第六章

 キキョウとトールウ皇のみとなった玉座の間は先程の騒ぎが嘘のように静かだった。

 キキョウは両手を縛られ、皇の目の前に跪かされている。

「さてと。お主、先程自分が神の御告が聞ける娘だと言おうとしたな。皇に対して嘘を吐く事は重罪だと知っての事か?」

 キキョウは何も答えず、玉座に座る皇の足元をただただ見つめていた。

 ヒヤリ

「!!」

 頬に当たる冷たい感触に目を見開く。

「罪人は裁かねばならん。さて、どうしたものか……」

 皇は刀をキキョウの頬に当てる。

「トールウでは皇に嘘を吐いた者は死罪に当たるのだが……お前にはまだ利用価値がある」

 皇の口元が緩む。

「やはり、戻って来ると思ったぞ」

「え?」

 皇の呟きにキキョウは思わず顔を上げ振り向いた。

 そこにはハルとユリカが居た。

「陛下、只今戻りました」

 ハルは一礼し、皇の元まで歩みを進める。

「ハルくん……なんで……?」

 キキョウの呟きに皇が代わりに答える。

「この娘が生きている以上、取り返しに戻って来ると思っていたぞ」

 皇は玉座から立ち、キキョウを抱き寄せる。

「で、その娘が本当の神の御告が聞ける娘というわけか」

「はい。確かに、この娘が神の御告が聞ける巫女としてあの村に存在していました」

 皇の言葉に淡々と答えるハルの姿は異様な光景だった。

「ちょっと、ハル?何かおかしいよ?」

 ハルに腕を強く握られたままのユリカはハルの顔を覗き込む。ハルは真っ直ぐ皇を見つめたままでユリカと視線が合う事はない。

「陛下、目的の娘は此処におります。その娘にはもう用はないでしょう。その娘の処分は僕にお任せを」

 そう言ってハルはユリカを差し出す。

「そうだな」

 皇は頷くとユリカの腕を掴み抱き寄せ、キキョウを離す。すかさずハルはキキョウを自分の元へと抱き寄せた。

「ハルくん、何で!?」

 ハルの腕の中からキキョウは問いかけるが、ハルは何も答えない。

(きっと、何か考えがあっての事なんだよね?)

 ハル自身が犠牲になるならまだしも、他の誰かを犠牲にしてまで自分を助けるとは考えにくい。ましてや、ユリカとハルは義兄妹だ。血が繋がっていないとは言え、ハルが家族を犠牲にするのはあり得ない。そうキキョウは思った。

