……。ああそうだ、それはそうとして、兄貴の様子に変化がなかったってのは、あくまで組内部での立場が悪くなったことはないって意味だからな。勿論昇格したし、組の中でも発言力は増したようだ。でも、俺との関係で言えば、一気に立場が逆転しちまった。こっちはそう思ってなくても、兄貴は俺に相当借りが出来たと感じていたようだ。特に何も要求してないのに、毎年俺に数百万の振り込みが兄貴からずっとあってよ……。正直、色々入り用だった時もあったから、本当に助かったんだが、兄貴としても、結果として別の重荷を背負ったのは間違いないだろうな……。鏡が殺されたって話も兄貴から連絡が来て知った。兄貴もその前から連絡が取れなかったんで心配してたらしいが……」

そう答えた東館は、再び涙をこらえるように鼻をすすった。


「しかし、恩義を受けた相手とは言え、殺人を代理するとなると、かなりの覚悟がいったんじゃないのか? お前もそういう経験はなかったわけで」

「勿論、一切のためらいが無かったなんてウソは言わんぞ! でもな……、俺はガキもカミさんも居ない独り身よ……。ろくでもねえ親父は既にあの世。お袋も死ぬ運命。兄弟は行方知れず……。正直、兄貴と違って、俺には将来的に守るべきものがなかったわけよ。だから恩を返すことを優先した。その後、兄貴がそのまま功績で出世したことは、俺にとっては喜びでもあった。ただ、兄貴としては、結果的にそれが、さっきも言ったが別の重荷になってたとは思う」

「でも、死にゆくおふくろさんのために組を辞めるつもりだったのが、殺しをやるんじゃ意味が無いだろ?」

度重なる日下の尋問に、

「それは否定しないぜ。俺もそれは考えた。でもな……、そっちはお袋が死ぬまでにバレなきゃなんとかなる。あの世に行く時に、気持ちよく逝ってもらえればそれでいいんだから。組辞めてお袋の元で看病するだけなら、それで良いんじゃないかって、自分に言い聞かせたもんだ。でもな、結果的には、やはり後悔しなかったかと言えば……、どうだろうな……、今更言ってもどうにもならないから、考えてもしゃあない」

と、力なく笑いながら返した。


 日下はそれを聞いても、到底納得は出来ていないようだったが、東館としては、見かけの親孝行が出来れば、裏にある真実などどうでも良いと言うことだったのだろう。西田もそれを正しいと思えるはずもなかったが、同時に倫理を抜きにした理屈だけなら、何とか理解出来るかもしれないと言う思いでいた。


「そして、北見へ行くことにしたわけだな? 旅立った日付や交通機関を憶えてるか?」

遠賀が話をその先へと進めるように促すと、

「日付なら、翌日にはもう、女満別だったっけ? そこへの飛行機に羽田から乗ってたよ」

とすぐに答えた。

「翌日ってことは天皇賞の翌々日だな?」

「日付自体の記憶ははっきりしないが、流れからはそういうことになるはずだ。それで女満別からはタクシーに乗って、兄貴と待ち合わせた北見駅に着いた。もう夜だったから、駅の近くで飯を食って……。兄貴はほとんど食わなかったな。少し痩せて元気もなさそうだった。それから2人が潜伏してる所へ向かった。そこで鏡と会った」

「その場所はわかるか?」

そう遠賀に聞かれた東館は、一瞬だが詰まった。そして聴取している2人を睨みつけると、急に不敵な笑みを浮かべた。そして、

「この話をあんたらが信じるかどうか、俺にはわからないが、わかったところで、どうにかなるのかな」

と言い出した。


「いや、勝手に判断しないでいい! 信じるか信じないかはこっちが決めるから、そのまま話せ!」

日下はどちらかと言えば東館のペースから、自分達のペースに戻そうと試みたようだ。東館はそれを聞くと、やや馬鹿にしたような表情を浮かべ、

「じゃあ遠慮無く言わせてもらうわ! 俺と兄貴と鏡が、事件後までしばらく身を潜めていたのは、あの大島海路の事務所だ。葵一家と民友党の連中との絡みについては、あの頃の俺ですら、色々風の噂では聞いてたが、兄貴が上川から聞いた話と相まって、葵にこの殺しの話を持って来た大元は大島なんだと、この時初めてわかったわけよ。俺も、兄貴が大島の事務所へと、裏からとは言え、簡単に入って行こうとするのを見て、まさかとは思ったが、兄貴は『早く入るぞ』と普通に言うから、すぐに事態を飲み込んだ」

とサラッと言ってのけた。前置きが大げさだった割に、言い方は普通だったが、その中身は決して大げさな前振りに劣らないモノだった。


 今までは、落ち着いて話を聞いていた横の三谷課長が、思わず西田の腕を力一杯に掴んで揺する程だった。西田もマジックミラーを覗き込むように東館に視線を集中させる。

「ちょ、ちょっと待て! それはホントに、ほ、本当なんだろうな!?」

遠賀もかなり驚いたか、口がよく回っていない。

「ああ、ホントだ! だからさっき言っただろ? 信じるかどうか疑問だってよ……」

それ見たことかと言わんばかりに、呆れたように視線を上へと向けた。だが、捜査陣は信じていないのではなく、まさに欲しい情報があまりにも呆気無く入ったが故に、そのような言動になったことを東館は気付いていないようだった。


 とは言え、それは当然のことだ。こちらも、事件の背景にある大島の存在については、東館に尋問したことすらなかったからだ。それどころか、捜査員全体にも、直接的に大島の事件関与をはっきり示したことすらなかった。西田や吉村、三谷捜査一課長や小藪刑事部長などの一部の捜査員と首脳だけが、「最終標的」を直接的に把握しているに過ぎなかった。


 無論、現実には、知らされていないはずの捜査員達も、そのことについては、何となく気付いていたのは、皆の中で暗黙の了解ではあった。だからこそ、遠賀係長も日下主任も、東館の発言で酷く動揺してしまったというわけだ。


 西田は落ち着きを取り戻すと、

「ちょっと取り調べを一度中断するように、2人に行って来い!」

と吉村に命じた。吉村は何も言わず、ドアを勢いよく開けて出て行った。


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