第96話 名実5 (10~12 向坂再会 メモ見返し)

 須藤達が、真田と黛に「引率」されて観光に出かけた後、吉村が早速文句を西田に言った。

「何ですかあれは? 日帰りで帰りゃいいのに! 十分間に合いますよ午後の便」

「まあ言うなよ……。来ると分かった時点で、こんなことだろうとは思ったが。新しい情報持ってきてくれただけマシと考えようや」

「丁度あの頃でしたっけ、官官接待ってのが話題になったのは……」


※※※※※※※


 西田や吉村が、佐田実、米田雅俊の殺人を追っていた95年夏頃から、世間では「官官接待」という言葉がニュースを賑わせていた。国家公務員を地方公務員が税金で接待(その財源は裏金)するというモノで、税金の無駄遣いと共に、その捻出方法が違法性の高いやり方だったこともあって、その年の「流行語大賞トップテン」入りも果たした。しかし、喉元すぎればなんとやらではないが、未だにそのシステムは生き延びていたのだった。


※※※※※※※


「当時は、俺たちは捜査で頭が一杯だったから、世間のそういうことにちょっと疎くなってたな」

振り返る西田の脳裏に、激動の95年のことが、現在いまのことのように蘇っていた。

「ところで、明後日、向坂さんに会うんだが、おまえも来るか?」

「え、向坂さん? 懐かしいなあ! 元々北見こっちの人でしたっけ。是非同席させてください!」

「わかった。向坂さんにもそう言っておく。じゃあ、俺は先に昼飯に行くから」

西田はそう言うと、本日は、特別に後番のため、昼食に一緒に出られない吉村を置いて、小出と浅田を誘って昼食へと出かけた。


※※※※※※※


 向坂とは、住所をお互い「面倒」ということで教え合わないままだったが、電話での連絡は、そこそこ取り合う間柄を、転勤してからも続けていた。一方で、年始の挨拶は年賀状ではなく、携帯のメールで済ませていた。


 西田は苦手だが、向坂はパソコンもかなり使うようだった。竹下とは、住所もお互い教え合い、年賀状のやりとり含め、今でも会うなど交流があるらしい。さすがに捜査を相棒として共にした以上、西田より密な関係を構築していたのだろう。


 実際、竹下が警察を辞めると言った時、未だ銃撃事件の捜査本部詰めだったにもかかわらず、向坂は、遠軽まで翻意させるためにやって来た程だった。あれだけ「竹下は警察を辞めるだろう」と予言していたのに、いざ辞めるとなると、やはり止めたくなるほど惜しいと思ったらしい。


 そして、向坂は2年前、弟子屈署の刑事・生活安全課長を以って警察を早期退職し、お決まりのパターンである地元北見の「警備会社」に再就職していた。再就職と言えども、そこそこ忙しい生活を送っているようだった。そして西田が「北見方面本部」への転属を、内定の直後電話で告げると、その「理由」を含め大変喜んでくれていた。


※※※※※※※


 4月3日、向坂と以前数度飲んだ市内の店で落ち合った。直接会うのは、97年の3月に、西田が転勤で遠軽署を発つ前に会った5年前以来だったが、多少髪に白いものが目立つようになった以外は変わらない向坂が、先に店の中で待っていた。


「いやあ、お久しぶりです!」

西田と吉村が奥の席に陣取っていた向坂に声を掛けると、

「おお、待ってたぞ!」

と手を挙げた。


「西田とは……、5年ぶりか? 吉村とは6年ぐらい?」

「俺とはそうですね」

「ええ、自分の件も、6年で合ってると思います」

西田と吉村はそれぞれ順番に答えてみせた。

「まあ取り敢えず座ってくれ!」

向坂に促され、2人は向坂の前の席に座した。旧交を温めつつ、前日の接待と違って心から楽しめたせいか、しこたま飲んだ3名だったが、その割に余り酔う感じではなかった。やはり、当時の事件のことに、話がところどころ及ぶせいだったかもしれない。


「さっき吉村が愚痴ってたが、察庁の組対から捜査員が来たってことは、何か情報もあったんだろ?」

「ええまあ……」

西田が歯切れが悪かったので、

「そうか、俺は既に部外者だったな……。つい昔のノリでな、悪い」

と、向坂は自分の頭を軽く手で叩いて、その理由を察した。

「向坂さんは信用してないわけじゃないんですが、一応形式上はそういうことなんで、詳細はご勘弁を」

西田も向坂の言動を踏まえて、そう言い訳した。

「いやスマンスマン」

向坂は再度謝ったが、

「でも軽く触れるぐらいなら……」

と西田は前置きし、

「どうも、葵一家の上位組織の血縁関係者に……、これはヤクザではないんですが、ちょっと怪しいのが居るって話で」

と告げた。

「そうか。そこら辺は、7年前洗っても見えてこなかったからな……」

「でも、有力情報の域までは、まだ達してないですからね、現時点では」

西田はそう言うと、ちびちびと猪口を傾けた。


「ところで、察庁自体はどうなんだ? 信用出来るのか? 西田、お前はどう考えてるんだ?」

突然、やや怒りが混じったような言い方をした。警察の最上位層である警察庁も、95年当時は、特に政治の影響で信用し切れない部分があった。それを前提にした話だろう。

「確かに、そういう部分が全くないかどうかは疑問ですが、今は政治状況が、7年前とは色々と違って来てますから、その点も、前と同じ感覚でいない方がいいかもしれません」

向坂を見ながら西田は答えた。

「そうか、今は民友党の内部構造も変化してたっけ……」

向坂の発言に、吉村も黙って頷いた。


 今の内閣の国家公安委員長は、箱崎派とは縁遠い、弱小派閥「増沢グループ」の「鳴沢達也」だった。高松壮太郎首相の、党内力学を無視した「独自人事」で、主流派だった旧箱崎派・現梅田派は、かなり政権内部での力を失いつつあった。そういう意味でも、捜査に影響を及ぼしかねない政治バランスは、与党自体は民友党で変化していなかったものの、実質は大きく変わりつつあったわけだ。西田も、その点は考慮して赴任してきていた。