「では、僕はこの娘を処分して来ます」

 ハルは一礼し、部屋を出て行こうとしたが、皇がそれを止める。

「ハル」

 一瞬、ハルの身体が硬直した。だが、すぐに冷静を装い返事する。

「何でしょうか?」

「朕はハルを信用して一人でこの任に就かせた。なのに、何故連絡が途絶えたのだ?」

「それは……」

 ユリカとキキョウはこの二人が何の話をしているのか理解出来なかったが、ハルとトールウ皇の二人が繋がっていたという事だけは窺い知れた。

 ハルが言い渋っていると、皇はハルに近付き、再び口を開く。

「その娘は先程朕に対して嘘を吐いた。これは死罪に値するものだ。そうだ、ハル。今、この場でその娘を殺せ」

「!!!!?」

 皇のその言葉にその場は凍りついた。

「殺す事が出来ればハルの罪は見逃してやろう」

 ハルの額に汗が滲む。

「へ、陛下……それは……。此処は神聖な場です。そんな場所で血を流すのはどうかと思います。処罰するのであれば、地下牢で……」

 ハルの言葉に皇は少し考え、頷いた。

「それもそうだな……。だが――」

 皇は一歩踏み出し、腕を振り下ろす。

「!!!?」

 一瞬の出来事だった。血飛沫で視界が赤くなったかと思うとキキョウを抱き寄せていた腕に重みが圧し掛かる。

「いやぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 ユリカの声にハルは今の状況を漸く理解した。

 皇に斬られたキキョウは崩れ落ち、ハルはそれを見下ろすしかなかった。キキョウの口は微かに動き、何かを伝えようとしていた。

 皇は刀を鞘に納めるとユリカを連れて部屋を出ようとした。

「いや!!放して!!キキョウ!!キキョウー!!!」

 ユリカは皇の手を振り払おうとしたが、力で勝てるはずがなかった。

「放してよ!!!」

 ユリカは思い切り皇の手を噛んだ。

「いっ!!!」

 皇は思わずユリカから手を離してしまった。その隙にユリカはキキョウの元へと駆け寄る。

「キキョウ!!やだ……どうしよう……血が……血がぁ……」

 ユリカは傷口を抑えるが、流れ出る血の量は増えていくばかり。

「貴様!!!」

 皇はユリカの髪を掴み、キキョウから離す。

「ハル!お前の罰に関してはまた後で呼ぶ!これ以上朕を謀ろうとするなら次はハル!お前の番だ!」

 そう言い残し、皇はユリカを連れて部屋を出て行った。

 皇の姿が完全に見えなくなった事を確認したハルはキキョウを抱え部屋を出た。



 寝台で血塗れのキキョウにハルは必死に応急処置を施していた。

「キキョウ!絶対助けるから!」

「……ル……く……ん……」

 キキョウは小さな声で言う。

「喋らなくていいから!」

「お願い……聞いて……」

 キキョウはハルの腕を掴んだ。その握る手の力は弱く、今にも息を引き取りそうだった。

「ツツジは……」

「ツツジは無事だよ!地下牢にトウナとシュウと一緒に居るから大丈夫!」

「そっか……良かった……」

 キキョウは安心したように瞳を閉じる。

 必死に自分を助けようとしてくれているハルの姿を見て、先程の冷たく見下ろす態度は演技だったのだとキキョウは理解した。誰かを助ける為に自分を押し殺す事の出来る強い人なのだと。


 ――この人ならツツジを任せられる――


 そう思ったキキョウは最後の力を振り絞って口を開いた。

「ツツジは……本当に、良い子なの……」

「うん、知っているよ!」

「ツツジ……だけでも、無事に……村に帰して……あの子……ハルくんの事……だから……幸せに、して…………ね……」

「何を言っているんだ?キキョウも一緒に村に帰るんだよ?皆一緒に……」

 ハルの腕に触れていたキキョウの手は力を失い、下に落ちる。

「キキョウ?」

「…………」

 声を掛けても返事はない。

 ハルは堪え切れず遂に涙を流した。

(全て僕が招いた事……全て僕の所為……僕が村に行ったから……)

