第八章 ―春―

 再び城で生活するようになって数ヶ月が経った。

 初日は案の定、前皇帝であるカイ太上皇から非難を受けた。それもそのはず。目の前に現れるなと言われたにも関わらず、再び官吏として城内に足を踏み入れているのだから。

 そんな状況でも陛下は太上皇の意見をはね除け、僕を傍に置いてくれている。本当に有難い。

 持っていた書類を執務室へ届けようと扉に触れた時だった。

「陛下のお気に入りだろ?」

 中から声が聞こえるこの感じも、もう慣れた。

 色眼鏡で見られたくなくて再び科挙を受けたが、あまり意味をなさなかったようだ。

「三年前、突然居なくなったと思ったらまた戻って来て、子持ちだって」

「ああ、それな」

「皆、ハルが陛下の子を孕んだからそれを隠す為に消えたんだって噂しているやつだろ?」

「そう、それ」

 とんでもない噂が広まっているようだ。

「あー、でも、俺が聞いた噂は娼婦の子だって聞いたぞ?」

「娼婦?!それ、大丈夫なのか?」

「大丈夫な訳ないだろう。だから太上皇陛下も継承権のある皇太子殿下と認めていないって聞いた」

「私はハルとの子だから認めていないのだとばかり……」

 確かに、太上皇はユウ皇太子殿下を“皇太子”と認めていない。だから、陛下の傍にユウ皇太子殿下を置かせず、後宮の乳母の元へ預けている。陛下が何故、それを許したのか分からないけど……。

 それよりも、僕が女疑惑はまだ続いているのも不思議というか、何と言うか……。三年経っても変わらない奴は変わらない、という事か。

 僕は溜息を漏らし執務室へと入った。

 書類を届け、代わりに陛下の元へ持っていく書類を受け取った。

「陛下からの御寵愛はさぞかし良いんだろうな」

 背後から耳元で囁かれ、思わず振り返る。

 三年前にも僕のよく分からない噂話をしていた奴だった。当時は同期として官吏になった奴だが、僕が改めて官吏になった事により、奴は“先輩”になってしまった。

「良いよな、なーんの苦労もせず、陛下に気に入られただけで側近にまで上り詰められて」

 苦労していないだと?僕が生きる為にどんなに苦労してきたか、お前に分かるものか。

 だが、官吏として必要な知識を得る為に陛下の力を借りていたのも事実。殴り掛かりたい気持ちもあったが必死に堪えた。

 言いたい奴には言わせておけばいい。

 そう言い聞かせ、奴の言葉は全て無視して執務室を出ようと扉へ向かう。

「無視すんな!」

 そいつは僕が部屋を出るのを遮るように扉の前に立ち塞がり胸倉を掴んできた。

「いつも澄ました顔しやがって……三年前に消えて清々していたというのにまた現れて……俺はお前が嫌いだ」

 別に好かれたいと思っていないので嫌われようが問題ない。だからと言って、胸倉を掴まれる義理もない。

 僕はそいつの手を振り解こうとしたが、ガッチリ掴まれていて中々離れない。皇宮という大人社会で生きているとは言え、僕はまだ十歳だ。恐らくこいつは二十代。腕力で勝てるはずもない。

「そうだ。ここでお前が女って事をバラしてしまえばいい。そうすれば官吏で居られなくなる」

 確かに、トールウでは未だに女性官吏は認められていない。だが、僕は男だ。関係ない。

「やれるものならやってみろ」

 睨み付けてやるとそいつは僕の服を引き剥がした。

 現れたのは勿論平らな胸。男なのだから膨らむはずもない。

 悔しそうな奴の顔は見ていてスカッとした。

 だが、奴は納得していないようで、僕の穿袴にも手を掛けた。

「胸なんて当てにならない。だが、下ならどうだ?!」

 バンッ

 穿袴も引き剥がされると思っていた所に勢いよく執務室の扉が開け放たれた。

 突然の事でその場に居た者は皆、扉の方へと視線が向く。

「遅い!一体何をしていると言うのだ!!」

 そう言って執務室の扉を開け放った人物は仁王立ちで中を見渡す。

「へ、陛下?!何故こちらに……?」

 皇自ら此処へ来る事は滅多にない。上位の官吏や側近である僕が皇室と執務室の架け橋になっているのだから。

 陛下は上半身裸の僕に気付き、口を開く。

「これは一体どういう状況なのだ?」

 その場に居た者は恐れおののき、額を床に押し付ける。僕をこんな状態にした張本人も例外ではなく頭を下げている。

 僕がこの場でこいつに言い掛かりを付けられ見せしめのように服を引き剥がされたと言えば、こいつはこの場から消えるだろう。だが、そうなればこいつの人生も崩壊するかもしれない。この場に居る者達は皆、努力して官吏になったのだ。どんなに憎たらしくても、努力してきた事は変わらない。地の底に落としたい気持ちもあるが、一時の感情で一人の人生を滅茶苦茶にするのは後味が悪い。

 僕は息を軽く吐き、口を開いた。

「陛下、すみません。僕が服を引っ掛けてしまいまして、破れた部分を直して下さるとの事でお願いしておりました」

 陛下は床に落ちている僕の服を拾い上げ、糸が解れている部分を見つけた。

「そうか……。だが、この後は大臣との会食がある。服は侍女に任せ、新しい物に着替えてくれ。お前も、わざわざありがとうな」

 何も知らない陛下は奴にそう告げ、僕を引き連れ執務室を出て行く。出る間際に奴の顔がチラリと見えたが何とも悔しそうな顔だった。それだけで僕は十分だった。

 執務室から大分離れた頃、陛下は突然立ち止まり僕の方を振り向く。

「ハル、何故嘘を吐いたのだ?」

「え?」

「ただ書類を届けてくるだけだと言うのに戻って来るのが遅いので何かミスがあったのかと思い、執務室へ来たのだが……何故、自分は女ではないと否定しなかったのだ?」

「陛下、聞いておられたのですか!?」

 陛下は事実を知った上で執務室に入ってきたのか……。

「『お前が嫌いだ』って声が聞こえて不穏な空気が流れていたのでつい……。入るタイミングを逃してしまい、ハルが辱しめを受ける形になってしまった。すまない……」

 そう言って陛下は頭を下げる。

「へ、陛下?!やめて下さい!頭を上げてください!」

「いや、しかし、官吏の不祥事は皇である私の責任でもある。本当にすまない」

「陛下……」

 そう言って頭を下げ続ける陛下。

 陛下には何度も命を助けられた。今だって僕を守る為にプライドを捨てて頭を下げてくる。皇だからと傲らず、僕のような孤児にも手を差し伸べてくれる。

 陛下の為に、陛下がトールウにとって最高の皇になれるよう、僕も何か力になりたいと改めて思った。



 陛下の為に僕が出来る事は何だろう?と考えたものの、僕に出来る事など何もない。では、陛下が今一番困っている事は何だろう?そう思うと、思いつくのはナルーン国との関係だろうか。ボルク国やザフリイ国とは良い関係へと向かっている一方、ナルーン国とは中々良い関係になっていない。

 ボルク国とは隣国同士で歴代の皇同士、仲良くしてきたようだ。その流れでザフリイ国とも交流を持ち、現ザフリイ皇のカエン様や第一皇女のアイカ様と陛下も良い関係を保てている。

 国として一番遠い地であるザフリイ国とも仲良く出来ているのだからナルーン国とも仲良く出来るはず。

 僕はそう思い、ナルーン国の事を色々調べた。

 ナルーン国とは南に位置する隣国。国土はトールウとそんなに変わらない。火を司る朱雀が守り神の影響か、トールウより気候は温かいようだ。別に鎖国しているわけでもない、至って普通の国。それなのに、何故ナルーン国との交流があまりないのか……。

 ボルク国は広大な国土。ザフリイ国は栄えた商業。それぞれ他国に負けない部分がある一方、ナルーン国とトールウは突出した良い部分が特にある感じではない。トールウの孤児問題を考えればナルーン国の方が豊かに見えるが、ほぼ同じような国。だからこそ、競いあってしまって仲良く出来ないのかもしれない。

 あまり仲良く出来ていない原因はそれくらいしか思い付かなかった。

 だが、このままでは一向に関係改善されるわけがない。目指すのは国同士の友好関係を築く事だ。仲良くなりたいのであれば、張り合っていない意思を示して歩み寄らなければ。

 僕はどうすればナルーン国へ伺えるか相談すべく、陛下の元へと向かった。



「ナルーン国へ向かうのは厳しいかもしれない……」

 陛下に相談したものの、渋い顔が返ってきただけだった。

「何故ですか!?国同士が仲良くするには歩み寄らなければ仲良くも出来ないです!」

 トールウの守り神は青龍。木々などの植物を司る神だ。今はまだ難しいかもしれないが、将来的には植物に恵まれた国になるはず。その時にお互いに仲良くなっていれば必ずナルーン国のお役に立てる。別にナルーン国にとって悪い話ではないはず。

 そこをアピールすれば少しは好転すると思うのに、何故陛下は難しい顔をするのか分からない。

 陛下は何か言いにくそうにしている。

「何か、他に理由があるのでしょうか?」

「う、んー……」

 その言葉に陛下は歯切れの悪い返事をするのみ。これは何か隠していると思った。

「僕はトールウが今よりもっと良い国になるようお手伝いがしたいのです!でも、僕に出来る事などまだ何もありません……。だから、せめてナルーン国との交流の架け橋になりたいと思っております!」

 陛下に詰め寄るが、首を縦には振ってくれない。

「ボルク国やザフリイ国とは友好関係を築けているのですから、ナルーン国とも仲良く出来るはずです!それなのに、何故ですか!理由があるのでしたら教えてください!」

 僕の必死な訴えに観念したようで、陛下は深い溜息を漏らし、口を開いた。

「分かった。理由を話そう」

 そう言って、陛下は部屋の外に誰も居ない事を確認し、部屋に鍵を掛けた。

「これは国家機密の中でも重要度が高いものだ。本来、皇以外には知られてはマズイ内容だ」

 陛下は部屋の奥へと僕を連れていく。万が一聞き耳を立てられていたらマズイのだと、声が外へ漏れる事のない奥深くへと向かう。

「ハルがこれを知ってしまったら、この先、皇の側近以外の職に就く事を私は許してやれなくなる。それ程の覚悟はあるな?」

「はい」

「そうだな……始まりは太古の昔、国が五つあった頃の話だ」

「え!?ちょ、ちょっと待って下さい!国が五つ、ですか?!」

 この世界は東西南北に分けた四つの国で成り立っている。それが、遥か昔は五つあったということ?!

「私も初めて聞いた時はそういう顔をした。今まで四つの国でこの世界は成り立っていると聞かされていたのに、それが実はもう一つ国があったなどと……。それに、何故その事実を公には出さず皇にのみ伝えて来られたのか……。実はそこに問題があったのだ」

「問題、ですか?」

 確かに問題があったからこそ隠されてきたのだろう。

「青龍がもう一つの国の守り神である黄竜を殺めたのだ」

「……え?」

「守り神と国の関係は知っているな?」

「は、はい。国が傾けば神も病に臥せ、神の身が危険に晒されれば国も傾く。そういう関係だと聞いております」

「ああ、そうだ。だから黄竜が死ぬという事はその国が滅ぶ事を示している」

「えっと……つまり、青龍が黄竜に手を出したという事は、トールウがその国に手を出したという事で……ナルーン国はそれを許していないからトールウとは仲良く出来ないという事でしょうか?ですが、それは遥か昔の話ですよね?国が五つあった事実を今は誰も知らない。それくらい時が経っているのにまだ許せないというのですか?その当時関わった者はもう居ないからこそ国が五つあった事実は知られていないのではないのですか!?」

「そうだな。当事者である青龍も黄竜を殺めた後に亡くなっている。今の青龍は別の者だし、他の神々も代替わりして当時から居る神はナルーン国の朱雀のみらしい。それ故、トールウは当時の事件に関りがないと神々と各国の皇達の寛大な計らいにより五つ目の国を隠し通して今に至っている」

「では、何故、ナルーン国はトールウを許していないのですか?許して下さったからこそ、五つ目の国を隠して下さっているのではないのですか?」

「それだが、青龍の死に方に問題があったらしい。本来、神の代替りとは次の代が現れてから今の代が亡くなり、神が不在になる時が一時たりともないそうだ。だが、青龍は黄竜を殺めた後に人の手により殺された。」

「……え?」

 神は絶対的な存在。確かに、神の身が危険に晒されれば国も傾くとは言われているが、その“危険”というものが人の手によって直接殺す事が出来るものだとは思っていなかったので、驚きを隠せなかった。

「遥か昔は神も人の前に姿を現していたそうだ。だが、この一件により皇以外の前に現さなくなったらしい」

 人の手でも殺せる事が分かってしまえば、危険を回避する為に身を隠す必要があったという事か。

「話を戻すが、黄竜を殺された恨みにより青龍は殺されたと言われている。“恨み”というものは悲しい事だが物凄い力にもなる。その“恨み”は呪いとなり、今もなおトールウを蝕み続けている。唯でさえ青龍不在で荒れ果てた土地だ。此処まで人が暮らせるまでに戻せた事が奇跡とも言える。だが、これ以上回復させるのは厳しい。現状維持出来るか出来ないか。そういうレベルの話だ。それもこれも、全て青龍が黄竜を殺めてしまった事による“呪い”だ」

「つまり、ナルーン国の言い分は呪われているから関わりたくないという事なのでしょうか?」

「そうだな。トールウに掛かっている呪いはナルーン国をも蝕んでいるようだしな。現に、これを見てくれ」

 そう言って陛下は古い地図を出してきた。

「国が五つあった当時のものらしいが、国土が今より広い事が分かるだろう」

 確かに、今の地図と比べると大分大きい。

「元々、トールウもナルーン国もザフリイ国と同じくらいの大きさだった。それが、呪いにより土地が枯れ、どんどん浸食されてしまっている。特に浸食が酷い場所が偶々ナルーン国に近い場所だった。それだけで二国の関係が良くない原因なのだ。逆にそれだけでも関係が拗れる程、事は重大なのだと思い知らされる」

 陛下は古い地図を厳重に鍵が掛けられている金庫へと戻した。

「国土が減る事は国にとって一大事だ。関わる事で危険が及ぶ可能性があるのならば関わる事は出来ない。そういう事だ」

 陛下の話は尤もだった。国土が減れば衣食住のバランスも崩れる。それは国が傾いている証拠だ。皇としてそれは許しておけない事だ。

 仲良くしたくても出来ない事もあるのか。

 そう思い知らされた。

「それでも……」

 僕に出来る事などないかもしれない。

「このままでは、国が傾く事はあっても好転する事はないと言う事でしょう……?」

 このまま傾くのを、指を咥えて待つくらいならダメ元でも行動に移さなくては。

「ならば、元の原因である“呪い”をどうにかすれば解決するのではないのでしょうか?」

 それが出来ていればとっくにしているだろう。出来ないから今この状態なのだと頭では理解しているが、心は何もしないでいる事を良しとしない。

「だが、どうすればいいのか分からない。当事者ではないと周りが言ってくれても、青龍が招いた事はトールウが責任を持つのが当然だ。歴代の皇も尽力してきたが、解決策など見つかっておらん。現状を維持するのがやっとだ」

 正直、解決策などない状態。“呪い”という漠然としたもので括られたものを調べたところで何も解明出来ず徒労に終わるかもしれない。それでも何もしないでいられない。

「陛下、どうか僕にこの件について調べさせてください」

 僕を何度も助けてくれた陛下。そんな陛下のお役に立てるのであれば徒労に終わろうが構わない。

 そう思った。

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