第40話 明暗19 (109~113 倉敷編)

 「秘密の会合」を終えると、平松が捜査一課へ戻り、柴田も合流し、西田達はホテルに戻るため、府警を後にしようとしていた。その時ふいに竹下が西田に話し掛けた。

「係長、昨日の話の続きですが、もし伊坂政光が父である大吉から事実を打ち明けられていたとすれば、大島がこの件を、勝手に伊坂大吉のせいにして全て収めるというのは、かなり危険な話になってしまいますね。今になって気付きましたが……」

 竹下の言う通り、竹下の「大島が佐田殺害に深く関与している」という説と西田の「政光が事件の事情を知っている」という説が共に合っているとするならば、政光は大吉から佐田殺害事件の事実を告げられており、大島の佐田殺害に対しての正犯的関与も知っているということになってしまう。そこで大島に対し反発を覚える可能性はある。


「なるほど、そうなるな。ただ、政光が話を聞いただけだから、大吉の作り話として一笑に付すという逃げ方も大島には可能だと思うが、どうだ?」

苦し紛れではあったが、西田としてはそれで何とか説明が付くと考えた。

「それは確かにあり得ます。でも、やっぱり『危険な橋を渡る』方法じゃないですかねえ。政治家ですから、風評ですら痛い。となると、両者の間にもっと具体的な話が詰められていたかもしれません。きちんと政光にも事前に説明がされていたということです。政治家と土建、結びつきは強いですから、死んだ人間の名誉よりも、現世の利益ということも十分あり得ます。例え実の父親の名誉であっても……。まあもっとも、我々の仮説が両方共合っていなければ意味が無いんですけど……」

竹下はそう言うと、思案げな顔付きになった。西田はなるほどと思いつつ、それを一瞥したまま、それ以上話を広げるのは止めて、エレベーターが自分たちの居る階に近づくのをただ見ていた。


 そして、道警御一行がエレベーターを下り、府警の1階のロビーを通り抜けようとしていると、竹下の携帯が鳴った。「後から行く」と倉野達に断ってから竹下は電話に出た。五十嵐からだった。


「デスクから許可が出た。今東西新聞の大阪本社に人脈がある記者も抑えた。後はこっちが明後日昼までに仕留めればいいんだな? デスクには『事件はともかく、概要すら聞いてないのに大丈夫なんだろうな』とこっぴどく言われたがな。最後は『俺を信用してくれ』で押し通しといたが、大丈夫だろうな?」

五十嵐の不平まじりの確認に、

「任せて下さい。そっちはよろしくお願いします。かなり重要な調査になると思います。ひょっとすると、道報の調べ次第で、後から更なるスクープを提供出来るかもしれませんよ」

と含みを持たせた言い方をした。

「おいおい、まだ今回のスクープ内容とやらもはっきり教えてもらってないのに、まったく信用出来んぞ!」

五十嵐の言い分ももっともだった。ただ、今回の内容を教えれば、その意味はわかってくれるだろう。

「まあ俺を信頼してください。大袈裟なことは言わないたちですから」

「それについては重々わかってる。じゃあ取り急ぎ伝えたからな!」

五十嵐はそう言うなり電話を切った。せっかちな五十嵐らしいと思ったが、この先の道程を思うと、武者震いなのか怯えなのか、軽く身震いがしたような気がして、竹下はネクタイを締め直し、道警メンバーの後を小走りに追った。


※※※※※※※


 倉野と柴田は夜の便で北海道に戻ることになっていたので、倉野は、ホテルの自分の部屋で西田と竹下、吉村を前にして、色々申し送りをしていた。


「俺は多分もうこっちに戻って来ることは、おそらくないと思うが、君らはまだ本橋に聴取することもあるし、確認することもあるから、しばらくは残ってもらうからな。既にホテル側に更に4泊の延長を頼んでおいた。後、北見方面に入手させた伊坂組の当時の職員関係の写真とか、旅館とか、喫茶店とかを本橋に確認させないといけない。特に職員関係はいつまで入手に掛かるかわからんから、場合によっては出張の延長する必要があるかもしれない。まあ道警本部案件として出張の延長を頼むが、そうなるとは金の問題もあるから、ホテルが変わるかもしれないんで、そのつもりで。そうそう、さっき言ってたように田丸共助課長も居なくなるから、後は大阪の須貝課長になにかあったら頼んでくれ。多分、田丸課長はまたこっちに戻ってくるとは思うけどな」

