第十章 ―春―

 城を離れてそろそろ半月になる。

 辺境の地には荒れ果てた村の跡地があるだけで人は住んで居なかった。

 土は枯れ、とても作物が育ちそうにない。育つのは劣悪な環境でも育つ雑草のみ。僕が元々住んでいた場所もこんな感じだった。そこの雑草にも見覚えがある。陛下と出会う前、食べるものに困り果てた結果、食べた事もあったが下痢と嘔吐で食べられたものではなかった。こんな状況で人が生きていけるはずもない。国の中心部を離れれば何処も同じようなものか、と思った。

 陛下に無理を言って出て来た手前、何の収穫もなく城に戻る事は出来なかった。ならば、ナルーン国がトールウと手を取り合っても良いと思って貰える交渉案件はないのだろうか?とこっそりナルーン国に足を踏み入れていた。

 国境に壁があるわけでもなく、人の行き来は特に制限されている訳ではない。大きな街に行くには関所を通る必要があるが、そこで何処の者か証明さえ出来れば問題ない。普通の平民であればまず通れる。だが、僕は官吏だ。官吏職に就いている者となれば話は別。

 官吏が他国へ行くには事前に申請しなければならない。それは国に仕える者として貴方の国に危害を加えるつもりはないという証。勝手に入れば間者と思われても仕方ない。

 つまり、僕はかなり危険な橋を渡っている。

 だが、幸い、僕はどう見ても十歳くらいの子供にしか見えない。トールウの官吏だと証明する手形を事前に何処かに埋めるなり何なりしてしまえば、見た目で官吏と思われる事はまずない。自分の存在を証明出来るものは何もなくなってしまうが、国を脅かす存在にも見えない。

 ナルーン国の関所がどれ程厳重なものなのか分からないので言いくるめるだけで通れるとは限らないが、十かそこらの子供が正体不明というだけで捕らえられるとも考えられない。ダメでも門前払いを食らうだけだろう。そう思い、手形を所持しない方法で試してみたところ、持ち物検査されただけで簡単に通れた。これ程子供で良かったと思った事はなかった。



 僕は初めて訪れるナルーン国の街を見て回った。

 やはり、トールウよりは豊かのようだ。気候も温かい。トールウより過ごし易そうだ。食べ物も困らない程度にはありそうだ。

 街では時々元気な子供が走り回っている。それも楽しそうに。そこはトールウとは違った。

 トールウでは子供が走り回っているのは何かを盗んで捕まるのを恐れて逃げている場合が多い。

 城での生活で感覚が鈍りそうになっていたが、やはりトールウは貧しい国だと他国を見ると改めて思い知らされる。

 僕は御飯処に入り、定食を頼む。価格も、トールウより手が届きやすい値段だ。それは需要と供給のバランスが取れているから。

 トールウでは食物が育ち難い事もあり供給が足りていない。だから価格も高騰する。

 結局、人が生きて行くには“衣食住”の“食”をまずどうにかしなければならない。

「おー、久しぶりだな。元気してたか?」

「ん?おお!久しぶりー!まあ、ぼちぼちかなー?」

 後から入ってきた客が偶々知り合いを見つけたようだ。二人の男が楽しそうに話している。

「そういえば、あれからどうだ?息子とは上手くいっているのか?」

「ああ、もうやんちゃ坊主で大変だが、男の子だしそれくらい元気な方がいい」

「そうだな」

「まあ、ちょっと困った話、村の“巫女”ってのがまだ良く分かっていないみたいでな……」

「ん?ああ、前こっそり教えてくれた神の御告が聞けるとかいう巫女の事か?」

「しっ!声がデカイ。本当は村の外に“巫女”の存在を漏らしちゃいけないんだからな。あんまり神の御告がなんちゃらとか口に出すなよ」

「お前も出してんぞ?」

「あ!」

「やっぱ、お前のそういう抜けたとこ面白くていいわー。で、その巫女と息子、えーっとトウナだっけ?」

「ああ、そうだ。トウナが身分を弁えず接してしまってな……最近では巫女という立場が微妙なものになってしまった」

「逆に、俺はお前の村の風習を疑問に思ってたけどな。だって、その巫女とやらは十前後の子供なんだろ?子供に頭下げたり敬語使ったり、疲れやしないか?」

「うちの村ではそれが当たり前だったからなぁ……それに、不思議な力を持ってるのは確かだしなぁ……」

「そうは言っても、その巫女とやらも可哀想だ。そんなんじゃ同世代の子にも距離置かれてんじゃないか?“友達”だと思ってもらえないのは可哀想だぞ?」

「うーん……トウナが気安く話し掛けたりするから最近神々しさというものがなくなって普通の子供のように見えてきてたから、それはどうなんだ?って思ったけど、そうだよな……」

「会った事ないから何とも言えないが、その子だって、周りの子供達が楽しそうにしてたら入りたくなるんじゃないか?それを大人達が巫女だからと壁を作らせるのは本当に可哀想だぞ?」

「そうだな……」

「トウナを養子に迎え入れたのも何かの縁だ。風習やら仕来りやら伝統やら、守るのも大切だろうが、少し考え直すのもいいんじゃないか?」

「そうだな……今度、村長にも相談してみるわ」

 そう言って、先に店に入っていた男の方が立ち上がった。

「さて、飯も食ったし、売るもんも売ったから村に戻るわ」

「そうか。お疲れさん、またな」

「ああ」

 男は会計を済まし、店を後にした。

 男達が話していた巫女の存在が何故か気になった。『神の御告が聞ける』とか言っていたが、どういう事なのだろうか?

 僕も男を追い掛けるように店を出た。

 そろそろ城へ帰らないといけないと思う反面、何の収穫もなく帰るのは気が重いと思っていたところだ。そこへ舞い込んできた『神の御告が聞ける巫女』という情報。それが陛下にとって有益なものになるかは分からない。それでも何もないよりはマシだと思った。

 男は北門の方へ向かっていた。僕が来た方角とは違うが北ならば遠回りする形にはなるが帰りがてら行ける方向だ。

 男は北門を抜け、そのまま北へ馬を走らせる。

 しばらく走らせると小さな村に行き着いた。

「おかえりなさい!」

「ああ、ただいま」

 女性に迎えられている。この村で間違いなさそうだ。

「あ!帰ってきた!お帰りー!!」

 僕と同い年くらいの男の子が走って男の元に来た。

「おー、トウナからお出迎えとは嬉しいなー!」

 そう言って男性は男の子に抱き着く。御飯処で話していた息子のようだ。

「ユリカが、数人で出迎えないとダメだって騒いでて大変なんだよ!おーい!ユリカー!父ちゃん帰って来たぞー!」

 男の子が呼ぶと女の子と男の子が現れた。あの女の子が『ユリカ』だろうか?

 ユリカだと思われる女の子は男の周りをキョロキョロと気にしている。

「誰かと一緒じゃないのですか?」

「え?いや、一人ですが……?」

「うーん、なら良いのですが……」

 何だか歯切れが悪い。

「もしかして、何か悪い事でも起きるのですか?」

「えっと……」

 女の子は言葉を選んでいるようだ。

「誰も付いて来ていないなら大丈夫かな……?」

 独り言のように呟き、女の子は口を開いた。

「歯車が狂っていくような、何か嫌な方向へ加速する出逢いがおじさんと共に村に来るのが見えて……。家まで誰にも会わずに帰って来ちゃうとその嫌な感じのものも村に入って来ちゃうから皆で出迎えてみたのだけど……うん。一人だから、回避出来たのかも。きっと大丈夫です!」

 そう言って女の子は笑顔を見せた。

「さてと、こんなところで立ち話もあれだし、お家に帰りましょう。貴方も疲れたでしょ」

「ああ、そうだな」

 一同が村の中へと歩いて行く中、一言も言葉を発していなかった男の子がこっちの方を見てきた。

「っ!!」

 見つかってしまったのだろうか?!

 僕は男の子が去ってくれる事を必死に祈りながら息を潜めた。

「ん?シュウ、どーした?」

「いや、何でもない。たぶん狸が居た」

「お!まじか!狸汁!!」

「こら!トウナ!狸は冬場の方が美味いって何度も言ってるだろう!冬まで待ちなさい」

「えー、いいじゃーん。ケチー」

「もう、皆行くわよ!」

 …………。

 どうやら一同は村の中へ消えたようだ。

 見知らぬ子供が一人こんな所に居るのが見つかれば面倒な事になるに違いない。

 一先ず、陛下に報告してからまた来ようと思った。



 城へ戻ると何か変わったような気がした。

 元々、僕は他の官吏と仲良くしていたとは言えない感じだった。最年少で科挙を通過し陛下に気に入られて側近の地位に就いている。上下関係の厳しい世界では僕のような存在は嫌われる。それでも、温かく接してくれる人も居た。

