第十二章 ―春―
陛下と共に青龍に復讐する事を誓ってからまもなく三年は経つのだろうか。
トールウ国は他国との交流を絶ち、孤立国家と成り果てた。国の状況は益々悪化し、叛乱分子もちらほら見えている。それでも陛下が皇で居られるのは、皇に忠誠を誓えば衣食住を保証してもらえるからだ。結局人間というものは、自分の取り分さえ保証されれば他が悪化しようが知った事ではない。
それら全て、青龍をじわりじわりと痛めつける事になる。これは青龍に対する復讐だ。陛下の望みと僕の望みだ。
「では、ハル様、陛下にどうか宜しくお伝え下さい」
「はい」
大臣は一礼し、部屋を後にした。
今のトールウでは、陛下との謁見はほぼ不可能な状態になっていた。“皇”と面会するなど畏れ多い。それが例え位の高い者であっても簡単には会えない。僕が間に挟まり、陛下へお伝えする。そういう流れになっている。
陛下自ら動く必要などない。これ以上、陛下に不安要素を与えたくないのだから。
ドタドタドタ
外が騒がしい。
謁見室を出ると衛兵達が慌ただしく現れた。
「ハル様!この度の叛乱分子である筆頭を捕らえました」
「分かりました」
僕は頷き、地下牢へと向かう。
陛下へ忠誠を誓っていると偽り、暗殺を企てている者が城内にも居る。それを徐々に炙り出していくのが当面の課題でもある。
今のトールウには真っ当な意見など要らない。それが青龍への復讐であるのだから。
地下牢に着くと捕らえられた者が格子にへばり付いた。
「この悪魔め!」
もの凄い形相で睨み付けてくる。見覚えのある顔だ。だが、一体何処で……?
「……ああ!何処かで見た事があると思ったら貴方でしたか」
陛下の側近になった僕に対して度々嫌がらせをしてきた奴だ。
「数年前、陛下に貴方とのいざこざを見られてから見なくなったと思っていましたが、地方の関に飛ばされていたそうですね。あの時、庇ってやったと言うのに――」
あの時の仕返しをするかのように嫌味を込めて続ける。
「――可哀想に」
「貴様など、トールウを崩壊へと導く悪魔だ!陛下の側近になったのも、トールウを崩壊させる為だったのだと今なら分かる!我々のトールウを返せ!貴様など皇のお傍で支える器ではない!」
陛下の気持ちも知らずに、よく吠える。
僕は視線をこいつから衛兵へと移す。
「他にも仲間が居るかもしれません。こいつから全て吐かせろ」
「は」
後は衛兵に任せ地下牢を出ると、また別の衛兵が訪れ跪いた。
今日は何故こんなにも慌ただしいのか。
次々に訪れる用件に溜息を漏らし、口を開く。
「用件は何ですか?」
「は、ザフリイ国から信書を預かっていると申す飛脚が参りまして、いかがなさいますか?」
「ザフリイ国?」
鎖国状態のトールウによく届けられたものだ。途中の関所で握り潰されても可笑しくないというのに。
ザフリイ国はとても豊かな国だ。金もある。きっと賄賂を掴ませて此処まで来たのだろう。そこまでして知らせたかった事とは一体何なのか。
「分かりました。受け取りに伺います」
ザフリイ国からの信書はアイカ様からだった。陛下がこんな状態になっても暫くはアイカ様から定期的に送られていたが、陛下が返事を送り返している様子はなかった。その結果、文通は途絶えた。それが今になって再び届いた。一体何が書かれているのだろう。
陛下に渡す前に内容を確認する。
『お久し振りです。元気でいらっしゃいますでしょうか?私の方は変わらず元気にやっております。この度はジン皇帝陛下にお知らせしたい事がありまして筆を執りました。私もまもなく十八になります。皇の位を受け継ぐ前に世継ぎ問題は解決すべきという現ザフリイ皇である父の意向もあり、この度、結婚する運びとなりました。』
婚姻のお知らせか。わざわざ、賄賂を掴ませてまで知らせる事でもないと思うが……。
僕は疑問に思いつつも、続きを読んだ。
『ジン様は覚えていらっしゃいますでしょうか?七年程前、私が告げた事を。』
七年前?陛下と共にザフリイ国へ伺った頃だろうか?
