第65話 明暗44 (211~212
「そこをもっと教えていただきたい」
竹下が食いついてきたので、
「どうもさっきから話していると、桑野というか大島海路に何か問題があるのかね?」
と、覗きこむように怪しんだ。
「いや、それは何とも……」
竹下は口ごもったが、
「汚職? いや、そしたら道警じゃなくて東京地検だよねえ」
と刑事達の出方を窺うようにしながら、
「まあ、細かいことは今はいいでしょう……。議員になってからの彼は、私から見ても明らかに調子に乗っているような気がするから、ちょっとお灸を据えられるぐらいがちょうどいいかもしれない。彼は師匠の『海東イズム』を捨てたと言われても仕方ないのだから……」
と喋った。「海東イズム」なる言葉は2人には意味不明だったが、そんなことより気にすべきは、既に捜査対象がバレたことだった。しかし、ここから下手に取り繕っても仕方ない。
「大変申し訳無いんですが、この件は他言無用ということで……」
竹下は気まずい表情をしたが、
「まあ、事情ははっきりわからないけれども、そういうことなら仕方がない。こう見えて、結構口は堅いんだよ。だからこそ、地方議会とは言え、都議会議員を何十年もやれていたんだ。そもそも私が彼と会ったのはもう10年以上前の、私の都議引退パーティーまで遡るから、告げ口する機会すらないのが実情だよ」
と余裕の表情で約束してくれた。
「それでだね、当時はまだ民友党ではなく、私も海東さんも合併前の民和党の党員でね。民友党になったのが、昭和30(1955)年に民和党と議友党が合併してからだから。それで話を戻すが、彼が政治に強い興味があるというから、北海道の網走の方の選挙区から国会議員になっていた海東さんを紹介したわけだ」
ここまで聞いて、さっき、「網走をご存知」と聞いたことが竹下は恥ずかしくなった。海東の知人なわけだから、そりゃ網走も知っているはずだ。
「桑野……いや多田は、当時から政治家になりたかったんでしょうか?」
竹下が聞くと、
「どうだろう……。政治に興味があるとは言っていたが、政治家になりたいという、直接的な言葉をその時に聞いた記憶はないよ」
と答えた。となると、国会議員になったのは、運が良かったのだろうか……。
「ところで、海東匠議員とは、同じ政党の所属ということだけでの知り合いだったんですか?」
続けて黒須が竹下の聴きたいことを聞いた。
「いやあ、実はそれはたまたまというか……。実はね、海東さんは私と同じ東京帝大の農学部出身なんだ。同じ研究室から『農商務省』、あ、さっきの農商省ってのは、戦中に一時期改名した時の短い期間の省名だったんだけれども、そこに入省した先輩というわけだ。彼は私より一回り上で、僕の在学中もOBとしてちょっと面識はあったんだが、特に入省してから世話になってね。元々札幌出身で、戦前に農業の研究施設などの長として網走などに赴任していた。そっちの名士なんかとの交流もあった関係で、請われて、帝国議会衆議院の国会議員になったんだ。私から見ても、道産子らしいと言うのかな?
小柴は自分の欠点を理解はしていたようだったが、ここまで来てしまった以上は、終生それを直すには至らなかったということなのだろう。そして、「海東イズム」なる言葉の意味をここで2人は初めて理解した。
「とにかく、それで小柴さんが口を利いてあげたということなんですね」
竹下が確認すると、
「そういうことだね。ただ、紹介すると言った時には喜んだが、すぐ後で海東さんが北海道の議員だと知ると、いきなり断ろうとしてね。僕としては、『なんだ恩知らずだな』と思ったんだが、まあその後撤回して、東京の議員の宿舎に通って、海東さんを助けるようになったというわけだよ。海東さんの議員としての力もさることながら、人柄を知って、改めたんだろうなあ」
と懐かしそうに語った。
ただ、当時の桑野、いや多田靖が海東に師事することを躊躇したのは、間違いなく、「色々あった」北海道という場所から一度離れていた彼にとって、再び北海道と絡むことは避けたい意識があったのだろうと竹下は読んでいた。それでも尚、海東に付いて行くことにしたのは、その方が将来性があると、メリットとデメリットを比較して覚悟したのかもしれない。勿論、それが海東匠の後を継ぐという「大それた」野望故の行動だったのかは、この時にははっきりしなかったが……。
ともかく、戦後の桑野欣也の支離滅裂な動きには、小柴による海東への紹介という、偶然が左右した可能性が高いと、この時竹下は考えていた。多田への改姓、道東を地盤とする海東への師事、この2つは意図せずに桑野欣也に作用した可能性を考慮する必要が出て来た。桑野の思惑と完全に無関係な運命により、大島海路へと変貌していく流れを、なんとなくだが竹下と黒須は把握しつつあった。
「大学時代はそのまま桜さんの下宿から、東京での海東の手伝いをしながら、卒業後は秘書として、という形で?」
「竹下君、その通りだ。それで僕の選挙も手伝ってくれたりしたんだが、翌年だったかなあ。海東の有力支援者の娘さんとの縁談が急に持ち込まれた。確か地元の大きな旅館の娘さんだったはずだ。夏休み中に、何度か北海道の地元選挙区の方に海東さんに付いて行ってたんだが、その時に気に入られたらしい。ただ、婿養子に入るという前提だったから、すぐに決められるようなもんではなかったわけだ。何しろすでに桜さんの養子になっていたわけだから、それが更に婿養子となると、そうは簡単じゃないよな。でも彼も悩んだ末に、最後は意外と乗り気になってね。『桜さんの後はどうするんだ』と僕が聞くと、『申し訳ないが、自分も結婚したいんです』とかなんとか……。確かに奥さんになった女性は結構美人だったし、婿入り先は結構な資産家だったようだから。一方の桜さんは義理の息子に任せるということで、余り気にしていなかったので、揉めたということはなかったようだね。『跡取り』としての養子というより、家族にしたいという意味での養子だったから、そういう意味で桜さんは気にしなかったということだったんだろう、今にして思えば。僕としては筋が通らないような気がして気分は悪かったがね」
そう言いながら少し渋い顔をした小柴に、
「婿養子に入るということは、多田、いや田所靖はその後北海道の方へ?」
と竹下が聞くと、
「いや、さすがに、その時点では桜さんを一人置いてということにはならなかったな。婿養子と言っても、彼に旅館の後を継いでもらうというより、2人の間に出来るであろう子供に跡取りになってもらうという意味が強かったようだよ。結局は2人の間に男児は生まれず、3人の娘の一番下が婿を取って旅館を継いでいるような話を、風の便りに聞いたぐらいかな……。とにかく、そういうこともあって、祝言を上げた後は、カミさんが北海道からこっちに来てたな。しばらくは奥さんと田所姓になった大島が3人で暮らしてたようだ。嫁姑の間も悪くなかったが、まあ年齢もあってね、昭和35年に桜さんが往生したということになる」
それを聞いていた竹下は、婿養子話も、当初は完全に桑野の意図しないものだった可能性が高いと認識した。その上で、それを利用するメリットが上回ったのだろうと、より強く思うようになった。
「その後、大島はどうしたんですか?」
黒須が続きを要求した。
「それでこの後から、彼にとって更に人生は急展開することになるんだな、これが……。当時、この一帯は……、ドーナツ化現象やバブルもあって、今じゃ少なくとも『住宅地』としては見る影もないが、住民がどんどん増えていてね……」
小柴は暗い表情になった。確かに戦前から焼け野原を経て、現在のバブル崩壊まで、この街の『首都の一等地』という地位は不変だったのかもしれないが、『人が息づく街』としては確実に凄まじい『栄枯盛衰』があったはずだ。
