第6話 「少女」


 「逃げろー!!」

 

 すずの家から帰る途中。

 ふと振り向くと、バタバタと小学校中学年くらいの男の子たちが駆けてきた。

 「あいつに触ったら菌がうつるぜ」

 「きったねー」

 「あいつんち貧乏だから、いつもおんなじ服着てるんだ」

 「かわいそー」

 そんな心無い言葉を浴びせる先に、ひとりの少女が立っていた。

 肩につかないくらいのショートカットに、少しだけくたびれたシャツと、だぼだぼの茶色のズボンを履いていた。

 その少女は赤いランドセルをぎゅっと握りしめ、少年たちをにらみつけていた。

 

 しかし、遠くからでもわかった。


 彼女は泣くのを我慢している。


 ちいさな少女はその自尊心だけを支えに、涙をこらえているのだ。




「やめなさい!」






 なんて、当然私なんかに言えるわけもなく、ただただその光景を見ているしかなかった。少女はちらっと私を見たけれど、その目は助けを乞うわけでもなければ、非難の視線でもなかった。

 

 そのには、なんの感情も宿っていなかった。

 恐怖を覚えた。

 同時に、私はこの瞳を知っているとも思った。



 少年たちが立ち去ってしばらくしてから、少女はゆっくりと歩き始めた。

 平然と通り過ぎる彼女に、私は思わず声をかけた。

 

 「あ、あの!」

 

 少女は立ち止まってはくれなかった。

 「ねぇ、ちょっと…」

 肩をぽんっと叩いて引き留めると、ようやく振り向いてくれた。

 「だいじょうぶ?その…ごめんね。私なにもできなくて」

 もっとほかにかけるべき言葉はあっただろうに、私はこんなことしか言えなかった。

 なにより、さきの少女の無の瞳が目に焼き付いて離れない。

 少女はその瞳でじっと私を見て言った。


 「通りすがりのいじめられっ子を助ける義理は、あなたにはありませんから」


 


 衝撃を受けた。

 


 こんなにもちいさな子が、他人に絶望していることが分かったから。


 そのままスタスタと立ち去ろうとした彼女を、私はまだ追いかけた。

 なぜかこの子を放っておけなかった。

 「待って!あなた…」

 私は彼女の前にまわり込み、その身長に合わせてかがんで彼女の両肩をつかんだ。少し乱暴だったかも知れない。

 「だいじょうぶなの?ねぇ」

 しばらく見つめあっていたが、少女が言葉を発することはなかった。

 こうして語りかけたところで、私にできることはなにもないのだ。


 


 あぁ、無力なのは私もおなじか。



 

 自然に涙が出ていた。

 

 自分でも驚いた。

 

 胸が苦しかった。

 

 少女は一瞬だけびっくりした顔をしたが、すぐにもとの無表情へ戻った。

 

 「…おうちに帰るの?」

 と、私は涙を拭いながら訊いてみた。

 少女は頭を横に振った。

 「じゃあどこに行くのかな?」

 ふいと私の手を払いのけて歩き出した彼女にむかって、私は続けた。

 「ついて行っても、いい?」



 少女はなにも言わなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る