「ごめん……ごめん……」

 謝ったところでキキョウの命が戻って来るわけではないと分かっていたが、謝る事しか出来なかった。

「必ず、ツツジは村に帰すから……命を懸けてでも帰すから……」

 ハルはキキョウの手を強く握り誓った。



「痛い!!放して!!キキョウが!!ああ!!」

 ドサッ

 髪を掴まれたまま連れて来られたユリカは思い切り部屋に投げ入れられた。

 ようやく髪から手を離してもらえたと思ったが、今度は馬乗りになられ顎を掴まれる。顔の動きを封じられ、皇と視線が重なった。

「ぎゃあぎゃあ五月蝿い。今此処で鳴けなくすることも可能な状況だと理解しておけ」

 ユリカは皇の黄色い瞳に恐怖を感じ、声を上げる事が出来なくなった。

「だが、折角だ。鳴けなくなる前に甘い声で鳴かせるのも……」

 そう言って皇はもう片方の手をユリカの太腿に這わせる。

「っ!!?」

 ユリカは別の恐怖に襲われ脚をバタつかせるが、皇の押さえる力の方が強く無意味だった。

「やだ!やめて!!誰か!!」

「その辺にしておけ。それに、そういう事は自分の部屋でやってくれ」

 第三者の声に皇の動きは止まった。

 ユリカは声のした方に視線を向けると、そこには花緑青の綺麗な髪をした男性が立っていた。着ている服も豪華で皇と同等か、それ以上の感じがした。

「しかも、血の臭い……また誰かを殺したのか……」

「仕方あるまい。罪を犯した者にはそれ相応の罰を与えねば他の者に示しがつかん」

「それ相応ねぇ……」

 男性は溜息を漏らすと、皇にユリカから退くよう指示した。皇は渋々ユリカから退く。

「すまない……」

 そう言って男性は手拭き布を取り出し、キキョウの血で黒く汚れたユリカの手を拭く。

「ジンも、此処へ来るのであればその汚れた服をどうにかしてからにしろ。此処がどういう場所か知っているだろ」

 部屋の中心には青龍の像。奥には豪華な神棚が設置されている。その事から、連れて来られた部屋は神を祀る神聖な場所なのだとユリカは漸く気付いた。

 皇は頭をボリボリと掻きむしり答える。

「ようやく目的のものが手に入ったのだから、お前に知らせようと思ってだな!」

「それで最も神聖なこの場で交尾に至ろうと?子孫繁栄は生物の本能だ。穢らわしいとは言ってはならないと分かっているつもりだが……流石に目の前でやられては困る。とにかく、さっさとその血で汚れた服をどうにかしてこい!」

 男性に言われ、皇は渋々部屋を出て行った。

 皇に対してこんな態度を取れるこの男性は一体何者なのか、ユリカの頭は混乱していた。

「まだ血の臭いがキツイが……まあ、仕方ない」

 そう言って男性はユリカと視線を合わせる。

「説明すると長くなるから省くが、ジンの目的はお前に宿る力だ。子を宿せばその力も子に移るというのも知っている」

 その言葉にユリカの身体は硬直する。

 自分の力の事は村の中でしか知られていないはず。多少外部に漏れたとしても、この力が妊娠すれば子に移るという事まで知られているのは可笑しいとユリカは即座に気付いた。

「な、何でそんな事まで知っているの……?」

 男性は答えて良いものか少し考えているようだった。

「そ、それに、皇様に対してあの態度……貴方は一体何者……?」

 皇とは違い、この男性には恐怖をあまり感じない。それどころか何か懐かしい感じもした。


 ――どこかで会った事がある?――


 いや、会った記憶はないのだが、男性の纏う不思議な雰囲気にユリカの心は少し余裕を取り戻し、今まで疑問に思っていた事が次々に溢れ出る。

「皇様は何で、そこまでして私の力を欲しがるの?ハルだって、何か急に別人みたいになって……まるで皇様と知り合いみたいな態度とって……なんで……なんで……」

 ユリカは考える余裕が出来た事で逆に色んな事で頭の中がいっぱいになり、更に混乱していた。ただでさえ、目の前でキキョウを殺されたのだ。冷静でいられる訳がない。

 男性は再度深い溜息を漏らし、頭を振る。

「あー、面倒だ……。お前はさっさとジンの子を産めばそれでいい。ジンもお前の持っている力に興味があるだけで、お前自身に興味はない。お前の力がジンの子に宿ればお前は用済みだ。村に帰るなり何なりすればいい」

 その言葉にユリカの中で何かが弾けた。

「私だってこんな力要らない!欲しければあげたっていい!でも、あげたところでキキョウは、村の皆は戻って来ない!何で人を殺してまでこの力に執着してるの!?」

「一から説明しなきゃ分からない、か……。本当、面倒だ……」

 男性は三度目の深い溜息を漏らすと口を開いた。

「簡単に言えば“呪い”だな……」

「呪い……?」

「詳しい事は言えないが、トールウは遥か昔に神の怒りに触れて呪われている。他の国に比べて劣悪な環境なのもその所為だ。ジンはあれでも一国の皇だ。国が栄えるよう尽力している。その一環でお前の持っている力が必要ってわけだ。お前の力は神の御告が何たらかんたらと言われているらしいが、要はこの先何が起きるのか予知出来るって事なのだろう?その力が皇の元にあればこの先、国に降りかかる災いに対処出来る。だから欲しいんだよ」

