第三章 様々な「出会い」

 人が消えたあの日から、今日でちょうど三週間目。

 三週間あれば、いくらなんでも東京に着けると思うだろうが、残念ながらまだ東京に近づけた実感すらないのが現状であった。

 食料確保や単なる寄り道などでちょくちょくルートが変更になるので、よく道に迷うのだ。

 そんなものあっても仕方ない、と地図も使わないので、試行錯誤の繰り返しである。

 「今日はこのあたりで休むか?」

 と二人に聞くが、返事がない。

 バックミラー越しに後部座席を見ると、児玉が横になって眠っていた。

 助手席を見ると、黒田も可愛らしい寝息をたてて眠っていた。

 二人とも寝ちゃったか、そうつぶやき、視線を前に戻す。

 二人が寝ている理由、それは四時間くらい前まで話がさかのぼる―

 

「ねぇ!カズッち、ちょっとストップ!」

 突然黒田が停止を要求してきた。

 「何だ?いきなり。」

 「いいからいいからっ。」

 理由も分からないまま車を止める。

 車を完全に停止させてから、改めて黒田に理由を聞くことにした。

 「で、何なんだ?」

 「カズッチよ、毎日車の座席に座りっぱなしで移動しかしないのは、運動不足になりかねない、てか多分なってる。違うかい?」

 「まあな、でもこれといってすることも…」

 「そこでわたくし、これから運動をしてこようと思います!」

 「どこで?」

 「じゃじゃーん!」

 黒田は車を降り、誇らしげにある方向を指し示す。

 「えっと…、○○アスレチック公園?」

 なんと、そこにはアスレチック公園の入場門があったのである。

 でもこの名前、どっかで見たことあるような…

 「ということで、ちょっくら遊んできまーす。優ちゃんも遊びに行こっ!」

 当然その誘いを児玉が断る理由もなく、というか更に乗り気になったようで、勢いよく車の扉を開け放つと、公園の入場門で待つ黒田のもとへ駆けて行った。

 「ちょっと待て!黒田。」

 ん?と黒田が振り返ると、高山は問うた。

 「いつから誘導していた!」

 黒田は一瞬驚いたような表情をした後、分かりやすく、

 「ばれちったか。」

 という分かりやすい表情とともに、いたずらっ子のような口調で言った。

 「やっぱりな!」

 「ということで、」「「行ってきまーす!」」

 仲良くそう言って、女子二人は園内へと駆けて行ってしまった。

 何が、ということで、だ。

 当の高山はというと、もっぱらのインドア派。当然、アスレチック公園なる明らかに体力を使いそうな場所で遊ぶのは勘弁、と車から出ることはせず、助手席に手を伸ばすとグローブボックスを開け、中から文庫本の小説を取り出し、栞を外して読み始めた。

 ちなみに、黒田に誘導されたと気づいたきっかけは、ここに至るまでに何回か見かけたこの公園への案内看板だった。

 その時は、このあたりにはアスレチック公園があるのか、程度にしか思っていなかったが、今思い返してみると、黒田はその看板が指し示す道どおりに高山にアドバイスしていたのである。

 きっと、昼休憩の時点で看板を見つけていたのだろう。

 そして、高山が気づかないように誘導していたのである。

 園内へ入っていくときのしてやったり顔にも納得がいく。

 その後、一時間以上たっても二人は戻ってこなかった。

 二人が戻ってきたのは、四分の一くらい読み終えていた文庫本が、もうすぐ読み終わりそうなころだった。

 汗と、水でびしょぬれになった二人が帰ってきたとき、高山はとんでもなく驚いた。

 一体何をしたらそんなになれるのか。もう夏は終わったはずなのに、なぜ透けるほど薄着なのだろうか?暑がりなんだろうか。あ、黒田はスポブラつけてんだやっぱ見た目通り小さいな、なんて脳みそで煩悩が暴れだす。