倉野らしく、細かいことまで行き届いた話だが、そこまで言わなくてもという気持ちも、聞いていた3人に芽生えていた。


「それでだな、明日には喜多川の家のガサ入れがあるだろうが、君らの仕事は少なくとも明日はないんじゃないかと思う。旅館や喫茶店の写真も明日には届かないだろう(作者注・この当時、指紋や前歴以外の捜査情報をオンラインで共有するシステムはどうもなかったようです。平成16年前後に出来た模様)し。とにかく伊坂組関連の中年男性の写真は、『静かに』集めるとなると結構掛かりそうだから。さっきも言ったが下手すると結構大阪で逗留する羽目になるかもしれんぞ」

西田はその言葉を聞いて、東京出張はともかく、こちらに来たことは札幌の家族に未だ伝えていなかったことを思い出し、後で電話しなくてはと思った。その横で、

「明日は体育の日(当時は10月10日固定)で、更にほぼ確実に暇なんですね、そうなると」

と、吉村の目が輝いたのを西田は見逃さなかった。

「遊んでる暇なんてないんだぞ! しょうがない奴だな」

そう部下を叱責している最中に西田は、重要な用事を済ませることを思い付いた。

「あ、そうだ! 折角大阪まで来てるんだから、倉敷の米田の遺族に、最終的な捜査状況の説明でもしに行ってみるか……」


 北海道と岡山では、距離がありすぎて、直接捜査について遺族に説明する機会がこれまでなかった。そして事実上、おそらく篠田が米田青年の殺害を行ったのだが、篠田本人が既に死亡している以上は起訴は不可能だったことを、まだ伝えていなかった。凶器の種類が特定はされたが、使用凶器そのものは処分された可能性が高く、また、米田が行方不明になった日に現場に行ったかもはっきりとは証明できないため、検察に被疑者死亡として受理されないか以前の問題として、書類送検すら難しいと言う現実があった。


「ああ、そうだな……。確かにいい機会かもしれない。沢井課長に許可取って行ってきたらどうだ?」

倉野も西田のアイデアを受け入れた。

「わかりました。明日行ってきます。遠軽に実家の住所と電話番号の確認と、許可取るため、また後で電話してみますよ」

西田の発言に、

「まあ倉敷も良い街だと聞いてますし、それでもいいですけどね」

と吉村はニヤニヤしていた。

「まだ観光気分なのか!」

さすがに上司である以上は、さっきより少し本気モードで怒りを表したが、まあ実際時間が余れば、倉敷市内でも見て回るかとも内心では思っていた。


「そういえば、記者会見の際には、本橋を逮捕しておく形が必要ですが、逮捕状はどうすんですか?」

西田に叱責された吉村が、その場をやりすごす為か、そう倉野に問う。

「本来なら再逮捕してから発表するのが順序だが、今回既に拘置所に収監された上に確定死刑囚だから、ちょっと違う展開を想定しているようだ、遠山部長は。本人が自発的に自供したケースだし、基本的な裏もほぼ取れてる。既に収監されている事情もあるし、護送する時まで逮捕状は請求しないというのも、イレギュラーではあるが1つの手だろう」

倉野はそう言うと、吉村の真意を把握していたかのように、肩をポンと叩いて、

「しっかりやってくれ」

とにこやかに笑ったが、目つきは厳しいものだった。


 結局、共助課長の田丸も倉野達と一緒の便で戻ることになり、3人をロビーで見送った西田達は、報告のために遠軽の沢井課長に電話した。本橋の犯行が確定したことを告げても、想定内のこともあり、むしろ大阪拘置所から北海道へと移送後、本橋の処遇がどうなるかについて関心が向いているようだった。


 通常であれば事件管轄の遠軽署において、代用監獄と批判される留置場で拘束した上での取り調べとなるのだが、さすがにこれだけ世間を騒がせた確定死刑囚となると、近隣の拘置所に入れるのが妥当なはずだ。しかし結局どうなるか、課長でもわからないようだった。


 と言うのも、北海道には5つの拘置所いや、拘置支所しかなく、場所も、札幌、小樽、室蘭、岩見沢(実所在地は月形町)、そして喜多川の時計の窃盗の件で西田も寄った名寄と、北海道の広大さを考慮すれば、異様に偏在した配置でもあるからだ。


