第十二章

「げほげほ」

 皇を失った城内は不気味なほど静まり返り、セイエイの咳き込む音が響く。

 あれから皇不在のまま数日が経ち、そろそろ次の皇をどうするのか決めなくてはならない。

 ジンには息子が一人いるが、母親の血が気に入らない華族や神官どもがその息子を皇位に就かせるのを嫌がっていつまで経っても決まらなかった。

 今は亡きジンの部屋にセイエイは足を踏み入れた。城内は綺麗に清掃され、この部屋も同様に綺麗に整えられていた。

「血の臭いは消えたが、流石に皇不在のままでは国は勿論、俺も危ういな……」

 寝台に腰掛け、辺りを見渡す。

「少し前まではちゃんと話の出来る奴だったんだがな……」

 セイエイは皇太子だった頃のジンを思い出していた。

「やはり“皇”の重圧はアイツには耐えられなかったか……」

 他の国に比べ、トールウ国は傾いている。この傾きをどうにかしなければと、相当な責任が圧し掛かってくるものだろうとセイエイは思っていた。

「こんな重圧、生半可な精神じゃ耐えられるわけない……」

 では、誰なら耐えられるだろうかと知る限りの人物を思い浮かべてみたが、城から出る事がないセイエイには思い当たる人物が一人しかいなかった。

「やはり、ハルしか居ないか……」

 ジンの目の前で自ら宮刑を行い、失神する事もなかった。相当な精神力の持ち主だ。

「げほげほ……」

 セイエイの身体はそろそろ限界だった。

「国が傾けば、俺の命も危ない……。俺が死ねば次の代が降臨するまでの間、トールウは荒れ果て、国として建て直すのが不可能になるかもしれない。あの国のように……」

 セイエイは存在を消されたとある国を思い浮かべていた。

「流石に、トールウまで消えたらこの世界自体がやばいだろう……そうならない為にも手を打たねば……」

 セイエイは寝台から立ち上がる。

「ん?」

 何か光るものを見つけた。

「糸?……いや、髪か?」

 黄金色をした長い髪が一本落ちていた。清掃はしたものの、取りきれずに残っていたのだろう。

 セイエイはそれを捨てようと拾う。

「!!?」

 触れた瞬間、穢れにより起きていた胸の痛みや、息苦しさがスッと消えた。

「何だ?これは……?」

 セイエイは黄金の髪の毛を眺め、誰のものか思い浮かべていた。

「……ハルが連れてきたあの娘?」

 トールウではあまり見かけない髪色。思い浮かぶのはユリカしかいなかった。

「髪には霊魂が宿るというが、“神の御告が聞ける娘”……単なる巫女ではないのか?」

 ユリカについては謎が多いが、どの道ハルの元へ行けばユリカも居る。

 セイエイはハルの居る村へ行く事に決めた。

「――となると、ナルーンへ足を踏み入れるのか……シュカの領地だ。面倒だが挨拶に行かないとならんか……」

 セイエイは頭を掻きながらジンの部屋を後にした。



 村に戻り数日が経った。ようやく元の平穏な生活に戻れたところだった。

 ユリカは摘んできた花を墓の前に供える。

「今日も皆元気に暮らしてるよ」

 そう言ってキキョウが眠る場所に視線を移す。

「昔、キキョウが長い髪を切ってきた時に『髪切ると軽くなるし、気分もスッキリする』って言ってたよね。少し分かった気がするよ」

 ずっと長い髪でいたユリカが短い髪になった事に対し周りは戸惑っていたが、大分慣れてきた。

「そうそう!この前ね、馬を増やそうって街に買いに行ったんだけど、そこに白い毛の馬がいたの!」

 ツツジが眠る場所に視線を向け、笑顔が零れる。

「まあまあな値だったから買えなかったんだけど、お店の人に頼んで一回乗せてもらったの!勿論ハルに乗ってもらったんだけど、ツツジが言うように凄く似合ってた!ツツジも見てたかな……?」

 今回の事で犠牲になった者の数は決して少なくない。罪悪感も消えたわけではない。それでも、笑顔で元気に生きて行かなきゃ犠牲になった者達の命が無駄になると思い、ユリカは笑顔で暮らすようにしていた。

「それとね、二人に言っておこうと思って……」

 ユリカは一度深呼吸し、再び口を開いた。

「私ね、トウナに想いを伝えようと思うの。今回の事で命って簡単に消えちゃうものなんだって気付いた。私がちゃんと御告の事を伝えていれば助かった命もあったかもしれない。もっと話したい事があったのに、もうお話出来ない……。そう思ったら“伝える”って大事な事だなぁって思って……。何も言わずに後悔するくらいなら言って後悔した方がいいって思ったから……」

 再び深呼吸する。

「ふう……あはは、まだトウナに会いに行ってないのに、もう緊張してるみたい」

 苦笑いを浮かべる。

「ツツジ、キキョウ。私、頑張ってくるね」

 二人に笑顔を向けると一際大きな風が吹いた。

「見守ってるよって言ってくれてるのかな……」

 ユリカは呟き、立ち上がった。

「……貴女がユリカ?」

「!?」

 背後から声を掛けられ、ユリカは振り向く。

「えっと……どちら様でしょうか?」

 そこには朱色が眩しい長い髪の女性が立っていた。背後にはトールウ城に居た“セイエイ”と呼ばれていた男性もいた。

「あ、貴方はトールウ国に居た……」

 ユリカは何だか嫌な予感がし、後退る。

 女性はユリカに近付き、両手で頬を包む。

(な、何!?)

 ユリカは何も出来ず固まる。

「この感じ……やっぱり……」

「シュカが言うって事は確かなんだな?」

「ええ、間違いないわ。それに、これで全ての辻褄が合うわ。そろそろ代替わりしてもいいはずなのに、私が降臨し続けられたのはナルーンに降臨していて力が私に流れてきてくれていたから……だから、力が衰える事無く今日まで来られたという事よ」

 二人が何の話をしているのかユリカには全く理解できなかった。

「じゃあ、ユリカが来ればこの世界は安定するって事か?!」

「昔の状態に戻るには時間が掛かると思うけど、これ以上悪化する事はなくなるはずよ」

「トールウも良くなるって事か……」

 そう呟き、セイエイはユリカの腕を掴む。

「一緒に来い」

「嫌!」

 ユリカは思わず腕を振り解き、二人から距離を取る。

「いきなり現れて『来い』ってどういう事!?」

「貴女は黄竜。居るべき場所に戻るだけ」

「こうりゅう……?」

 初めて聞くはずなのに、何だか聞いた事があるような気がした途端、激しい頭痛に襲われた。

「痛い……」

 頭を押さえ蹲るユリカに女性は告げる。

「貴女も気付いているはず。自分の持つ力に……」

「力……?」

 神の御告が聞ける力の事かと即座に思った。

(この人達もトールウ国の皇様と同じで、この力が欲しいって事?)

「おーい、ユリカー?お、居た居た!これから皆で秘密基地に……大丈夫か!?」

 トウナはユリカを捜していたのか、ユリカの姿を見つけると走って来た。ハルとシュウも後に続いて来た。

 ユリカの苦痛に歪む顔に三人は跪き、支える。

「一旦家に連れて行くぞ!」

「うん!」

 ユリカを抱えようとトウナが向きを変えると近付く人影に気付いた。見上げると異様な雰囲気に包まれる二人に、トウナは一瞬止まった。

「だ、誰だ!?」

「セ、セイエイ様!?」

「セイエイ?ハルの知り合いか?」

 トウナの問いに答えず、ハルは続ける。

「何故、ナルーンにいらっしゃるのですか!?それに、そちらは……」

 ハルはセイエイが何者か知っている。だからこそ、隣に居る女性も同類なのかと察し、怯む。

「元々お前に用があって来る予定が、色々事情が変わってな……。悪いが、先ずはそのユリカとやらを連れて行かなきゃならん」

 その言葉に、トウナ、ハル、シュウはユリカを守るように構える。

「そんな敵意剥き出しで……本当に面倒だ……」

 セイエイは溜息を漏らす。

「悪いけど、貴方達に用はないの。邪魔しないで」

 そう言って女性が腕を振り払うと突風が吹き、トウナ、ハル、シュウは弾き飛ばされた。

「みんな!!」

 飛ばされた衝撃で三人は気を失っていた。

「さてと、あの子達が大切だと思うのなら大人しく付いて来なさい」

 女性はユリカの元へ歩みを進める。

 ユリカの頭痛は更に激しさを増す。

「痛い……」

 思わず頭を押さえ目を閉じる。

(それもこれも、全て私にこんな力があるからいけないの?!)

 キィィィィィィィン

 耳鳴りも酷い。

 それと同時に脳内に映像が次々に流れ込んでくる。

 血を流し倒れているトウナ、ハル、シュウ。

(これは、何……?神の御告?)

 泣きながら祭壇に立つユリカ。周りには眩い光を放つ四人。その内の二人はそこに居るセイエイとシュカと呼ばれる女性。

(二人に付いて行けば皆が死ぬって事?)

 痛む頭を必死に堪え、目を開けると気絶しているトウナが目に入った。

「トウナ……」

(想いを告げると決めたのに、何も言えずにこのまま終わるの……?そんな嫌……!!)

 そう思った瞬間、視界が歪んだ。

「何だこれは!?」

 セイエイが声を発する。

「え?」

 自分の視界だけが歪んでいるのだと思っていたユリカは、セイエイの反応に歪んでいるのは周り全体だと気付いた。

 先程まで酷かった頭痛も収まっていた。

「そう……そういう事……」

 シュカが何かに気付いたようで呟く。

「何か可笑しいと思っていたのよ。既視感がありすぎると」

 その言葉にセイエイも何かに気付く。

「シュカも既視感、感じてたのか?!ユリカに会った時、初めてのはずなのに初めてじゃない気もして……気のせいだと思っていたのだが……」

 歪んでいく身体のまま、セイエイは顎に手を回し、考え込む。

「まさか、初めてじゃないのか!?」

 シュカは頷き、視線をユリカへ移す。

「貴女……何度も改変してるの!?」

「え?」



「は!!」

 ユリカは起き上がった。

 そこは自分の寝室で、眠っていたのだと気付く。

「何?夢?」

 妙にリアルな夢だった。

 頭を垂れると額の汗が垂れ、髪も視界を遮るように垂れてくる。

「……え?」

 ユリカは違和感に気付き、髪に触れる。

「どういう事……?」

 肩くらいの長さに切ったはずの髪が元の長さに戻っていた。


 ――何度も改変してるの!?――


 最後に言われたその言葉が耳に残っている。

「そっか……」

 ユリカにはその意味が理解出来ていた。

「初めてじゃないんだ……」

 ユリカは両手で顔を覆い、笑う。

「何度も、何度も……自分の都合がよくなるように何度も……」

 “神の御告”だと思っていた未来の出来事は何度も経験してきたことだから、記憶を消して戻った所で潜在的に覚えていた事を夢で見ていただけだと気付いた。

 笑いから段々と涙声に変わる。

「こんな力……要らない……普通の女の子としてトウナと一緒に居たいだけ……」

(大丈夫……今度こそ、大丈夫……)

 そう言い聞かせ、ユリカは身支度を整え部屋を出た。

 居間に行くと母が朝ご飯の準備をしていた。

「おはよう、リカ。ユリはまだ寝ているの?」

「ユリ……」

 久しぶりに聞いたその名をユリカは小さく呟く。

 部屋には自分一人だった。居るならおそらくあの場所だろうと見当がつく。

「お母さん、ちょっと行ってくる」

「え?」

 ユリカは戸惑う母を置いて家を飛び出た。

「おはよう、母さん。……どうかしたの?」

「え、あ、何かリカの様子が可笑しくて……何かあったのかしら……?」

「リカ……ん?『リカ』?」

 ハルは何か違和感を覚えた。

「またユリが朝から家を出て居なかったのかしら……。あの子ったら、悪い御告を聞くと家を飛び出す癖があるのよねぇ」

「ユリ……『ユリ』?」

「本当、ユリにはリカが居て良かったし、リカにもユリが居て良かったわ。一人だったら母さん心配でいつまでも子離れ出来ないところだったわ。まあ、まだまだ子離れ出来てないんだけどね」

 笑う母に、ハルは違和感の理由に気付いた。

「母さん、僕もちょっと行ってくる!」

「ハルも?もう、分かったわ。もう直ぐ朝ご飯出来るんだから二人を連れて帰って来るのよ」

「うん、分かってるよ」

 そう言って、ハルも家を出た。



 家を飛び出したユリカが向かった先は白い花が咲き誇る小さな丘だった。

(これで最後。今回は大丈夫!)

 森を抜け、丘の元へ辿り着いたユリカ。

 視線の先には座り込む女の子の姿があった。

「ユリ……」

 名を呼ばれた女の子は振り向く。


 ――大丈夫、今度こそ上手く行く――


 そう自分に言い聞かせ、ユリカは女の子に抱き付いた。


「おかえり、ユリ――」

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