第64話 明暗43 (209~210 小柴聴取編)


「それでは喋らせてもらおうかな」

そう言うと、来た時から机の上に用意されていた、アルバムのようなものを開いた。


「大空襲ですっかり焼け野原になってから、住民もかなり入れ替わって、この西神田一帯も終戦後数年経つと一気に人口が増えてきてね……。さすがに公民館みたいなのを建てようという話が出ていたんだが、なかなか土地が無かった。ところが、多田さんの奥さんが亡くなって、その土地をこちらに寄贈してもらうと言うことで、建てられたんだよ。これ、多田さんの家が取り壊す前にこんな感じでね、これをこんな風に更地にして、昭和36年の春から建て始めて……」

アルバムの写真を一々見せながら説明するのを聞きつつ、竹下はどう切り出すか躊躇していたが、

「すみません、小柴さん。申し訳ないんですが、その亡くなった多田さんの奥さんというか、多田夫妻がどういう方だったか、ということから教えていただけると幸いなんですが……」

と口にした。気難しそうな老人相手だけに、必要以上に気を遣わなくてはならない。


「公民館のことより、元の地主だった多田さんのことの方を先に聴きたいのか? いやまあそれは構わんが……。じゃあそうしよう」

そう言うと少々不満気にアルバムを閉じたが、竹下の求めに応じてすぐに話を変えてくれた。

「同じ町内会で、僕が子供の頃から面識が会った多田さんのご夫妻は、元々四番町という所に住んでいたそうだ。あの『番町』一帯は、江戸時代の旗本屋敷のあったところ(作者注・いわゆる怪談で有名な「番町皿屋敷」の番町です)でね。そこから明治以降こちらに移り住んで来たという話をされていた記憶がある」

小柴は年齢の割に、「矍鑠かくしゃく」という言葉通り、淀みなく記憶を引き出しているようだった。


「多田さんのご主人は、咲太郎というお名前だったと思うが……、戦前は印刷関連の事業をしていたはずだ。かなりの資産家だったが、夫婦の間には子供が出来なかった。それで2人も年を取ったので養子を取る話があったようだが、戦争が始まって一度立ち消えになったらしい。ここは直接本人達に聞いたわけではなく、あくまでも噂話程度に聞いていたに過ぎないから、本当かどうかはわからんがね。あ、スマンがちょっといいかね?」

突然話を中断したので、竹下と黒須は?という表情になったが、小柴は棚からパイプを取り出すと燻らせ始めた。

「すまんね。これがないと落ち着かなくてね」

ゆっくりとパイプから煙を吐き出すシーンは、なかなか様になっていた。かなり年季の入ったパイプ歴なのだろう。日本人でこういう姿が似合う人物はそうはいないように竹下は思った。


「それでだね、君達。あの東京大空襲だよ! 咲太郎さんはそれで亡くなったそうだ。僕は当時、『ノウショウショウ』というところの官吏だったんだが、それで京都に転勤で居て、実家は燃え落ちたが、幸い自分と女房と子供は無事だったんだ。残念ながら存命だったお袋は亡くしたが、あれだけ人が死んだんだから仕方ない……。あ、農商省ってのは、今の農林水産省の前身のことだからね」


 咲太郎と自分の母親が亡くなったと述べた時に、少し悲しい目をしたように思ったが、すぐにノウショウショウが何を指すか2人に説明した。

「小柴さんは、都議会議員の前は官僚だったんですか」

竹下は小柴が尊大と言われる姿の理由を納得して聞くと、

「あ、都議会議員だったことも聞いていたんだ? 役所の方はまあ大した役職まで行ったわけじゃなかったがね。それで47歳で一念発起で退官し、近くに住んでいた親戚が都議会議員だったから、その地盤を継いで、昭和26年(1951年)の4月にあった都議会選挙に立候補したというわけだ。そこから8期やらせてもらったよ、ハッハッハ」

と高笑いしながら言った。

「8期も勤められたんですか?」

黒須は褒めるというより、おそらく呆れていたのだろうが、

「うむ。民友党の都議会議員団の幹事長やら、議会の副議長やらも歴任させてもらったよ。本来ならば議長という話もあったのだが、体調面でちょっと自信がなくてねえ」

と自慢げに2人に華やかな経歴を教えてきた。2人は愛想笑いで応じながらも、この自慢話の連鎖に行くとやっかいなことになりそうなので、何とか話題を元のレールに戻そうとした。


「なるほど。すごい経歴の方だったんですね。それだけの方にお話を伺えて、我々もラッキーでした……。ところで東京大空襲の件ですが……」

「おっと、脱線してしまったようだね、すまない。さっきも言ったがそれで咲太郎さんが亡くなってね。奥さんは実家があった埼玉の……、確か大宮と言ってたかな桜さんは……。そこに疎開というか、そっちにたまたま居て助かったということだ。印刷工場も失ってしまったから、戦後は大変だったようだが、残り僅かな資産を処分して、焼け跡の土地に生活するために下宿を建てたわけだ。彼女は料理が得意で、世話好きだったということもあったんだと思う」

と遠い目をした。

「下宿ですか……。ということは、そこに桑野という男が入ってきて、という話になるのかな?」

黒須が、多田桜と桑野靖が養子縁組をしたことや、その年代の近辺で、桑野がその住所から大学に通っていたという情報を元に話の先回りをすると、

「そうそう! 君やけに察しがいいねえ! そして公民館の話はこの男なくしては成立しないんだよ! 区役所で色々聞いてきたのかね?」

と一度パイプを加えて吸った後、やけに褒めた。竹下達のヨイショが良い方向に左右したようだ。小柴は、竹下達が本当は桑野について調べに来たことを知らないので、こういう反応をしたのだろう。


「一応事実関係は既にある程度掴んではいますが、流れが重要なので、そこのところは詳しく教えて下さい」

念のため、竹下は下宿入りから、大島海路が相続した土地建物の千代田区への寄贈までの話が端折られないように釘を差した。

「わかった……。それでだね、そこにその、桑野が下宿人として入居してきた。その記憶が定かではないが、どっかの大学の新入生……確か鳴鳳大学の法学部だったかな……という立場で入居したようだが、既にかなりの年でね。その年で大学生なのかと、その後、桜さんに紹介された時にあっけにとられた記憶があるよ。幾つだったかなあ。既に30代半ばだったはずだが……。まあ実年齢よりは若くは見えたがね。岩手の出だという話だったが、東北の訛はほとんど感じなかったな当時から」

「大学というのは、鳴鳳大学の法学部で合ってます」

竹下が補足すると、

「やっぱり、鳴鳳か……。ちょっと記憶に自信がなかったんだが、間違っていなかったか。うん、とにかく今で言うところの社会人入学みたいな感じだったんだろう」

と頷きながら言った。


「桜さん、もしくは桑野自身で、桑野について何か言っているのを聞いたことはありませんでしたか?」

「そうだねえ。30をゆうに超えていたわけだから、さっきも言ったように、僕が『あの年で大学生?』って桜さんに聞いたら、『戦前は家庭が貧しくて、(旧制)中学までしか行けなかった』と答えてくれたような記憶がある。それから身体も弱かったようだよ。病気で召集(戦時召集)を免れたとも言っていた」

黒須の質問にそう答えた。

「旧制中学ですか?」

竹下が再度確認すると、

「まあそうだったと思うよ、あくまで『思う』だが。僕も90越えてるからね」

と笑った。

「中卒で大学行けたんですか? 大検みたいな形で?」

黒須が突っ込むと、

「昔の旧制中学は、今の制度で言うところの高校みたいなもんだけれど、彼は戦後、資格試験のために勉強していたとかなんとか言ってたから、おそらく君の言うとおり、旧制中学卒業だけでは、大学入試は受けられなかったんだろうと思うよ(作者注・資格試験とは、大検の前身に当たる、「新制大学入学資格認定試験」と言うものでした。昭和26年に大検に移行して廃止されました。ただ、戦前の旧制中学卒業者は、戦後の高校は3年に編入して通えば高卒資格を得られるなど、確かに高校卒業に近い扱いを受けていたようです。旧制中学が5年制であったことなどがそうなった要因かと思われます。尚旧制中学には飛び級があり、優秀者は4年で卒業出来ました)」

と小柴は答えた。すかさず、

「さすがにどこの旧制中学とか、そういう話は……?」

と竹下が聞いてみた。

「いやいや、君。そこまではさすがにわからないよ! 私も教育関係の専門家ではないわけだし」

小柴は基本的に朗らかではあったが、大げさに否定してみせた。

「そうですか、すいません」

黒須がすぐ代わりに謝ったせいか、小柴の機嫌も悪くなることはなかったし、その前の様子を見ても、何か「乗ってきた」感があったので、謝らなくても問題はなかったろう。


「それから、病気のせいで召集令状? が来なかったと言うことですか?」

竹下は他に気になったことをすかさず聞いてみた。

「それも桜さんから伝聞の形で聞いただけだから、僕は詳しいことは分からないが……。それなりに大病でなかったら、戦局が悪化した後は無理だね。それぐらい兵隊が足りなくなってた。さすがにあの頃はもう、政治にある程度のレベルで関わっていた人間は、負けを覚悟していたよ。それでも尚、始まったらやめられないのが戦争だ。『一撃講和』にこだわった挙句、どれだけの人生が失われたか……。あんなバカなことは我々が止めさせるべきだったが、如何せん無力だったな……」

戦前、高級官吏だった小柴らしい感想を漏らした。竹下や黒須も「知識」としてはわかっていても、「実感」は当事者でなくては理解出来ないこともあるだろう。

「ただ、大学時代は最初陸上部に入ろうかと考えていたようなことを、本人から聞いたから、おそらく肺病(結核)の類ではないと思うけれど……。しかし、君達は桑野についてやけに詳しかったり興味がありそうでもあるな? 公民館が建てられた経緯について聴きに来たんじゃないのか?」