 例えば釧路や帯広に拘置所がないというのも異常だろう。遠軽に物理的に1番近いのが名寄拘置支所だが、近いと言っても車で数時間掛かり、取り調べに支障が出るのは間違いない。そうなると、基本的には所轄の遠軽署内での留置となるはずだが、被疑者が歴史的犯罪者である本橋という特殊性、一連の事件も併せた重大性を考えれば、特例的に担当管轄を拡大解釈して、道警本部直轄の札幌・琴似留置場での取り調べという可能性もあり得た。


 現実問題、遠軽署の留置場に本橋を留置するというのはかなり問題があるように西田にも思えた。札幌・琴似留置の場合には、仮に担当所轄の遠軽の刑事が取り調べる必要性があれば、わざわざ札幌に出張する形となるだろうが、いずれにせよこれだけの犯罪者を相手にするとなると、所轄は完全にサポート側であって、道警・北見方面本部の主導になるだろうことも事実だ。ただ、これらの処遇はもはや一所轄の人間にどうにか出来る問題ではないのも確かだった。今更気にしたところで、自分達は、「まな板の鯉」状態なわけだから、そこは割り切っていくべきだと西田は課長に意見した。課長もその意見に同調してくれたので、話は米田遺族訪問へと自然と切り替わった。


「大阪から倉敷はそう距離もないですから、捜査状況の説明も兼ねて、寄ってみたいんですが?」

「そうだな……。自分も何度か米田のところに電話で報告する機会があったんだが、線香上げるのも兼ねて、直接訪問する方が良いかもしれない。殺人の被害者遺族だからなあ……。うん、わかった! 捜査の隙間で時間があるなら行ってきたらいい。電話番号と住所は今教える。明日は休みだし、家に居るだろ?」

課長はそう言うと、西田に米田の実家の情報を教えた。


「あれ、ガイシャの米田には父親が居なかったんでしたっけ?」

沢井から聞いた情報に、西田は初めて気付いた。

「らしい。母親が遺体というか遺骨を引き取りに来た時に、俺は直接応対したので聞いたが、中学生の頃に亡くなったらしい。まさに母1人子1人の家庭だったようだ。相当憔悴してた。それを聞いて尚更気の毒に思ったもんだ。にしても、それは捜査会議でちゃんと伝達されてたと思うぞ」

「そうかもしれません。かなり捜査のことで頭が一杯で、家族関係のことはあんまり頭に入ってなかったような気がします。本来ならメモしてるんですがね、日記代わりの捜査メモに」

西田は沢井の小言に反省の弁を述べた。

「まあ今となってはどうでも良いことだが……。そのぐらい捜査に集中していた分、結果も出したわけだからな……。とにかく西田からも、俺の分もよろしく伝えておいてくれ」

「わかってます。今から明日会えるかアポ取ってみます」

「わかった。じゃあまた明日にでも結果を教えてくれ」

「了解です」


 西田は課長とのやり取りを終えると、早速米田の母である、美都子に電話を掛けてみた。夕飯の前ぐらいの時間帯だったが、幸い繋がった。休日だがパートに出ているので、午後5時以降なら構わないという返答をもらったこともあり、西田は午後6時頃に訪問させてもらうと約束した。


「良かったな、明日の昼間は倉敷をぶらぶら出来るぞ。会うのは、祝日だが仕事があるみたいで夕方以降だ」

会話を終えると、吉村に「朗報」を伝えた。

「おー! そうですか。祝日ですが仕事ですか。俺らと同じで大変ですね……。じゃあ昼前ぐらいに出れば丁度良さそうですね」

少なくとも明日については、「俺らと同じで大変ですね」の表現が当てはまるかは、西田は疑問ではあったが、

「そうだな。朝飯食った後ゆっくりして、向こうでちょっと遅い昼食摂るぐらいのプランにしようか。ただ、祝日で一般人は休みだから、結構混んでいるかもしれんなあ」

と提案した。なんとなくだが、西田も緊張感のあった聴取がひとまず終わったせいか、多少は「緩めたい」という気分になっていたのだ。サボり屋・吉村の意見を、いつの間にかすんなりと受け入れていたわけだ。