「そんな状況もあって、当時、地域住民のための施設が必要ということになったわけだ。地元選出の僕としても、これは頭の痛い悩みだった。なにしろ用地がないんだよ、建てる土地が……。購入しようにも価格が上昇していて、予算上も問題があった。ところが、それを相談した海東さんが思わぬことを言い出した。『田所は、お義母さんが亡くなったんで、近いうちに地元の網走付き秘書に配置転換しようと思うんだが。どうだろうか、彼の相続した土地に、現状の建物を取り壊して建てさせてもらったら? 借地料は多少まけてくれるだろう。そこは僕が頼んでもいい』とね」
「なるほど、それで公民館が多田桜さんの土地だったところに建ったわけですか……」
竹下は結論を先に言ったが、直後にしまったと思った。そんな当たり前のことを言ってしまっては、その過程の詳細な話が聞き出せないおそれが出てくるからだ。
「そうそう」
と小柴が言った後に、
「あ、すいません、結論が出るまでの間の話も詳しくしていただけますか?」
と言う羽目に陥った。
「間の話か……。まあいいだろう。実際、かなり良い解決方法であることは間違いないから、僕は海東さんに彼に聞いてみてくれるように頼んだ。こう言っちゃなんだが、海東さんから言った方が、良い答えを引き出せると思っただな。考えようによっちゃ、無言の圧力的なものを期待した、少し汚いやり方だ。海東さんにそのつもりがなかったとしてもだ」
実際に竹下は、いや黒須も「それは実際にあったかもしれない」と思ったに違いないが、黙って聞く。
「そうしたらだ。何と大島は、『相続した土地と建物をそのまま千代田区に寄贈させてもらいます』と言い出したというんだな君!」
そう大げさに語る小柴だったが、既に区役所でその事実を知っていた2人は、どうリアクションしていいか、難しい判断を迫られた。
「ほう、それはまた大胆な決断をしたんですね」
こういうのは黒須の方が竹下より上手い。その場で上手くいなした。
「そう。こっちとしても財政に負担掛けずに、ある意味『手柄』をあげたわけだよ。都にも区にも、地元住民にも自慢できる結果だ。大変助かってね。僕としても海東さんにも、勿論、多田、否、田所にも感謝したもんだ。選挙もこれで安泰ってことだから。さすにが海東さんが、そこまでするように言ったことは考えられないから、自発的なものだったんだろう。そう考えるに至った理由は不明だけれども」
当時のことを振り返っているが、まるで今のことのように嬉しそうな小柴だった。
「しかし、大島はまた大胆なことをしたとしか思えないです。幾ら昔とは言え、高度経済成長と絡んで、不動産の価格もかなりの額になってたんじゃないですか? 下宿をしていたとなると、それなりの広さもあったと思いますが?」
竹下は当然出てくる疑問を口にした。
「正確な当時の値段は僕にもわからないが、土地が100坪以上あったのは確実だから、今ならバブル崩壊とは言え、10億以上は土地だけで行っても不思議はなかっただろう。思い切りが良いと言えば良いね」
そう言うと、パイプを燻らせた。それにしても、現在価格で考えれば、「思い切りがいい」の一言で片付けられるような額ではない。
「今の大島からは想像も付かないですね」
黒須が苦笑いすると、
「つまり、今の強欲な大島海路からは考えられないということかい? まあ政治に長く関わってくると、打算で動くようになるのは必然なんだよ」
と諦め気味に悲しそうな表情をして言った。
「必然ですか?」
「ああ必然だ。僕も残念ながら御多分に漏れずという奴だな。ああ、海東さんは違ったが……。自分も海東イズムを見習って、そうあってはならないと注意はしてきたはずだったがね……」
そう言うと、東京、いや日本の経済発展と共に戦後を生きてきた、生き字引のような老人は苦笑した。
「そして、大島は海東の地元へと旅立ったわけですか」
「竹下君、その通り。それからは早かった。奥さんとしては、故郷に戻るわけだから嬉しそうだったが、大島は余り嬉しそうではなかったな。アルバイト秘書時代に既に何度か現地に行っていたのだが、やはり本格的に住むとなると話は別だ。不安もあったろう」
「なにか小柴さんに、そこら辺について語ってました?」
竹下はそこをもうちょっと詳しく聴きたいと思っていた。
「『その時』は特に何か言っていたとは思わないよ」
小柴はそう答えたが、「その時」にちゃんとした意味が出てくることを、刑事達はすぐ後に知ることになった。
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