「だからって……沢山の人を殺してまでする事じゃない……」

「それも呪いの所為……と言ったら都合良すぎと言われるかもしれないが、トールウの歴代の皇は皆どこかしら脆く、欠けた部分が多かった。ジンは精神面が脆かったんだ……」

 男性は何かを思い出しているようだ。

「ジンにも色々あったんだ。それを理解しろとは言わないし、そこを強要する必要もないと思っている。だが、お前のその力が手に入る事でジンの精神が少しでも落ち着くのであるなら、俺はお前にジンの子を産ませる」

「う、産むって……そんな簡単に……。好きでも何でもない、寧ろ村の皆を殺されて、キキョウだって無関係なのに殺されて……憎しみしかない相手とそういう関係になれるはず……」

「これだから人間は……本当、面倒だ……」

 男性は四度目の溜息を漏らす。

「愛だの何だのって言いたいんだろう?別に“愛”など必要ない。ジンもあんな状況だ。お前ら人間が言う“愛”で何とかなっていればこんな状況にはなっていない。あのハルが“愛”とやらを持って接しても立ち直らずこんな状況になっ――」

「え?」

「ん?」

「今、『ハル』って言った?」

「あー……」

 男性がハルの名を口にした事で先程まで疑問に思っていた事を思い出した。

「説明を聞いていて忘れかけていたけど、ハルと皇様はどういう関係なの?どう見ても初対面じゃないし、兵士達もハルの命令に従っていた……ハルは一体……?」

「あー、もう、面倒だ!簡単に言えば『性処理の道具』だ!」

「……は?ぇえ!?」

「そういう事にしておけ!とにかく、お前はジンの子を産め!そうしたら地下牢に居る他の仲間達と一緒に村に帰れ!それで全てが丸く収まる!」

「ちょ、い、意味が全く分からないんですけど……?」

 ユリカは変な汗が噴き出ていた。

 バンッ

「セイ!これで文句はないであろう!」

 服を着替えてきた皇が勢いよく扉を開け放っていた。

「この娘、すごく面倒だ。さっさと連れていけ」

 そう言って男性はユリカを皇の方へ押し出す。

 ユリカはこれからされる事への恐怖から皇に捕まるのを避け、思わず男性の背後へと回る。予想外の行動に二人は一瞬固まった。

(子供を産むってそういう事でしょ!?ちょっと待ってよ!)

 ユリカはどうにか時間稼ぎが出来ないものかと策を巡らせていた。でも、大した事は思い付かない。

「……おい、さっさとジンと行け」

 男性のその言葉に先程少し安心を感じたのは気のせいだったとユリカは思った。

「あ、あの!私にだって選ぶ権利が……」

「は?この状況で『選ぶ権利』だと?」

 男性は頭を振り、続ける。

「お前が大人しくジンの子を産めば地下牢の奴らは無事に帰れるこの状況で選ぶ権利があると思うのか?」

「う……。確かにそうかもしれないけど……」

 自分を犠牲にすれば皆が助かるのならと思う反面、一線を越えた後はトウナの顔が見られなくなる気がする。それに、キキョウはもう戻ってこない。

 元はと言えば、自分にこんな力があったから皆を危険な目に遭わせてしまっている。それが分かっているからこそ、拒否出来ない。だからと言って簡単に首を縦に振れない。もう少し考える時間が欲しい。

(ここはどうにか時間稼ぎを……)

 覚悟を決めたユリカは提案を持ち掛けた。

「あ、あの!一ついいですか?私もその……こういうのは初めてなので……何と言いますか、シチュエーションとか大事だなぁと思うんです」

 正面を向けば皇の冷たい顔。上を見れば男性のいかにも面倒くさそうな顔がある。

(そりゃそうだよね……目的は私の力なだけで別にそう言う事をしたいわけじゃないんだもんね……。私だってそう言う事はトウナと……)

 ユリカは思わずその先を想像してしまい、一人赤面していた。

(違う!違う!何を考えてるの!そうじゃなくて!)

