第三章 ―仁―

「いらっしゃいませ~。あ!また来てくれたんですね」

 店の暖簾を潜ると愛らしい娘が出迎えてくれる。彼女の名はマツリカという。この甘味処の一人娘だ。

 私が空いている席に着くと、マツリカは湯呑を持ってくる。

「いつも来てくれるのは嬉しいけど、お仕事はいいんですか?」

「ああ、今は休憩時間だから心配するな」

「休憩時間と言っても……御役所勤めなんでしょう?わざわざこんな所まで足を運んで……行って帰ってくるだけで時間使ってしまうんじゃないんですか?休憩時間っていうのは休む為にあるんですよ?こんなんじゃ身体が壊れてしまいますよ?」

「何を言っているんだ。マツリカの顔を見ると元気になれるからこうしてほぼ毎日通っているんだ!」

「!!?」

 マツリカの顔がみるみる内に赤く染まっていく。とても可愛らしい。

「私、最近気付いたのですが……」

 御盆で顔を半分隠しながらマツリカはボソボソと続ける。

「ジンさん、チャラいです……」

「……は?」

「いろんな子にそう言う事言ってそう」

「はぁ?!私はマツリカにしかこんな事言っていないぞ?」

「あー、はいはい。分かりましたー。それより注文してください。此処は甘味処ですよー。何か頼んでくれなきゃ商売上がったりですよー」

「おっと、そうだったな。では……今日は白玉あんみつを頼む」

「かしこまりました」

 マツリカは厨房へと戻り、私は暫し一人の時間を楽しむ。

 私がこの店に通うようになったのは半年ほど前の話。国の状況を把握する為、度々城を抜け出していた時に見つけた。

 最初は店の味に惚れ込み、近くまで来た際に寄る程度だったのだが、気付けばマツリカ目当てに通うようになってしまった。

 詳しい事は分からないが、この店も昔は家族でやっていたらしい。だが、今はマツリカ一人で切り盛りしているようだ。大変だろうに……。それでも辛い顔一つ見せる事なく迎えてくれるマツリカに惚れない理由などなかった。

 それから度々マツリカに言い寄ってはみたものの、中々落ちない。だが、言い寄られたからと言って直ぐに落ちないところもマツリカの魅力だと私は思う。

 そうこうしている内に、注文した白玉あんみつが来た。

「白く輝く白玉に餡子、そして黒蜜!やっぱり此処の白玉あんみつは最高だな!」

「ふふ、ありがとうございます」

 そう言ってマツリカは厨房へ戻ろうと向きを変える。

 何だかサラッと流されてしまった……。

「あ、そうだ!」

 マツリカは何かを思い出したようで再び私の元へと戻ってきた。

「ジンさんには伝えておこうと思っていた事があって……」

「ん?何だ?」

「実は……近々お店を畳もうと思っているんです」

「…………はぁあ!!?何故だ!!?」

 ガタガタンッ

 思わず立ち上がってしまった。

 身長が高い部類に入るであろう私が立ち上がった事でマツリカの視線は上を向き、のけぞり返っている。

「ええっと……ほら、最近お客さんも減ってきちゃったし……」

 体勢がキツそうなのでとりあえず席に着いた。

「毎日のように来てくれるジンさんには申し訳ないなぁと思っているんですけど……その……」

 マツリカの視線が逸れる。

「ちょっと厳しくて……」

 苦笑いを浮かべている。

 マツリカのこんな表情は初めて見た。本当は店を閉めたくないのだろう。それでも仕方なく閉めるという事か……。

「……店を畳んだ後はどうするんだ?」

「ええっと……少し伝があって……そちらで働かせてもらおうかと思っているんです」

「そうか……」

 マツリカ目的に来ていたのは勿論なのだが、此処の味は本当に素晴らしい。それがもう味わえなくなると言うのはとても残念だ……。

 トールウが不況に陥っているのは勿論知っている。この店の立地的に、他国の行商人がトールウへ出稼ぎに来た際に立ち寄るのが大半の客層なのだろう。だが、トールウのこの不況にボルク国やザフリイ国の行商人もトールウへ行っても物が売れない、行くだけ無駄。という考えで他国からの行商人の数は激減している。トールウの一部の富裕層が他国の品の良さを求めているとは言え、それだけではやっていけない……そういう事だ……。

 それから数日後、マツリカの店は本当に閉店してしまった。



 最後にマツリカと会ったのはいつの事だったか……ああ、まだ一週間しか経っていないのか……既に一年くらい経ったような気がしていた。

 あれから毎日マツリカの家を訪れているが、いつもタイミングが合わず留守だった。店を畳んだ事であの家に住む理由もなくなって別の所へ引っ越したのかとも思ったが、軒先に置いてある植木鉢の位置が変わっている日もあった事を考えると、まだ住んでいるようだった。

「はぁ……」

 溜息が漏れる。

「ジン……ジン聞いているのか!?」

「え?あ!はい!聞いております!」

 父上と話し合いをしている最中だった。

「で、どうするつもりなのだ?」

「は、はい。やはり、孤児が増える原因の一つに私娼の存在かと。国が認めていない場所での行為は子が出来てもこちらが管理しきれない。それは大きな問題かと」

「それは私も思っていた……。で、これに関してはお前が担当したいと?」

「はい。孤児問題についてはハルに任せておりますが、流石に遊郭関連についてはまだ早いかと……」

 拾ってきてしまったハルを城に置かせる為に父上を納得させるには、ハルに仕事を与える事だった。孤児だったからこそ気付く部分があるはずだと父上を説得し通した。初めて会った時はまともに話す事も出来ず駄目かと諦めかけたが、ハルはみるみる内に知識を吸収し、今年の科挙は首席で通過する程になっていた。元々素質はあったのだろう。勉学に励める環境を与えてやるのは国を発展させていくには大切な事だと改めて思った。あの時、もしハルと出逢わなければ、ここまで知識吸収できる存在を我が国は失うところだったのだ。それはとても恐ろしい事だ。

 そんな事もあり、父上はハルを認め、孤児問題の担当に就かせてくれた。しかし、ハルはまだ六歳。知識はあれど流石に遊郭関連に触れさせるのはどうかと思った。

「ハルがある程度の年齢になるまでは私が代わりに管理しようと思っております」

「そうだな……」

 父上は少し考え込み、頷いた。

「分かった。皇の位に就く前に纏め上げる力は養っておいた方が良いだろう。この件に関してはジン、お前に任せる」

「ありがとうございます」

 そうと決まれば現状把握が最優先だろう。現状が分からなければ対策のしようがない。そう思い、私は早速色街へと向かった。



 先ずは街の風紀の確認。

 本来、遊郭の営業は国の許可がないと出来ない。無許可で営業している店の取り締まり。あとは店を構えず、合法な店に入ろうとする客に手を出す私娼。後者の私娼が厄介だ……。

 そう考えながら辿り着いたのはこの色街で一番敷居が高いと言われている店の目の前。外観からして他の店と比べ物にならない豪華さだ。

 そもそも、色街に来るには金が掛かる。ピンからキリまであるとは言え、ちょっとした遊び感覚で来られるようなものではない。そんな中、特にこの店に来られるような者は相当金を持っている。金目的の私娼が狙うにはこう言う店に来る客の方が稼げるだろうと私は思い、この辺りに居れば私娼から近寄って来てくれると考えた。

「お、お兄さん!よ、良かったら、わ、私と遊びませんか!き、気持ち良いから、ど、どうですか!?」

 早速声を掛けられた。まさかこんなに上手く行くとは思わなかった。にしても、随分と不馴れな感じの声の掛け方だ、などと思いながら振り向いた。

「!!?」

「!!?」

 互いに目を見開いた。

 そこに居たのはずっと会いたいと思っていた者で、此処に居るはずのない者。

「……マツ……リカ?」

 私がその名を呼ぶと、女の顔はみるみる内に青褪めていく。

「何故、こんな所に……?」

 マツリカだと思われるその女は私の質問に答える事無く、一目散にその場から逃げ出した。

「マツリカ!」

 マツリカを追い掛け、私も駆け出す。マツリカは必死に逃げるが直ぐに追い付き、腕を掴んだ。

「何故逃げる!」

「…………」

 マツリカは私に顔を見られたくないのか俯き、視線を合わせてくれない。

 声を掛けて来たのはマツリカの方だ。此処で客引きをしているという事がどういう事なのか理解しているつもりだったが、マツリカがそういう事をしていた事にショックを隠せず、マツリカを掴む手に力が籠ってしまう。

 他人の空似で別人だったらいいのに、と思った。

「痛い……」

 漏れた声は正しくマツリカのもので、そこに居るのは間違いなくマツリカなのだと改めて実感した。

「強く握りすぎた……すまない……」

 手を離すとマツリカは掴まれていた腕を摩る。逃げようとする様子はない。

「……軽蔑、しましたよね」

 小さい声でマツリカは呟く。

「そ、そんな事は……」

 何と声を掛けるべきか分からなかった。

 暫く沈黙が続き、先に動き出したのはマツリカだった。

「……では、私はこれで」

 そう言ってマツリカはその場を去ろうとした。

「待ってくれ!」

 思わず引き止めた。

 此処で客引きをしていたと言うことはそう言う事だ。このままマツリカを離したらその後どうなるのか想像がつく。

「金なら払う!」

 他の男に触られるくらいならと、最低な発言をしてしまった。

 マツリカに嫌われた瞬間だと思った。



 いつまでも色街にいるのは良くないと思い、私はマツリカを連れて色街を離れた。そして、今は食堂で一息ついている。此処に向かう間、会話など一切なく、妙な空気が流れていた。

「遠慮せずに食べていいぞ?」

 ずっと俯いたままのマツリカに声を掛ける。

 卓上には適当に注文した食事が並んでいる。

「…………」

 マツリカは無言のままだ。

 このままでは埒が明かない。無理に問いただせば嫌われると思ったが、既に嫌われているはずだ。これ以上嫌われたところで変わらない。そう言い聞かせ、私は重い口を開いた。

「何故、あの場に居たのだ?」

「…………」

「あの場所がどういう場所か知っているのだろう?」

「…………」

「だから声を掛けて来たのだろう?」

「…………」

「何も答えてくれないか……」

「…………」

「そんなに金が必要なのか?」

「……ジンさんには分からないです」

 凄く小さな声だったが、マツリカは確かにそう呟いた。

「御役所勤めで生活を保証されているような人には民の苦しい状況は分かりません」

 徐々にマツリカの肩が震えていく。

「色街なんて贅沢な娯楽です。そこに遊びに来るようなお金に余裕のあるジンさんには私達のような一日を過ごすのがやっとの苦しい状況は分かりません」

 国が傾きつつあるのはひしひしと感じていた。何も知らないでは済まされない立場に居る事も分かっている。だからこそ、知ろうと思い、こうして自ら城を出て動いている。皇になればこんな自由に動き回れなくなる。皇太子という立場だからこそ、まだ動き回れるのだ。

 だが、現実はどうだ?私一人が動いたところで変わっているとは思えない。現に、マツリカは生活が苦しく、私娼となっている。

 震えるマツリカの肩に手を伸ばそうとしたが止めた。

「とにかく、色街を彷徨くのは止めた方がいい。国は孤児が増える原因の一つが管理しきれていない私娼の存在だと認識している。今後、私娼の取り締まりが強化されるはずだ」

 とにかく今はマツリカの身の安全を守る事しか私には出来ない。このまま私娼を続け、捕まる事がないよう、私娼の取り締まりについて話した。

 マツリカはようやく顔をあげたが、表情は固く曇っている。

「困ります……そうしたら私はどうやってお金を稼げばいいのですか?」

「元々甘味処をやっていたのだから料理は出来るのだろ?なら、料亭や定食屋とかで働けばいいのでは?」

「それだけじゃ全然足りない……」

 再び俯く。

 マツリカ一人が生活するにはギリギリかもしれないがやっていけると思うのだが……何故そんなに金に執着していると言うのだ?

「……誰か養っているのか?」

 それしか思い付かなかった。

「…………」

 マツリカは何も答えてくれなかったが、否定しない辺り肯定したも同然だった。



 それから口を開く事はなかったマツリカを家まで送り届けた。色街に戻る事がないようにと。

「とにかく、色街にはもう行くな。いいな?」

「…………」

 返事はない。

 私は溜息を漏らし、懐を漁った。そして、マツリカの手を取り懐から取り出したものを握らせる。

「!!?」

 渡されたものを目にしたマツリカはようやく私と視線を合わせてくれた。

「な、なんですか!?こんなの受け取れません!!」

 そう言って渡したものを突き返された。

 だが、私もマツリカに返す。

「払うと言っただろう?」

「っ!?」

 マツリカは私の顔と己の自宅を何度か交互に見た後、顔が青ざめていった。

「別に、何かするわけではない。だから、そんなに怯えるな」

 私は溜息を一つ漏らすと同時に少し安心もした。金で身体を売る行為はマツリカがやろうとしていた事だが、本人もその行為自体に少しは恐怖を感じているようだ。それなら再び色街に来ることはないだろうと安心した。

「その金は私がマツリカの時間を戴いた対価だ」

「え、でも、私は何もしてない……」

「本来稼げるはずの時間を私と共に居させてしまったのだから気にするな。それに、私はマツリカと食事出来た事が嬉しい。金を払う価値のある時間だった」

 マツリカの瞳が揺れていた。

「……ジンさんには分からないとか酷い事を言ってごめんなさい」

 そう言ってマツリカは俯く。

「自分が卑しい人間で、私は私が嫌いです……」

 涙が地面に落ちるのが見えた。その瞬間、私は思わず一歩踏み出していた。

「泣くな。私はマツリカを卑しい人間などと思った事はない。いつも笑顔で迎えてくれるマツリカが私は大好きだ。だから、辛い事があれば頼って欲しいし、支えたい。何か抱えているのなら一人で悩まず、私に言ってくれ」

 無意識にマツリカの肩を掴み、語り掛けていた。

 その行動にマツリカは驚き、濡れる瞳で私を見上げていた。

「ああ!すまない!思わず力が入ってしまった!」

 私はマツリカから離れ、頭を掻く。

「と、とにかく、自分の事をそんなに貶すな。こんな心を動かされる笑顔が出来る人に悪い奴はいない。マツリカは素敵な人だ」

「ジンさん……」

 マツリカは心を落ち着かせるように一つ大きく深呼吸した。

「……やっぱり、ジンさんチャラいです」

 いつも見せてくれていたマツリカの笑顔がそこにあった。

 マツリカが自宅に戻り、私は安堵の溜め息を漏らす。

 色街で見掛けた時はショックだったが、マツリカなりに必死に生きているからなのだろうと理解した。

 一度は失ってしまったと思っていたマツリカの笑顔、再び見ることが叶い、もう手放したくないという気持ちがそこにあった。

「さて、帰るとするか」

 今日はマツリカの事で頭がいっぱいで仕事を忘れていたが、明日からは取り締まりを強化せねば。

 そう思いながら一歩踏み出した時だった。

「お父さん!」

 ガシャンッ

 マツリカの家から悲愴な声が響いてきた。

「マツリカ?」

 確かにマツリカの声だった。

 私は一目散に家の中へ駆け込んだ。

「どうした!?」

 家の中には血を吐き倒れている男性が居た。

「お父さん!お父さん!」

 マツリカは気が動転して私が入って来た事に気付かない。

 男性は咳き込みながら血を吐き出している。横になったままでは嘔吐物で喉を詰まらせ窒息する危険がある。

 私は男性の身をお越し、背中を摩ってやる。

「ジン……さん……?!」

 ようやくマツリカは私に気付いた。

「マツリカ、桶か何かあれば持ってきてくれ」

「は、はい」

 マツリカが持ってきた桶に吐かせるだけ吐かせ、男性はようやく落ち着いた。

 吐き出した量からするとおそらく胃や腸がやられていると想定出来るが、ちゃんと医者に診てもらった方がいい。そう思いながら後片付けをしているとマツリカが私の服を掴んできた。掴む手は震えている。目の前であの量を吐かれたら怯えるのも無理ない。

「……金が足りないとマツリカが言っていた理由が分かった」

 思わず声が漏れていた。

 薬は高価な物だ。日々暮らしていくのがやっとの生活では手が届かない代物なのだ。

 マツリカの手に力が籠るのが分かる。

 私は震えるマツリカをどうにかしたいと、考えを巡らせる。

(……これしかない、か……)

 マツリカに嫌われる可能性が高い選択肢だと思ったが、それしかないと思った。このままでは、金の為に再び身を売りかねない。そうなるくらいなら私がマツリカに嫌われる事など、大した事ではない。

 そう自分に言い聞かせ、私はマツリカと向かい合う。

「マツリカ……っ!」

 マツリカの瞳は恐怖で潤んでいた。

 ――夫婦になってくれ――

 そう言うつもりだったが言葉が出てこなかった。

 夫婦になればマツリカが気にしている親の医療費も全て私が持っても不思議な事ではない。どんな高価な薬でも、マツリカの父上を救う為なら惜し気もなく購入しよう。だが、マツリカはそれを望むだろうか?例え父を救う為とは言え、私の金で買った薬を快く受け取ってはくれないだろう。

 喉元で詰まって出てこなかった言葉を飲み込むように唾を飲み込んだ。

「マツリカ、凄い量の血を吐いた様に見えるがおそらく胃の内容物が血と混ざって出てきただけだ。あの全てが血だというわけではないと思う」

 状況説明して少しでも落ち着かせる事しか出来なかった。

「明日にでも医者に診てもらおう?」

 恐怖で震えながら頷く事しか出来ないマツリカを一人にする事は出来ず、一晩マツリカの家で過ごした。

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