第6話 未来から来たんたけど何か質問ある?

 しばらくの間、呆けていた兄君だったが、

「コホン」

と咳払いをすると、ふだん通りの真面目な顔に戻り、扇で口元を隠しながら、

「それで、そなたのいた千年先の未来というのはどのような世界なのだ?」

と言った。

「私が未来から来たことを、信じてくれるのですか!?」

 私は、どうやら賭けに勝ったらしい。“正直に打ち明ける”のは、正しい選択肢だったようだ。

「信じますよ。そなたから、『私は実は鬼です』『物の怪です』と打ち明けられるよりも、よほど信じられる話です。そもそも、そなたがこの国の貴族らしくないと指摘したのは、私の方からですしね」

「そうですよね」

「それに、嘘をついている者の目には見えない。自分の名を書いていたときの方がよほどオドオドしているように私には見えたが違いますか?」

「それは、私のいた時代では、筆を使う機会があまりなかったものですから」

と、鋭い観察眼に驚きを覚えながら答える。

「とはいえ、字の読み書き、特に漢字はよく読めるのだな。それは、やはりそなたの身分が高いためなのですか?」

「いえ、私の元いた時代の日本人は、ほぼ誰でも文字の読み書きができると思います。身分というものはもうありませんし、どんな子どもでも学校というところに通って、勉強をしなければいけない、子どもを学校に通わせる義務が親にあると法律で決められているのです。だから、私は貴族でも何でもないんです」

「なんと、国民の皆が漢字を書けるというのか!? それは、女子でも?」

「はい、女子と男子で学ぶ内容に違いはないはずです。雇用……働くことについても、女子と男子で差別してはならないという法律がありますから。とはいえ、まだ守られないことも多いみたいで、そういう場合は訴訟、裁判を行うみたいです」

「その裁きによっては、死罪や流罪になることもあるのか?」

「死刑は、私の時代にもありますが、流罪はありません。ただ、雇用で差別をしたぐらいでは死刑になることはありません。人を残虐に何人も殺したような重い犯罪の場合は、死刑になる場合もあります」

「女子のそなたが法についてそこまで詳しいということは、よほどその……“ガッコウ”? とやらで、高度なことを皆に教えているのだろうな。羨ましいことだ。私も大学寮以上のものが学べるなら、是非通ってみたいものだが」

 丁寧語まじりだった兄君の言葉が、次第にくだけたものになっていく。それは、おそらく彼の知的好奇心の賜物だろうが、誰も知らない遠い世界で私を助けてくれた人物との距離が少し縮まったように感じて、なんだか嬉しくなった。

「少し気になったのだが、身分というものがないと言っていたが、そなたの住む未来ではもうお主上かみはいらっしゃらないということか?」

「オカミ? 役所ですか?」

「いや、帝、陛下のことだ」

「あ、天皇陛下はいらっしゃいます。ただ、象徴天皇ということで、政治には一切関わっていません。政治を行うのは大臣たちです」

「なるほど、そこはいまの世と同じなのだな、いまも政治を行うのは、大臣おとどだからな」

「いや、それとはちょっと違うように思います。私のいた世界は民主制で、憲法に国民主権とあるから、国民が決めていることに表向きはなっています。でも……う~ん、自分で言っていて矛盾しているような気はしますけど、やはり国を動かしているのは大臣や議員さんたちのような気がします」

「議員? それはどういう役職なのだ? 貴族に変わるものか?」

「私たちの世界は、民主主義と言う仕組みで動いているので、誰か一人が大きな権力を持っているわけではない、とされています。参議院と衆議院という、国の方針を決める議会というものがあって、その参加者が議員です。議員は、成人した国民が選挙で選ぶということになっているので、国民の意見が政治に反映されるということになっているんですけど……、大人の人たちは『選挙に行っても世の中なんて変わらない』とかよく言っています。あ、うちの親とかですけど」

 私の話す未来の世界は、兄君にとってよほど衝撃的だったのだろうか。う~ん、と考え込んでいるように見える。

 歴史について私はそんなに詳しいわけではないけれど、もしこの時代が平安時代なのだったら、他の時代に比べるとよほど平和で暮らしやすい時代のような気もする。戦国時代だったら、日本全国で合戦が繰り広げられていたわけだし、平安時代よりも前にも、確かいろいろと戦や政変があったように思う。それに平安時代なら、現代のようなテロや世界規模の戦争もないはずだし。

「そなたの生きていた時代は平和なのだな」

「え!?」

 お互いに、相手の世界のことを平和で暮らしやすいと思っていたということだろうか。

「そんなことはないです、まだ戦争もなくならないし、毎日のように事件や事故で人は亡くなっていますよ」

「確かにいまの世は戦はない。ただ、そなたの話を聞いていると、民はいまよりも暮らしやすいのではないかと思ったのだ。私は父に付き従って、任国の越前に下ったことがある。そこで、初めて民百姓の生活を間近で見ることができた。越前はまだ上国といって、米のたくさん取れる豊かな国だから貧しい民は他の国に比べれば少ない。しかし、米が不作の年は飢えるし、都でも飢えたり病に罹ったりして亡くなる民は後を絶たない。そして、亡くなれば屍はそのまま野ざらしにされる。一方で、我々貴族は没落さえしなければ食べることに困りはしない。百姓に生まれたものが貴族になって政治に関わることはできぬし、『史記』について学ぶこともできぬ。しかし、そなたのいたところではどんな生まれであっても、大臣おとどになれるということであろう? 誰でも、『史記』を教えてもらうことができるのであろう?」

「ホームレスと呼ばれる、路上で生活している人たちはまだいます。そういう人たちは、餓死することもあるかもしれません。でも確かに、どんな生まれでも平等に勉強ができて、出世できる望みがあるというところは違うかもしれませんね」

 言われてみて初めて、自分の恵まれた境遇に気付いた。これまでは、学べることが幸せだなんて考えたこともなくて、好きなアニメを見るために夜更かしをした翌日の授業で寝てしまうこともあったけれど、それって食べ物を捨てるのと同じくらい罪深いことだったのかもしれない。

「それに、そなたは貴族ではないというのに、いまの貴族と同じような絹織物を着ている。装束はいまの世とたいして変わっていないということなのか? いまの世から百年も遡れば、まだ唐風の装束を着ていて、いまのような女房装束になったのは最近だと聞いたことがある。それなのに、装束についてだけはこの先も進化が止まったままなのか?」

「あ、いえ、これは貸衣装で……。平安時代の格好をしようという非日常的な試みでして、ふだんからこういう格好をしているわけではないのです! ふだんはもっと薄着で、制服のスカートも膝ぐらいまで、あ、短い子はもっと、太ももぐらいまでの長さにしてて」

「!? 女性が足を出して……!?」

 兄君が女装しているため、男性と話しているということをすっかり失念していたが、この時代の男性にとっては、かなり衝撃的な発言をしてしまったようだ。

「いや、えっと、忘れてください! でも、確かに絹は身分が高くないと着られないというものではなくて、お金さえあれば絹の服とかふつうに着ている人はいると思います」

と、話題をスカート丈から服の素材へと無理矢理すり替える。

 しかし、あらためて考えてみるといまの日本の中流層と言われる人たちは、千年前なら貴族と同じような、いやそれ以上に豊かな暮らしができているのだということに気付かされる。地球レベルで考えるなら、まだ飢えて亡くなる人もいるし学校に通えない子たちもいるわけだから、私たち平均的な日本人は、世界の中の貴族レベルに生まれたラッキーな一部の人間ということになるのかもしれないけれど。

 そういう境遇に生まれたのに、歴史なんて国立受けるわけじゃない私に関係ないから、とおろそかにしてきたのが悔やまれる。きちんと勉強しなかったせいで、いまが正確に何年前なのか、西暦何年なのか、特定もできないのだ。

「あの、あなたと話していて、私自分が恵まれていたことに気付きました。それなのにちゃんと勉強していなくて、この時代の人物といったら、藤原道長ぐらいしか知らなくて、いまがいったいいつなのか……」

 言いかけた私の口を、兄君の扇の端がビシッと塞ぐ。その顔は青ざめ、表情は硬く強ばって見える。

「その御名を口にしてはいけません」

「?」

「先ほど申し上げたでしょう、名前は家族や夫婦間でしか口にしてはならないものだと。女性の名は、家族や夫にしか知られていないものです。そして、男性の名前も。知っていても口には出さないのが常識です。あなたの元いた世界がどうかは知りませんが、官職で呼ぶのが慣わしですから」

「え、私、歴史上の人物の名前を言っただけ……って、あっ! みちな……」

 再び、兄君の扇の端が私の口元を塞ぐ。

「その方は、現在の左大臣さのおとど、中宮様のお父上です。私に出仕の話を進めているのも、左大臣です」

 ああ、“ちょうほう”なんて聞いたことはなかったけれど、ここはきっと教科書の平安時代のページの中でも、比較的行数の割かれる重要な時代なんだと真顔で扇を構える兄君の表情を見ながら悟った。“摂関政治”という言葉が頭に浮かぶ。ここは、中宮の父として藤原道長が権力を握っていた時代なのだ。

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