さすがに、小柴も何か感じ取ったようだが、桑野について探っていることを知られるのは、小柴の経歴を考えると望ましくはない。

「ええまあ……。それにしてもなるほど、大病と言えばまず結核を想像しますからね、当時は」

お茶を濁すようにしながら、竹下は小柴の推理の仕方に頷いてみせ、無理に話を続けさせようとした。しかし、タイミング良く、竹下がメモを取るのに使っていたボールペンのインクが切れて手間取ったのが視野に入ったか、

「まあ、何だかわからんが、それで、話の続きをしていいのかな?」

と気遣う方に気持ちが行ったようだ。

「あ、黒須に借りましたから大丈夫です。どうぞ」

竹下がそう促すと、

「じゃあ続けよう。そして桜さんはその桑野が下宿人になってから、1年程で養子にしてね。これは君達もどうやら掴んでいるようだが……。僕から見て、人当たりは間違いなく良かったにせよ、高いレベルで魅力や能力のある青年には当時は見えなかったが、本人が気に入ったのなら仕方ない」

と語った。

「頭は良くなかった印象があったんですか?」

黒須がすかさず疑問点を口にしたが、それに対し、

「いや、名門の鳴鳳大学の法学部だし、彼が頭が悪かったということはあり得ないが、特段、切れ者という印象はなかったよ。あくまで『特段』という前提だが」

と答えた。


 2人は内心、それまでの「桑野評」との不一致を感じて不審に思ったが、桑野が相手にしていた人間が、それまでのただの一般人と、小柴のような戦前からの超エリートでは受ける印象が違ってくるのも仕方ないと思い胸にしまった。事実、「頭は悪くはない」とは言っていたこともあった。

「下衆の勘ぐりといいますか、少々品の悪い話になりますが、ある意味『若いツバメ』のような側面もあったのでしょうか?(作者注・若いツバメについてご存じない方は、以下参照http://gogen-allguide.com/wa/wakaitsubame.html)」

竹下が更に探りを入れると、

「竹下君、それは君、亡くなっているとは言え桜さんに失礼だよ!」

と、これまでの小柴の口調にしては語気を荒らげ、たしなめるように言った。

「当時の彼女は既に70近辺で、そういう色恋沙汰の結果とは思えんよ。息子という感覚だったはずだ。そういうのは三文小説の世界だけにして欲しい!」

この時は93歳とは思えない威厳を、老いた姿に2人は垣間見たように思えた。

「それもそうですね。失礼なことまで踏み込むのは刑事の性とは言え、申し訳ないです」

竹下は素直に詫びた。

「まあ君達の職業柄、そういうところは仕方ないのかもしれないが、そういう理由ではなかったと思う。夫を空襲で失い、寂しかったんだろう。それに桑野も何か裏の意図があったようには見えなかったな、養子になる前は。実際、養子の話を桜さんから切りだされて、かなり驚いて、『ちょっと考えさせて欲しい』と言ったそうだから。ただ、桑野も養子になってからはよく尽くしてくれたとは思う。少なくとも遺産目当てというようなところは見せなかったな、桜さんの生前は」

そう言うと、ゆっくりとパイプを咥えた。


 しかし、「欣也」から「靖」に名前まで変えた桑野が、苗字を変えるチャンスだったにもかかわらず、すぐに飛びつかなかったということは、確かに養子になることを事前に画策していたということでは、明らかに「なかった」と見ていいはずだ。この「ロンダリング」はあくまで偶然だったということになるのだろう。


「桑野、あ、当時は既に多田姓でしたか……。多田靖はいつまで多田桜さんと同居していたんでしょうか?」

「彼が大学を卒業したのが、えーっと、はっきりしたことは忘れたが、昭和30(1955)年より前だったかな……。僕の2期目の4月の選挙の時に、卒業し立ての彼に手伝ってもらったはずだから、うん、そうだね」

「卒業後は就職していたわけではなかったんですか?」

「いやあ就職していたよ。国会議員秘書として」

小柴の口から思わぬ言葉を聞くことになった竹下と黒須。

「え? ということは、もしかして、その議員というのは海東匠議員ですか?」

竹下は飛びつくように質問した。

「竹下君、そうそうそれそれ! 君達はなかなか話がわかるねえ。あ、ということは、君達は当時の桑野、いや多田青年が後の大島海路だと言うことも、やっぱり知っているんだな?」

そう言うと小柴は、話に夢中になって既にぬるくなっていただろうお茶をグイッと飲んだ。


「大島海路が海東匠議員の秘書になった経緯は、どういうものだったかお聞きになりましたか?」

そう竹下が確認すると、

「何を言うんだね! そもそも海東さんに口を利いて、彼が学生時代に、確か大学2年の年明けてからだったと思うが……、議員事務所でアルバイトするようになったのは、僕のおかげなんだから!」

と自慢げに語りだした。

「それは大変失礼しました! そうだったんですか!」

竹下と黒須は新たな事実に思わず声を上げた。

「そうそう! 今の彼があるのは僕のお陰……、と言ったらやっぱり言い過ぎになるのかな」

小柴はニヤリとした。確かにエリート意識の強い尊大な部分もあるが、茶目っ気もある、根はそれほど悪い人柄ではないかと、竹下はここに来て感じていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る