記憶を辿ると思い出すのはアイカ様が陛下に何かを告げている場面。あの時はオウカ様に耳を塞がれ、結局何の話をしていたのか分からなかった。
『未だにこの想いを完全に絶つ事は出来ません。ですが、あの時ジン様と交わした約束は貫いていきたいと思っております。』
――皇となった暁には、互いに良い国を築き助け合おう――
『私を突き放す事はせず、別の形で手を取って下さった優しさ、今でも忘れておりません。私が皇になるまでもう少し時間が掛かりますが、必ず助けに伺いたいと思っております。それまでどうか御自愛下さい。』
アイカ様からの信書はそこで終わっていた。
他国からしたらトールウ国は皇が好き勝手にやっている独裁国家だ。こんな国に手を貸そうとするのは危険な行為だ。アイカ様がそれを分かっていないとは思えない。それが何故『助けに伺いたい』と仰っているのか。
アイカ様は何か知っているのか?
そうとしか思えない。そうだとしても、国を危険に晒してまで助けようとしてくれているアイカ様の優しさに心が痛んだ。
僕だって、本当はこんな事をしたい訳じゃないんだ。餓える事のない平和な国にしたかった。
陛下も、民に慕われてこその皇のはず。それが今は餓えの苦しさから仕方なく付いてくる者しかいない。
自分の手に視線を向ける。
一見、綺麗に洗い流された手に見えるが、僕の手は血で真っ黒だ。さっきの地下牢でも、僕が直接手を出した訳ではないが、拷問を指示したのは僕だ。あいつも、吐かせるだけ吐かせれば殺して終わる。今まで何人そうして殺した?覚えている訳がない。それくらい、僕が指示して殺させた。
手で顔を覆うと思い出すのは七年前、陛下と各国を巡った時の事。
隣国のよしみで仲良くして下さったボルク国皇――コクトウ皇帝陛下。最初は怖かったけど、話していく内に皇の器に相応しい頼りがいのある方だと分かった。陛下も先帝陛下の病の件で、本来なら弱みになるので話すべき事ではないにも関わらず相談していた。それほど信頼を置ける皇だった。
立地的に離れているザフリイ国。その距離を感じさせない距離感で接してくれたザフリイ国皇――カエン皇帝陛下。おおらかな性格は御息女である次期皇のアイカ様にも受け継がれ、親子でトールウと親密な関係を築いて下さった。
そんな各国の皇のように陛下にも民に頼られ親しまれる皇になれるよう手助けしたかっただけなのに……。
あの時が一番幸せだった……。
ザフリイ国のような裕福な国までいかずとも、慎ましやかな幸せを感じられる国になれたらいいと思っていたはずなのに……。
三年前、呪いの調査に行った際ナルーン国で見掛けた子供達が元気に走り回る姿。そして、出稼ぎから帰ってきた父親を出迎える息子。温かい家庭。そんな普通の暮らしが送れる国にしたかっただけ……。
――歯車が狂っていくような、何か嫌な方向へ加速する出逢いがおじさんと共に村に来るのが見えて――
ああ、そうか。あの女の子が神の御告が聞ける巫女で、あれは僕の事を指していたのか。
乾いた笑みが零れた。
僕が居なければマツリカさんも先帝陛下に気付かれる事なく、陛下と上手くいっていたかもしれない。そうしたら、皇太子殿下もこんな事に巻き込まれずマツリカさんと平和に過ごしていたかもしれない。
目を閉じて考えれば考える程、僕がいなければ全てが上手くいっていたんじゃないかと思えた。
「僕が居なければこんな状況になっていなかったのかな……」
涙が零れた。
ぽん
「っ!?」
突然感じた手の温もりに目を開ける。
そこには苦しそうなセイエイ様。
気配も無く、頭に手を乗せられていた。
「お前にも無理をさせてしまったな……すまない……」
何故、セイエイ様が此処に?
