第9話 陰陽師は私の苦手なプレイボーイ・キャラですが、通常エンドに至る攻略法を知っているようです

 私たち三人は、惟規のぶのりさんの部屋に移動して、プレイボーイ・キャラ全開の安倍のなにがしさんに具体的な相談に乗ってもらうことにした。式部兄君は、世間的には女性だと思われているためか、同席はしないらしい。

 惟規のぶのりさんの部屋の片隅には、式部さんの部屋同様、うずたかく巻物が積み上げられて、一部は机の上に広げられたままになっている。

「散らかっていてすみません」

と言いながら片付ける書物にちらりと目をやると、そこに私にとって馴染みのある名前がいくつか見えたため、思わず声に出して読んでしまった。

「わ~、董卓とうたく! 袁紹えんしょう! りょ、呂布りょふだ~!!」

 すると、惟規のぶのりさんは驚いたのか片付ける手を止め、目を丸くして私の顔を覗き込んだ。

「兄上から話を聞いてはいましたが、女性なのに本当に漢籍が読めるのですね。昨日は『史記』を読んだという話でしたが、『後漢書』も読めるのですか」

 あ、『後漢書』だったのか。『三国志』だと思っていたとは今更言えず。感心したように問う惟規のぶのりさんに、

「『史記』は高校で習ったんですけど。でも私が特別なわけではなく、董卓や呂布だったら私ぐらいの年の子ならみんな知っていると思います」

とお茶を濁す。

 もちろん、ほとんどの人間が“ゲーム”で知っているだけだと思うが。『三国志』なら、いまやスマホのアプリも山ほど、まさに群雄割拠している状態だから、ライトゲーマーでも董卓や呂布ぐらいなら知っているたろう。男性の場合、女体化した状態で覚えている人もいるかもしれないが。

「皆が『後漢書』を知っているとは、すごい世の中ですね。コウコウというのは、どういった機関なのですか?」

「大学に入る前に勉強するところです。大学の入学試験を受ける資格を得られるところと言いますか」

「ということは、いまの制度でいうところの擬文章生ぎもんじょうのしょうということなのでしょうね。私もそうでしたが、擬文章生の間に『史記』と『漢書』、そして『後漢書』を教科書として学び、試験を受けてようやく大学寮の正式な文章生となれるのです。もちろん、女性は一人もおりませんが。私は兄ほど漢籍を読むのを得意としてはいないので、試験にはとても苦労したものです。いまからでも、香子さんに代わっていただきたいぐらいですよ」

と、惟規のぶのりさんは微笑む。

「他の職業は選べないのですか?」

と尋ねると

「私の祖父から父の年代頃からでしょうか。この家は紀伝道、つまり漢籍を得意とする家、この家は和歌の家、この家は陰陽師の家、といったように、家ごとの役割がある程度決まってしまったのです」

という答えが返ってきた。世襲制ということだろうか。

 それまで、黙って私たちのやりとりを聞いていた安倍天文生さんも、口を開く。

「本当、迷惑ですよね。うちも祖父の代から、陰陽道の中でも天文の家と決まってしまいました。私は、実は武士に憧れていたんですよ。北面ほくめんの武士。かっこいいじゃないですか。そして、命をかけて美しい姫君方を守る。もちろん、あなたのような美しい姫君をね」

 おそらくわざとであろう、最後の一言は私に近づいて耳元に囁きかける。惟規さんの机の側で中腰になって巻物に見入っていた私はふいをつかれて、その場にへたり込んだ。

「未来の姫君は無防備なのですね。ふつうはここまで我々男性を近づけたりしないものですよ」

と、おかしそうに笑う。

 からかわれた、と思うと顔から火が出るほど恥ずかしい。ただでさえ、私はオタクだから三次元の男性慣れしていない。だから、そういったジョークはやめてほしいと心の底から願う。だいたい、ゲームの中ですら、プレイボーイ・タイプのキャラに対しては選択肢をミスることが多いので、一周目での攻略はなるべく避けているのだ。

「香子さま、やはり几帳を立てましょうか。あなたのいた世界では、女性が男性の前で顔を隠さないと兄から聞いたのでそのままにしていたのですが、やはり距離が近すぎたようですね」

と、惟規さんが心配そうに私を覗き込む。

 そうそう、こういう「あなたのために頑張って戦うよ、僕!」的なキャラをまず攻略するのが、私の常の楽しみ方なのだ。ああ、私のオアシスよ。

「ありがとうございます、惟規さん。大丈夫です。安倍の天文生さんの言葉にちょっと驚いてしまって」

国時くにときと呼んでくださってかまいませんよ。先ほどから、文章生殿とも名前で呼び合っていらっしゃるようだ。未来の世界では、名前で呼び合うのですね。しかし、男性が女性に対して私のような台詞を囁くことはないのですか?」

