岩手へ

第104話 名実13 (30~31)

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「なるほど、桑野の旧制中学時代の知り合いに写真を見せて、もしその中に桑野が居ると証言してもらえれば、旧制高校時代の桑野が『実像』として確認出来るわけですね!」

吉村は、西田の説明を聞くと、それを理解して無邪気に喜んだ。しかしすぐに、

「でもそれって、よく考えたら意味ないんじゃ? だって天井って人が、『桑野が今の大島海路になったとは思えない』って証言してると、高垣さんが聞いてたんでしょ?」

と突然暗い表情になった。

「それは確かにそうなんだが、おそらく高垣さんは、『おまえら警察の科学力で最終的に判断しろ』ということなんじゃないだろうか。勿論、桑野が当時の写真に写り込んでいたらの話だが……」

それに対する西田も、歯切れの悪い回答しか出来なかった。


 実際問題として、20歳前の人間が老人になった時の顔など、具体的に想像出来る人間はそうはいない。骨格や目鼻立ちの位置などを科学的に検証することが、同一人物かの確定には、はるかに重要になってくる。そう考えれば、可能性は決して高くはないが、科学的捜査にチャレンジする意味はあるだろう。


 ただ、そうなってくると、大島海路と桑野欣也が、指紋の照合前に考えていたことと同様に、同一人物と確定した場合、今度は、西田が唱えた「別人による、桑野を殺害したことによる成り済まし」説は完全に否定されることになってしまう。当然、桑野と大島が同一人物である方が、綺麗に筋が通るのだから、望ましいことは間違いないが……。


「そうか……。科学的な検証につながる可能性はあるんですね……。なるほど。じゃあ今のところ希望は持つことは悪くはなさそうだ」

吉村はそう言うと、自分の席へと着いた。西田はこの時、どうせ岩手に行くなら、桑野とその父の出身地である田老町と共に、三陸町綾里りょうり地区も訪れてみたいと漠然と考え始めていた。綾里地区は、桑野の母の故郷だ。そちらも、きちんと自分の目と足で調べておきたいと言う気持ちが、何となくだが湧きつつあったからだ。


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 5月23日木曜日早朝。西田と吉村は、新千歳空港から花巻空港へと向かう機上の人となっていた。二高OB会から資料が郵送されてきたのが5月18日。天井はいつでも良いということだったが、北見署管轄で車両強奪事件が発生したため、その直後の所轄への捜査協力が必要だったこともあり、やや出発が遅れたのだった。事件はすぐに解決したため、それほど遅れることもなかったが、若干予定に狂いが生じていた。


 機内では、朝売店で買った「北海道新報」を読んでいた。月曜から始まった、竹下が書いていた「湧別機雷事故」関連の記事を読みたかったからだ。竹下からは、連載開始についての連絡は一切なかったが、それについて以前取材していたことは、北見で会って聞いていたので、たまたま見ていた記事の署名に気がついて、以後特に注意して読んでいたのだった。


 さすがに、なかなか読ませる記事だと西田は感心していたが、本日の記事も興味深かった。月曜から火曜までが、機雷発見後からの、当時の遠軽署の爆破処理決定の背景に至るまでの記事。前日の水曜から本日までが、事件後に残された遺族達の60年を描いていた。そこには、当時の働き手を失った世帯や地域の苦境が描かれていた。


 花巻空港に無事到着すると、すぐにタクシーを拾い花巻駅へと向かった。そこで駅弁を購入し、釜石行きの急行「陸中」の指定席に乗車した。やっと朝食にありつけた2人は、石北本線の遠軽近辺を思わせるような山中の景色を見ながら過ごした。暇を持て余した車掌との会話では、この年の11月のダイヤ改正を以って、急行から快速へ格下げされるらしい。そう聞くと、鉄道マニアでもない癖に、何となく感慨の湧く乗車であった。そして11時前に釜石駅のホームへと降り立った。


 ここからは、日本初の第三セクター形式(国や地方公共団体と民間の共同出資による運営形態)の鉄道会社である、三陸鉄道の南リアス線に乗り換える。以前三陸地方を縦貫する予定だったものの、国鉄の赤字路線廃止、計画見直しに伴い、ほとんどの工事を終えたまま廃線になりかねなかった、現・大船渡市三陸町吉浜駅からJR釜石駅の約15キロの区間と、廃止された旧国鉄盛さかり線(大船渡市・盛駅~吉浜駅間)を統合した総称が、南リアス線である。西田達は、丁度、急行・陸中に接続する、釜石発の三陸鉄道のJR線乗り入れの普通列車で綾里駅へと向かった。


 2人は直前まで知らなかったが、前年の2001年11月に、三陸町は大船渡市に吸収合併されており、三陸町役場の綾里地区の出張所(旧綾里村役場)は、大船渡市の綾里地域振興出張所(つまり市役所の分所)となっていた。


 釜石駅から40分ほど乗車し、昼前には綾里駅に着いた。駅舎は田舎にしてはモダンな建物で、さすがに地方の集落らしく、駅前にさまざまな施設が集中していた。曇天ではあったが、気温は丁度心地よいぐらいで、時間的に先に昼食を済ませるため、駅前の食堂へと入った。2人は地元の食材を使った海鮮丼を注文した。


「それにしても、三陸鉄道と言いながら、ほとんど山の中とトンネルばかりで、味気ない景色でしたね。これじゃ地元うちの石北本線の北見から上川までと似たような風景で、ちょっと海岸の景色を期待したのと違いました。海沿いの路線とは思えなかったなあ」

そう感想を言われても、西田としてはどうしようもなかったが、率直な感想であることは確かだった。


「海岸線だと津波の被害を受ける可能性があるから、こういう路線設計にしたんじゃないか?」

「なるほど! 確かに津波のメッカですから、その可能性は高いですね!」

無邪気な吉村の賛同に、隣に居た地元の人らしき中年男性も、

「いやいやその通りだ」

と反応していた。更に、2人が北海道は北見からやって来たと聞くと、驚いてビールをごちそうしてくれた。以前道東を旅行したことがあったらしい。知床や摩周湖、屈斜路湖は強く印象に残っていると2人に告げた。まあ一杯ぐらいならとありがたく頂戴することにした。


 さすがに勤務地の地元だと誰が見ているかわからないが、ここではその心配は無用だった。「旅の恥はかき捨て」とは言うが、良くも悪くもそれに近いものがあった。


 海鮮丼を堪能した後、2人は出張所へ寄る前に、約束の1時半まで時間があったので、腹ごなしを兼ねて海岸へと徒歩で出てみた。地元の人に聞いたところ、海水浴場のある綾里白浜地区が風光明媚だということで、やや距離はあったものの、そこまで足を伸ばしてみた。


「建物が崖の上にしかないですけど、津波を想定してるんですかねえ……」

吉村がボソっと呟いたこともあり、西田は近くにいた老婆にそれを確認すると、東北訛の誤魔化せない標準語で、「ああそうです」とだけ言って頷いた。


 30m以上高いところに、昭和三陸津波の後集落ごと移転したらしい。明治三陸津波では38mの高さまで津波が駆け上がったというから驚きだ。

「北見方面本部の屋上でも余裕で飲み込まれますね、そんなのが来たら……」

ブルっと震えるような仕草をしながらおどける吉村だが、地元の人達からすれば、冗談で済まされるようなことではなかろう。これだけの景色が地獄絵図と化す場面を西田は想像だに出来なかったが、現実の集落移転がそれを物語っていた。


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(作者注・以下のリンクをコピー&ペーストでブラウザのアドレス欄に貼り付けて、ご覧ください)