セイエイ様が青龍廟から出て来られないよう、城内には血の臭いを充満させていると言うのに。
僕も定期的に傷を付け、血を流している。三年前、陛下が僕を斬り付けたように、傷が治り掛ければ新たに傷を付ける。それを繰り返しているので僕に触れるどころか、近付く事すら出来ないはずなのに、セイエイ様は僕に触れている。
僕は思わずセイエイ様の手を振り払い、一歩下がった。
「そんな警戒するな……お前に何かしに来たわけじゃない」
無理をして此処まで来たのだろう。セイエイ様は咳き込み続けた。
「けじめを付けてくる。本当にすまなかった……」
それだけ言い残し、セイエイ様は部屋を出ようとした。
けじめ?どういう事だ?
――この重圧から解放させてやる事がジンの為かもしれないと思った――
確か、こんな事を言っていた気がする。
陛下を殺す気か!?
そう気付いた僕は慌ててセイエイ様を引き留める。
「お待ち下さい!」
セイエイ様は僕の制止に大人しく止まってくれた。
「陛下を殺すおつもりですか?」
そして、静かに頷き、口を開く。
「アイツを殺せば俺は国の守り神としての力を失い、ジンが言うように災いをもたらす禍津神と化すのだろうな。そうなれば、国が滅ぶ……」
そう言ってセイエイ様は首元を見せる様に服の合わせ部分を広げた。
「だが、このままでも禍津神になるのも時間の問題だ」
服を押さえている手は勿論、首から下が真っ黒に染まっていた。
「禍津神となればどうなるか分からない。意識がハッキリしている内にこの後訪れる災厄からお前達だけでも救ってやろうと思った。それが俺の出来る“最後の償い”だ」
セイエイ様はトールウの守り神だ。国を守っていくのが役目だ。国を優先するのが当然だ。それなのに、国よりも陛下を取ると言うのか……?
セイエイ様は陛下にとって“敵”ではない。
そんなの最初から分かっていた。最初からセイエイ様は陛下を救おうとしていたんだ。なのに、僕がそれを阻止したんだ。ユウを犠牲にされて、僕に責任を押し付けられたこの状況に耐えられず……。
陛下を苦しませているのは青龍の呪いでも何でもない。僕だ。
「……セイエイ様、今更遅いと分かっております。でも、やはり、僕は……餓えに苦しむ事のない国にしたいです……。せめて、以前の状態に、戻りたいです……」
「もう無理だ。ここまで穢れが進んだ状態を元に戻すまで、俺が持たない」
セイエイ様は視線を僕から反らした。
「穢れが身体を蝕み過ぎて、お前に触れても然程に辛くない。可笑しな話だ。穢れを嫌う神の筈が、穢れに触れても以前程身体が反応しない。もう穢れと同化しているのだろう。“守り神”とは呼べない……」
羸弱な佇まいにもうトールウに未来はない事が分かった。
ユウを傷付けられた事が許せなくて復讐した結果、ユウの未来を奪ってしまった。
トールウに未来がなくとも、せめてユウだけは。ユウの未来だけは守りたい。
どうすれば守れる?どうすれば……。
――一人だから、回避出来たのかも。きっと大丈夫です!――
どうしても、あの村で見た女の子が頭を過る。
回避できた?
これから起きる悪い事が分かれば対処出来る。そういう事なのか?
