第136話 名実45 (102~104 東館の証言から浮かび上がる真実1)

 午後から始まった取り調べでは、ガス爆破事故の顛末について、該当の新聞記事と警察の資料を東館に読ませることから始まった。いきなり新聞記事を読めと言われて、面倒臭そうな態度を隠さなかった東館だったが、じっくりと読み進め、遠賀や日下から詳しい捜査情報を聞く内に、明らかに動揺した様子を見せ始めた。


 ただ、葵一家と紫雲会・駿府組の両組織の間にあった裏切りを理由にした「見せしめ」説については、敢えて東館には語らなかった。東館には関係ないということもあったが、「口封じ」を中心に据えた方が、東館の心情を動かしやすくなるという打算もあった。


 この様子を裏で監視していた西田や吉村は勿論、上司の小藪や三谷も固唾を呑んで状況を見守る。そんな中遠賀は、

「今まで黙っていて悪かったが、捜査上仕方なかったんだ。スマンな」

と語りかけると、東館はうっすらと目に涙を浮かべ、天を仰いだ。そして目を閉じたまましばらく黙っていたが、

「本当に、葵が口封じにやったんだな?」

と念を押した。日下が、

「昔世話になった連中が、こういう形で亡くなったとなると、お前でも辛いんだな」

と言うと、突然東館は拳を机に叩きつけ、

「あんたは黙っててくれ!」

と涙声で怒鳴った。


 今までは、どちらかと言えば、捜査陣の追及をかわすような態度だったが、明らかに真正面からぶつかってきた。それを見た遠賀が、

「何が悲しいのかは、こっちにははっきりとはわからんが、どうだ? 一体何があったか、胸の内をはっきりさせたらどうだ?」

と言うと、

「申し訳ないが、ちょっと考えさせてくれ……」

とだけ絞りだすように言うと、静かに目を閉じた。


 その後、遠賀が取調室を出て、裏の西田達の控室に入ってくると、

「どうでしょう、一旦取り調べは中断しては?」

と言ってきた。小藪も三谷も、

「それは、勿体無さ過ぎじゃないか? この状態なら、ガンガン押した方が崩せるかもしれない」

と遠賀の提案に否定的だったが、西田としても迷いが生じた。


 セオリー通りなら、冷静にさせるよりは、不安定な状況を利用して、対象をゲロさせる方向に持っていくべきかもしれないだろう。しかし、遠賀に取り調べを頼んだ意図を考えれば、一定の信頼関係を構築させた方が、「先の先」の為には良いかもしれない。苦渋の決断を迫られた西田は、

「わかりました。一度中断しましょう」

と遠賀の提案に乗った。


 これには、小藪も三谷も、先程と違ってかなり厳しい口調で、

「それで本当に良いのか?」

と確認してきた。それでも西田は、

「『考えさせてくれ』の意味が何なのかは、今はよくわかりませんが、日下のその後の発言に対する態度と、遠賀係長の発言に対する態度を見る限り、係長が奴の願いを受け入れれば、多少軟化するかもしれません。日下の発言へのキレ方を見ると、一度時間を置いた方が、むしろチャンスがあるかもしれない」

と説得しようとした。それに対し、

「このチャンスをみすみす逃すことになったら、西田、お前にケツ拭いてもらうぞ!」

と、小藪は静かだが睨みつけるように言って、そのまま控室を出た。三谷は三谷で、

「どうなんだろうなこのやり方は……」

と溜息を吐きながら、マジックミラーの向こうの東館を見ていた。


「とにかく、一度休憩ということで」

西田は、何とも居心地の悪そうな遠賀にそう言うと、取調室へと戻した。この時、自分の決断については、正直それ程正しいとは思っていなかった西田は、この決定を既に若干後悔していた。それでも尚、遠賀の持つ実直さが、西田に否定的なことを言わせなかったのだとすれば、西田自身の人間としての「負け」で仕方ないと、後悔の後に改めて腹をくくることに決めた。


※※※※※※※


 2時間ほど休憩した後、再び取調室に現れた東館は、先程よりさっぱりしたように、マジックミラー越しではあったが西田には感じられた。吉村も、

「さっきと様子が違うな……」

と横でボソッと呟いた。


「どうだ、気持ちの整理が付いたか? 付いたなら、思いの丈を喋って欲しい」

遠賀がゆっくりと促す。ここに至っても、相変わらず相手の自由意志で聞き出そうとする遠賀だったが、これについては、西田も賛同のもとだ。まさに遠賀を採用した意義も出てくる。まず、張り詰めた気持ちを緩めてやることが、先に繋がるのならばその方が良い。もしそこで終わってしまうならそれまでだ。