 とりあえず、急いで二人に体を拭いて着替えるように言い、高山は運転席で一人、言いようのない罪悪感にさいなまれていた。

感づかれていないようでなによりだった。


 着替えが終わり、移動を再開したら現在のように二人とも爆睡、という結末である。

 いつもと違って深い静けさにつつまれる車内、響く車のエンジン音。町はどこまでも沈黙を守り通していた。

 運動していないとはいえ、これだけ静かだと流石に眠くなってくる。眠気覚ましにミントタブレットを一粒口に放り込むと、すぐに口内がミントの爽快感で満たされた。

 徐々に引いていく眠気を感じながら、高山は仕方がなく、二人のガイドなしで今夜の野営地を探すことにした。

                 *

 日が沈むか沈まないかという時に、大分前に一度見たことのあるスーパーの店舗を発見した。

 丁度いい、とハンドルを切り、スーパーの駐車場に入る。

 後ろと横で寝ている二人を起こさないように、いつもよりゆっくりブレーキを踏んで停車し、エンジンを止めた。

 二人とも相当疲れていたようで、まだ目を覚ました様子はなかった。

 夕食はまだだったが、爆睡している二人を起こすのも申し訳ないな、と思い、夕食を非常食系で済ませることにした。

トランクスペースに所狭しと押し込めてあるボストンバッグの中から、総菜パンとカロリーメイトの小箱を三人分取り出すと、車内に戻り、黒田と児玉のそばに一セットずつ置き、高山はそれらをさっさと食べ終えると、薄い毛布をかぶり、そのまま眠りについた。

おやすみ、明日はどこまでいけるだろう。

                     *

ふと目が覚めた。

気づいたらあたりはもう真っ暗で、室内照明のLEDランタンの明かりも消えている。

どうやらあの公園でひとりきり遊んだ後、そのまま車内で眠ってしまったようだ。

そして当然、

「お腹減った…」

どうやら夕食まですっぽかしてしまったようだ。夕食の時くらい起こしてくれたっていいのに、と心の中で彼に文句を言いつつ、体を起こそうとすると、自分の体に毛布がかけられている事に気付いた。