 煩悩を振り払うようにユリカが頭を振っていると聞き覚えのある声が聞こえた。

「陛下、畏れながら申し上げます」

 ハルが現れ、その場に跪いた。

「何の用だ」

 皇が不機嫌そうに言い放つ。それに対し、ハルは怯む事なく続けた。

「以前、ユウ皇太子が産まれた際の事を覚えておりますでしょうか?」

「……何故、今その話をする」

 皇は一瞬遅れて、不機嫌さを増した声色で応えた。

「このままユリカを孕ませ、子を産んだとしても周りの者が皇太子と認めない可能性が高いです。ユウ皇太子の時のように……。ですから、ユリカを正室として迎え入れてからの方がよろしいかと思います」

 ハルの言葉に皇は瞳を閉じ考える。

「ですが、見ての通りユリカはただの辺境の村娘です。これでは身分の高い者以外を皇族に入れたがらない華族が許さないでしょう。また同じ事の繰り返しです。他の者が異議を唱えられないくらい僕がユリカを着飾らせますのでお時間を下さい」

 ハルは更に頭を垂れ、懇願した。

 皇は瞳を開け、ハルを見下ろす。

「朕がハルの事を信用するとでも?」

 その言葉にハルの額は汗ばむ。

「キキョウとか言ったか?あの娘を殺すよう命じたが、お前は従わなかった。それは朕ではなく、あの娘を仲間だと思っているからではないのか?ここで朕がハルに時間を与えて本当に逃げずに朕の為に動く保証がどこにある?」

「それは……」

 ハルは頭を垂れたまま唇を噛み締める。

「朕はハルを信用していた。ハルだけは朕の味方だと……。だが、それを裏切ったのはお前の方だ。ここで信用しろと言われてそう易々と信用できるものではない。それとも、信用するに足る何かがあるとでも?」

 少しの間を置いてハルは決心したように頭を上げ皇と視線を交わす。

「……はい。あります。僕は陛下に忠誠を誓います。その証を今此処で」

 そう言うと立ち上がった。

「セイエイ様、申し訳ございませんが、少しの間ユリカの目を隠していただけないでしょうか?」

「ん?まあ、いいが……」

 セイエイと呼ばれたその男性は背後に隠れるユリカを自分の前に来させ、袖で顔を隠す。

「ユリカも、出来れば耳を塞いでいてほしい」

「え?」

 これから何が起きるのか、ユリカは訳も分からず戸惑っていると上からセイエイが声を掛ける。

「いいから言う通りにしておけ」

 仕方なく言われた通り両手で己の耳を塞ぐ。

 ユリカの視界と耳が塞がれた事を確認したハルは、再び皇に向かって口を開く。

「行き倒れていた僕の命を救ってくださったのは陛下です。あの時から僕の忠誠は陛下にあります。なのに、一切の連絡を絶った。これは死に値します。ですが、出来る事なら再び陛下の懐刀として、お側に就きたい。共にいきたい。これが本心です。この忠誠心に嘘偽りがない事を今此処で、その証を!」

 視界を塞がれ暗闇の中、ユリカは己の手で耳を塞いでいたが、ハルの声は聞こえていた。

(ハルは皇様に拾われていた?どういう事?だって、うちに養子に来たのに……?)

 ハルについて初めて知る事が一つ増える事で疑問が数倍にも広がる。

 そんな中、聞こえたのは布が擦れる音。

「ほほう?」

 そして、皇の楽しそうな声。

 ハルは袖を口に咥え、持っていた短刀を鞘から取り出す。そこでセイエイはハルがしようとしている事に気付いた。

「まさか宮刑?!」

(きゅうけい?)

