第三部 ――春――

序章

 世界は残酷だ。

 何もない僕に“生きろ”という。

 生きる術を知らない僕に“生きろ”という。

 今日もまた汚いこの手で食べ物を盗む。

 生きる意味などないのに、身体は“生きたい”と思っているのだろう。

「待て!この餓鬼!!」

 ガシッ

「よくもうちのモノを漁ってくれたな。もう二度と手を出せないよう、きつーく御灸を据えてやる」

 ボゴッ、ガッ、ドスッ

 痛い……

「次うちに手を出せばこの程度じゃ済まさねぇから覚えておけ!」

 ドサッ

 痛いのは心。

 何で生きなきゃいけないんだろう……。

 このまま目を瞑っていれば死ねるのかな……?

「ん?あれは……?子供?おい、大丈夫か!?凄い怪我だ……」

 誰……?

「今、助けてやるからな!気をしっかり持つんだぞ!」

 このまま放っておいてよ……僕は生きたくないんだ……。



 柔らかい。この暖かさは初めてだ……。

「うんん……」

 目を開けて見ると知らない天井に豪華な調度品が目に入る。

 此処は何処……?

 確か、食料を盗み出すのに失敗して店主にボコボコにされて捨てられたはず……。あのまま眠れば死ねると思って……。

 身を起こす。

 頭が痛い……これは……包帯?

 頭に触れると何やら布が巻かれていた。腕にも巻かれている事に気付く。誰かに治療されたようだ。

「お、目が覚めたようだな」

 綺麗に身なりを整えた如何にも金持ちのような装いの男が部屋に入ってきた。

 男は近くに腰を下ろし、頬に手を伸ばす。

「うーん……まだ少し熱っぽいな……」

 久しぶりの人肌に僕は動けなかった。

 すると、男は手を離し、湯飲みに白湯を注ぐ。

「少し飲めるか?飲めるようなら飲んだ方がいい。今、粥か何か用意させるから……」

 そう言って男は僕に湯飲みを渡し、部屋の外に待機していた使用人と思われる人物に食事の指示を出した。

「さてと……自分が道で倒れていた事は覚えているか?」

「…………」

「あの辺りに住んでいるのか?」

「…………」

「親は……?」

「…………」

「黙りか……」

 男は溜息を吐き、何やら独り言を呟いている。

「近くに親らしき人も居らず、あのままにしておく事も出来ず連れてきてしまったが……どうしたものか……」

 男は少し悩み、再び口を開いた。

「お主、名は何と申す?」

 名前……なんだっけ……?

 誰からも名前を呼ばれない生活が長く、忘れてしまった。

「うーん……では生年月日は?」

 誕生日……いつだっけ?

 気付いた時にはそこに居て、気付いた時には独りになっていた……。

「困ったな……名と生年月日が分かれば、親を捜すのに少しは役に立つと思ったのだが……」

 親……いつから居ないんだっけ?

 気付いた時には動かなくなって、虫が集っていた……。

「……あ……う」

 あれ?

「ん?どうした?」

「……ああ、う……」

 どうやって喋るんだっけ?

 僕の親を捜そうとしているこの人に親はもう死んでいる事を伝えたいのに、喋り方が分からない。最後に誰かと会話したのはいつだろうか?久しぶり過ぎて言葉の出し方が分からない……。

「もしかして、喋れないのか?」

 頷く事しか出来ない。

「耳は聞こえているようだな……」

 男は少し悩み、何か思い付いたのか部屋を出て行った。

 再び戻って来た時には紙と筆を手にしていた。

「字は書けるか?」

 首を振る。

 文字を学べるのは裕福な環境にいる人だけだ。こんな暖かい寝床があり、紙なんて高価なものを持っているこの男には分かるはずがない。

 きっと、死んだ親が虫に集られる姿も見る事はないんだろう……。

 自然と布団を握る手に力が籠る。

「うーん、困ったな……。名が分からなければ何と呼べばいいのか……」

 能天気に悩むこの男に殺意が湧く。

 同じ人間のはずなのに、何故こんなにも不平等なのか……。

 男は窓の外を見つめる。

「春の風は暖かく心地良いな……仕方ない。とりあえず、『ハル』と呼ぼう!」

 男はそう一人頷き、再び視線を僕に向ける。

「これからお前の名は『ハル』だ!そうだな……今日は五月五日だから……誕生日は五月五日だ!」

 満面の笑みで伝えてくる。

「……は……う……」

 上手くはないものの、男の口の動きを真似してみたらそれっぽい音は出た。

「おお!そうだ、『ハル』だ!」

「ハル……」

 今度は上手く発音出来た。

「そうか、そうか、気に入ったか!」

 コンコン

「殿下、御食事の御用意が出来ました」

「おお、そうか」

 使用人が食事を運んできた。

「さあ、食べて早く元気になるんだぞ!」

 笑顔を向ける男から運ばれたご飯に視線を移す。

 お粥がキラキラと輝いている。こんな綺麗な色をしたご飯は初めて見る。

 ぐぅ~

 思わず腹が鳴った。

「ほら、遠慮せず食べていいんだぞ?」

 何故、この男は見ず知らずの僕にこんな食事を与えて笑顔を向けるのだろう?何か裏があるに違いない。

 ぐぅ~

 だが、腹の虫には抗えず、お粥に手を伸ばしてしまった。

 こんな美味しいものは初めて食べた。

「食べっぷりがいいな!おかわりもあるから遠慮せずに食べるんだぞ」

 男の言葉など耳に入らず、無我夢中でお粥を掻き込む。美味しい。

「うっ……」

「ん?どうし――お、おい!大丈夫か!?」

 胃が受け付けず、戻してしまった。

「げほげほ……」

 苦しい……。

 男は僕に水を渡し、背中を擦ってくれる。

「そんな慌てて食べるから……飯は逃げないのだからゆっくり食べろ」

 僕はゆっくり少しずつ食べた。



「寝たのか?」

「ん?ああ、セイか」

「そんな子供拾ってきて……カイには言ったのか?」

「父上にはこれから言いに行く」

「おそらく、捨ててこいと言われるぞ?」

「だろうな……だが、私には拾ってきてしまった責任がある。それに、あの子はまだ親の温もりが必要な歳ではないか。なのに、親の温もりも知らず、いつ餓死するか分からぬ日々を送るなど……あの子に何の罪があると言うんだ」

「そうは言っても、今のトールウはその子のような子供が沢山いる。その子だけを特別扱いするのはどうかと思うぞ?」

「分かっている……。少し、考えがあるんだ」

「考え?」

「ああ」

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