「竹下もそれでいいな?」

西田は竹下に意見を求めたが、

「すみません。申し訳ないですが、自分はこっちに残ってもいいですか? 色々調べたいことがあるもんですから」

と同行を断ってきた。何やら調べておきたいことがあるのだろう。ただ、西田は竹下の言動の意味を理解していたと同時に信頼していたので、

「竹下がやりたいことがあるなら任せる。あとこっちは管轄じゃないんだから、その点も弁えてくれ。まあおまえならわかってるから、いちいち言う必要もないだろうけど」

とだけ言った。

「はい勿論です」

竹下はきっぱりと言い切った。


 そして竹下も吉村も自室に戻り、西田は1人になって、ようやく家族に大阪に出張に来ていることを連絡した。妻の由香は倉敷訪問も含めうらやましがったが、同時にお土産を札幌に送る催促もされたので、わかっていたこととは言え、連絡したのを後悔する西田だった。


※※※※※※※


 翌日、新大阪から新幹線「こだま」に乗って新倉敷駅を目指した。「ひかり」も新倉敷に停まらないわけではなかったが、本数が少ない(1995年当時)ので「こだま」にしたのだった。あいにくの曇り空だったが、雨でなければどうでも良いと西田は思っていた。祝日でかなりの混雑を危惧していたが、「こだま」のせいかそれほど混んではいなかった。吉村は何故か新大阪で駅弁を購入していたが、倉敷に着いてからもしっかり食べると言う、まさに「腹づもり」があるらしい。西田は神保町で買った本を読み、吉村は車内販売でも色々買い込んで食べることに尽力していた。


 この年の1月に発生した阪神大震災により橋脚などが破壊され、山陽新幹線も4月の上旬まで新大阪から姫路までが不通になっていたが、この時にはそれを感じさせない走りだった。ただ、新大阪から新神戸間を通過している際には、やはり神戸周辺の「癒えない傷跡」はあっという間ではあったが、車窓ごしの西田達からですら感じることが出来た。そして1時間半程で「こだま」は新倉敷駅のホームに滑り込んだ。


※※※※※※※


 倉敷市は、旧・倉敷市、旧・玉島市、旧・児島市の3市が昭和42年に合併したことで出来た行政区域であり、新倉敷駅は旧・玉島市、現・玉島地区に所在していた。さすが観光地の最寄り駅ということで、取り敢えず寄ってみた駅構内にある観光案内所は混んでいた。そこで受け取ったパンフレットによれば、玉島地区は白桃の生産地としても有名らしい。


 また、北海道と関西を海運交易により結んでいた、いわゆる「北前船」が日本海から大回りして、関門海峡を通り、瀬戸内海を経て大阪に到達する間に、岡山で唯一停泊する港町がこの玉島地区だったと知り、西田は何となくだが、道民として縁を感じていた。


 米田の実家は倉敷の児島地区だったが、そこは鷲羽わしゅう山と瀬戸大橋ぐらいしか観光的な名所は無いので、後回しにして、倉敷市中心部の倉敷地区へと向かった。倉敷地区は元々、江戸幕府の直轄地である「天領」という地域だったこともあり、江戸時代由縁の古い街並みが残っている地域で、大半が「倉敷美観地区」として整備されているようだった。確かに、古いというだけでなく、かなり手入れされた街並みのように感じられた。


 そういう場所を散策しながら、昨日までの連続殺人犯への聴取という殺伐としたものとは無縁の心境のまま、時間をやり過ごしていた。ただ、出来れば平日の空いている時に来たかったと西田は感じていた。そもそもが気の重くなる「仕事」の一環で来たのだから、それ以前の問題だったのだが……。


 一方の吉村は、それよりも昼食をどうするかに頭が行っているようで、まだ何も食べてない西田よりも熱心に飲食店を見回していた。結局、特に「これは食べておけ」というようなものも見つからず、「倉敷うどん」なるものを食べて誤魔化すことになった。むしろその後のデザートとして頼んだ、倉敷名産のフルーツが入ったパフェに満足した2人だった。その後は、お土産屋で2人の実家と遠軽署へ、桃とマスカットのお土産を購入し、送付の手続きを取った。


 夕方になったので、いよいよタクシーで児島地区へ移動し、鷲羽山へと登った。天候が晴れになってきたこともあり、午後5時過ぎの夕暮れの中に映える瀬戸大橋はなかなか壮観だった。大して期待していなかったが、むしろこれが倉敷観光のピークだったように思えた。


 その後、そのまま待たせていたタクシーで米田の家へと向かった。到着したのが午後5時50分ぐらいだったが、10分ならと西田は躊躇せず、こじんまりとした平屋のチャイムを押した。


