第8話 「純真」
中に入って気が付いたが、そこにはたくさんの子どもたちがいた。
だいたい小学生から中学生だろうか。十数名の子どもたちが、思い思いにお絵かきをしたり、おままごとをしたり、本を読んだりしていた。
子どもたちのほかには、さきほどの女性ともうひとり、こちらはピンク色のエプロンの若い女性だった。
「申し遅れました。私は
ピンクのエプロンの女性が、「ちょっと、雑!」と言って、
「片岡ゆりかです。よろしくね」と付け加えた。
「あ、眞岡明といいます。突然すみません」
私はようやく自分の名前をちゃんと名乗ることができた。
「いいのいいの。むしろこんな可愛い女子高生が来てくれるなんて!」
私の制服を見て、そう言った。
「ちょっと早苗さん、ひかれちゃいますよ」
「それはまずい」
ふたりとも笑いだしていた。
早苗さんは四十代後半くらいだろうか、ウェーブのかかった茶色の髪をヘアクリップでうしろに留めている。話すたびに明るくて穏やかな雰囲気が伝わってくる。ゆりかさんはまだ若く見える。はっきりと話すひとだ。長い黒髪をふたつに縛っていて、目が大きいからか幼い印象を受ける。
ここで思いついたことを訊いてみた。
「あの…おふたりは保育士さんかなにかですか?ここって一体…」
ふっと笑って、
「ちょっとお茶でも淹れましょうか」
と早苗さんが言った。
施されるまま私は大きなテーブルについた。
「どうぞ」と冷たい麦茶を差し出され、ぺこっと頭を下げた。
ゆりかさんは、子どもたちと一緒に折り紙で大量の紙風船を折っていた。
「ここはね、『ひだまりの家』っていって、家庭に事情があって家に居辛い子や、過去にあったことで心に傷を負った子どもたちが集まる家なの。もちろん、託児所みたいな感じで、夜になると親が迎えにくるって子もいるのよ。でも、大半はそういう家庭じゃないから…ここで夜ごはんを皆で食べて、ちゃんと家まで送り届けるの」
こんな場所があったのか。知らなかった。
「二年前にね、私が始めたの。最初はひとりでやってたんだけど、そのあとゆりかちゃんが。彼女は私の妹の友達でね、手伝ってくれるようになって。あとは男の子がひとり。最近入ってくれた先生でね」
私は出されたお茶に手も付けず、じっと早苗さんの話を聞いていた。
「私なんかはもともと介護士をやってたわけだけど、子どもたちのケアは専門外だったの。ゆりかちゃんは小児科の看護師さんだったけどね。でも、ある時こういう居場所を子どもたちにつくってあげたいって思い立ったのね。まぁ…いろいろきっかけはあったんだけど。はじめはうまくいかないことばっかりだった。それでも、今では毎日このくらいの子どもたちが遊びに来てくれる。嬉しいことだけれど、でもそれは同時に、とてもかなしいことでもあるのよ」
早苗さんは、一度言葉を切った。
「ほんとうは、子どもたちは自分の家で自分の家族との幸せな時間を過ごすべきなのよ。でも…世の中の子どもたち皆がそんな恵まれた環境にはいないってのも、また事実だから」
そう言い終えると、早苗さんは麦茶を飲みほした。
「明ちゃんが連れてきてくれた、さっきの子、
さっきまでの快活な表情とは裏腹に、早苗さんはとても神妙な面持ちで語った。
その視線の先にいる子どもたちは楽しそうに遊んでいた。
これが、彼女のつくりたかった世界なのだろう。
こういう大人もいたのだ。
普段私が生きている世界とは違いすぎていて、息をのむほどだった。
呼吸するだけで、このあたたかい空気に包み込まれる。
また、涙が出そうだった。
その時、玄関のほうでガタガタと音がした。
「あ、帰ってきたわ」
私は泣きそうなのを気づかれていないかと焦ったが、早苗さんをはじめ子どもたち皆の視線はすでに玄関のほうへと向いていた。
「さっき話した、もうひとりの先生ね。夕食の買い物に行ってたの」
早苗さんは私にそう言うと、台所へ行ってしまった。
「たちばなせんせい!」
「おかえりなさい!」
子どもたちが迎える中、ひとりの男性がリビングへと入ってきた。
両手に大きな買い物袋を抱え、「よいしょ」と身をかがめてリビングへのドアを通った。
「ただいま。皆おなかすいたよね」
優しい声が聞こえた。
ゆっくりと顔をあげたその男性は、
以前駅のホームで出逢った、
彼だった。
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