「あんたにゆっくり考える時間をもらって、気持ちがかなり落ち着いたよ。まあサンキューってところだ」

東館は重くはあったが、口を開くと駿府組との関係をゆっくりと話し始めた。


※※※※※※※


「俺が駿府組に入ったのは、故郷くにの大槌を追い出されるように16で出て、上京してから1年後の17だったか……。燻ってた俺が、土方のアルバイトをしていた先が、駿府組傘下の建設業者だった関係でな……。そこの奴らと喧嘩になって、4人相手に勝ったことで、まあ言っちゃなんだが、一種のスカウトみたいなもんだった……」

そう言うと、東館は少し笑みを浮かべた。


「スカウトか。それなら期待の若手としての採用だったんだな?」

日下が感想を口にすると、

「否、それがな、予定ではそうなっておかしくなかったのかもしれないが、そうも行かなかった」

と舌打ちした。

「どうして?」

遠賀が尋ねると、

「元々喧嘩になった理由もそうだが、組内部で、俺の岩手訛りが馬鹿にされるようなところがあった。ただ、俺が入った直後の佐竹組長は、元々が山形の出だったから、そんな俺を可愛がってくれたところもあったし、表向きは、組内部では馬鹿にされるようなことは、それほどなかった。まあ、俺もなるべく訛りを取ろうと努力もしたし、ある程度まではな……。たまに興奮した時に訛りが出る時があって、音声にも残ってだろ? 『アベ』って奴が。あれは岩手じゃ『行こう』って意味なんだわ」

そう言うと、証拠を残した後悔だろうか、大きくため息を吐いた。


 ただ、それほど間を置かず話を再開し、

「それでだ、その後世話になった佐竹組長が亡くなった……、何時だったか……。そうだ確か84年ぐらいだったかな。代替わりしたのが、出自が旗本だとか何とかで、昔からの江戸っ子を吹聴するような上川って奴で、爆発事件で死んだ今の組長になってから、田舎出身の俺に何かと当たるようになってな……。大体、先祖が旗本だろうがなんだろうが、今ヤクザじゃ意味ねえだろうによ!」

と吐き捨てた。その言葉に、遠賀も日下も思わず、場に合わない笑い声を漏らしたが、東館もそれを見て表情を心なしか緩めたようだった。


「でもな、そんな中でも、大原って言う、俺より2つ上の兄貴分が居たんだが、その人は佐竹組長同様、弟分として以上に俺を可愛がってくれてな……。俺の境遇を知って、似たような自分の境遇を重ねていたのか……。その大原の兄貴は、名前がフミオ、文章の文に夫のおって言うんで、若手からはブンの兄貴って呼ばれてたんだが、兄貴には、当時本当に世話になったもんだ。そして2人で泣き、笑い、同じ時代を生き抜いた戦友みたいなところもあった」

そこまで言うと、急に思い出して泣けてきたのか、涙を拭い鼻をすすった。遠賀が差し出したティッシュを受け取ると軽く頭を下げて、ズルルっと鼻をかんだ。昨日までの東館とは結びつかない態度に、裏に居た西田達も、核心に迫る自供が出ると確信していた。


「それにヤクザとして喧嘩も強いが、情に厚いので、縄張シマじゃ堅気かたぎからの信用も厚かった。そいつらからもブンさんって呼ばれてた。当然、組の中で出世もして、若くして幹部になってた。俺が辞める頃には、顧問から本部長に昇格したはずだ。さすがのクズの上川から見ても、兄貴はかなり信頼出来る存在として、かなり重用していたんだよ」

そう言った後、東館は目線を下にして沈黙した。


 それにしても、人望があるはずのヤクザが、シャブのシノギに加担しているという矛盾はあったが、ドラマのように薬物に手を出さない、潔癖なヤクザなど、実際にはこの世にほとんど存在しないことは自明だ。東館の話は、純粋な堅気から見れば、本質的にはおかしい話だが、相手がヤクザ出身である以上、その点を咎めたところで、今更意味は無かろう。


 一方、この間に取り調べに直に当たっている2人は、改めて爆発事故の警察資料に目を通していた。当然、裏に居る西田達もそれらに目を通し、駿府組の死亡者の中に、「舎弟頭・大原 文夫」の名を発見していた。遠賀は資料から目を上げ、東館の様子を見て、

