第68話 明暗47 (217~218 シャルマン潜入2)

「ところで、東京へは何しに?」

「食品関係の卸会社なんだけど、ちょっと取引先の新規開拓にね。北海道も景気良くないから、社の方針で思い切って本州へって話……」

既に黒須とどんな偽装をするかは事前に決めていたので、最初は想定外の流れに焦ったが、この辺りは落ち着いて竹下は対処出来た。

「東京は詳しいってわけでもないんでしょ?」

「うん、ほとんど来たことがないから、色々大変でね……」

「そりゃあ、知らない土地で飛び込み営業みたいなことやってたら、大変だよね」

マスターはハイボールをチョビチョビ飲みながら、嘘の設定に乗って話を広げてきた。


「まあね……。でも見るもの全て目新しくて、修学旅行にでも来た気分だよ。実際修学旅行以来だから、東京は」

「そんなこと言っても、札幌も都会でしょ?」

「いやあ規模が違いますよ!」

黒須がやけに大げさな口調で言ったが、必ずしも謙遜ではないはずだ。

「言われみりゃ確かに、都会の規模は段違いではあるなあ。20年以上住んでるから、自分は麻痺してしまってるところはあるかもしれないね……」

西田から事前に得ていた、マスターの個人情報を加味すると、その発言にも何か哀愁を竹下は感じていた。


「20年か……。東京はマスターにとって良い街だった?」

「うーん、どうなんだろうね。無数の夢とそのむくろが息づく街、そんなな感じががしますよ、振り返って見ると」

黒須の問いにやけに文学的な表現をしたので、竹下は思わず、

「いいねえ……」

と唸ってしまった。

「いや、そこまで言ってもらうようなレベルじゃない」

マスターはさすがに照れたようにグラスに口をつけた。


「ところで、ゴールデン街って、結構有名人が来るとか聞いて楽しみにしてたんだけど、ここもそういうお客さん居るの?」

「まあ文壇バーみたいなところもチラホラありますからね。ま、ウチは基本的にそういう客層の店ではないですよ、残念ながら」

回答が、竹下の想定とは違う方向に行ったので、少々面倒なことになった。ここで「高垣真一」の名前が出てくるかと思ったが、どうも、ジャーナリストのカテゴリーとしては有名だが、「有名人」という括りだと遠慮したのかもしれない。


「でも、『基本的に』ってことは、皆無ってわけでもなさそうだね」

ある意味必死に修正を計った。

「うん、まあ居ないということもないかなあ……。知ってるかどうかわからないが、ジャーナリストとかノンフィクション作家で有名なところだと、高垣真一って人がチョクチョク来ますよ」

「え? 高垣真一って、サタデープロジェクトとかに出てる、あの高垣真一!?」


 普段の竹下からは違和感のあるテンションで反応したので、横の黒須が笑いをこらえるために俯きながら、微かに震えているのが視界に入ってきたが、構わず続ける。

「そうそう! あ、知ってるんだ。そりゃ良かった」

「知ってるも何も、著作も何冊か読んでるよ!」

「へえ! 結構ファンなんだね。本も読んでるとか。あ、ちょっと待ってね」

そう言うと、店の棚から何やら取り出して竹下の前に置く。

「これ、高垣さんが本出した時にサイン入りで置いてくれてった奴」


 目の前のカウンターに置かれた本は、「永田町VS霞ヶ関 情報操作」と「領袖 ドンの威厳」、「兵庫県警 淀みの本質」という3冊だった。この内、竹下と黒須が古本屋で入手していたのは、「領袖 ドンの威厳」だけだった。プレミアが付いていない著作だった。発行年月日の確認はしていないが、おそらく最新の3冊だと推測した。


「どう、読んでるのある?」

「えっと、ドンは読んでるな……」

「他の2冊もなかなかいいですよ。是非!」

マスターはそう言うと、本を取り上げて背中を向け仕舞った。仕舞い終わったのを確認して、竹下は改めて声を掛けた。

「ところで、チョクチョク来るって話してたけど、最近はどうなの?」

「確か……、10日前ぐらいに来たはず。その時は沖縄に取材に行くとか言ってたな……。数日取材で滞在するとか言ってたから、近いうちにまた来るんじゃない? 地方に取材に行ってる時は勿論だけど、東京に居る時でも執筆に入ると、何週間も来ないことがあるから、安請け合いは出来ないけど」

「そうか。せっかく東京に居るんだから、会えないかなあ」

「いつまで居るの?」

「期限は、まあ大体11月の25日ぐらいを目処とは、会社から言われてるけど……」

「そうかずいぶん逗留するんだな……。じゃあ、もし良かったら、高垣さんが来たら連絡してあげましょうか? そんだけ居るなら会える可能性は高いと思いますよ」


 マスターの一言は、竹下達が想像していた以上の、まさに「渡りに船」の提案だった。

「あ、そうしてもらえるかな? 助かるよ。じゃあこの携帯の方に連絡してもらえる?」

そう言って手渡した名刺は、区役所に行く前にショップに注文しておき、さっき黒須に取りに行かせたものだった。


「カネ実食産 営業部 主任 竹下 昌一郎 携帯電話…………」名義の名刺だった。会社の電話番号は、札幌に居る竹下の弟の家の固定電話のものにしておいた。固定電話は引いているが、家にほとんど居ないので出ることはまずないからだ。「カネ実食産」名は佐田実の経営していた、既に倒産した会社のものをそっくりそのままいただいたわけだ。

