第十一章 ―春―

「ぅん……」

 薄っすらと差し込む日差しに目が覚めた。

 此処は……?

 身体を起こそうとするが、身動き出来ない。一体何があったのか記憶を辿る。

 確か……城に戻って、陛下を捜しに部屋を訪れたら引摺り込まれて……ああ、そうだ。寝台に投げ飛ばされて陛下に手足を拘束されたんだ。そして縛られた後、身体を斬り付けられるような痛みが続き、耐えられずいつの間にか気が遠退いていった……。

 記憶を辿っていくと身体に激痛が走った。

「くっ、んん……っ」

 口に布を詰められて思ったように声を上げられない。

 顔を寝具に埋め、痛みに耐える。

 僕が居ない間に一体何があったと言うのか。

 あんなにも優しかった陛下をこんなにも変えてしまった事とは一体!?

 寝具に顔を擦り付けた事により、口に当てられていた布がずれ落ち、口に詰められていた布を吐き出せた。

 口の中が気持ち悪い。

 陛下は最初から僕を痛めつけるつもりだったのだろうか?

 痛みに耐えるあまり歯を食いしばり、間違って舌を噛み切らないようにする為に布を入れて来たとしか思えなかった。

 辺りを見渡してみると、荒れた状態の陛下の部屋。床に服やら調度品やらが散乱している。まともな精神状態の人の部屋ではない。そして、陛下は部屋に居ないようだ。

 次に自分の身体を見下ろす。

 腕や腹に斬り付けられた傷。背中からも痛みを感じる辺り、おそらく背中も傷だらけで赤く染まっているのだろう。

 今の自分の状態を目の当たりにした事により更に痛みが増した気がした。

 陛下にやられたのは明白だが、そう思いたくない自分もいた。

 一体何がどうしてこうなったのか、全然分からない。

「陛下……どうして……」

 思わず声が漏れた。

 キィィィ

 扉が開く音に身体が強張る。

 衝立の向こうに誰かが居る。陛下だろうか?

 手足の自由が利かない今のこの状況、逃げ出す事も出来ず、ただただ息を潜めて身を固める事しか出来なかった。

 ガシッ

 衝立に手を掛けるのが見えた。

 僕は思わず目を瞑った。

「……ハル、やはり戻っていたのか」

 陛下ではない別の声がした。

 初めて聞く声にゆっくりと目を開ける。

 そこには花緑青色の綺麗な髪を垂らした男性が居た。豪華な服装に官吏ではないと一瞬で理解出来る。だが、城に出入りしている華族にこんな男性は居なかったはず。ましてや、此処は陛下の部屋だ。気安く入れる場所ではない。だが、この男性は入って来ている。

「うっ!」

 男性は口元を押え、しゃがみ込んだ。

「キツいな……俺を近付かせない為に此処までするのか……惨い……」

 男性は衝立を支えに立ち上がる。

「無事――とは言えないが、生きていて良かった」

 そう言って男性は水の入った小瓶を僕の頭上で傾けた。

 ポタポタポタポタ

 小瓶に蓋は付いておらず傾ければ中の水は溢れて当然なのだが、何故僕はこの男性に水を掛けられているのか理解出来ず思考が停止した。

 小瓶の水は全て僕に注がれ、腕や背中を通り寝台を濡らしていく。

「やはり足りないか……。すまんな、今はコレしかないんだ。完治とまでいかないにせよ、多少はマシになっただろう?」

 そう言って男性は僕を拘束している紐に手を伸ばし解いてくれた。

「……あ、ありがとうございます」

 思わず縛られていた腕を擦った。

 ん?

 先程まであった腕の傷が治り掛けていた。痛みはまだあるものの、随分と楽になった。それにこの匂いは水ではない。お酒?