国が悪化の一途を辿っているこの状況、更に守り神であるはずのセイエイ様はこんな状態だ。もう、縋れるものはそれしかなかった。
「セイエイ様、陛下を殺す前に、僕に最後のチャンスをください」
セイエイ様を部屋に残し、僕は陛下の元へ向かった。
コンコン
陛下の部屋をノックする。
「陛下、ザフリイ国第一皇女アイカ様から信書が届いております」
「入れ」
「はい」
僕は扉を開き中に入る。
相変わらず甘ったるい香りが充満している。水煙草のこの匂いにも慣れた。
奥へ進むと、陛下は妾の女性達に下がるよう命じ、部屋には陛下と僕の二人になった。
「陛下、アイカ様からの信書になります」
陛下は受け取ったが、目を通す事なく机の上に置く。
「読まれないのですか?」
「ああ」
陛下は短く返事をするだけだった。
確かにアイカ様が結婚される事しか書かれていないのだから読んでも読まなくても問題なさそうだが。
「それより、ハル……匂いが薄れたな」
そう言って陛下は机の上にある懐剣に手を伸ばした。
それだけで何の事か理解してしまうのも三年という月日の習慣になっていたからだ。
いつもなら此処で服を脱ぎ陛下に背中を向ける。背中ならば服を脱がない限り目立たないので、そこに傷を付けて貰っていた。血を流すことでセイエイ様を苦しめられるのだが、その必要はもうない。
僕はその場から動かず、陛下へ告げる言葉を慎重に選んでいた。
「……どうした?」
「陛下……」
セイエイ様は敵ではありません。
そう言いたいけど、そのまま言っても陛下は受け入れてくれないだろう。では、どうしたら……。
僕が言い淀んでいると、陛下の口が開いた。
「一体何の用だ」
一瞬僕に言われているのかと思ったが、陛下の視線は僕の背後に向けられていた。
振り向けば、そこにはセイエイ様が。気配を消して付いて来られたのか。
「お前自ら苦しみに来るとは思っていなかったぞ。さぞかし痛め付けられるのが好きだとみえる」
「そういうお前も、俺を痛め付けているように見せ掛けて、自ら苦しい状況なっているのが分からないのか?とんだ変態だな」
セイエイ様に煽られ、陛下は懐剣をセイエイ様へ向ける。
「何だ?俺の事を殺すか?そうだな。いっそのこと、殺してくれても良いんだぞ?」
確かに、憎いのはセイエイ様だ。セイエイ様を殺せば全てを終わらせられるかもしれない。だが、陛下の望みは青龍への復讐だ。苦しませる事が目的なのだから殺して苦しみから解放させる訳にはいかない。
陛下は懐剣を机に突き刺した。
「殺しては、くれないか……」
陛下の行動にセイエイ様は溜息を漏らした。
自分を殺すことで陛下の気が晴れるなら、それもそれで良いとでも思ったのだろうか。だが、此処で死なれては僕が困る。ユウの未来を守る為には少しでも永く生きていてもらわなくては。
「セイエイ様、陛下を挑発する発言はお止めください」
僕のその発言に陛下の目元がピクリと動いた。
「陛下、お話しがあります」
「何だ?」
「今更遅いと分かっています。ですが、やはり……僕は、餓えに苦しむ事のない国にしたいと思っております。僕達の復讐の代償が民にも及んでおります。もう、十分復讐は果たしました。もう、復讐はやめてこの苦しみからセイエイ様も、民も、解放しましょう」
「……貴様、ハルに何をした」
陛下の視線は僕ではなく後ろに居るセイエイ様に向けられていた。
今まで共にセイエイ様を苦しめてきたのだ。それがいきなりこんな事を言って、唆されたとでも思ったのだろう。
「セイエイ様は何もしておりません。いえ、セイエイ様はずっと陛下を救おうとしておりました!」
「ハルに何をしたあああぁぁぁぁあああ!!!」
陛下は僕の声が聞こえていないのか机に突き刺した懐剣を抜き、セイエイ様に突進した。
穢れによって弱っていたセイエイ様は簡単に床へ倒され、陛下は馬乗りになる。
このままではセイエイ様が殺されてしまう!
「陛下!おやめください!」
懐剣を握る手をを押さえたが、振り払われた。
「誑かされたか!?」
違う!これは僕の意思だ!
「いつもいつも、貴様は朕の大切なものを奪っていく!青龍など守り神と偽った禍津神!これ以上、大切なものを奪わせて堪るものか!!」
そう叫び、懐剣を振り下ろした。
ダメだ!
無我夢中でセイエイ様に覆いかぶさった。
「く、は……っ!!」
背中に激痛が走ったが、死ぬ程ではない。大丈夫。痛みには慣れている。
「ハル、何故……」
陛下が振り下ろした懐剣はセイエイ様に刺さる事なく、僕の背中に刺さっている。
「そいつを庇うのか……?」
陛下は悲しそうに後退りする。
三年前の僕は此処で間違った選択をした。でも、今回は間違えてはならない。
「陛下、お願いです。僕の話を聞いて下さい。セイエイ様は最初から陛下の味方でした。陛下を救おうと必死でした。僕にも陛下を救ってほしいと頭を下げて来ました。なのに、僕はそれを蹴って、こんな状況にしました。陛下も、セイエイ様も、何も悪い事はしておりません。僕が全て悪いのです。だから、どうか。セイエイ様を傷付けるのはもう止めましょう」
自ら背中に刺さった懐剣を抜く。痛みには耐えられる。だが、出血が酷い。このままでは危ないと悟った。
早く、陛下にお伝えしなくては……。
「三年前、呪いの調査に向かった際、僕は何も得られず、このままでは城に帰れない、何でもいい、陛下にご報告出来る何かを持って帰らなくては、とナルーン国へ足を運んでおりました。そこで神のお告げが聞ける巫女がいると聞きました。詳しい事はまだ分かりません。ですが、その巫女は『回避できた』と言っていました。もし、危険を回避出来る術なのだとしたら、その巫女を連れて来ればこの状況も、好転するかもしれません……」
ああ、ダメだ……。目の前が、段々と白く……。
「僕が奪ってしまったユウの未来を守りたい……」
まだ、僕の想いを……。
「ユウに、未来を……ユウは……僕の……」
大切な家族なんだ……。
陛下が僕の名前を何度も呼んでいた気がしたが、徐々に消えていった。
薄暗い部屋に、見覚えのある天井。ああ、ここは僕の部屋か。
どうやらまだ生きているようだ。
ユウを残し、陛下一人に責任を負わせて死ぬわけにはいかない。陛下は何も悪くない。僕が全ていけないのだから。
手に温もりを感じ、握り返す。
「ハル!?目が覚めたのか!!?」
視線を横にずらすと陛下が居た。ずっと手を握っていてくれたのだろうか。
「良かった……。このまま目を覚まさなければどうしようかと……」
陛下は滝の様に涙を流しながら握る手を愛おしそうに握りしめてくれた。
「これ以上、大切なものを奪われたくない……」
「陛下……」
僕は身を起こし、陛下と向き合った。
まだ話は終わっていない。セイエイ様の命は永遠ではないのだから、一刻を争う。
「陛下、僕はユウ皇太子殿下の未来の為に国を立て直したいと思っております。セイエイ様のお身体は穢れにより、いつ倒れても可笑しくない状態です。このまま進めば確実に昇天する事でしょう。いえ、昇天すればまだ良い方。恐らく、禍津神となり、国に災いを降り注ぎ続ける可能性の方が高いです」
昇天、即ち、地上から天へと、神の住むべき世界へと還られる。それならば神が消えるだけ。神の加護がない国は荒れるかもしれないが、禍津神が災いを齎すよりかは遥かにマシだろう。だが、セイエイ様の状態では天へと還れないはずだ。穢れを嫌う神が穢れを持った神を迎え入れてくれるはずがない。もう、セイエイ様には禍津神となる選択肢しか残っていない。
「そんな荒れ狂う世界でユウ皇太子殿下を独りに出来ません。だから、どうか、僕にチャンスをください」
「……ユウは、もう……」
陛下は苦しそうに言葉を絞り出した。
「“皇太子”として存在出来ないのだ……」
ああ、そうか。陛下は僕が知っている事を知らないのか。
「ユウ皇太子殿下が宮刑を受けた事は存じ上げております」
その言葉に陛下は目を見開いた。