「その大原が何か事件に関わっているんだな?」

と口を挟むと、東館は視線を一瞬上げ、再び俯きながら口を開いた。


「ヤクザにとって、組長から信頼されるということは、良いことばかりじゃない。当然、世の中に知られちゃ困るような、裏の仕事を請け負うということもある。勿論、鉄砲玉的な扱いじゃ済まされない次元……。それは極限られた場合だが」

「それが銃撃事件のことなんだな?」

日下は鋭い口調で詰問した。

「ああそういうことだ……。勿論俺には、その情報は直接入ってなかったが、兄貴から後で聞いた話では、葵一家の首領ドンの瀧川から、直々じきじきの指示が上川に来ていたらしい。駿府とも懇意にしている紫雲会との協力で、北見で入院している、ある爺さんを殺す計画だったそうだ……。否、だったと言うべきか。ただ、その計画は、その時点で決行が実際に行われるのか、そしてやるなら何時か、はっきりしなかったってことだな」

ついに核心的な自供が、東館の口から語られ始めようとしていた。


 裏で聞いていた西田は、「はっきりしない計画」の意味を悟っていた。松島は死期を悟り、自分の甥の建設会社への大島の扱いからして、これ以上大島に義理立てしても仕方ないと考えていたようだし、大島もまた、公共事業の削減が近い将来予測される中で、松島側を切る覚悟があった。そして、松島の裏切りも予期していたし、最終的には、松島自身がそう長くないことも把握していた。


 更に、その特殊な状況が、病院理事長・浜名をおそらく利用したであろう、状況把握のための盗聴をもたらし、周到に「実行時期」を探ることにつながった。そこから得た情報で、警察に上申書を提出する考えがあることを知った大島側が、自然死を待てずに、用意していた鏡や、ここまでの東館の発言を推測する限り、おそらく本来は大原だったはずのヒットマン2人に、最終的にはゴーサインを出した。そういうことだと認識していた。しかし、その通りだとしても、ここから東館がどうやって事件と絡んでくるのかは、まだはっきりはしていなかった。


 一方、東館がこれまで完黙し、ここに来て突然自白し始めた理由は、組そのものへの恩義ではなく、亡くなった大原文夫という、兄貴分のヤクザ個人に対しての恩義からなのだとも理解した。もし、駿府組と大原が健在であれば、東館が自白することは、最後には大原のその後の出世が、実際には直接殺害に加担していなかった(残されたテープの音声や目撃情報から見れば、実行犯は2人であった以上、それが死んだ鏡と東館の2人だったことは明らかなため)という、「ウソで成立した」ということがバレることに繋がる。それは避けたかったはずだ。東館は、この時点では、そこまで具体的に証言していたわけではなかったが、常識的に考えれば、そういう線が濃厚になるだろう。


 無論それだけでは済まないはずだった。組内部は勿論、ヤクザ社会でも問題になってしまうだろう。体面を重んじるあの業界であれば、このことは、ヤクザとして生きる人間にとって、ほぼ死刑宣告に値するに違いない。東館としては、葵一家や駿府組がどうだということよりもまず、大原のことを気にして、鏡が既に死んでいる以上、事件を自分だけの問題として黙っておこうとしたということだったはずだ。


 しかし、葵一家の報復と口封じの動きに、大原が巻き込まれ殺害されたことが、結果として、どうも東館の心を開き、突き動かすこととなったのは、実に皮肉なことだった。何の関係もないはずの、「遠く」の外交や政治の動きが、図らずも事件の真相を炙り出すことに関与したのだ。


 言うまでもなく、はっきりしていない点については、聴取している2人も追及した。

「話を聴いている限り、ここまでは、お前が実行犯になった経緯がはっきりしないから、そこをちゃんと説明してくれないか」

日下が言うと、

「まあそう焦んなよ。焦る何とかは貰いが少ねえって言うだろ?」

挑発的な言動だったが、この期に及んで注意しても意味が無い。そのまま受け流す。

「わかったわかった」

遠賀は対照的に静かに言った。


「よし! じゃあ続けるぞ! 実は……、さっきも言ったが、上川が組長の座に収まって以来、奴と俺の関係は、ずっと折り合いが悪いままだった。それに当時、確か夏の終わりぐらいからだったかなあ……。俺もいつまでヤクザやってて良いのかって気分になってた。田舎のお袋がそう長くないって話だったんだ。だから死ぬ前にカタギに戻ろうかってな……」

