第81話 明暗60 (単248)

 4人は指した方向を見ると、小高い場所に石碑が見えた。

「ああ、『辺境の墓標』のことか……。あれはですね、向こうに見えるトンネル工事で亡くなった人達の遺骨を収めた墓標と慰霊碑を兼ねたようなものです」

西田は、自分達にしか通じない名前を呟いた後、高垣におおまかに説明したが、

「ヘンキョウの墓標? トンネル工事?」

とすぐさま問い返してきた。

「そうです。常紋トンネルって言うトンネルなんです……」

西田が言い終わる前に食い気味に、

「おい! あの向こうに見えてるトンネルが、あの常紋トンネルなのか!? おいおい先に言ってくれよ! そうか、どうも地名に何か聞き覚えがあると思ったら、そういうことだったか!」

と山峡に響き渡るような大声を突然あげた。


「常紋トンネルについて知ってるんですか?」

吉村が確認すると、

「知ってるも何も、タコ部屋労働だろ? さっき生田原って聞いて、何か聞いたことあるなと思ってたら、常紋トンネルの生田原だったんだな……。さっき通った留辺蘂って地名にも引っ掛かっていたが……。俺としたことが!」

と意味もなく悔しがった。

「やっぱり有名なのか……。北海道に縁も所縁ゆかりもない人が知ってるんだから」

西田が感嘆すると、

「何言ってんだよ! 丁度俺が記者辞める前だったかな、タコ部屋労働について本が刊行されて、結構有名(作者注・小池喜孝氏著『常紋トンネル 北辺に斃れたタコ労働者の碑』。尚、小池氏は、朝ドラ『花子とアン』の主人公のモデルとなった村岡花子女史と共に『赤毛のアン』の出版に、三笠書房に編集者として勤務時代に関わりました)になったんだ。俺も当時読んだよ。囚人道路なんかもその話から知ることになった」

と軽く怒鳴られた。


 また面倒なことになったなと思っていると、

「そうか……。現場が常紋トンネルの傍だとは思わなかったな。どうして事前にちゃんと言ってくれてなかったんだ?」

と、更に続けて4人はグチグチと文句を言われた。

「いや、捜査について話さないといけないことが多いんで、余り細かいことは省いてたんです。申し訳ない」

と竹下がすぐに謝罪したが、さすがに「周辺情報」まで一緒に説明する義理はなかったろう。

「謝ってもらうつもりで言ったわけじゃないんだが……」

高垣はさすがに言い過ぎたと思ったか、ちょっとバツが悪い顔をした。


「きっかけとなった事故死の件ですが、詳しく説明すると、これには常紋トンネルの幽霊話、本を読んでいるならご存知ですね? それが関わっていると考えているんですよ。吉見という中年男性の事故死の起きた辺りの時期に、幽霊話が、ここを通過するJRの運転士の間でまことしやかにささやかれるようになってましてね。それが後から考えると、どうも、今から3年前に殺害されたと思われる大学生の遺体を探していた、8月に取調べ中に倒れて問題になった、喜多川のことだったらしいという落ちなんですよ。で、大学生を殺害したのは、喜多川の同僚の篠田と見られています」

「未だにはっきりとはわからないが、そういう騒ぎが、一連の事件の捜査の切っ掛けになったってことでいいのか?」

竹下の説明を受けて、そう高垣が確認すると、

「はっきりわからないのは仕方がないです。今のところはそれで十分OKです」

と合格点を与えた。


 しかし、そのことよりも西田の呟いたことが気になったのか、

「それはそれでいいんだが、さっき西田さんが、『辺境の墓標』って言ったよな? あれの名称がそういう名前なのか?」

と尋ねてきた。

「いや、あくまで内輪でそう言ってただけの話で……。ウチの上司に沢井課長って人がいるんですけど、その人が事件の捜査で、初めて我々があの慰霊の石碑を見つけた時に、そう勝手に名付けただけですわ。特に一般的な名称でも何でも無いです。まあ元々『辺境』云々は、よく考えたら自分が最初に発言したんですけどね……。あくまで自分達が便宜上そう言ってるだけで、むしろ『仰々しいな』と思ってるぐらいでね」