※※※※※※※


 一方、大阪に残った竹下は、西田達をホテルのロビーで見送ると、東西新聞記者の椎野による本橋への短文の手紙のコピーを読み返していた。本橋の突然の一連の事件に対する自供は、そのタイミングが余りにもタイムリーだった。おそらくそのきっかけとして、何か外部から「合図」があったと睨んでいた竹下にとって、この椎野の手紙がおそらく、その合図になったのではないか、そう考えるのは当然だった。(作者注・この手紙については、画面の大きいパソコンもしくは大型タブレットから以外は読んでも無意味になりますのでご注意ください)


※※※※※※※


本橋さん


 先日の今回の判決は、あなただけでなく、私もとても落胆するものでした。

これから時が経てば、受け入れられる……、いや受け入れられるはずもなく。

正直言って、自分があなたともう会えないという事実に愕然としています。

それでも、まだ白旗を上げずに特別抗告という手段も残されてはいます。

ただ弁護士の方々の判断では、それでは覆る可能性がないとのことでした。

確かにあなたのやったことが本当なら、法的にも社会的にも許されません。

しかし、私があなたと居たこの1ヶ月の間に、あなたが凶悪犯であると

自分に感じさせるものは未だにありませんでした。これまでであれば

容疑者の時点で、完全にみんなと同じように憎しみしか持ちませんでした。

ただ今回だけは違った。その具体的な理由を言葉で説明できないもどかしさ。

そしてそれが何なのか、もう突き止めることすら出来そうにありません。

前回の接見が、あなたの顔の見納めとなってしまったのは残念ですが

あの時の笑顔だけが私の救いとなっています。とにかく自暴自棄にだけは

最後まで、絶対にならないようにしてください。それでは、取り敢えず

今回はここまででやめますが、手紙を送れる機会があればまた書かせて

いただきます。



                          椎野 聡



※※※※※※※


 文面はシンプルで、何か明確に怪しいというわけではないが、死刑が確定した取材相手に送る割に、酷く短いのも確かだ。この時点で、本橋は「公的」には無実を主張していたわけだから、仮に真実を知っていたにせよ、検閲がある以上は椎野の文面もそれを前提に書かれていたのは当然だ。常識に考えれば、本人である本橋は勿論、手紙を書いた椎野もおそらく本橋の犯行は知っていたはずで、結果を知っている者が後から見る分には、ある意味反吐が出るような中身だと言えた。


 それにしても、この文章に何か隠されているのだろうとは思ったが、暗号のようなもので書かれているだろうから、ぱっと見では判断出来なかった。竹下は昼食をホテルの自室でコンビニ弁当で済ませてから、3時間近く集中して考えていたが、何も思い浮かばず、思わずベッドに仰向けに身を投げだした。


「何かあるはずなんだが……」

そう呟くと、集中して思考していたせいか、ふと急激に眠たくなり、仕事している上司と部下に悪いとは思ったが、そのまま眠りに落ちた。


※※※※※※※


 午後5時過ぎ、竹下は携帯の呼び出し音で目を覚ました。

「あら、2時間寝ちまったか……」

そう言いながら電話に出ると、北見方面本部の倉野課長からだった。

「竹下か? 西田の携帯にさっきから掛けてるんだが、全然繋がらなくてな。どうも圏外らしい。確か一緒に倉敷に行ってるんだろ? なんで竹下のは繋がるんだ?」

と不思議そうに言った。

「そうですか……。自分は付いて行かずに大阪に残ってるんです。だから係長についての細かい状況はわかりませんが、こっちには繋がって当然ですよ」

「そうかそれならいいんだが……。じゃあ仕方ないから取り敢えず竹下に連絡しておくぞ。今日、予定通り北見方面(本部)が喜多川の家に全面的にガサ入れした。俺もまだ札幌に居るから状況は自分の目で見たわけじゃないがな……。それで、北網銀行の北見相ノ内支店の貸し金庫のキーが見つかって、すぐに銀行側に確認したところ、間違いなく名義は喜多川のものだったので、そのまま銀行に中身をチェックさせてくれと頼んだ。しかし北網銀行は頭が堅くて、やはり令状が必要だと突っぱねられてな……。今日中は令状下りないから、明日って話だ。どっちにしても銀行は今日は休みだから、あっちも色々面倒ってのもあったかもしれんな」

倉野は裏読みしたようだが、銀行側としては当然契約でやっている以上、相手が警察とは言え、フリーパスという訳にはいかないはずだ。竹下は銀行側の対応は適切だと考えた上で、話を進める。


「貸し金庫ですか……。家族は知ってたんですか?」

「いや、その存在は知らなかったらしい。葬儀出して色々気が抜けて、遺品処理どころじゃなかったようだ」

「そうですか。こういう言い方をしてはなんですが、葬儀から余り日が経たないうちにガサ入れしといて良かったかもしれませんね。遺品処理なんかでそんなもんが見つかったら、何かと思ってすぐに銀行行くでしょ?」

「まあな。中に何が入っているかわからないが、こっちが先に抑えられたのは良かった。念のため、こっちはウチの人間より、ずっと関わっているから事件に詳しいだろう、おまえんところの小村にも応援頼んだよ。遠軽に応援にやった北村と満島も当然こっちに一度戻すことにして、沢井課長にも受け入れてもらったよ。やっぱり事件のこれまでの経緯に詳しいのが居ないとな……」

倉野も同意しつつ、捜査方針の若干の変更を告げた。


「それから、旅館の件だが、駅前にあるのと言えるのは3軒。『駅前』って感覚は個人の問題もあるが、それほど誤差はなかろう? で、そこで本橋の宿泊について確認取ってみたが、『言われてみれば』程度の反応だったようだ。そりゃ8年前となると、さすがに仕方ない部分はある。宿帳は偽名だから意味が無いが、どっちにしろ既に処分(作者注・旅館業法では特に宿帳の保存期間の指定はないようです。大体5年前後のところが多いようですが、中には顧客管理の意味も含め、数十年分のものを保存しているところもあるようです。今は大体すぐにPCにデジタルデータとして保存しているようですね)してしまったそうだ」

残念そうではあったが、そこは割り切っているはずだ。

「例の伊坂に会わせた男の件はどうですか?」

竹下は話題を変えた。ある意味こちらの方が重要な案件だ。

「伊坂組にはなるべく知られないようにやってるんで、元社員とかそこら辺から色々抜いてる。あそこには、北見署内の交番はこ勤務の警官の嫁が居たんだが、ガサ入れなんかもあって、後から色々上から言われて、結局のところ8月一杯で居づらくなって辞めちまったってのが痛い。向こうさんも、まあなかなか周到だよ。ただ、どうだろうなあ。そうなって来ると、早晩正面切ってやらざるを得なくなるかもしれん。そろそろ限界でもある……」

嫁が辞めたというのは、以前、吉見の失くなったカメラの件で情報を入れてくれた人の話だろうと、竹下は思い返していた。


「そういうわけでそっちは思ったより掛かるかもしれない。まあ現状そういうわけだ。それでだが、悪いけど俺はちょっとこの後、本社の『上(上役)』と出かけるから、西田には竹下から伝えておいてくれんかな?」

倉野は申し訳無さそうに竹下に言った。おそらくは飲みだろうと思ったが、倉野の人の良さが出ていた頼みだったのですぐに引き受けた。ただ、最後に

「ところで、竹下は西田達と同行しなかったようだが……。まあ平松さんじゃないが、行動は慎重にな」

と念を押してきた。竹下の性格をおもんばかって、「暴走」を心配したのかもしれない。もうちょっと信用して欲しいという気持ちはあったが、それに対しても、

「勿論です。今日もずっとホテルに居て考え巡らせてました」

と安心させようとした。


「そうか。まあおまえの頭には西田も期待してるようだし、よろしく頼む。それじゃ切るわ。後はよろしく」

倉野はそう言うと電話を切ろうとした。

「ちょっ、ちょっと待って下さい。幹部同士の会議はどうなりました?」

竹下は慌てて倉野に尋ねた。

「本橋の件か? それなら想定通り明日の朝からだ。既に本部長と刑事部長は大阪そっちに向かってるか着いてるかだと思うぞ。詳しく知りたかったら、明日そっちに戻る田丸課長にでも聞いてみろ。それじゃ、急いでるから切るぞ!」

倉野は一方的にそう言うと、会話は途切れた。


 竹下は携帯を仕舞うと再びベッドに仰向けになったが、喜多川の貸し金庫から、考えた通り、佐田の手紙に関係するものが出てくるのかどうかが気になっていた。西田にはホテルに戻ってきてから直接連絡した方がいいと思い、伝言を伝えるのは後回しにすることにした。どちらにせよ、直前まで携帯が繋がらなかったと言うのだから、今掛けたところで、繋がるかどうかわからなかったということもあった。


※※※※※※※


 その頃、児島の米田宅では、中から出てきたガイシャ・マルガイの母である、「米田 美都子」がドアを開けて、初めて2人と対面していた。思ったより若く、おそらく40代前半に見えた。かなり盛って言えば、賀来千香子に似ていると言えなくもない、一般人としてはなかなかの美人の類だった。米田の殺害当時の年齢を考えれば、少なくとも40代後半ではあるはずだが……。そのまま家の中に通されると、キッチンにある食卓の上に、ちらし寿司の大きな桶があった。観光案内所のパンフレットに記載されていた、岡山名物の「祭り寿司」なるものだろうと西田は思った。昼はただのうどんにしておいて良かったと心から思えた。


「夕飯はまだ食べてらっしゃらないでしょー? 新鮮な魚介を食びょーる(食べているの岡山弁)北海道から来た方に、こんなもんでは満足してもらえんでしょうがー」

申し訳無さそうな顔で美都子がこちらを窺う。

「いえいえ、そんなことはないですよ。お気遣いありがとうございます。」

西田はそう言いながら、北村と何度か訪問した、訓子府の奥田満の家で寿司を出されたことをふと思い返していた。


「あの、まずは息子さんのご霊前に……」

西田はそう切り出すと、美都子は仏壇の前に案内した。49日は過ぎていたが、まだ骨壷があったので納骨はしていないのだろう。位牌が2つあり、おそらくもう1つは亡くなった夫のものだろうと西田は思った。吉村が胸ポケットから「御仏前」と書かれた香典を手渡す。美都子は深々と頭を下げ、それを受け取った。

「まだ納骨する気になれなくて……」

美都子はそう説明したが、いちいち説明せずとも、2人にもその気持は痛い程わかっていた。宗派により色々作法が異なることはわかってはいたが、特に事前に確認するわけにもいかなかったので、仏壇を見た。浄土系らしく阿弥陀如来が本尊だったので、美都子に念のため確認すると、作法は気にせず線香だけあげてくれれば十分だと言われたので、吉村と共によくあるように線香を上げた。


 そして食卓で、西田はこれまでの捜査経過を美都子に説明した。殺害が偶発的だった可能性が高いこと。殺害したと思われる篠田が死んでいるため、最終的には起訴出来ないだろうという旨を告げた。その上で、凶器の種類は特定されたものの、凶器が既に廃棄されたと思わていること。そして、現場へ行ったことは証明出来ても、殺害を証明し切れないこと。その両方を勘案すると、警察側で書類送検という形を採った上での、検察側による不起訴という形すら無理ではないか? と率直且つ詳細に明かした。美都子は西田が想像していたよりは落胆はしていなかったようだった。無念の思いはあるだろうが、行方不明のままでなかったことに、まだ救いを感じているようだった。


 その後は寿司を3人で食べながら、亡くなった夫のことや息子の思い出話などを訥々とつとつと話す美都子に西田達は黙って付き合った。刑事であっても、もはやそれぐらいしか1人残された人間に対して出来ることは、残念ながら現状なかったのである。


 また、美都子はジーンズで有名な児島地区らしく、地元のジーンズ縫製工場に勤務しているらしい。2人もよく知るメーカーの工場だった。仕事をしていると、2人に先立たれたことも忘れられ、精神的にも助かっているとのことだった。それについては、さすがの脳天気型人間である吉村も何か言うべき言葉を失っていたように見えた。


 結局午後8時まで米田宅に居たので、土産屋は新倉敷駅に着く頃には全て閉まっており、先に購入しておいた選択は正しかった。さすがに翌日は平日のせいか、この時間帯となると、観光客らしき人間はほとんど見当たらず、「こだま」もかなり空いていた。


 ただ、美都子のこれから先のことを考え、家族を若くして失ってしまった辛さを思いやると、西田も吉村も気が重いとまではいかなかったが、やはり気だるい気分になっていた。会話も盛り上がることもなく、阪神工業地帯の明かりや神戸の、おそらく震災前よりは若干暗くなっていたであろう街明かりを車窓に眺めながら、「こだま」は新大阪駅に滑りこんでいた。

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