この東館の話は、むしろ犯行からは遠ざかっているようにすら思えた。


「実際に、事件からそう経たないうちに抜けたよな?」

「ああ、抜けた。95年の年末でな……。正式な形では、96年の正月明けみたいな感じだったようだが」

「じゃあ、その間に色々あったってわけだな」

「そういうことさ……。今からそこをちゃんと説明してやる。ところで、その前の景気付けと言っちゃ何だが、出来れば一服させて欲しいんだが、いいかな? ちょっと気を落ち着けたい」

日下との受け答えを一通り終えてそう言うと、人差し指と中指でタバコを挟む真似をした。

「うむ、わかった。特別だぞ」

日下が胸ポケットからタバコとライターを取り出し、火を付けてやる。そして遠賀が灰皿を東館の方へと押し出した。


「うめえな……。久しぶりのタバコがこんなにうまいとはな……」

噛みしめるような言葉の後、ゆっくりと長く煙を吐き出す。その様子を見ながら、裏の西田達はこの後東館がどういう話をするか、ヒソヒソと話し合ってた。おそらく、犯行の実行が、組抜けの条件だったのではないかという考えを半数近くが持っていたようではあったが、これだけの事件を、当初は組長が信用出来る人間(つまり大原)に任せたことを考えると、明らかに矛盾した結論で、西田はその点が全く納得出来ていなかった。


 そもそも、本来は大原が実行犯になるべきで、その後の出世がそれを前提になされていたとすれば、大原以外は東館が実行犯になることすら知らなかったはずなのだ。だから、論理的に考えれば、東館の実行が組抜けの条件だったことは、論理的にあり得ないはずだ。一体そこに何があったのか、捜査を超えた興味も湧いて来ていた。そして、東館は灰皿にタバコを軽く置くと、一度背筋を伸ばして話をし始めた。


「その意志については、組には10月の頭ぐらいには伝えていたんじゃないかな。まあ、あっちとしては、俺はどうでもいい、または疎ましい存在だったから、色々やっかいな組抜けは、200万の上納で手打ちって話になった。まあ、穏便に抜ける手切れ金としては、悪くはなかったんだろうが、それについて、兄貴が『餞別』として俺に代わって払ってくれた。どうも組長としては、気に食わない俺が、何も苦しむことなく簡単に組抜け出来ることに、かなり腹が立っていたようだと、組の他の連中から、後々何となく聞いてはいた。ただ、俺としては、正直言って辞められればどうでも良かったからな。むしろ兄貴に対して、更なる借りが出来たなと、そればかりが気になってしまった」


 ここで東館は、再びタバコを手にとって吹かした。直接対峙している遠賀も日下も、そして裏の西田達も、今度は一言も発することもなく、東館の話し始めるタイミングを待っていた。しかし思ったより「幕間まくあい」が長く、西田は無意識に貧乏ゆすりを始めた。そして、東館はようやく最後に鼻から煙を吐き出し、かなり短くなったタバコに別れを惜しむように、念入りに灰皿にねじ込むと、続きを喋り始めた。


「そんな兄貴が、10月の下旬だったか、『出張』と称して東京から姿を消した。ヤクザの出張って言うと、俺たちの組だと、基本的にシャブの取引絡みとか、まあロクでもねえシノギに関わることなんだ。ただ、それにしても、全く何処に行くかも何をするかもわからないってのは、そうそうあることじゃないんで、俺たち弟分、子分はちょっと気になってはいた。それに、普段は陽気な兄貴が、その前に、やけにシケタ面してたのも気になってたんだ。ただ、その理由を、そう時間も掛からずに俺は知ることになった」

「それは、病院での銃撃のために北見へ行っていた、そういうことだな?」

遠賀にしては珍しく焦ったように結論を求めたが、東館は否定せず、

「まあ簡単に言うと、そういうことなんだよ……。行方知れずの兄貴からは、10月の末に俺の元へ電話が掛かって来たんだ。今でもはっきり憶えてる……。俺が天皇賞で、太(小島太騎手・現調教師)の野郎が乗った、サクラチトセオーって馬の単勝1本に30万張り込んで勝って、キャバレーで豪遊して二日酔いだった月曜の夜に、それが掛かって来たんだ。気分の悪さも話の中身で吹き飛んだ憶えがある」

と言い切った。


 この発言を聞いた西田は、すぐに一緒に室内に居た部下の真田に、日付の確認(95年の10月30日。29日が天皇賞)と裏取りを指示した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る