西田は頭を掻いたが、大袈裟だと思っていた、そして思っているのは、西田というより当時の部下達の方だというのが正確だろう。

「あんたらの上司のネーミングか。うん、あんたらはそれほど気に入ってないようだが、『辺境の墓標』、俺は中々いいんじゃないかと思うが……?」

西田のおどけにもかかわらず、意外と気に入ったようだ。


「じゃあ、せっかくなんで、近くまで行ってみてもいいかな?」

「どうぞどうぞ。時間は十分ありますから」

西田はそう許可を与えると、5人揃って、緩やかな斜面を登り墓標に近づいた。それにしてもやはり東京の人間からすると、北海道の郡部としてはよくあるレベルのこの程度の山中にあっても、「辺境」という言葉がしっくり来るのかと、地域性のギャップを痛感していた。元々は、西田がそういう表現を使っておいて、何だと言われればその通りではあった……。


 「墓標」の前にたどり着くと、高垣はしばらく石碑を読み、そして何も言わず卒塔婆や周辺を見回っていたが、最後には静かにしばらく手を合わせた。4名の刑事もそれに倣い黙祷したことは言うまでもなかった。

「こんな山の中で、夏冬問わず重労働に駆り出されて死んだんじゃ、浮かばれないよなあ……。墓標も朽ちていってる感じだ。このまま俺達現代人の記憶からも徐々に消えていくんだろう……。こうなることがわかってりゃ、酒でも持ってきて供養すりゃ良かったな……」

「今となっては事前に常紋トンネルについて、高垣さんにちゃんと言っておけば良かったですけど、この展開はさすがに予測できないんで……」

西田が黙祷を終えて感想を述べた高垣にそう言い訳をした。勿論、そこまで「読め」と言われても無理難題であることに変わりはない。


「トンネルだけはおそらく昔と同じままで、今もこうして『現役』なのが尚更皮肉なもんだ。大体、あんたらの先輩方が、きちんとタコ部屋労働取り締まらないからいけないんだぞ! 金貰ったり、開拓推進のために黙認したりじゃな……。警察なんてものは、昔から社会正義より、権力者寄りの秩序維持に忙しいからこういう犠牲者が出る!」

そう批判を込めて言い捨てると、再び墓標を見つめた。それについては、さすがに何十年も前の「先輩」の責任を押し付けられたら堪らないので、強く反論したい気もしたが、言い争いになるのも気が引けたので4人は黙っていた。ただ、どこかで『それ』が今も続いていると認めざるを得なかった部分が、反論をためらわせたこともまた否定出来なかった。


※※※※※※※


 その後、北見方面本部に戻るも、北見に高垣が残っているのは、未だ週刊誌の記事絡みの聴取をしているという理由だったので、形ばかりの聴取を一応しておいた。しかし、話した内容はそれについてではなく、高垣に依頼する「大島海路の指紋」の採取と「桑野欣也の尋常小学校以降の学歴」についての詰めの話だった。


 指紋については、高垣に接近できる立場の複数の人間に依頼して、それぞれ採ってもらって、「遠軽署」の方に送付してくれることになった。一方で学歴については、地域こそ絞れるものの、高垣は仕事も抱えているので、指紋について裏付けが取れた後、本格的に動くという口約束程度が、現状約束出来る範囲だと伝えられた。そして、当日を以って参考人聴取完了と倉野達に報告し、翌日高垣は東京へ戻ることになった。


※※※※※※※


 翌11月24日、本来西田と吉村はしばらくぶりの非番だったが、高垣を竹下、黒須と共に女満別空港まで見送る形となり、結果的には半休になってしまった。ただ、それでも、身体を休めることが出来ただけ良かった。ただ、ここ最近ずっと続いている精神的な緊張感はなかなかそう簡単に取れるものではなかった。


※※※※※※※


 11月27日午前、高垣からの指紋の提供を待つ遠軽署刑事課に、東京で竹下と黒須が聴取した小柴老人から一通、大きめの封書が届いた。かなりの達筆であったが、問題は中身だった。


※※※※※※※


 拝啓

 師走も近づく中、こちら東京も日々気温が下がり、竹下氏、黒須氏の御二方の勤務する遠軽も、おそらく雪の降り積もる時期ではないかとお察し申し上げる。さて、余計なことを書いて、貴重な時間を頂戴するのも迷惑だろうから、すぐに本題に入らせていただく。


 先日訪問された際、失礼な物言いながら、大島についての様々な記憶を辿ることを求められたことは記憶に新しい。同時にそのことで、老い先短い身を顧み、過去のことについてもう一度振り返ってみたいと言う欲求が頭をもたげた次第。


 そういうわけで、訪問より数日後、昔の資料や写真などを整理しつつ、押入れをひっくり返し、過去を振り返る作業に没頭。すると、(多田)桜さんが亡くなる前に、預かっていたものがたまたま出て来た。記憶の片隅で「靖がこの先、道を誤るようなことがあれば、これを黙って渡してください」と仰っていたように思われる。詳細、由来、来歴の類については、桜さんは聞いても、具体的には答えなかったと記憶している。


 しかし、おそらく養子になった前後に桜さんに預けたようなことを匂わせていたようにも思う。とにかく、当時の大島にとって「戒め」の類になるモノだったようである。


 諸兄が調べていることが何かは、具体的には存じ上げないが、万が一、大島が諸兄の世話になるようなことがあった場合、これを本人に見せることで、何らかの進展があるかもしれない。勝手に他人に譲渡することは、桜さんのことを思うと、いささか気が引けるが、それが桜さんの遺志にも、結果的には合致するものと信ずるが故、同封の上、進呈させていただく。


                                敬具


 拝啓や敬具を使いながら、ところどころに出てくるやや高慢な表現が、如何にも小柴らしいと竹下は思いながらも、ビニール袋に入って同封されていた、広げると大体20センチ四方、いや四方とは言っても、決して正方形ではなく、無理やり引きちぎったような断面に囲まれたものだったが……。この赤黒く染まった端布をしげしげと黒須は勿論、他の捜査員と共に眺めた。

「何ですかねこれ? 切断面から見て、切り取ったというより、無理やり剥ぎっとったような感じです。この赤黒く染まってる色は血ですよね……? 元は黒か濃紺っぽい生地みたいですが、染まってて元の色がわかりづらくなっちゃってる……。着物っぽいですね。でも柄は小さい三角形がたくさん並んでる感じかな。ちょっと着物にしては、あまり見ない柄に思えます」

黒須がそう言うと、

「赤黒いのは、おそらく血痕で間違いないな。念のため、ちょっと鑑識で人血かどうか調べてもらおうか?」

竹下はそう言うと、鑑識へ向かい、すぐに松沢主任にルミノールを吹きかけてもらった。案の定暗がりで全体的に発光し、血液であることが判明した。その後は人血鑑定を行い、人血と確定された。


※※※※※※※


「多田桜の遺言の内容と人間由来の血痕……。なんか犯罪の匂いがしますね……」

一緒に居た黒須がそう言ったのを聞き流しつつ、竹下は鑑識主任の松沢に、

「これ布は結構古いのは間違いない?」

と尋ねた。

「かなり古いのは間違いないな。数十年単位のもんだと思う。おそらく時効も過ぎてそうだ」

鑑識らしく、時効が気になったらしい。

「何時この血痕が付いたかわからんけど、元々の持ち主の多田桜が亡くなる前なんで、布自体の来歴は、少なくとも昭和35(1960)年以前のモノで間違いないと思う。明らかにハサミなんかで切った感じじゃないけど、引きちぎったとかそういう感じ?」

「わからないね。ただ、厚手の布がこんな風になってるわけだから、相当の力が掛かっていたのは間違いないと思う」

「相当の力ねえ……」

竹下はその場では思い当たる理由が浮かばず、首を傾げた。

「しかし、『道を誤った時に見せろ』ってのは、とても気になるなあ」

黒須は腕組みしたまま、松沢の机の上に載った端布を見つめていた。


 その後、鑑識から出るとすぐに沢井に報告し、北見で捜査中の西田には戻ってきてから伝えることにし、捜査資料として念のため保管することにした。


※※※※※※※


 北見から西田と吉村が戻ってくると、課長への報告を終えた西田に、早速竹下は小柴からの手紙と端布を見せた。


「これ血だろ? 事件性があるのか?」

案の定、布全体に広がった血痕にまず興味を示した。

「事件性についてはわかりませんが、義母が亡くなる直前に渡されたということは、それ以前でしょうから、どちらにせよ時効事案です。事件性そのものについては、余り必要以上に考えなくていいと思いますが」

竹下の回答に、

「そう言われると確かにそうだな。ただ、小柴の話が本当なら、大島海路という男の人生に何か大きな影響を及ぼしてる節があるからな、どうして血染めになったかは気になる」

西田はそう言うと、端布を蛍光灯の光に一度透かした。しかし、生地はかなり厚めの生地のようで、当然光は透けなかった。

「道を誤った時に見せろという点も気になりますね」

「点検」を終えた西田から端布を受け取りながら、黒須がビニール袋に仕舞いながら言った。

「そのうち、何か見えてくるのかもしれないな。残念ながら現時点で思い浮かぶようなことは何もないが……」

西田は椅子に腰掛けると、両手を頭の後ろに回し、多田桜の言葉と共に思いに耽った。

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