まったく、こういうところは気がきくんだから、と上半身だけ起き上がる。

すると今度は、膝のあたりに何かが乗っている事に気付いた。

滑り落ちそうだったので、あわててそれをつかむ。

紙の箱とビニールの袋。カロリーメイトと総菜パンだった。

前言撤回、彼は最後まで気の利くやつだった。

かなり遅めになってしまったが、夕食にすることにしよう。咲ちゃんはもう食べたのだろうか。ここからは見ることができなかった。

運動後の空腹のせいもあり、あっさり平らげると、また眠りについた。

おやすみ、明日はどこまでいけるだろう。

                   *

そうして夜は更けていった。

人のいない夜は、どこまでも静かで、どこまでも透き通っていた。

夜はそう遠くないうちに終わり、やがて新しい朝を運んでくるだろう。人が消えてもそれは変わらない。

そうして、三人の旅は続いていく。

                  *

この辺りは都心からさほど離れていないが、田舎のごとく田んぼが広がり、高層ビルなどはほとんど見当たらない。

都心のビル群や住宅街に見慣れている自分にとっては新鮮な光景だった。

愛車の大型バイクを走らせ、そんなことを考えている。

大勢の人が消えてから、はや一カ月。

まだ、これからの計画は何もたてていないが、気の赴くままにこうして旅をしている。

都心には多少ながらも人が残っていたが、県境を兼ねたあの橋を渡ってからあまり見かけなくなり、今となっては犬一匹出会いやしない。

「今日はこのあたりで昼飯にするか…」

と一人つぶやき、スロットルを緩めた時だった。

風の音に混じってかすかにエンジンの音が聞こえてきたような気が、した。

バイクのエンジン音と風切り音に邪魔されてよく聞こえなかったので、ゆっくり減速し周囲の音に気を配る。

すると、あまり遠くないどこかで自動車のようなエンジン音が聞こえた。

久しぶりに人に会うのも悪くない。そう思い、スロットルを再びひねって加速すると、音の聞こえたほうへハンドルを向けた。

                  *

「ん?」

「どうしたの?」

と児玉が問うと、

「いや、なんか今バイクっぽいエンジン音が聞こえたような気がしたんだが…。気のせいかな?」

高山はそう言いつつも車のスピードを少しゆるめ、窓を開け、音を探る。

黒田や児玉も近くの窓を開け、音のありかを探る。

「あっ!聞こえた。」

黒田も聞こえたようだ。

「でも、なんだか段々大きくなってきてない?」

先ほどの言葉に続け、黒田がぼそっと言った。

「あっ、あれじゃない?」

児玉が指さしたほうをちらっと見ると、少し離れたところで何かがきらっと光った。

「そーだね」

「ね、会ってみない?」

「まあ…そうだな」

高山はそう言って、光った何かの方向へ道を変えた。

やがて、裏山のような雑木林をなぞるようになだらかにカーブした道に入った。

田んぼから少し離れただけなのに、このあたりはカーブした道が多いので視界が悪くなっている。そして、

「ねぇ、さっきからバイクのエンジン音がけっこう近くで聞こえるような…」

「「え?」」

児玉のなんだか不安そうな声に高山と黒田が返事をしたのと同時に、少し急になったカーブの先に大型バイクが見えた。

「やべっ!」

高山が急ブレーキをかける。

「「きゃぁぁぁーっ!」」

女子二人が、ブレーキによって生み出された強いGに体をふられ、悲鳴を上げる。

砂ぼこりに視界がうっすら曇り、車が停まる。

高山が目を開けると、三人の乗った車は、バイクと一馬身ほどの距離を残して停まっていた。

                   *

「いやー、すまないね。まさかこんな近くにいたとは思わなくってな」

バイクに乗っていた男の人が、フルフェイスのヘルメットをとりながらそう言って少し笑った。

「こちらこそすみません。僕の不注意で…」

彼が申し訳なさそうに謝る。

「いや、いいって。結局ぶつかってないし、ケガしてないし」

「でも…」

「もーいいでしょ!あの人もいいって言ってるんだし!」

彼のあまりの女々しさに頭にきて、私は二人の間に割り込んだ。

男の人は、それを見て少し笑って、

「こうして会ったのも何かの縁だし、名前、聞いてもいいかな。お互い代名詞で呼び合うのもなんだし」

と言い、私達もとりあえず軽く自己紹介をすることにした。

「高山和義、十七です」

「児玉優香、同じく十七です」

「黒田咲、十七です」

男の人は、「みんな同い年か…」とつぶやいてから、

「…あっ、俺の番か。ども、はじめまして。吉川匠です。歳は二十六、人が消える前までは東京でIT企業の社員やってました」

ハイテンションというかチャラいというかなんというか…、でもそんな言動の中にもしっかりとした何かを感じさせる、不思議な人だった。

こちらを気にもせず、吉川は話し続けた。

「いやー、東京を出てからめっきり人に会わなくなってね、この辺りでは君ら以外には誰とも会ってないんだよ。ところで君たちは?どっから来たの?」

こういう質問には暗黙のうちに彼が答えるようになっていた。少し考えるような間があってから、

「福島県からです。あの日以来、ずっとこの車で旅をしていて、今は東京に向かっているところです」

と、彼がさらさらと答える。

私は、少し気になったことがあって、吉川に尋ねた。

「…ひとつ、お聞きしてもいいですか?」

「ん、何だ?」

「ここ、何県ですか、ていうか、何処ですか?」

あまり地理には詳しくないうえに、地名等の看板はことごとく無視してるので、自分達の現在地はさっぱりわからない」

「ここは千葉県。その中でも北のほうだ。なんかわかりやすい目印でも…。お、あれ見てみろ」

そう言って、吉川は少し遠くに見えるコンクリートの長い陸橋のようなものを指差した。おそらく、鉄道かなにかだろうか…。

「一時期、ニュースで話題になっていた空港連絡線だよ。君らも知ってるっしょ?」

言われてなんとなく思い出した。そういえばそんな話もあったな。私鉄なのに電車が時速百二十kmだの百六十kmだのといった猛スピードで走りぬけ、JRと空港アクセス時間を競っている結果出来た空港連絡線。

こうして実物を拝むことはないだろうと思っていたのだが。

「ま、電気が止まった今じゃ、無用の長物だけどな。なんとなく現在位置掴めた?」

「…まあ、なんとなく。ありがとうございます。ということは、東京は西か…」

これからの進路を考えているであろう高山をちらっと見てから、吉川はこんな提案をしてきた。

「ちょうど昼飯どきっぽいし、よかったら一緒に食わない?」

                    *

こんなところで昼食というのもなんなので、今いた場所から少し離れることにした。

二・三分走ると、からっぽの貯水池のある敷地内にちょうどよいスペースがあるのを見つけ、そこで昼食をとることにした。

敷地の入り口である金網の扉は、閂と南京錠を通す穴はあいているのに、南京錠は見当たらず、拍子抜けするほど簡単に入ることができたのだ。

扉付近に俺達の軽自動車と吉川さんのバイクをとめ、手早く昼食の準備にとりかかる。

お互いに食糧を持ち寄った(割合的には少ないものであったが、まあバイクではそこまで多く運べないだろう)ので、久方ぶりのプチ贅沢な食事となった。

高山にしてみれば、主食であるインスタントカレーのほかに一品つくだけの昼食でも、平常時よりは大分贅沢であると思えるのだが。

こんな世の中で、食事にいちいちわがままなどは言っていられないのである。

いつもは食事中も移動中も会話が少ない三人であったが、吉川の気さく(チャラい)な性格のおかげで、旅の苦労話など会話が弾んだ。

吉川の苦労話の半分くらいは俺達も体験したことがあるようなことであったが、車とバイクでは困ることがちがうようで、お互いそれぞれのエピソードを語り、感心したり同情したり笑ったり。こんなに話したのはいつ以来だろうか。

しばらくして、

「どうして旅を始めようと思ったの?」

会話の盛り上がりのなかで幾分かくだけてきた口調で、黒田が吉川に尋ねた。

吉川はしばらく、うーん、と考え込んでから、

「学生のころから、一度、こうやって旅をしてみたかったんだ。大人になったら、でかいバイク買って日本一周だーっ、ってな。大学卒業して就職して、給料ためてやっとこのバイクを買ったはいいんだけど、会社のこともあるしやっぱ無理かな、と思ってたら、周りがこんなんになっちまって。それからしばらくは、東京で会社の同僚と身を寄せ合って生活していたんだがな。こんな時に不謹慎かもしれないけど、これはチャンスだ、と思ったんだ。その夜にこっそり抜け出して、頑張って自宅まで歩いて戻って、非常食とコンビニからかっさらってきたインスタント系の食糧、着替えや身の回りの物とかいろいろ積んで、今こうやって旅をしてるんだ。まあ、積める荷物が少ない分、不自由はするがな」

……なんだかこの人、

「なんかかっこいいー!考えてることは!」

「俺も思った」

「私も…」

「いや、そんな格好いいもんじゃないぞ!なんか、こう、ハズい!めっちゃハズい!っていうか、お前ら三人こそどーなんだよ!」

                   *

自分で言っておいて、猛烈に恥ずかしくなってきた。

これ以上三人が追及してこないように、三人の旅の理由に話を逸らそうと聞いてみたはいいものの、一体何があったのか、三人とも黙り込んでしまった。

どうすればいいか分からずにいると、高山が話し始めた。

「俺たちは…、あの日に両親を失って、知人も消えて、生まれ育った町も、誰もいなくなって。そこにいるのが嫌に…というか、耐えられなかったんです。だから、こうして旅をしている…。目的も憧れもありません。ただ、自分の育った、今は無人の町から逃げているように車を走らせているだけです。…ごめんなさい、理由になってないです、よね」

たどたどしい口調で話した後、高山は申し訳なさそうに詫びた。

話の途中から、なんとなく予想はしていた。

大多数の人が消えてしまった世界。

身近な人が消えてしまったということもあるだろう。

この三人だってそうだ。

何の原因も理由もなしに、普通の高校生三人が行き先のない旅をするはずがない。

修学旅行ではないのだ。そんな甘い考えではあっというまに飢え死んでしまう。

親を失い、友や知人を失い、町ももぬけの殻になってしまった。

そんな状況に陥ってしまったら、高山のような考えを持つのも自然なことなのかもしれないと思えてくる。

心に負った傷は、想像を絶するほど深いだろう。

「あの…、どうかしましたか?」

児玉が心配そうに声をかけてくる。

声をかけられて、初めて自分の動きが止まっていることに気付いた。

「…いや、何でもない」

ちょっと頭を振って、いったん今の思考を頭の隅に追いってから、

「いや、すまんな。食事中に重い話させちゃって。さっさと残り食べちゃおうぜ」

と言ったはいいものの、さっきより少し重い空気になり、不味ったな、と反省した。

                   *

昼食も済み、本格的に移動を再開した。

三人が具体的に東京のどこを目指しているのか、そもそもそこまで具体的に決めていないのかもしれない。

でも東京へ至る道には心当たりがあった。俺が旅を始めた時に使っていた通りだ。あの通りならば、一本で都内まで入ることができる。

ただ問題は―三人もそれくらいは分かっているだろうが―路上に大量に止まっている自動車である。

あの道は、二車線の上交通量がそれなりに多い。バイクですらところどころ迂回しなければならないところがあったくらいだ。自動車は大丈夫だろうか。

そんなことを考えつつ、田んぼのあぜ道を舗装しただけのような道を走る。

時々、バックミラーで後ろの軽自動車との車間を確認しつつ、スロットルを調節する。

運転には流石に慣れてきた、と高山は言ってはいたが、スピードメーターを見ると時速五十km出てないといったところ。原付じゃあるまいし。

三時間ほど走り続け、周りの景色が田んぼから住宅街に変わったころ、

「そろそろ移動は終わりにしようか!暗くなってきたし!」

バイクのスピードを緩め、軽自動車に寄せると、声をかけた。

「そうですね!どっか適当な休憩場所を探しましょう!」

高山はそう言うと、道幅が広がったタイミングを見計らって俺を追い抜かすと、目の前の交差点を曲がっていってしまった。

なんだ、スピード出せんじゃん。

急いてスロットルを開けると、高山の後を追うべく交差点をでハンドルを切った。

                    *

旅を始めたばかりのころにしょっちゅう見かけたあのスーパーは、一週間前くらいからすっかりその姿を見かけなくなっていた。地方中心の店舗展開なのかもしれない。

その代わりといってはなんだが、最近よく野営地に使っている場所がある。

「よし、見っけた」

後ろを追いかけてきた吉川に声をかけ、車を止める。

止めたところはコンビニ、もといスーパーだった。

しかし、店構えはコンビニそのもの。だが、駐車場はない。某大手デパートの会社が経営している小規模スーパーだ。

よく店舗が見つかる上に、品ぞろえも安定している(気にしても仕方ないが)。特に消耗品のウェットティッシュやチャッカマンなどが必ず置いてあるのでとても重宝している。

だが、このスーパーを資材や食材の調達によく利用するのには、もうひとつ理由がある。

電気が止まって一カ月以上も経つと、冷蔵保存が必要な肉や魚が段々と腐り始めてくる。

その臭いがまた凄まじく、いくら対策を講じ覚悟を決めても、腐っているそれが視界に入るだけで吐き気がこみ上げてくる。

だからこそ、スーパーほどの品物が置いてあって、かつ生ものがあまり置いてないこういった店は助かるのだ。

「今日の夕食、どうしよっか?」

「この前見つけたコンビーフ缶でも開けるか?畑からとってきた野菜と一緒にいためるとおいしそうじゃん」

「じゃ、そーしようか」

児玉を中心に夕食のメニューを決め、それから女子二人が料理する、といった手順が日常になっている。最初の頃こそ、私料理できない、なんて言っていたが、今となってはそこそこ慣れたようで、高山の出番も少なくなっていた。

いったん車に戻ると、高山は簡単な寝床の準備を始める。

トランクに丸めて詰め込んである薄手の毛布を三枚出し、それぞれの座席に敷いておき、前二つの座席には航空機用の空気まくらをセットし、後部座席には児玉の要望(わがまま)で途中の大手雑貨チェーンの店で調達した小さめの抱き枕を置いておく。

近くにバイクを止めた吉川はというと、毎日きっちり荷造りているようで、時間をかけて寝袋を荷物から取り出し、それを敷くと、枕元に非常用のLEDランタンを置いて用意は終了のようだった。

「おっ、うまそうな匂いだな。肉なんて食うのは久しぶりだからな。バイクだから調理器具もあまり持ち運べないし。…って、今更聞くけど俺の分あるよな?」

「さあ、どうでしょう」

「えっ!ヒドい!」

「冗談だって」

黒田と吉川が楽しそうに話している。

カセットコンロで火にかけられているミルクパンを覗くと、なるほど、いつもより幾分か量が多かった。

まだ夕食まで少し時間がありそうだった。一旦車に戻り、自席の背もたれを目一杯倒すと、そのまま一休み。

いつもは会話がほとんど無いが、今日は吉川がいるので少し賑やかで、調理場となっているコンクリート造りの小屋のあたりは楽しそうな話し声が絶えることはなかった。

やがて瞼が重くなってきたころ、できたよー、と児玉の声が聞こえてきたので、半分寝かけている意識を起こし、外へ出た。

ふと空を見上げると、そこには今日も綺麗な星空があった。

                  *

ちょうど昼食で米を切らしてしまったことを失念していた。そのせいもあって、今日の夕食はおかず一品。コンビーフ・玉ねぎ・枝豆を炒めたものだった。

米は今夜中にあのスーパーで補充しておかないと、ごはんが無いのは思ったより違和感があった。日本人だからだろうか。

炒め物を口に運びつつ、そんなことを考える。

「いやー、久しぶりの肉はやっぱ旨いな!そして酒が飲みたい!この味はつまみにぴったりだ。誰か、ビールちょうだい。…でも冷えてないか、んじゃいいや」

「日本酒だったらあるんじゃない?」

咲ちゃん、余計なこと言わないのっ。

「いや、俺日本酒駄目なんだわ。体は大人でも味覚はまだ子供だよぉ」

「ビールねだってる人が何を言うか…。我慢しなさい」

「おっす。冷えたビールが見つかるまで我慢します!」

よかった。私は酔っ払いの対応はどうも苦手なので助かった。

「咲ちゃん、吉川さんと普通に話してるけど、吉川さんのテンションがもう酔っ払いだよね。」

「そうだな」

「あ、後でスーパーで食材探ししないと。お米がないし水もあまりないから」

「大物ばっかりみだいだし、俺も行こうか?」

「大丈夫。そんな心配してくれなくても、慣れてるから」

彼にそう言ってから、夕食を手早く食べ終えると、明りを囲む輪から少し離れる。

車のトランクを開け、改めて不足している物を確認してから、懐中電灯を片手にスーパーに入って行った。

                 *

児玉がスーパーから持ってきた諸々をトランクに詰め込み、夕食の片づけが終わっていたころには、もう夜の九時を過ぎていた。

吉川は寝袋、俺たちはいつも通り車のシートで寝る。

「そういえば、お前らいつも何時くらいに起きてんの?」

「そうですね、ちょっと前までは六時でしたけど、今はもう全員起きたら、ってなってます。まあ、時間気にしても仕方ないですし。こいつも、今となっては正確かどうかの確信もありませんし」