311で綾里白浜地区の綾里湾を襲った津波(特に何かが流されるなどの悲惨な映像ではありません)の驚異的映像

http://www.dailymotion.com/video/xhwyhg_%E7%B6%BE%E9%87%8C%E6%B9%BE%E3%81%AE%E6%98%A0%E5%83%8F-%E6%B4%A5%E6%B3%A2%EF%BC%92%EF%BC%90%EF%BD%8D%E8%B6%85%E3%81%8B_news


311で被害を食い止めた集団移転

http://memory.ever.jp/tsunami/tsunami-taio_303.html


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 しばらく穏やかな海岸の風景を楽しんだ後、2人は出張所を訪れた。応対に出てくれた職員は、先日調査訪問を電話で伝えた「新沼」と言う職員だった。確か歌手の新沼謙治も大船渡の出身のはずで、この地方に多い苗字なのだろう。


「遠い所からお疲れ様です」

にこやかに挨拶してくれた新沼だったが、互いに紹介し終わると余計な世間話もせずに仕事の話になった。


 7年前、竹下達が田老を桑野欣也の戸籍捜査のため訪れた際に、時間の関係上、こちらまでは捜査しきれなかった。そのため、桑野欣也の母親「桑野トキコ」の出身地である、当時の三陸町・綾里地区での、トキコが婚姻により離脱した小野寺家の「戸籍」を、西田は竹下達が東京から戻った後、三陸町役場に直接電話で依頼して探していた。しかし、昭和三陸津波の影響で、当時の村役場ごと流されたこともあり、それが見つかっていなかった。


 前回の95年は、病院銃撃事件捜査で時間もなく、また察庁並びに道警本部からの目に見えない圧力等もあって、それ以上の捜査が出来ていなかったが、今回はせっかく岩手に行くということもあり、何か当時の小野寺家について知っている人が生存していないか、自分達で調べに行こうということになっていた。その下調べを、事前に綾里地区の大船渡市・綾里地域振興出張所職員に直接依頼しておいたわけだ。


 但し、仮に戸籍や小野寺家について知っている人が見つからなくても、綾里地区がどういう場所だったかをこの目で見ておきたいという、物見遊山的な意図もあり、結果如何に関係なく訪問することにしていたのだ。ということで、事前の調査結果についての連絡は不要と伝えてあった。


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「小野寺家という網元がこの地に居たことは、ここに来る人の中にも、何名かよく知っている方が居ました。ただ、旧姓の小野寺トキコ という女性自体を知っていた人は居ませんでしたね、残念ながら……。いずれにせよ、まだ小さい子供時代の記憶の人が大半で、小野寺家の具体的なこととなると……。詳しく色んな方に聞けば、80以上のもっと高齢の人とかで、そういう記憶がある方もいるかもしれんのですが、ちょっと時間的に厳しかったです」

新沼は口ごもったが、要は、「来る直前に、調査を依頼されても困る」と言うことだろう。それはこちらとしても否定出来ない。

「ご迷惑おかけして申し訳ない」

西田はそういうのが精一杯だった。


「でもですね、ちょっと面白いものが見つかりまして……」

新沼はそう言うと、2人の前に紙を取り出して置いた。どうも除籍(戸籍に記載されている全員が死んでいれば必然的に除籍)謄本のようだった。


「調査依頼された時の住所と、1つ番地のズレたところの住所に、小野寺マチコという女性を筆頭にした戸籍、正確には除籍が見つかりまして……。住所から見ても、おそらく小野寺家の女性で、調査依頼を受けた小野寺トキコと名前、年齢から見ても、姉妹の類ではないでしょうか? 確か、前回依頼されたのは、こちらの出張所ではなく、当時の三陸町の『本体』の役場の方だったんでしょ?」

「確かそうだったと思います」

新沼に確認された西田がそう答えると、

「間に『別の部署』が関わると、どうしても意思疎通が上手くいかないですからね。依頼の目的までこちらに伝わらず、三陸の本庁舎から確認された住所そのものだけで、こちらからは該当戸籍がないと判断したんじゃないですか? 今回は、捜査目的まで含めて、こっちの出張所の方に直接伝えてもらえたもんですから、調査に融通が利いたということもあります。やはり地元の戸籍は、元々の村役場の人間の方が詳しいわけで、目的を知っていれば、『周辺』の情報まで含めて調べておく融通が利きます。後、これは言いにくいんですが……、この地区の人口減のせいで、戸籍や除籍簿の管理が7年前より進んでいるということもあるかもしれません……」

と、前回情報が出なかった理由を推測、解説してみせた。それにしても、そう最後に語った時の新沼は、地元の衰退を意味しているだけに、少々悲しそうに見えた。


 すると間髪入れずに

「これは婚姻による新戸籍の設立だとすると、この女性が婿を迎えたという形なんでしょうか?」

と、空気を読まない吉村が尋ねた。

「戸籍上はそう見るのが筋でしょう。新たな家庭を作って、隣に家に住みだしたということがあり得るんじゃないですか? ただですね、明らかに戸籍の情報が断片的で、やはり津波の後、戸籍の再製がされたということだと思います。おそらくですが、この戸籍に記載されている、一人息子さんから聞いて、断片的な情報になったのではないですか? 小野寺マチコの原戸籍、つまり旧姓の小野寺トキコも載った、元々の小野寺家の実家自体の戸籍は再製されてないようですし」

それを聞いて、西田は謄本の写しをマジマジと眺めた。小野寺マチコと夫の「小野寺 道夫」は昭和8年3月3日に亡くなったことになっていた。戸籍筆頭が小野寺マチコということは、吉村の言う通り道夫は婿養子なのだろう。

「昭和8年の3月3日というのは、昭和三陸大津波の発生した日でしたっけ?」

「えーっと、確かそうですね。よくご存知で!」

西田の知識に、新沼は軽く感心して見せた。

「そうなると、一人息子の、この道利みちとしという人物は、その時には死んでないんですね。亡くなったのが昭和17年ですから」

西田がそう言うと、

「先程も言ったように、この息子さんに当たる人から役場が色々聞いて、なんとかこの方の直接の一家の分の戸籍だけ再製したということなんでしょう。おそらく、流出した戸籍の方に載っている方達も、津波で亡くなった可能性が高いんじゃないですか?」

と自説を述べた。小野寺道利は、大正7(1918)年7月10日に出生し、昭和17(1942)年5月26日に亡くなっていた。

「……なるほどわかりました。これいただけますか?」

「ええ、どうぞ。そのつもりで写しにしときました」

新沼の返答を受けて西田は礼を言った。


 それにしても、桑野欣也が本人自体、或いはあくまで「名義上」行方不明になっていても、誰も何か行動を起こしていないのは、母方の親族も粗方死んでいることも影響していたのだろう。桑野の父方は出身自体が田老ということだったようなので、親族丸ごと亡くなっていた可能性が高いが、岩手県南部のこちらでも似たような惨劇が起こっていたと思われた。「本物」の桑野欣也を知る人間は、捜査が進めば進むほど、居る可能性が低くなってきていることを西田は実感していた。


「それで、どうしましょうか? この後も小野寺家について知っている方を探しておきましょうか?」

新沼の申し出は当然渡りに船だった。

「勿論ですよ。是非!」

「わかりました。寝たきりの方なんかも居ますから、ヘルパーなども含めて協力を要請します。ただ、ボケてる方もいますし、現実はかなり難しいとは思います。何せ若者がほとんどいない地区ですから。何かご報告出来ることはまあ……ほぼ無いと思っていてください」

苦笑いしながらの新沼の発言だったが、北海道での地方勤務の経験もある西田と吉村から見ても、遠い場所の無関心でいられるような言葉ではなかった。


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