「了解。じゃあもし来たら、ここに掛ければいいんだね?」

「それで。よろしく頼むよ!」

竹下はそう言うと、それから小一時間ほど黒須と共に「安心して」酒をあおった。小柴の聴取で色々見えてきたものがあり、少し調子に乗ったのかもしれない。


※※※※※※※


 11月17日金曜日、西田と吉村は北見市役所に居た。勿論目的は、伊坂一家の戸籍を洗うためだった。息子の政光の戸籍チェックを名目に、伊坂家の戸籍を調べた。その結果、伊坂大吉、いや太助は、大正9(1920)年に道南の松前町(作者注・1940年までは福山町。その後改称)で生まれ、昭和22年の12月に、結婚による新規戸籍の筆頭として、北見市(作者注・1942年に野付牛町から北見市制へと以降しています)に戸籍が出来ていた。


 息子の政光は昭和24(1949)年に生まれていた。そして同じ年に、太助から大吉へと改名が認められていたようだ。伊坂組が昭和25年に設立されたことから考えると、そのために景気付けもあって改名したのかもしれないし、息子の生誕が契機になったかもしれない。


「なるほど。出身地は松前か……。一緒に生田原で仙崎老人の下で働いていた頃、そういう話を聞いていたとすれば、まさか北見に居るとは思わなかったかもな……」

「小樽の佐田譲の話では、戦後割と早い時期に小樽に来て、桑野と共に砂金を掘り出したとすれば、その後の2人がどう別れたかは別にしても、そのまま近場である北見周辺で定住していたというかもしれないですね」

吉村の言う通り、生田原と北見の距離で言えば、もしかしたらそのまま居着いて、落ち着いた後、結婚して北見で戸籍を作った可能性はあった。ただ、この時2人が時代背景を深く考えていれば、そして7年後の2人の捜査の結果から見れば、伊坂大吉が「そのまま居着いて」ということはなかったのだが……。しかしそれをこの時の2人に求めるのは酷だったと言えよう……。


※※※※※※※


 一方、東京の竹下と黒須は、卒業大学の鳴鳳大学法学部の教務課で聞き込みに入っていた。それ以前の学歴について、入学資格と絡んで何か記録が残っていないか調べることがまず第一目標であった。


 しかし残念ながら、それは残っていなかった。残っていたのは在籍時の成績だけだった。色々大学側に調べてもらった結果、戦前に旧制中学を卒業した人間の入学資格においては、小柴の証言通り、「新制大学入学資格認定試験(作者注・昭和23年から25年まで実施)」なる、大学入学資格検定、いわゆる大検(現・高等学校卒業程度認定試験、いわゆる高認)の前身の制度を利用する必要があったようだ。


 大学入学時点の昭和25年春で既に「桑野靖」として入学。その後養子縁組により「多田靖」として卒業していた。勿論教務課の職員は、この多田靖が今の「大島海路」であることは認識していなかった。ただ、軽く大学OBの有名人について聞き出してみると、大島海路の名前が出て来たことからも、OBであること自体はそれなりに有名のようだった。本人も公報に載せるほどで、全く隠しておらず、大学側も「大島海路」どころか、現在の本名である「田所靖」として、名前こそ違えど、把握しているのは間違いなかったようだ。


 いずれにせよ、政治上の名前である大島海路を彼の本名だと思っている人間の方が、地元以外では圧倒的に多いのだろうから、一般人相手への改名によるロンダリングの意味は、結果的には、それほどなかったのかもしれない。


「桑野の痕跡をたどるには、また岩手行って、近隣にあった旧制中学を虱潰しに調べてみるしかないんですかねえ……」

大学の学食で、講義がないのかサボっているのかはわからないが、談笑している学生に紛れ一息入れていると、黒須が大きくため息をいた。

「先はそうなるかもしれないが、今はそれを考えても仕方ない。次のターゲットは高垣への接近と偵察。そこをまずどうするかだ」

竹下は部下に、直前に迫った任務にまず目を向けることを要求した。それにしても、周りの学生の楽しそうな様子を見るにつけ、イラついた気分になったのは、捜査の進展にやきもきしていたからではなく、単に、若さと自由だった青春時代への憧憬があった故かもしれないと、竹下はうっすらとではあるが気付いていた。


※※※※※※※


 午後、北見署の捜査本部にやっと大きな動きが出た。病院の看護婦の中に、事件現場となった北見共立病院の理事長である浜名が、被害者・松島の個室に入るのを、夜間に何度か目撃したという話が出て来たのだった。


 元々、理事長と松島は昔からの知り合い(共立病院への入院もそういう理由があった)ではあったが、わざわざ面会時間外に会う必要もなさそうで、本来であればもっと早くに出て来るべき情報だったが、かなり前のことでうっかりしていたらしい。


 殺人事件の後、普段はそれなりに明るいボスの浜名が妙に暗く、顔色が悪かったことで、やっと思い出したということだった。


 盗聴器を仕掛けた人間が誰か、未だにわからないだけに、この新たな情報は、再び事件が動き出す可能性を秘めたものだった。一方で、北村のテープの存在を捜査本部全体に公表していなかったこともあって、全体としては、まだ盗聴器が仕掛けられていた件を、共有はしていなかった。


 しかし、共立病院事件において1つの捜査方針の選択肢である、佐田実殺害事件との関係上、何らかの盗聴自体の可能性としては、テープの存在が明らかになる以前から、捜査員に既に提示していたこともあり、浜名を任意で聴取することを決定した上で、連絡して聴取に応じることを求めた。


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