 一体どういう――

「ゲホッ、ゴホッ」

 男性の咳き込む声に僕の視線は自分の腕から男性へと移される。

 拘束を解いてくれたという事は敵ではなさそうだが……。

「ゲホッ、ゴホッ」

 具合が悪いのだと見れば分かる。

「だ、大丈夫ですか?」

「ゴホッ、ゴホッ……ああ、すまない。血に触れた事で身体が拒否反応起こしてしまった……。それより時間がない。ジンが戻って来る前に話す事がある」

 そう言って男性は頭を下げる。

「単刀直入に言う。ジンを救ってやって欲しい。お願いだ」

「っ?!や、やめて下さい!頭を上げて下さい!」

 陛下の事を呼び捨てに出来る程の御方だ。僕なんかより遥かに身分は上だと一瞬で理解したのと同時に、そんな身分の高い御方に頭を下げさせているこの状況に恐怖を感じた。

「俺のせいでジンが変わってしまった……」

「えっと……すみません。僕は半月程、お城を出ていたもので、話が見えないのですが……一体何があったのでしょうか?」

「ジンから聞いていないのか。そうか……」

 男性は一つ息を吐き、続けた。

「ハルが城を出て直ぐ、カイが息を引き取った」

「……え?」

 その言葉に居てもたってもいられず僕は部屋を飛び出し、カイ太上皇の部屋を訪れた。

 誰も居なかった。

 こう言っては難だが、太上皇――いや崩御された今は先帝陛下とお呼びするべきか。先帝陛下を慕っていたわけではない。むしろ苦手意識があった。それでも、一緒に生活して来た時間が僕の中には確かに残っている。

 身体の痛みも忘れて部屋の前に立ち尽くしている間に男性が追い付いてきた。

「そう永くないのは理解していたつもりだが、ジンに皇位を譲ってこんな直ぐだとは思わなかった」

 何と言って良いのか分からなかった。

「退位した事で今までトールウの秘密を独りで抱えていた緊張が解けて逝ってしまったんだろうな」

「っ!!?」

 “呪い”の事を知っているかのようなその男性。無意識に振り向いて男性の顔を見上げる。

 この男性にお酒を掛けられた事で傷が治った。先程のお酒はただのお酒ではない。この世の物とは思えない神聖な物――神に捧げる事で神の力が宿った御神酒だろうか。それに、先帝陛下までも呼び捨てに出来る程の人物などそうそう居るはずがない。居るとすればそれは……

 男性と視線が合い、冷や汗が溢れる。

「貴方はまさか……」

 男性は一拍間を置き、踵を返す。

「すまない。此処では臭いがキツくてな……こっちだ」

 男性に言われるまま後を追う。

 陛下の部屋も通りすぎ、更に城の奥深くへと歩みを進める。

「ま、待って下さい!」

 この先は立ち入り禁止だと言われ続け、皇の側近になった今でも入る事を許されていない場所だ。

「気にするな。ジンが許可していなくとも俺が許可したのなら問題ない」

 男性は僕の腕を掴み、歩みを進める。しばらく進むと厳かな扉が姿を現した。

 男性は躊躇いもなく、扉を開いた。

「っ!!!」

 中には青龍を祀っている社があった。社を囲うように草木が生い茂っているせいか、部屋の中だというのに外よりも空気が澄んでいるように感じだ。

 青龍廟の中がどんな感じなのかは話に聞いていたが、実際に目の当たりにするのは初めてだ。それでも、此処が青龍廟だという事は一瞬で理解出来た。そして、青龍廟は皇以外入る事は許されていない場所だ。それにも関わらず中に入っていったこの男性。もうそれだけでどなたか理解出来た。

「俺の名はセイエイ。青龍だ」

 やはりこの国の守り神――青龍だった。

 僕は跪き、頭を床に擦り付ける。神を前に言葉が出るはずもなく、ただただ頭を下げ続ける。すると、肩に優しく手が触れた。

「もうトールウが頼れるのはハル、お前だけだ。どうかジンを救ってやってくれ……」

 セイエイ様はそう告げ、この半月で何があったのか話した。

「さっきも言ったが、ハルが城を出て直ぐ、カイが息を引き取った」

 陛下は泣きに伏せ、その間の政は放棄していたと言う。父親を失ったのだから悲しみに暮れるのは当然だ。更に、陛下はマツリカさんも失っているのだから“死”には敏感なはず。再び“死”に直面すれば立ち直るのに時間が掛かるのも予想出来る。

 だが、陛下は“皇”だ。私的な感情で動いてはならない。だからこそ、官吏達が陛下に政を再開するよう催促するのは当然の事。一時の感情で国を放置されては困るのだから。

 セイエイ様は此処で陛下のお気持ちではなく、国を優先してしまったのだと言う。それも当然だ。国が傾けば、青龍であるセイエイ様の身が危険だから。

「催促したつもりはなかったんだが……ジンがそう受け取ってしまったのであれば俺の気持ちなど関係ない。俺まで官吏と一緒に囃し立てていると思い、何かがキレたんだろうな。周りの意見に耳を一切傾けない独裁制へと切り替え出した」

