第27話 式部さんとの七夕イベントは期間限定。一期一会ですか? 前編

 式部さんが私の部屋を訪れてくれたのは、もう日が翳り、空に一番星が見え始めるのではという時分だった。

「お誘いの和歌をありがとう。遅くなってしまって申し訳ない」

と言いながら、御簾をめくり入って来る式部さんの衣服は、昨日と同じもので、さらに皺が寄ってかなりくたびれた感じになっている。

 私に詫びつつ、袖口で口元を隠しながら、式部さんは大きな欠伸をした。

「失礼。昨日、あれから物語を仕上げるのに結構時間がかかってしまって……」

「大丈夫ですか? お誘い迷惑でしたか?」

「いや、香子殿には昨日のお礼を申し上げたい。だから、呼ばれなくてもこちらから伺う予定だった。実は、いろいろと教えてもらったおかげで、あのまま筆がのって、明け方まで書き続けてしまったのだ。できあがった作品は父上に頼んで今夜の宴の折、左大臣様に届けていただくことにした」

と、言いながらも再び欠伸をする。

「あの……、もしかしてほとんど寝ていらっしゃらないのでは?」

「いや、眠りはした。ただ、机に伏してそのまま眠ってしまっただけだから、気にしないでおくれ」

 よく見ると、袖口にはところどころ墨がついている。髷も結ったままだったのだろう、襟足からほつれ毛がこぼれていた。

 現代だったら、パソコンの前で寝落ちしちゃった、というところだろうか。

 確かに、私もよくやる。そして、オタク仲間も。

 オンラインゲームで遊んでいる間に、パーティーを組んでいる仲間が寝落ちしてしまうことも時にある。それが、回復職だったりすると、非常に困るのだけれど。

 そんなオタクの日常の一コマである寝落ちすら、平安時代ともなるとこのように優雅な姿になるのか、と思わず感心しつつ見つめてしまった。それとも、これは式部さんだからだろうか。

 着崩れて皺だらけになった装束も、緩んだ襟元も、だらしないというよりはかえって艶めかしさを感じさせる。

「というわけで、遅くなって申し訳なかった。なんとか、牽牛と織女の出逢いには間に合ったであろうか」

「もちろん、大丈夫です。そんなお疲れのときに私こそ無理を言ってごめんなさい。私がいた時代、未来の七夕の飾りつけを見てもらいたかったんです」

 そう言って私は、部屋の隅、簀子縁寄りの御簾の近くに設えてもらった笹の七夕飾りを指さした。

「これはこれは……いまの時代とは随分と違う楽しみ方をしているようだけれど、まだ七夕自体を楽しむ風習は残っているのだね。それにしても、この飾りは見事な……」

 式部さんは、笹の七夕飾りに気付くと近付いて、私が紙で折った鶴を手に取ってしげしげと眺めている。

「折り紙と言って、一枚の正方形の紙を折っていくことで、鶴の形ができあがるんです」

「なんと素晴らしい。これは、香子殿の特技なのか?」

「いえ、私がいた時代の日本人なら、誰でもできるはずです。それこそ、子どもの頃に習いますから。私ができるようになったのは、四、五歳ぐらいだったと思います」

「先だって、民のほとんどが文字の読み書きができたり、唐土もろこしの国の歴史に明るかったりするという話を聞いたときにも驚いたものだが、このようなものをほんの幼子がだれでもできるようになるとうのか?」

 式部さんは、鶴を上から下から、様々な方向から眺めつつ、感嘆の声を漏らす。

「未来のこの国の民というのは、優秀なのだな」

 たとえば、平成の世に千年後から未来人がやってきて、見たこともない道具や機械を見せられとしたたら、私もきっとこんな反応をするのだろうか。

「でも、未来はいいことばかりではないかもしれません。この時代に来たときすぐに気付いたことですけれど、未来では見えないたくさんの星がこの時代では見えるのですね」

 私は、視線を暮れ始めた空へと向けた。まだ、半分に欠けた月が空高く上っているので、星がはっきりと見えるとは言いがたい。それでも、既に天の川とおぼしき星の群れが見え始めている。こんなことは、未来ではあり得ないことだ。

「まだ、月明かりの方がまばゆいが、これでも星が見えると?」

「はい。私がいた未来では、地上の灯りの方が強すぎて、夜中になっても都会……こういう都では星がほとんど見えないのです」

「地上の灯りが空の月や星よりも明るいというのが、聞いていてもまったく想像できないのたが……」

「そうですよね。私のいた未来では、夜でも部屋を昼間と同じぐらいの明るさに保つことが簡単にできるんです。そんな灯りを点けた家々が密集している場所では、地上が明るすぎて星はほとんど見えません」

 そう、この時代に来て驚いたのは、夜の暗さだ。

 しかし、これが正常な世界なのだろう。

 夜でも明々と輝くコンビニエンスストアの看板、自動販売機の灯り。

 最近では、一般家庭でも行う家が増えてきたクリスマス前のライトアップ。

 私たちのいた世界の方が、狂っていたのかもしれないと思う。

「星が見えなくても、それでも七夕自体は楽しむのか」

「はい、七夕の……彦星と織り姫の物語自体は、やはり子どもの頃に教わりました。未来でも、七夕祭りが有名な都市……えと、町はいくつかあります」

「たとえば?」

「一番有名と言えば、仙台ですかね」

「せ…せんだい? それは、初めて聞くが、どこにあるのだ?」

 あれ、この時代って、まだ仙台ってなかったんだっけ?

