第九章 ―仁―
『陛下!僕に村へ調査しに行く許可をください!』
そうハルに言われたのは数日前の事だ。
“呪い”の調査をする事はナルーン国との関係改善の為には重要な事だとハルは言う。
確かにそうだと私も思うが、今まで何代にも渡って調査してきたはずだ。それでも解明出来ていないのだから行ったところで何も変わらないのが目に見えている。ならば、他国との問題よりも、まずは国内の問題改善を優先すべきだ。
そう伝えたがハルは納得してくれず、渋々許可を出した。
『必ず陛下のお役に立つ成果を持って参ります!』
嬉しそうに城を出発したハルの背中を見送る時は少し寂しい気持ちになった。
“呪い”の影響が大きい土地はナルーン国近くの辺境の村だ。皇都からは少し距離があるが、流石にそろそろ着いた頃だろう。
私は山積みにされた書類に目を通す。
『陛下、お茶を淹れてきました。少し休憩しましょうか』
そうハルの声が聞こえた気がして顔を上げるが、そこには誰も居ない。
いつの間にかハルが傍に居る状況が当たり前になっていた。
「幻聴が聞こえるとは……疲れているのか……」
そう思い、一度席を立ち背伸びをする。
ハルが居ないと言うだけで部屋がとても広く感じる。依存し過ぎていると反省した。
私は外の空気を吸おうと部屋を出た。空は青く、気候も落ち着いている。本当に“呪い”など存在しているのか疑いたくなる程だ。
「このまま平穏な日々が続けばいいな……」
思わず声が漏れた。
無理に改善せずとも現状維持でも良いのでは?
そう思う気持ちもあった。だが、それはある程度、地位のある者の意見だ。私も含め、衣食住に困らない程度の金があるのは一部の人間のみだ。平民にはその日食べるものですら困っている者が多い。現に、ハルと出逢った時、ハルは餓死寸前だった。それに、マツリカや親父さんの事もある。満足に治療する事も出来ず亡くなった。医療を発達させるには金が必要だ。だが、今のトールウでは厳しい。
何でもかんでも“呪い”のせいだと決め付けるのは良くないと思うが、色々と発展させる妨げの原因の一つではある。
「マツリカ……」
息をするかのように声が漏れた。
マツリカの存在を忘れる事でこの悲しみを忘れられると思ったが、やはり忘れる事など出来なかった。こんなにも愛せた者は後にも先にもマツリカのみだ。
掌に視線を向ける。
まだマツリカの温もりを覚えているのだ。この手で触れたマツリカはとても華奢で、強く握れば壊れてしまいそうだった。そんな身体で店を一人で切り盛りしながら親父さんの看病をしていた。相当無理をしていたに違いない。だからこそ、これからは苦労を掛けさせず、幸せにしてやりたいと思った矢先……。
思わず手を握り締め、瞳を閉じる。
私が腑甲斐無いばかりにマツリカを死なせてしまった。
マツリカが命と引き換えに私に残してくれた唯一の繋がりであるユウも、乳母に預ける形となってしまった。今後会う事は許されない。それは、ハルを再び官吏にさせる交換条件として父上に提示された事だ。ユウとの接触を一切絶つ代わりにハルを再び官吏職に就かせるという事だったから。
ハルもユウも、私には大切な存在だ。優先順位など付けられない。だが、城内で味方の居ない私にとって、ハルの存在は大きかった。
優先順位など付けられないと言っておきながらハルを選んだ私を、マツリカが知ったら怒るかもしれない。
それでも、ハルしか頼れる者が居なかったのだ。
なんて私はこんなにも弱いのであろう……。
「陛下!!」
侍医が駆け付け、一礼し続ける。
「カイ太上皇陛下の容態が急変致しました!!」
「何!?」
私は侍医を押し退け父上の部屋へと駆け出す。
数年前から病が悪化しているのは知っていた。だからこそ、父上も私に皇位を譲る準備を早々に始め、ようやく皇位継承が済み、私も落ち着いた頃だった。
「父上!!」
部屋を訪れると寝台の周りに居た侍医達が端へと避ける。
父上の傍へ腰を下ろし、父上の手を握る。
既に息はなく、勿論、握る手を握り返してはくれない。瞳を閉じたまま動かないが、まだ手の温もりは残っている。だからこそ、ただ単に眠りに就いているだけにしか見えない。そう、眠っているだけ。いずれ目が覚めるはず……。
侍医長が一歩踏み出し、頭を下げる。
「陛下、私共も出来る限り手を尽くしましたが……申し訳ございません」
その言葉が私を一気に現実へと引き戻す。
「父上と二人だけにしてくれ」
「は」
皆を下がらせ、部屋には私と父上だけになった。
「父上……」
マツリカの件で恨んだ事もあった。それでもやはり親子なのだ。もう話す事も出来ないと分かれば涙が出てくる。幼い頃に母を亡くし、私に残された唯一の親だった。どんなに恨んでいても大切に想う気持ちもあったのだ。
「父上……目を覚ましてください……」
ただ単に眠っているだけだと思いたい気持ちばかりが溢れる。だが、現実は呼吸停止し、脈もない。紛れもなく死んでいるのだ。
「父上……」
父上の手を更に強く握り額へ当てる。
死とは突然訪れるものだ。病で身体が弱っていたのは知っていたが、こんな今日突然死ぬなど思っていなかった。
マツリカも親父さんも突然私の前から居なくなったのだ。父上まで私の元から居なくなると言うのか。
「一人にしないでください……」
夢を見た。
それはまだ私が幼い頃。目の前には立派な墓。そして、隣には父上が。
「父上?母上は……?」
父上は首を振り、答える。
「ジン、私はもう老いてしまった。子宝に恵まれなかった私には……いや、トールウには、もうお前しか居ないのだ。それを理解してくれ」
そうか。この立派な墓は母上の墓か。
そう言えば、葬儀が終わったところだった。ただただ現実を受け入れられず、ぼーっとしている内に終わったようだ。
「母上……」
自然と涙が溢れる。
「ジン、泣くでない。これからは次期皇として民を率いて行かねばならない。上に立つ以上、私情に左右されては困る」
「でも、母上が……」
「母が居なくとも強くあれ。一人でも生きていける術を身に付けるのだ。決して弱いところを人に見せてはならん。“皇”とはそういうものだ。いいな?」
「……分かりました」
泣いてはいけない。
弱さを見せてはいけない。
“皇”とは孤独なもの。
一人でも生きていけるようにならなくてはならない。
『ジンさん』
「っ!?」
名を呼ばれ振り向くと、そこにはマツリカが微笑んでいた。
「マツリカ……」
私はマツリカを求めて駆け出す。
「マツリカ!ずっと会いたかった!」
愛しいその姿を胸に収めようと抱き締めるが、マツリカは光の粒となって消えた。
「マツリカ……マツリカ!」
辺りを見渡すが姿はない。
「マツリカ!!」
思わず地面に拳を叩き付ける。
そうだ。マツリカは死んだ。もう、戻って来ないのだ。
『陛下……』
「っ!!」
また呼ばれ振り向くと、今度はハルが居た。
ハルは一度笑顔を見せると踵を返し駆け出した。
「待ってくれ!」
追い掛けようと足を出そうとしたが、動かない。何者かが私の足を掴んでいた。
「放せ!!ハル!!待ってくれ!!」
叫ぶがハルの背中はどんどん小さくなる。
『お前は罪のない子を巻き込むのか?』
「っ!?」
どこからともなく声がした。
『あの子は関係ない。何故、巻き込んだ』
「一体何の事だ?!」
どうやら声は足元から聞こえるようだ。
足元に視線を向けると地面が揺らぎ、赤い液体へと変化した。
「血?!」
そう思った瞬間、足を掴む力に引っ張られた。
血の海に引きずり込まれ、息が出来ない。苦しい。
『トールウに掛けられた“呪い”は青龍と青龍を諫められなかった皇族の罪だ!』
私は悪くない。こんなにも良い方へと向かうよう尽力してきたと言うのに、何故それを認められず、全て私の責任となるのだ。全ては青龍が黄竜を殺めたのが原因。
そうだ。悪いのは私ではない。青龍だ。
青龍に守られている事で罪を被せられるのであればそんな国、滅んでしまえばいい――
あれから何日が経ったのだろう。
涙は枯れてもう出ない。私は父上の亡骸を目の前に動く気力すら無くし、ただ単に父上の横に座り続けている。
時折、官吏共が部屋の外から政を再開しろと囃し立てに来ていたようだ。親の死を悲しむ時間も与えてくれないと言うのか。
キィィ
「ジン、今日も食事に手を付けていないのか?せめて水だけでも摂ったらどうだ?」
セイが部屋に入って来た。
女官が持って来ていたのであろう。廊下に置いてあった食事をセイは机に置く。
「死が辛いのも分かるが、このままではお前まで死んでしまう。そうなれば国が傾く」
結局それだ。セイは人の命よりも国の方が大事だ。国が傾けば自分が危ないからだ。
「ほら、今日のは芋の甘露煮があるぞ。甘いの好きだろ?」
そう言って箸で芋を掴み、私に見せる。その姿に何かが弾けた。
「国が傾く、国が傾く、お前はそればかり」
久しぶりに声を発し、今まで溜めに溜め込んでいた想いが溢れる。
「元はと言えば青龍が黄竜に手を出した事が原因だろう!?国がこんなにも苦しいのはお前ら青龍の所為だ!何故、その皺寄せを私がしなくてはならない!」
私はセイの胸倉を掴み上げる。
「お前らが言う“呪い”の所為でどんなに尽力しても国が一向に良くならない!国が苦しい所為でマツリカや親父さんが死んだ!父上も、お前らの所為で無駄な心労を掛けられ死んだ!お前が皆を殺した!!」
セイは言い返せず黙ったまま。
「これ以上、お前らの事情に私を巻き込むな!!」
そう吐き捨て、私は部屋を後にした。
私は官吏共を朝庭へと集めさせ久しぶりのを朝政を始める。
瞳を閉じ深呼吸を一つ。
今までのやり方では温かった。これからは私のやり方でやる。私に意見するものは此処には要らない。この国は私のものだ。私がどうしようが指図される謂れはない。
瞳を開けた時、新たな世界が広がっているような気がした。
「此れからは朕の時代だ。朕に忠誠を誓える者のみ残り、朕に従えぬ者は即刻この場から立ち去れ。これからのトールウには朕に忠誠を誓えぬ者は要らぬ!」
今まで我慢してきたのだ。これからは好きにさせてもらう。これで国が傾こうが知った事ではない。大切な者がもう居ないこの世界がどうなろうが関係ない。
これは朕から全てを奪った青龍に対する復讐だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます