幕間 ―茉莉花―

 ジンさんが皇太子様だと知った日からひと月程経った。

 今は、住む場所を失ってしまったハル君と一緒に住んでいる。

 ジンさんの事は簡単に整理がつく事ではないけれど、ハル君やお腹の子が居てくれるお陰で、それでも生きなきゃいけないという気持ちにさせてくれた。

「ケホケホッ」

「風邪ですか!?」

 咳込む私にハル君は心配して布団を掛けてくれる。

「ありがとう。でも、大丈夫。ちょっと咽ただけだから」

「そうですか?最近よく咽るみたいですけど……本当に大丈夫ですか?もうすぐ臨月ですし、風邪を引いたら大変なのですから温かくしてください」

「ふふ、何だかジンさんみたい」

 血は繋がっていないけれど、一緒に生活していただけはあるのかな。ハル君とジンさんが本当は兄弟なんじゃないかと思うくらい似たような行動を時々する。

「そうだ!今度から、街の定食屋さんで下働きとして雇って貰えるようになりました!」

「本当!?凄い!」

「産まれた子供が大きくなったら、マツリカさんにはお店をまた開いてほしいと思って……その時に僕もお手伝い出来たらいいなと思って。定食屋さんですけど、何か役に立つ事が学べればいいなって」

 笑顔を浮かべて話してくれるハル君。本当に良い子だ。

 それに比べて、私は何も出来ない。

 兵士が乗り込んできたあの日、押さえ付けられている状況は皆同じだったのに、私だけ声を発する事も出来なかった。

 思わず布団を握る手に力が籠る。

 辛い時、傍にはジンさんが居てくれた。それに甘えたばかりにジンさんに迷惑を掛けてしまった。私はジンさんに何もしてあげられなかったのに、ジンさんは私に“愛”をくれた。

 ああ、ダメ。思い出すと涙が出てきちゃう。

 ジンさんの事は忘れようと何度も何度も思った。出逢ったばかりの頃はよく話し掛けてくる変なお客さん程度の認識だったのだからその当時に戻るだけ。そう思っても、いつの間にか私の中でジンさんの存在は大きい存在になっていたのだと改めて思い示されるだけだった。

 目を閉じれば浮かんでくるのはジンさんの優しい笑顔。もう触れる事も、会うすら叶わない。想い続けてもつらいだけ。忘れてしまうのが一番。そう思えば思う程、ジンさんへの想いが消えるどころか、膨らんでしまう。

 何で、ジンさんは皇太子様で、私は単なる平民なのだろう……。

「そういえば、産まれてくる子の名前ってもう決めているのですか?」

 黙り込んでしまった私を気遣うようにハル君は話題を振ってくれた。

「実はね、ジンさんと二人で考えてもう決めているの。何事にも恐れない勇敢な子に育って欲しいと思って『ユウ』って付けようと思っているの。男の子でも、女の子でも『ユウ』。あと、『仁智勇』ってところからも……。『仁』はジンさん、『智』はハル君、『勇』はこの子。ジンさんがね、ハル君も大切な家族だから何か繋がりが欲しいって。ジンさんなりの優しさだね」

 このお腹の子はジンさんと私を繋げてくれるだけでなく、ハル君も家族として繋げてくれる子なのだと嬉しそうに話すジンさんが鮮明に思い出される。やっぱり、ジンさんへのこの想いを消すことは出来ない。

 ふと、ハル君を見ると大粒の涙を流していた。

「ハ、ハル君!?な、泣かないでー!」

 私はハル君の頭を撫で、慰める。

「すみません……。僕には血の繋がった家族はいません。だから、殿下の優しさについ涙が……すみません……」

 ハル君が孤児だったというのはジンさんから聞いていた。親の温もりがまだ必要なくらい幼い頃から一人で過ごしてきたのだと。ジンさんはハル君にとってお父さんでもあるしお兄さんでもある。血の繋がりなんて関係ない。それを超越した“家族”なんだ。

 そう思うと、自然とハル君を抱き締めていた。

「ハル君にとって、私も“家族”になれたらいいな」

「マツリカさん……ありがとうございます」

 ジンさんにもう会えないのはつらい。もっと話したい事が沢山あったし、伝えたい事も沢山あった。それがもう出来ない。会えないのならいっその事……。そう思う時もあった。それでも、この子達を置いていく事は出来ない。これからは三人で生きていこう。そう改めて思った時だった。

 プツン

「ん!?」

「マツリカさん?」

 身体の中で何かが切れるような軽い衝撃を感じた。下半身に違和感を覚え、ハル君から手を離し、掛けていた布団を剥ぐ。

 濡れている。

「マツリカさん、コレ……破水!?」

「っ!!?」

 布団が濡れる程の水がじわじわと流れ出ている。自分の意志では止められない。一気に恐怖が襲ってきた。

「と、とにかく、安静に!横になっていて下さい!」

 ハル君は慌てて私を横にさせ、出掛ける準備を始めた。

「今、お医者様を呼んできます!」

 そう言い残し、家を出て行った。

 人里離れた場所にあるこの家から一番近い町まで結構な距離がある。馬を全力で走らせて20分くらい。その間、この恐怖に一人で耐えなくてはいけない。

「ジンさん……ジンさん……」

 名前を呼んだところで来るはずもない。それは分かっている事だけど、呼ばずにはいられない。

 次第にお腹にも痛みを感じ始めた。

 布団を握り締め、苦痛に耐えるしかない。

 母を亡くし、父も亡くし、独りぼっちになってしまった私にジンさんは“家族”を与えてくれた。ジンさんとお腹の子と幸せな家庭が築けると思っていたのに、どうしてこうなってしまったのだろう。

 初めての出産で、更には破水。恐怖を感じないはずがない。

 恐怖で息は荒れ、胸が痛い。

「ジンさん……」

 弱気になってはダメ!この子には私しかいないのだから!

 ううん。そんなの綺麗事。

 母を奪われ、父も奪われ、更にジンさんも奪われた。私にはもうこの子しか居ない。絶対にこの子だけは奪わせない。


 どうかお願い。この子まで私から奪わないで。

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