 私の脳内の歴史記憶を引っ張り出す。と言っても、毎度のごとく、それはゲームとマンガ、アニメから得たものでしかない。

 仙台藩と言えば、伊達政宗。……って、確か初代藩主じゃなかったか?

 政宗自体、ゲームでも戦国時代の後期にしか出てこないっていうことは、仙台藩自体、戦国時代も後の方になってできたということになるのか。だとしたら、平安時代には当然……仙台はまだない?

「東北……ええと、この日本の東北の方角に、未来にできる町です」

「東北の方角……と言うと、蝦夷えみしの住む陸奥みちのくか。そんなところにまで、大きな都ができるのか?」

「都……ではないですけれど……、でも、たぶん……この時代の京の都よりは人が住んでいるような……」

 式部さんは、想像ができないというように首をひねっている。

 そういえば、『伊勢物語』の業平は「東下り」をしたと言われているぐらいなのだから、この時代の関東以北は何もないド田舎なのではないか。

 そして、国時さんに初めて会ったときに聞いた、鬼の話を私は思い出す。

 朝廷にまつろわぬ者たちを鬼として滅ぼしてきた、と。その中に、いま式部さんの言った「蝦夷」という言葉もあった。

「いまの時代、都から東北の方角というと、この都に従わない鬼たちが住んでいるところなのですか?」

と、私は尋ねた。

「確かにそうだな。しかし、まつろわぬ鬼と言っても、それは勝者の言い分。彼らとて、もちろん人だ。京の都での七夕の儀式は未来でも有名なものか?」

 逆に式部さんから問い返される。

 京都の七夕祭り……あるのかもしれないけれど、私自身はまったく聞いたことがなかった。

 あと、有名な七夕祭りと言えば、平塚ぐらいしか思い出せない。

「いえ……行われているのかもしれませんが、私は知りません。東や北の方が多いような気がします」

「なるほど。七夕の伝統を千年後の世まで伝えてくれたのは、朝廷がいまも鬼と蔑み侮る蝦夷たちなのか。都人たちに教えてやりたい話であるな。まあおそらく、信じぬであろうが」

 蔑まれている蝦夷を哀れんでいるのか、あるいは勝者だと奢るいまの朝廷を哀れんでいるのか。

 悲しそうな笑みを浮かべる式部さんに、私は尋ねる。

「この時代の七夕ってどういうお祭りなんですか? 笹にこういった紙細工を飾ったりはしないんですか?」

「笹は使わぬな。もともと中国から伝来した乞功奠きっこうでんという儀式が朝廷で毎年行われている。また、最近では貴族の邸でも、それぞれに楽しんでいるようだ」

「きっこう……でん……? 具体的には、どのような儀式なんですか?」

「そうだな、簡単に説明すると、果物や野菜、酒や神泉苑の蓮の花を供える。宴の間は、管弦や漢詩、和歌を楽しむが、大事なのは牽牛と織女の二星の出逢いを見ること。そして、縒り合わせた五色の糸を金銀の針、七本に通してひさぎの葉に刺した供物も重要だ。棚機津女たなばたつめとは、神のための神聖な御衣おんぞを織る女性だからね。だから女性たちは、みなこの日に裁縫の上達を祈る。そういえば、香子殿が作った飾りには、糸が使われていないね。裁縫の上達を願うことは、伝わらなかったのかな」

「いや、私はレイヤーではないので、裁縫はあまり……」

「れい……や……あ?」

「ハッ……! いえ、あの……」

“裁縫の上達を祈りそうな趣味を持つ人”として、私の頭に真っ先に浮かんだのはコスプレイヤーだったので、かなりいかれた受け答えをしてしまったが、ソーイングやパッチワークなどの手芸を趣味としている女性の方が一般的に違いない。

 現代では、裁縫とはそれを仕事にでもしていない限り、一部の女性の趣味でしかないのではないだろうか。

「あの、未来では、女性の誰もが裁縫をするわけではないんです」

「では、誰が着物を縫うのだ?」

「う~ん、それを仕事にしている人、ですね。それに、女性とは限りませんし……」

 デザイナーを含め、アパレル業界には男性も多い。和装の方になると、職人は男性、というイメージがぐっと強くなる。詳しくは知らないので、あくまでも私のイメージでしかないが。

「ふうむ、香子殿に聞く千年後の世は、本当に男も女も、貴族も賎民も、まったく区別がない世なのだな。仏の教えではいまが末法の世だと言うが、香子殿に聞く千年後の世は弥勒菩薩が衆生を救うために現れた、極楽のような世に思えてくる。だから……、満ち足りているから香子殿は、己の願い事を書かぬのか?」

 式部さんは、私の書いた短冊に気が付いたようで、折り鶴以上に、ひとつひとつじっくりと眺めている。

「我々のことを思ってくれる香子殿のその優しさはとても有り難い。物語のことも含め、本当に感謝している」

「いえ、助けてもらったのは私の方ですから……」

 面と向かって礼を言われると、照れてしまう。

 本当に、短冊に書いた願い事も私の本心からだし、この家の人たちの優しさに感謝しているのは私の方だ。

 物語のことと言っても、私にとっては一方的に萌えを吐き出しているだけにすぎず、こちらの方こそ感謝したいぐらいである。

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