 どの言い分も理解できるからこそ、どれが正しい選択かなんて分からないし、セイエイ様が陛下のお気持ちを優先させていたとしても結局国の事が疎かになって今とは違う形で傾いていたと思う。

「トールウが荒れている原因は俺ではない、先代にある。と心のどこかで思っていた。現に、俺がトールウに降り立った時には既に荒れていた。俺には関係ない。それどころか、何故、俺が先代の尻拭いをしなきゃならんのだと思っていた。だが、人間からしたら先代も俺も同じ“青龍”だ。青龍のやらかした事は同じ青龍の俺が何とかするべき、人の世まで持ってくるなと思って当然だ。ジンの方こそ無関係なのに責任を負わせてしまい、結果、こんな堕落した皇となってしまった。」

 セイエイ様は深い溜息を吐いた。

「この重圧から解放させてやる事がジンの為かもしれないと思った……」

 セイエイ様の視線の先には鋭く尖った己の爪。その爪で喉元を引っ掻いてしまえば息の根を止める事も出来そうだ。

「だが、それは国の崩壊を招く事だ。こんな状況でも俺は生きたいと思ってしまっているのだな……」

 セイエイ様は手を握り、鋭い爪を収める。

「だからこそ、あとはハル。お前しか頼れる者が居ない」

 そう真剣な眼差しで僕を見つめる。

「ジンは今、孤独と戦っている状態だ。独りではない。ハルが居る、という事が分かればこんな馬鹿な真似はしなくなるはずだ。だから、どうか、傍で支えてやってほしい」

 元より、僕は陛下に忠誠を誓った身だ。何度も陛下に助けられたこの命、陛下の為に使いたいと思っている。

 だが、僕にそんな大それた事など出来るだろうか?陛下にとって僕はそんなに存在が大きい者なのだろうか?

 セイエイ様の救いを求める声に重圧だけが伸し掛かる。僕に出来る事など何もないと言うのに。

「息子を売ってお前を官吏にさせるくらいだ。きっとお前の声なら聞き入れてくれる」

 え?

「ちょ、ちょっと待ってください!“息子”というのはユウ皇太子殿下の事でしょうか?ユウ皇太子殿下を“売る”とはどういう事ですか?!」

「お前……気付いていなかったのか?普通、罷免した者を再び官吏として迎え入れるわけがないだろう?」

 確かに、それは僕も疑問に思っていた。息子に皇位を譲ったとは言え、太上皇としてカイ先帝陛下はいらっしゃったわけだから、僕が戻れるはずはないと。だが、現に僕は陛下の側近として官吏になっている。陛下がどうにかしてくれたのだと深く考えずに居た。いや、考えないようにしていたんだ。

「正直、カイからしたらハルを官吏にさせるのに対し、ただ単にジンとユウが“会わない”ってくらいじゃ何のメリットもない。それを丸め込めるには将来的にユウを後宮で働かせるくらいでないとな」

 後宮で働かせる……それはつまり……いや、でも、まさか……。

 僕が言葉に詰まっているとセイエイ様は一息吐き、続けた。

「宮刑だ、宮刑。ここまで言わなきゃ分からないとは思っていなかったぞ」

 宮刑とは、皇の后候補が住まう後宮で働く上で間違いが起きないように、陛下への忠誠を誓う儀式だ。それを行った者は子孫を残す事が出来なくなる。血族を残していく事も重要な責務である皇太子にそれを行うという事は、皇太子の位を剥奪したようなもの。いや、自分が居なくなった後も永久に戻させないよう皇位継承権を無くさせたって事か。カイ先帝陛下ならやりかねない。だが、陛下がそれを許すとは信じ難い。何故、陛下はお許しになったのか……。

「あー、ジンを責めてやるなよ?」

 いつまでも黙り込む僕にセイエイ様が言う。

「あいつも一杯一杯だったんだ。傍で支えてくれる者も居らず、こうするしかなかったんだ。ユウを一人にするわけにもいかないし、こうして城内で生活してくれれば会う事は出来ずとも情報は耳に入る。近くに居るという安心感が欲しかったんだろう。それに、お前ともこうやって再び共に過ごせる。それ程、お前はジンにとって重要な人物だったって事だ」

 ユウ皇太子殿下を傷付けてまで僕を傍に置きたかった?

 陛下が迎えに来てくれた時は正直嬉しかった。けど、僕は、誰かを犠牲にしてまで陛下の傍に居たかったわけじゃない。ましてや、その犠牲者がユウ皇太子殿下だなんて……。

「ユウの犠牲を無駄にしないでやってほしい」

 ずるい……。そんな言い方……。

 陛下のお傍で陛下を支え続ける覚悟はしていたが、色んな犠牲の上で成り立った今の立場や、セイエイ様からの重圧に耐え続けなければいけないこの状況など、流石にそこまでの覚悟は考えていなかった。だからこそ、この先どう陛下を支えていけばいいのか分からなくなっていた。

 色んな犠牲で僕の周りを固めて逃げ出せない状況にさせられた気分だ。

 バンッ

 逃げ場のない僕を救い出すかのように勢いよく扉が開け放たれ、思わず振り向く。そこには鬼の様な形相の陛下が。

「セイエイ!!」

 憎しみを込めて叫ぶ陛下。

「酒の匂いでお前の仕業だと一発で分かった!!お前など、守り神と偽った禍津神だ!!」

 そう言う陛下の手には刀が握られている。

 青龍廟の入り口で刀を構えるこの状況。陛下はセイエイ様を殺す気だ。


 ――本来、神の代替りとは次の代が現れてから今の代が亡くなり、神が不在になる時が一時たりともないそうだ。だが、青龍は黄竜を殺めた後に人の手により殺された。――


 陛下に聞かされた先代の青龍の話がふと頭を過った。


 ――人の手により殺された――


 また同じ事が繰り返されるのか?“恨み”によって殺された後、それは“呪い”となってトールウを蝕み続けていると言っていた。更に追い打ちを掛けるように“呪い”を掛けるという事になるのだろうか?そんな状況で僕は陛下を支えていけるのだろうか?

 僕は心の中で首を振った。

 きっと無理だ。これ以上の重圧に耐えられる自身などない。

 だったらどうすればいい?

「これ以上朕の物に手を出すなぁぁぁぁ!!」

 考える暇もなく、陛下は動き出し、僕も咄嗟に手を出した。

 ガシッ

「ハル!?何を!?」

 僕は陛下が構える刀を素手で受け止め、握りしめた。

「ハル……彼奴を庇うというのか?」

 とても悲しそうな陛下。自分を受け入れて貰えず拒否された。そんな感情が見える。

 違う!セイエイ様を庇うとかそういうつもりはない!

 皇とか官吏とか国とか神とか、そんなのどうでもいいんだ!

 僕は、僕を救ってくれた陛下のお力になりたかっただけ!

「違う……」

 小さく呟くのとは逆に、刀を握る手には力が籠る。力が籠れば籠る程、握りしめる掌からは血が流れ出す。

「ハル、やめろ。血が……っ」

 セイエイ様は僕の血の臭いに耐えられず、鼻と口を押える。

 その姿が目に入った瞬間、僕の中の黒い何かが弾けた。

 ああ、そうか。この御方は神だ。ならば、皇を諫める事も国を良い方へと導く守り神として大切な行為なのでは?なのに、何故、ユウ皇太子殿下に惨い事をさせる事を許可した。神が否定してやれば思い止まったかもしれないのに、何故!僕に責任を負わせる為か!?僕を重圧で押し潰して楽しいのか!?

 何が、陛下を救ってやってほしい、だ。神として信頼されなかった結果が、今のこの状況を生んだのだろう。僕に全てを押し付けて……。

 深くひとつ息を吐き、陛下と視線を合わせた。

「陛下、全ては青龍の責任だと僕は思っております。それを何故僕らが負わなきゃいけないのでしょうか?」

 陛下がこんな状態になったのも、何もかも、こいつの所為だ。

「僕は、神を殺した後の荒れ果てたトールウで神の代わりに責任を負うのは嫌です」

 殺して楽にさせようなんて甘い。

「今まで責任を負わされていた分のツケを払う時ではないでしょうか?」

 僕は刀から手を放し、その場で跪いた。

「僕が忠誠を誓うのは陛下、ただ御一人です」

 神が僕に責任を負わせるというのなら、僕は神を憎むだけだ。



 陛下と共に青龍への復讐が始まり、国の草木は徐々に枯れていった。

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