 それがどうだろう?嫌悪感剥き出しな人が居なければ、温かく接してくれる人も居ない。何というか良くも悪くもお互いに深く関わらない感じだ。

 何にせよ、陛下に報告するのが先だ。

 僕は皇室へと急いだ。

「陛下!只今戻りました!」

 扉越しに膝を付き、声を上げる。だが、返事はない。

 不審に思い、中を確認するが誰も居なかった。

 この時間なら此処で執務に励んで居ると思ったのだが……。もしかして、体調を崩して眠られているとか?!

 僕は陛下の部屋に向かった。

「陛下、いらっしゃいますでしょうか……?」

 本当に寝込んでいたら部屋を訪れるのは失礼になるのでは?と思い直し、語尾が自然と弱くなる。

「ん?ハルか?!」

 扉越しに陛下の声がした。

「は、はい!只今戻りました!陛下にご報告がございましてお伺い致しましたが、お身体が優れないようでしたら日を改めてご報告に参り――」

 バンッ

 全てを言い終える前に扉が勢いよく開け放たれた。

 あまりにもいきなりすぎて気付いた時には陛下の部屋に引摺り込まれ、陛下の腕の中に収まっていた。

「へ、陛下?」

 陛下が僕を抱き締めるなど一体どうしたと言うのか。明らかに変だ。

 そう思い、陛下の様子を窺おうと胸に押し付けられている顔を動かす。

 ギリギリ

 陛下は僕を逃がさないつもりなのか、動けば動く程、強く抱き締めてくる。その力はあまりにも強く、骨が折れそうだ。

「陛下!陛下!」

 僕は必死に訴えたが陛下の腕の力は強まるばかり。

 このままでは本当に骨が折れてしまうと危機を感じた僕は無礼を承知で陛下の腕に爪を立てた。

 すると陛下の腕の中に押さえ付けられていた視界が一瞬広がり、次の瞬間、陛下の頭が首元に来ていた。

 ガブッ

「え?」

 何が起きているのか分からず呆然としていると、遅れて首に痛みが走った。

「っ!?陛下!!陛下!!」

 ようやく陛下は僕を放してくれた。

 僕は首元を押さえて座り込む。

 痛い……一体何が……?

 首元を押さえていた手を見ると薄っすらと血が付いている。

 陛下に噛まれた……?

 訳が分からなかった。

 陛下を見上げると凄く窶れた状態だった。

「ハル……お前は朕のものだ……絶対に手放したりするものか……」

 僕が城を離れている間に一体何があったと言うのか……。

 今の陛下には以前のような優しさは感じられず、瞳は鋭く冷たい。このまま此処に居れば殺される。

 身の危険を感じた身体が無意識に危険から回避しようと動き出した。

 だが、陛下も僕を逃がす気はないようで直ぐに取り押さえられる。

 必死に陛下の腕を振り払おうとするが、びくともしない。

 陛下に引かれるまま部屋の奥へと進むしかなかった。

 怖い。

 陛下に投げ飛ばされ、倒れ込んだ先は寝台。

 そのまま手足を拘束され、口には布を入れられた。

「これでハルは朕のもの……」

 これから一体何が起きるというのか。

 俯せに寝かせられ、陛下の声と寝台が軋む音のみ聞こえるこの状況で恐怖を感じないわけがない。

「二度と、彼奴に大切なものを奪わせない」

 彼奴?一体誰?

 次の瞬間、身体を引き裂くような痛みに包まれた。

「くっ、ああ!!」

 痛い。鋭利なもので皮膚を裂かれるような痛みだ。

 思わず口に入れられた布を吐き出してしまったが、陛下により再び口に戻され、今度は吐き出せないように上から布で縛られた。

「ハル……辛いと思うが辛抱してくれ……これはお前を彼奴から守る為なのだ」

 あんなに優しかった陛下がこんな事をするとは思えない。陛下の言う“彼奴”とは一体誰?!

 その問いを口に出す事は出来ず、痛みに耐え続けるしかなかった。

 痛い。

 痛い。

 痛い。


 “彼奴”とは一体誰の事なのですか――

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