 当然、警察庁自体もその影響を受けるわけで、警察庁長官人事も、必ずしも出世レースでトップを走っていたわけではない、「田上たのうえ 有人ありひと」というキャリアが就任していた(作者注・警察庁長官は、国家公安委員会が、総理大臣の承認を経て任命するものです)。田上は、警察の行動上、割と政治的な影響を嫌うタイプだという「噂」はあるようだが、その実態については、当然何だかんだ言っても「末端」の範疇に居る西田に知る由はなかった。とは言え、いずれにせよ、組織対策部含め、状況が変化しているということを、念頭に置いておく必要はありそうだ。(作者注・橋爪警察庁長官は、修正にて田上名義に変更)


「ところで、11日は北村の月命日なんだが、時間があるなら、どうだ墓参りに行かないか?」

再び世間話や近況について話していた3人だったが、向坂が話題を突然変えた。

「ああ、月命日ですか……。言われてみれば、命日は確か11月11日でしたね……」

西田は宙を見上げ、黙り込んだ。

「アレが起きた時はホントにびっくりしたなあ」

吉村も飲んでいたビールのコップから口を離してそう言うと、机にそっとそれを置いた。


「俺は捜査が一段落、いや、まあ単にお宮入りしただけだが……、それからは毎月11日にはなるべく墓参りするようにはしてたんだ。ま、すぐに弟子屈へ転勤することになったから、家に戻ってくるまではご無沙汰だったけどさ……」

そう言うと向坂は渋い顔をした。

「そうでしたか。自分も遠軽から転勤する前に、墓前にそれを報告したきりです。いずれにしても、向坂さんに今でもそこまでしてもらって、北村も喜んでることでしょう」

「でも、俺よりは一時期一緒に組んでた西田の方が喜ぶんじゃないかな?」

「いやあ、それはどうかわからないですけど……。そういうことなら何とか時間を取ってご一緒出来ればと思います」

「久慈墓苑だから、市内から車で10分程度だ。線香上げる程度なら、そうは時間もかかるまい」

「あそこだと、自分の記憶が確かなら、行き帰りに墓参りの時間も合わせて、1時間ぐらい見てりゃいいかな……。事態も逼迫ひっぱくしてるわけではないですし、何とか吉村と一緒に行かせてもらいます。時間はどうですかねえ……、ちょっと確約出来ないですね、現時点では」

「俺なら、その日は既に休み取ってるから、朝から日が落ちるまで何時でも構わん。用意は全部俺がしておくから、そっちは手ぶらでいい。ウチから方面本部まで15分ぐらいで行けるから、その点も見込んで電話くれ」

「そうしていただけると幸いです。じゃあご好意に甘えさせていただきます」

西田はそう言うと、向坂の申し出を了承した。


※※※※※※※


 翌日は仕事もあるので、ほろ酔い気分で、午後10時前には一人暮らしの官舎のアパートに戻り、西田はひとまず風呂に入った。


 そうすると、自然と頭もスッキリとしてきたので、寝る前に西田は、札幌から持ってきていた手帳の束を取り出した。7年前の捜査期間中、ずっと気になったことを書き綴っていた手帳で、メモ帳と日記帳を兼ねて取っていたそれらを、改めて見返したい気分になっていたのだ。


 初めて大きな事件に、管理職の立場で直接関わっただけに、当時は緊張感とやる気にみなぎっていたのは確かだった。勿論事件の大小や立場で、捜査への熱意が変わってはいけないのだが、手抜きは論外にせよ、やはり、入れ込み具合は尋常ではなかったのは確かだった。


 事件に直接関係するような事柄から、どうでもよさそうな捜査時の日々の出来事まで、事細かく記載してあるのを見て、西田は当時のことを思い返していた。


「桑野と大島の不一致もあったが、米田殺害の件も経緯がはっきりしてないし、本筋とは無関係だが、マルガイ(被害者)である佐田実の謎の言動や行動もあったなあ……」

パラパラとめくる度に、日付ごとの捜査の進捗状況や西田の心境も綴られていた。


 勿論、これまでもたまに見返すことがあったし、赴任直前の引っ越し荷造りの際にも見ていたが、今日の北村の話を聞いた後では、また違う感情が沸き上がって来ていたのは間違いなかった。


 そしてあの日……、つまり北見共立病院銃撃事件の当日である、95年11月11日の部分は、完全に空白になっていた。基本的には、その日の終わりに記述するのが日課だったが、当日はカラオケ大会の後、北村の非業の最期を知り、精神的にも疲れきってしまって、全くメモを取る状況になかったからだ。

「あいつへの供養は必ずしないとな……」

西田はそう呟きながら、眠気が襲うまでページをひたすらめくり続けていた。

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