「セイエイ様から聞きました。ユウ皇太子殿下に宮刑を受けさせ、皇位継承権を剥奪させれば僕が再び官吏になる事を許して頂けると。陛下が立場上、先帝陛下に逆らえない事は分かっております。でも、セイエイ様ならそんな惨い事をさせないようにする事も出来たはず。でも何もしなかった。だから僕はセイエイ様を憎みました。ユウ皇太子殿下を傷付けた復讐をした結果、今この状態になっております。セイエイ様を憎むばかりで、ユウ皇太子殿下の未来の事は気付いてあげられなかったのです」
憎しみによる復讐は更なる憎しみしか生まない。
「ユウ皇太子殿下の未来を守る為には今、行動しないともう戻って来ません。だから、どうか……」
「…………」
しばらくの沈黙の後、陛下が口を開いた。
「知っても尚、『皇太子』と呼んでくれるのだな……」
「はい。子孫を残せないからって関係ありません。陛下とマツリカさんの子供には違いありません。陛下の子なのですから『皇太子殿下』です。それに……」
恐れ多いのかなと一瞬口にするのを躊躇ったが、陛下に僕の気持ちは伝えておきたい。
「ユウ皇太子殿下は僕の大切な家族です。再び独りになってしまった僕に笑顔を与えてくれた大切な存在です。災厄から守ってやりたいのです」
「ハル……」
「セイエイ様が禍津神となるのも時間の問題です。時は一刻を争うのです。あの村に居る巫女の力が本物か、そして、トールウを救う術となるのか、今すぐにでも確かめに行かねば間に合いません」
陛下は俯いたまま、僕の手を握る手に力を込めた。
「陛下、ユウ皇太子殿下の未来を守る為、行かせてください」
更に強く握られる。
行かせてもらえないという事か……。
僕だって、陛下を独り城に残して行くのは心が痛い。こんな国が荒れた状態で、叛乱分子も居る。独りにするのは危険だ。だからと言って、陛下を連れて行くのは無理な話。僕はまだ子供で、怪しまれずに潜入出来る可能性がある。でも、陛下は“皇”だ。他国へ行く以前に城下に降りる事すら危険だ。それに、前回の事もある。先帝陛下が亡くなった際、僕が調査に行かず城に残っていたらこんな状況にはならなかったかもしれない。そう思うと、今ここで行く事が正解なのかも分からない。
それでも、今出来る事は此れしかない……。
「陛下、僕は陛下の未来も守りたいのです。そして、出来る事ならいつまでも陛下のお傍でお仕えしたいと思っております。その為に、今は行かなくてはなりません」
「ハルまで居なくなったら私はどうしたら……」
ようやく口を開いてくれた。
「陛下は独りではありません。セイエイ様がいらっしゃいます」
「あやつは朕から大切なものを奪う禍津神だ。信用できん」
「陛下、聞いてください。セイエイ様は自分が禍津神になるのも時間の問題だと仰っておりました。だから禍津神になる前に陛下をこの苦しみから解放してやるのがせめてもの償いだと、そう仰いました。セイエイ様の状況から人に危害を加えれば一発で禍津神となるでしょう。それを分かった上で、国よりも陛下を救う事を選ばれておりました。セイエイ様は国や自分の命よりも、陛下を優先しております。敵ではないのです。僕以上に陛下を想っておられるのです。セイエイ様は信じるに足る存在です」
「だが……」
「では、僕を信じてください。セイエイ様は決して陛下を悪いようには致しません。残り少ない加護の力を陛下の為に使ってくださる御方です。それに、アイカ様も、きっと力になってくださいます」
確かに信書に『助けに伺いたい』と書かれていた。今は難しくとも、いずれ外交が出来るまでに立ち直った際には手を差し伸べてくださる。
「僕も、必ず陛下の元へ戻って参ります。殿下の未来を、そして陛下の未来を守る為に、必ず」
僕の手を握る手が緩まった。
「……分かった。だが、約束してくれ。必ず戻って来ると」
陛下にとって僕が“大切な存在”なのだと思ってくださっているのがとても嬉しかった。
「はい。必ず戻って参ります」
陛下のお傍で仕え続ける事が僕の幸せなのだから、必ず。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます