第七章
ハルは女官にユリカを預け、この後の事を女官に指示し何処かへ消えた。おそらくは宮廷医師の元。見える部分は特に変わったところはないのだが、ハルの異常な程までに歪んだ顔を見る限り、何処かに大きな傷を負っているのだとユリカは察した。
ユリカは女官に連れられ沐浴の場へと来ていた。まずは汚れを落とすのだと言う。
温かい湯と甘い香りに緊張していた身体が解されていく。又、色々な事があり疲労していた事も相まって、ユリカはウトウトと睡魔に襲われていた。
ユリカは森の中を進んでいた。
『はぁ。仕方ないなぁ。でも次はリカにやってもらってよ』
女の子の声が聞こえ、木の陰から覗いてみると、そこにはトウナと女の子がいた。
(あの子は……)
顔は相変わらずはっきりしないが、以前にも夢に出てきた子だと思った。
女の子はトウナの包帯を巻き直していた。
『よし。出来た。早く皆の所に戻ろう』
『■■』
女の子が戻ろうと動くが、トウナがそれを引き止めた。やはり女の子の名前だけはっきり聞き取れない。
『何?』
女の子がトウナの方へ振り向くと、トウナは目の前で信じられない行動をとった。頭に巻いてある“アリスの朱い紐”を取り、それを女の子に差し出していた。
(うそ……!?)
『今まで“好き”ってのがよくわからなかった。リカと一緒に居ると楽しいし、これからも一緒に居たいと思った。でも、■■が気になって……。ハルの為にも俺はリカを好きになろうと思った。けど、無理だった。昨日、気付いたんだよ。■■がクマに襲われた時、命を賭けて守りたいのはリカじゃなくて■■なんだって。俺は■■が好きだ』
(そんな……)
ユリカは思わず後退り、近くの草を揺らす。
ガサガサッ
女の子が音に反応し、ユリカは思わず隠れる。風だと思ったのか、女の子は再びトウナの方を向き、トウナの差し出した手を抑えて言った。
『トウナの気持ちは嬉しいけどこれは受け取れない。ごめんね……』
『リカが俺の事、好きだからか?』
『へ!?』
女の子は図星をつかれたのか声が裏返り、思わず口を押さえた。
『し、知ってたの?』
『皆気付いてる。俺達、長年連るんでるからな』
『じゃあ、私じゃなくてリカに……』
ドンッ
突然の音にユリカは再び木陰から二人の様子を伺う。そこにはトウナが近くの木に女の子を押さえ付ける姿があった。
『他人なんて関係ない!俺が好きなのはリカじゃなくて■■だ!他人の気持ちに俺は縛られたくない!』
その言葉にユリカの心は締め付けられる。
『ごめん。つい……』
今にも泣きそうな女の子を見てトウナは女の子から離れる。
『とにかく、他人がじゃなくて■■が俺をどう想っているのか知りたい。俺はハルの気持ちを知ってて■■にこれを渡した』
トウナが女の子に無理矢理紐を渡した。
『だから■■もリカの気持ちを気にしないで答えてほしい』
そう言うとトウナはその場から離れ、女の子はその場で立ち尽くしていた。
(朱い紐は求婚する時に渡すもの……)
ユリカは痛む胸を抑えるようにその場にしゃがみ込んでしまった。
「!!!?」
ユリカは目を覚ました。
「あ、目を覚まされたのですね」
沐浴を手伝ってくれていた女官が寄ってくる。
周りを見渡すと此処は沐浴の場ではなく豪華な部屋でユリカは寝台に寝かされていた。
「お疲れのようでしたので、起こさずそのまま眠っていただきました。今、ハル様をお呼びしますね」
そう言って女官は部屋を出ていく。
どれくらい寝ていたのだろうか。分からないが、頭が痛い。
(酷い夢……)
女の子に求婚するトウナの姿を見せられユリカは酷く落ち込んでいた。
(夢ならいいけど……)
こう何度も続く夢は単なる夢ではなく“神の御告”に近い感覚だった。
(これが神の御告なら、トウナは別の女の子を好きになるって事……?)
ユリカは膝を抱え、顔を埋める。
(トウナ……そうだ!トウナは無事なの!?ツツジは!?シュウは!?)
顔を上げ、女官が出て行った扉へ向かう。
外から鍵が掛かっているのか開かない。
ユリカは思わず扉に拳をぶつける。
(ハル、一体何がどうしてこんな事になっているの……?教えてよ……)
ユリカは仕方なく寝台に腰掛け顔を手で覆う。
――ジンもお前の持っている力に興味があるだけで、お前自身に興味はない。お前の力がジンの子に宿ればお前は用済みだ――
セイエイのその言葉を思い出す。
(この力の所為でキキョウは……)
目の前で崩れ落ちるキキョウの姿がフラッシュバックする。
(こんな力……要らない……最初からなければ、村の皆もキキョウも死ぬ事なかった……こんな力……)
顔を覆う手に力が籠る。
コンコンッ
「!?」
ノックする音が聞こえ、扉がゆっくりと開けられた。
キィィ
「ハル……」
先程の女官と共にハルが部屋に入ってきた。
ハルは茶器を乗せたお盆と果物をいくつか持って現れた。
「何かお腹に入れた方がいいと思って持ってきたよ」
そう言ってハルは机にそれらを置くと壁に掛けてある服の元へ向かった。青い生地に繊細な刺繍、金を織り込んだ豪華な衣装だ。
「陛下のご希望で衣装はこれを着てもらうよ」
少し前まで苦痛で歪んでいたハルの表情が嘘だったかのように、冷静な態度のハルにユリカは少し戸惑った。
「ねえ、ハル?どうしたの?何かおかしいよ?」
「何が?」
冷たい返答に一瞬怯んだが、ユリカは諦めずに続ける。
「色々訊きたい事が沢山あって何から訊けばいいのか分かんないけど……トウナ達は?無事なの?」
ハルについて訊きたい事はあるものの、先ずはトウナ達の安否確認が先だ。
「トウナ達なら地下牢に居るよ。陛下にも、トウナ達に手を出せばユリカが自害しかねないと言ってあるから、ユリカが大人しく儀式に臨んで陛下の子を産めば無事に解放される。逆に言えば、ユリカが何かすればトウナ達が危ない。それだけ」
ハルの瞳は光を失ったかのように黒く冷たく、恐怖を感じた。
ハルは湯呑に茶を注ぎ、ユリカに渡す。
「ずっと何も飲んでいないでしょ?飲んだ方がいい」
ユリカは差し出された湯呑を思わず受け取り、湯呑を覗く。酷い顔の自分が映っている。
「沐浴から戻ってきてずっと眠ったまま何も食べていないし、食べた方がいい。この後着替えたら直ぐ儀式に入るから」
そう言って持ってきた林檎の皮を剥く。
「え?ちょっと待って、儀式は明後日だって……?」
ハルはクスッと笑うが、和やかな雰囲気では全くない。
「まあ色々あったしね、疲れていて仕方ないよ」
「えっと、つまり……?」
「あれから一日経っている」
「!!?」
ガシャン
ユリカは思わず持っていた湯呑を床へ落としてしまった。
女官が慌てて割れた湯呑と茶で濡れた床の清掃に入る。
「す、すみません……」
ユリカも清掃に加わろうとするが、女官に止められる。そんな姿を見たハルは眉間にシワを寄せる。
「とにかく、ちゃんと食べて、ちゃんと飲むんだよ」
ハルはユリカにそう伝え、女官の方に視線を向ける。
「では、後程確認しに戻りますのでそれまでに宜しくお願い致します」
「はい」
ハルの言葉に女官は頭を下げ、ハルが部屋を出ていくのを見送った。
扉が閉まった事を確認した女官は再びユリカの方を向き、口を開く。
「折角ハル様が用意して下さったのですから少し食事を摂ってから準備に取りかかりましょう」
この女官の態度や、衛兵に命令していた姿から、紛れもなくハルはトールウ皇に近い存在なのだとユリカは改めて思った。
ユリカの居た部屋を出たハルが向かったのは地下牢。
手には小瓶が二つ。
コトン
小瓶を置く音が地下牢に響いた。
「?」
物音に気付いたトウナは起き上がり格子に張り付いて様子を伺う。
「元気そうで良かった」
「!?」
地下牢に姿を現したハルに気付いたトウナは目を見開いた。
「ハル!これは一体どういうつもりだ!?」
自分達を衛兵に捕まえさせ、地下牢に入れるよう指示したのはハルだった。
「落ち着けトウナ。それより、ユリカとキキョウはどうした?」
シュウはトウナを鎮め、今一番に訊くべき事を訊いた。
「ユリカなら無事だよ」
ハルは無表情のまま続ける。
「この後、儀式が行われる。これでユリカは陛下の正室になる」
「せいしつ?」
「王妃になるって事だ」
『正室』が何なのか理解していないトウナにシュウが説明する。
「はあ?!王妃って?!お、おい!ハル!どういう事だよ!?」
「どうもこうも、そのまま結婚して世継ぎを産んでもらうって事だよ」
「よよよ世継ぎって!子供って事か!?おおい!いいのかよ!?だってハル、お前!!」
若干顔を赤らめ慌てるトウナに、ハルは変わらず冷静に答える。
「トウナこそ、何を言っているんだ?僕の目的はユリカの持っている力をトールウの物にする事なんだよ?三年前、村に来た時からずっと……」
「は?」
ハルの言葉にトウナは止まった。
「村の襲撃やツツジとキキョウを攫って行ったのは誤算だったけど……でも、準備は整った。これでトールウの状況は好転する」
「ハル!!!」
トウナは格子越しにハルの胸元を掴み上げる。
「それ、本気で言ってんのか!?」
「…………」
「お前はトールウの人間だったって事か!?」
「…………」
トウナの問い掛けにハルは無表情のまま何も答えない。
「ユリカが好きだって言ったのは嘘だったのか……?」
ハルは瞳を閉じ、答える。
「此処まで来たらもう引けない」
「!!?」
その言葉にトウナはハルを殴ろうとするが、シュウが止めた。
「シュウ!止めるな!一発殴っておかねぇと気が済まねぇ!」
「だから落ち着けトウナ」
シュウはトウナをハルから引き剥がし、口を開く。
「キキョウはどうした?」
ハルはまだキキョウの事を話していなかった。
「……キキョウは死んだ」
「!!?」
『ユリカなら無事』と言っていた時点で何となく覚悟はしていたが、実際に言葉で聞いてトウナのみならず、シュウも目を見開いた。
「え、キョウちゃん……?」
今まで牢の隅で膝を抱え俯いていたツツジも、キキョウの名を聞いた瞬間顔を上げた。
「ねえ、ハルくん、今、なんて……?」
ツツジは格子の元まで来てハルの顔を覗く。何も理解していないようなその無垢な表情にハルは目を合わせていられなかったのか、視線を逸らす。
「ごめん……」
思わず漏れたハルの声にツツジは全てを理解し、涙が溢れ出る。
「キョウちゃん……私があの時、手を掴んでいれば一緒に逃げられたかもしれないのに……キョウちゃん、ずっと私の事心配してくれていて……励ましてくれて……私が手を離したからキョウちゃんが……キョウちゃん……キョウちゃん……」
泣き崩れるツツジにトウナとシュウは何も声を掛けられず視線を逸らしていると、ハルがツツジの頭に手を乗せ小さく呟いた。
「ツツジは絶対に無事に村に帰すから……」
「え?」
ツツジが顔を上げるとそこにはいつものハルの優しい顔があった。一瞬だけ二つの視線が重なると、ハルはツツジの頭から手を離し、再び冷たい無表情に戻る。
「ユリカの準備が整い次第、城の中心部にある神聖な場所で儀式が行われる。ユリカが大人しく子供を産めば三人は解放されるんだ。それまで大人しくしているんだよ」
そう言い残し、ハルは地下牢を出て行った。
再びユリカの居る部屋に戻って来たハルは先ず急須を確認した。
(ちゃんと飲んだみたいだね……)
持ってきていた果物も少しは減っていた。
「ハル様、お待たせ致しました。このような感じでいかがでしょうか?」
部屋の奥から女官がユリカを連れてきた。
「!!」
綺麗に整えられたユリカの姿にハルは言葉を失った。
豪華な衣装と髪飾りに負けず劣らずの存在感。化粧を施せば周りを黙らせる存在感を出せるとは思っていたが、想像以上の神々しい姿にハルは思わず顔が緩んだ。
「綺麗だよ」
「あ、ありがとう……」
ユリカはこれから待っている事を考えると素直に受け止められなかった。
「これなら陛下も、その周りの奴らも満足する。大丈夫……」
ハルが自分に言い聞かせるようにそう呟き、ユリカを連れて部屋を出た。
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