そういって、腕時計の風防を指先で軽くたたく。

「そっか。んじゃ、お休み」

「おやすみなさい」

「おやすみぃ~」「おやすみなさい」

車に戻り、LEDランタンのスイッチを切る。


「……ねぇ」

「ん、どした児玉?」

「私たち、もうすぐ東京に着けるのかな?」

「そうだな……、吉川さんについていけば都心への最短ルートくらいは教えてくれるだろうな。まあ、後は俺らの努力次第ってわけだ」

「そっか。でも……」

「でも?」

「……私たちの旅、そこで終わらないよね?」

「終わるわけないさ。東京に着いて、しばらく都会見物したら、またどっか別のところへ行けばいい。旅の目的地なんて別になくてもいいだろ。―ってか、お前が最初に言った事じゃん?」

―目的地なんてなくたっていいじゃない。

かつて、この旅の始まりの場所であるあの駅で言った児玉の言葉を思い返す。

「……そっか、そういえばそうだったね」

「そう。俺らが生きている限り、旅は続く。言うなれば……旅は俺らの人生だ」

「……そ、そうだねっ。」

「ん?」

「な、何でもないっ。おやすみ!」

「お、おやすみ…」

半ば強引に話を切られた俺は、さっきの児玉の言動は照れ隠しだったと自分に言い聞かせ、気にせずに寝ることにした。

なんで照れたのかは、わからなかったが。

                   *

太陽が高く昇って、真上に達した正午ごろ。

ところどころ遠回りに感じる道を走り、やっと吉川の言う東京方面へ向かう国道にたどりつくことができた。

「やっと着いたなー、いやーうろ覚えだったから心配だったんだよなぁ」

「実際かなり迷ってたっぽいしねぇ」

「それは言わないでよぉ咲ちゃん……」

やっぱりこの二人はなんだかんだで馬が合うようだ。

「それより、ありがとうございました。態々道案内までしていただいて」

「や、お安い御用だよ。でも気をつけな、大体予想はついてると思うけど、この通りは普段から交通量が多い分無人放置の車が大量にある。けど、もし通れなかった時の迂回用の横道もたくさんあるから、まあ困らんだろう」

最後まで気のきく、明るくていい人だ。

「はい、ありがとうございました。では、またどこかで」

「ありがとうございました」

「ありがとう、匠っち」

またどこかで、か、と吉川はつぶやいてから、

「まあ、そうだな。こんなになった世の中何があるか分からないしな、もっかしたらまた何処かで会えるかもしれないもんな。じゃ!また何処かでな!」

そう言い残すと、高山達とは反対方向。青い道路標識を見ると「千葉」とか「木更津」と書いてある方向へは走り去って行った。

「んじゃ、俺らも行こうか」

「そうだね」

「れっつごー、ですな」

少しバックしてから、道路標識に「東京」と書いてある方向に車を進めた。


今日も風が吹き、白い透き通った砂を巻き上げる。何百万もの人が通ったであろう道を洗うかのように。

砂の波面より前を走る車に乗っている三人は、それには気付かない。


                  *


もはやただの鉄の塊となり果てた運転手を失った自動車を、慣れてきた手つきでハンドルを操作し反射的によけながら、高山はある事を考えていた。

昨日、自分が児玉に言った言葉、旅に目的なんていらないさ、という一言。

そんなことを人に言っておいて、未だに俺は心のどこかで旅の目的を探し続けている。

そうしてごちゃごちゃ考えて、いつも最終的にたどりつくものがある。


こんな世の中、生きていて意味があるのだろうか?

大切な人や親しい人が消え去り、夢や希望さえも消え失せ、ただ今を生き延びるだけの日々。

そんな中に、生きる意味などあるのだろうか?

でも、俺たちはこうして生き、生きて旅をしている。

旅をしていなくとも、まだこの世界には生きている人がいるに違いない。

その人たちは、何を糧に生きているのだろうか?

俺たちが旅をしている目的は、なんなのだろうか。


そして、思う。


それは、「生きる意味」を見出すためなのだ、と。


こんな世界になっても、生き続けることのできる確かな何かを見出すためなのだ、と。


だから、これは目的のない旅ではない。


―「生きる意味」を見つけるための、旅なんだ―

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