 ユリカは『宮刑』が何なのか知らない。

「んんんんんんん!!!!!!!」

 ハルの声にならない叫びが聞こえた。

(え!?この先で一体何が起きているの!?)

 ユリカは視界を塞ぐセイエイの袖を退かしたい衝動に駆られるが、耳を塞いでいてほしいと願ったハルの気持ちを蔑ろにする事も出来ず、耳を塞いだまま動けなかった。

「もういいだろ!!ここまでやっているんだから、信用してやれ!!そんな軽い気持ちで出来る事じゃないって俺なんかよりも同じ人間のジンの方が理解できるだろう!?」

 セイエイに声を張り上げられた皇は高笑いした。

「もう良い。生半可な気持ちでない事は分かった。だが、次はない。分かっているな」

 そう皇は言い残し、部屋を出て行った。

 ハルは立っていられず、崩れ落ちた。

「ハル!!」

 セイエイはハルの元へ行こうとしたがユリカの存在を思い出し、思い止まった。

「ユリカとか言ったな。耳を塞ぐのはもういい。代わりに、俺が良いと言うまで目を塞いでいろ。ハルを想うなら、ハルの為に絶対に目を開けるんじゃないぞ」

 先程までの面倒くさそうな声色だったのが嘘のように真剣なセイエイの声にユリカは大人しく従うしかなかった。

 ユリカが目を塞いだ事を確認したセイエイはハルの元へ向かう。

「自己犠牲精神の塊だとは思っていたが、ここまでするとは……」

 ハルの今の状況を把握したセイエイは対応に入る。

「う……触っては駄目です……穢れてしまいます……」

「此処でやっておいて今更だな。それより、止血だ」

「すみません……」

 ユリカは暗闇の先で何が起きていたのか分からないが、何か大変な事が起きている事だけは理解できた。

 しばらくハルの食いしばる声が続き、一段落したのか、セイエイの声が聞こえた。

「おっと無理するな。こんな状態で失神しないなんて普通じゃ有り得ないぞ?本当、時々現れるその鋼の精神、ジンに分けてやりたい。とにかく、宮廷医師の所へ行くぞ」

「待ってください。それよりも、ユリカを連れていかないと……」

 ようやくユリカは目を開ける事を許された。

 目を開けると苦痛に歪むハルの顔と、具合が悪そうなセイエイの顔があった。

「ユリカ。これからユリカには婚儀の準備に入ってもらうよ」

 そう言ってハルはユリカの腕を掴み、部屋を出ようとした。覚束ない足取りのハルに、すかさずセイエイが支えに入る。

「大丈夫です。セイエイ様も、穢れが酷いのですから清めに行ってください」

「ここまできたらどの道同じだ。ユリカの事は女官に任せるんだろう?そこまで俺も付き添う」

「すみません……」

 ハルとセイエイのやり取りにユリカは割って入る。

「ちょっと待ってよ!ハル、私訊きたい事が沢山あるの!」

 先程何があってハルがこんな状況になっているのか、皇に指図できているセイエイと呼ばれるこの男性は誰なのか、そもそもハルの正体は一体何なのか、トウナ達は今どうなっているのか、何から訊いていいか分からないくらい訊きたい事がありすぎた。

「ごめん、ユリカ。今は話している時間ない。とにかく、ユリカには陛下の正室になる準備に入ってもらう。他にも色々準備とか招集とかあるから儀式を行えるのは早くても明後日以降になるけど……。ここでゆっくりしていたら折角回復した陛下の信用を再び失う事になる。だから今は大人しく言う事を聞いて……」

「嫌、だって……私……」

 ユリカが想いを寄せているのはトウナだ。好きな相手が居るのに皇と結婚など出来ない。だが、それを言える勇気もユリカにはなかった。

「トウナが好きなのは知っている」

「え?!」

 言うつもりのなかった事を言い当てられユリカは赤面する。

「トウナの事を想うなら尚更。黙って言う事聞いて」

 辛そうに訴えるハルに、ユリカは従う以外の選択肢がなかった。

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