「ない……と思います。少なくとも物語の中でしか、私は見たことがないです。あまりに消極的な男性が多いので、草食系男子という言葉があるぐらいで」

「ソウショク系? 魏の詩人の?」

 国時さんには話が通じたようだが、惟規さんがピントのずれまくった合いの手を入れる。

 魏の詩人と言われて、ああ、曹植かと思い出す。

「違います! 違います! 曹操の息子の曹植ではなくて、草しか食べないようなおとなしい男子という意味で、草食系と形容するんです。でもたぶん、曹植より曹丕の方が人気あると思いますけど!」

「なるほど。おもしろいですね。漢詩が上手いよりもやはり帝になった方が人気……ということでしょうか?」

と、惟規さんは、こちらがほっとするような優しげな笑みを浮かべる。おもしろいのはあなたの方です、と言いたかったけれど、その言葉を呑み込みながら、

「帝かどうかというより……戦場で女性を攫って妃にするような曹丕みたいな男性なんて、それこそフィクション……物語の中にしかいませんから。そういう現実にはいない肉食系なぐらいの男性に憧れるんでしょうね」

と答える。

「香子さん、この時代では、文章生殿のような奥手の草食系男子とやらの方が珍しいので、気をつけてくださいね。私の方が標準的だと思いますよ。やはり、学者様というのはお堅いようだ」

と、扇を開いて妖艶に微笑む国時さんに目をやりつつ、陰陽師もお堅いと思っていたのにと喉まで出かかったが、この後、相談に乗ってもらうとうことを思い出し、口に出すのはやめておいた。


 惟規さんの勧めもあり、また国時さんがどんな悪戯を仕掛けてくるか私も心配になったので、念のため几帳を挟んで私たち三人は座ることにした。男性陣二人と私とが対面して座り、その間に衝立として几帳が置かれているという状況だ。

「文章生殿から簡単に状況は伺いましたが、どうやら千年ほど未来の世界からこの世界にやって来てしまったようだということでよろしいですね、姫君」

「はい、あの、先ほど呼んでくださったように、香子でかまいません」

 どうにも、国時さんから甘い声で「姫君」と呼ばれると、身体のあちこちがムズムズとしてしまう。

「わかりました、香子さん。ただ、最初に申し上げておきたいのですが、私は父や祖父のように鬼が見えるわけではないのです。陰陽師としてはたいした力を持たない私ですが、私のできる範囲であなたの力になりたいと思っています。それでも、よろしいでしょうか、美しい君」

 おいおい、“姫”を取って“美しい”という形容詞を入れたら余計ムズムズするじゃないか! とツッコミたくなったが、それよりもその前の部分の方がいまは大事だ。言葉尻を捉えていてはいつまでも話が先に進まないので、重要なポイントに対して私は質問をすることにした。

「いま、“私は鬼が見えない”と言いましたよね? ということは、やはり国時さんのお祖父様は、鬼を見たり、式神を使ったりという特殊な力がある、ということでしょうか?」

「そうです。とはいえ、まず“鬼”に対しての認識が我々の間で異なっていないかどうか確かめさせてください。何しろ千年の時が経つ間に随分と我々の習慣が変わってしまったようですから」

「“鬼”に対しての認識……?」

 どういう意味だろうか、と私は軽く首をかしげた。

「香子さんの世界で、“鬼”とはどんなものですか?」

 私は昔話で読んだことのある、様々な鬼たちを思い出す。桃太郎や一寸法師に出てくる、退治される対象である鬼たち。

「そうですね、たいていは赤い肌か青い肌をしていて、身体がとても大きくて角が生えている。虎柄のパンツ、あ、下着をつけて、金棒を持っています。そして、人間に悪さをする存在ですが、たまにいい鬼もいます」

 私の話を聞きながら、二人は頭の中で想像を巡らしていたらしい。ふいに、国時さんがプッと吹き出した。

「千年の間にものすごい化け物に成長したようですね。“ぬえ”よりも恐ろしそうだ。では、文章生殿、漢籍の中の“鬼”とは何でしょうか?」

 国時さんは、今度は惟規さんに質問を向ける。

「漢籍の中で鬼と言ったら、やはり身体から抜け出た魂ということでしょう。霊魂のことですね」

「その通り。私の父や祖父は、それらを見ることができます」

 そうだったんだ! と私は驚きと共に納得した。

 昔話に出てくるような“鬼”を見る能力を持っていると言われると、やはり超人に感じてしまう。ゲームやマンガの中の晴明なら、桃太郎のようにそんな鬼も退治できそうだ。しかし、現実にいま私の目の前にいる国時さんは、チャラいということを抜かせばごく普通の人に見える。鬼退治するお祖父さんがいるようには思えないが、幽霊を見ることができるお祖父さんとお父さんがいるという話であれば、一気に現実味を帯びてくるではないか。

 それならば、21世紀の日本にもたくさんいた。それこそ、浄霊を生業としている霊能者や死者の言葉を伝えるイタコまで、かなりの数がいるのではないか。それと似たようなことをしているのが陰陽師だというのなら、それはマンガのキャラではなく現実的な職業だ。もちろん、21世紀にはそういった職業を真っ向から否定する科学者も存在してはいるが。

「国時さんのお父さんとお祖父さんは、幽霊を見ることができるということですか」

「はい。それと、“オニ”とは“隠”。表の世界から隠れて住む者も意味します。ここからは小さい声で話さねばなりません。我が朝廷が、その下にまつろわぬ者たちを“オニ”として退治してきたことはご存じでしょうか? 古くは出雲、そして近年では、あずまの平将門や、蝦夷えみしたち。彼らを滅ぼした側は恐れるのです。きっと、このことによって自分は祟られる、呪われるに違いない、と」

「疑心暗鬼ということですか?」

「そう、まさにその言葉通り。さすがは、我が君です。本当に聡くていらっしゃる」

 またむず痒い台詞を織り交ぜての説明ではあったが、私は次第に国時さんの説明に引き込まれていった。

 確かに、平将門の首塚はいまでも大手町のど真ん中に祀られていて、祟りがあると言われている。それは、私たちが平将門を滅ぼした側の子孫だからなのか、と納得がいった。

「自らに敵対するものをどうにかして滅ぼし、権力を手中に入れる。いま、某氏の長者として権勢を握っていらっしゃる方も、屍の上に立っているようなものです。ですから、祟りや呪いを恐れる。そういった恐れや不安を取り除くのも、我々の仕事だと思ってください」

 “某氏”と国時さんはぼかして言ったけれど、明らかに藤原道長のことを指しているのだろう。つまりは、誰かを不幸にすることで手に入れた権力なら、その人から呪われても仕方がないとネガティブな思いにとらわれてしまう、その不安を取り除くカウンセラー的な役目ということだろうか。そう納得しかかったところで、

「もちろん、本当に祟られている場合も往々にしてありますけれどね」

と、笑えない一言を国時さんは付け加えた。

「残念ながら、私には父や祖父が得意としていることはできません。だから、他の官職に就きたいと思ったわけですが。仕方がないので、私は陰陽寮で地道に、陰陽五行や天文や暦ということわりについて学んでいるわけです。そういった見地から、将来どういった天変地異が起きるかどうかという推測はある程度できるようになるものです」

「陰陽五行というと、青龍、朱雀、白虎、玄武といった四神。それに、木は土に強くて、土は水に強くて、水は火に強くて、火は金に強くて、金は木に強いといったようなことですか?」

「これはこれは。驚きましたね。我が君は紀伝道に通じるばかりか、陰陽五行のことわりまでご存じのようだ。これでは、私は陰陽師という肩書きを返上せねばなりません」

 国時さんは大仰に驚いているが、もちろんこれはゲームから得た知識に過ぎない。日本や中国を舞台としていないゲームでも、スマホの単純なアプリですら、○属性が×属性に強い、といった属性をシステムに取り入れているものが非常に多い。だから、ゲーマーにとっては、非常になじみ深いものなのだ。

「しかし、そこまで陰陽道に通じていらっしゃるならば話が早い」

「え~と、都の東西南北にいらっしゃる四神を味方につけると元の世界に戻れる……とかですか?」

 私は自分にとって、非常になじみ深いゲーム的な展開を口にしてみた。

「いやいや、それはさすがに。我が君がいくら聡くていらっしゃっても難しいでしょう。四神というのは、この都が安寧であるため、この都を造営したときにその当時最高の術者が巧妙に配置したもの。祖父のように生まれ持った才能に加え、勉学を続け、経験を積み、やっとどうにかできるかどうかというくらい非常に難しいものですよ。しかし、都の周囲に四神を配置していることまでご存じでいらっしゃるとは……これはおじじ様には秘密にしておかねばなりませんね」

 やはり現実はゲームのように簡単にいくわけはないか、と私はうなだれる。

「悲しまないでください、美しい君。私が得意とするのは、努力で身に付けた天文の分野です。その方向から、なんとか帰るすべを見つけると約束しましょう」

 国時さんは、几帳から身を乗り出して、私の両手を握り、

「そのために私が問うことにまずは答えてください、我が君」

と、何か確信があるかのように強い瞳で私を見つめた。

 この人は、私がタイムスリップしてしまった原因に、何か思い当たることがあるのだろうか?

 心臓がバクバク言って口から飛び出そうだが、それはイケボで囁かれながら両の手をがっしりと握られているせいなのか。それとも、帰る方法が見つかりそうだという期待感からなのだろうか。

 なんだか頭がボーッとして、私にはどちらが原因かわからなくなっていた。

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