第一章 「それ」は突然起きた。
夏の太陽は相変わらず元気な八月末、いつもは無地の半袖半ズボンという部屋着スタイルでごろごろしている高山だったが、今日はいつもと違い、外に出ても恥ずかしくないような恰好をし、左手には大きめのキャリーバックを持っている。
毎年恒例のことではあるが、高山一家は夏休み終盤のこの時期に家族旅行に行くのだ。
地元で雑貨屋を営んでいるがゆえに、普段は気軽に出かけることが出来ない。
そんな個人経営だからこその悩みをなんとかすべく、年に一回くらいは家族全員でどっか行こう、ということから始まったらしい。
もちろん、当時小学校低学年だった俺にはそんなことなど知る由もない。
いつもは車で移動するのだが、今回はいつもと違った。
車ではなく列車を使うことにしたのである。
車を使うのをやめたわけではない。運悪く現在修理の真っ最中なのである。
この夏に重要な空調が壊れてしまったのだ、こればかりはどうしようもない。
レンタカーで行く、という案も出たが、電車に乗っての旅行もたまにはいいんじゃない?という母親の提案で、今年は電車移動となったのである。
そして、出発当日。
当然のように荷物係になった俺は、家族三泊分の荷物を詰め込んだキャリーバックを転がし、駅まで歩く。
茅葺屋根の、まるで古民家のような駅舎は、観光地にでもなっているのだろうか、夏休みなどは観光客を思われる人が絶えず訪れる。今日も例外ではなかった。
囲炉裏のある休憩スペースに腰かけて、電車が来るまで待つ。父と母は、ちょっとお手洗いに行ってくるから改札が始まったら先入ってて、と、特急の始発駅までの切符を一枚俺に渡して駅舎の外に出て行った。
少ししてから、もうすぐ列車が来るとかで、駅員のおばちゃんが改札を始めた。先にホームに入り、列車を待つ。
十時二十六分に発車予定の快速に乗り、一旦新潟に出て、そこから飛行機というのが移動行程だ。
夏の強烈な日差しを避けるため、駅舎の屋根の陰に入る。
日陰に入って暑さが少しやわらぎ、ほっと一息ついた。
しかしすぐに電車が来ないのを見るに、少し遅れているようだ。
それにしたって両親が戻ってこないなぁと思いつつ、ベンチに腰掛けた。
その時。
突然強い風が吹き、大量の砂埃が迫ってきた。
たまらず風に背を向け、目を瞑る。
「―――っ。」
砂が体にあたるぱらぱらとした感触を残し、しばらくして強風が止んだ。
やけに長く吹いたな、と思い体勢を元に戻す。
そういや、今何分だったかな、と腕時計に視線を落とすと、
十時二十四分。
あれ?
いつもは発車三分前にはとっくに到着している列車が、まだ来る気配すら見せていない。
遅れているにしたって、駅員のおばちゃんから、列車が遅延しているという話は特に聞いていなかった。
いや、そうじゃない。
もっと強烈な違和感を感じる。
何か、人間の為せることを超えた、それが起こってしまったような、そんな感じ。
ゆっくりと周りを見渡す。
そして気づく。
いくら人口の少ない山奥の町だからといって、ホームに俺一人しかいないのはおかしい。
さっきまで二~三人ほど人がいたのはずなのに。
駅の目の前を走っている国道を見ても、車や人の気配が全く感じられない。
自分の周りが、異様な静寂に包まれていた。
気味が悪くなって、キャリーバックをその場に放置して駅舎を覗いてみる。
すると、さっきまで列車待ちの人たちがいたはずの室内に誰も居なかった。
しかも荷物がすべて置きっぱなしだ。
駅員のおばちゃんも居ない。
どういうことだ、バラエティ番組のドッキリじゃあるまいし。
じゃあ、なんだ。この状況はなんなんだ。
まさか人が一瞬で消えるわけが―
人が一瞬で消える?
自分の思考に寒気がした。
でも、それを否定する材料がひとつも浮かび上がらない。
寒気が増した。
嘘だろ、と思い、改札を抜けて町へ飛び出した。
父と母が行ったと思われる公衆トイレの男子便所に入る。
そこには誰もいなかった。
あったのは、靴底に感じた砂のようなざらっとした感触だけ。
父とはすれ違っていないはずだが、とにかく誰もいなかった。
駅前の八百屋をのぞいてみるが、誰もいなかった。
床屋などほかの店ものぞいてみるが誰もいない。
道を走っていても、どの民家からも生活音のひとつも聞こえやしない。
町はひっそりと静まり返っていた。
やすらぐ静けさではなく。本能的に嫌悪感を覚える、生気のない静けさ。
まるで人が一瞬にして消えてしまったようだ。
消えてしまったのか。神隠しに遭ったかのように。
高山は走りだした。
無我夢中で町じゅうを走り回り、家という家をまわり、自分以外に人がいないか探した。
嘘だ…
嘘だろ…
そんなはずはない
そんなことがあるわけ…
一人ぼっちは嫌だった。
一人ぼっちは恐ろしかった。
だがそれは、子供が迷子になって一人ぼっちだと言うのとは根本的に違う。
――真の、孤独だった。
息が切れる。脇腹が、肺が痛くなる。だけど足を止めるわけにはいかなかった。
足を止めてしまったら、この事実を認めることと同義になる気がしたから。
高山の脳内は、絶望と孤独が支配していた。
どうにかなってしまいそうだった。
*
夏というのは日没が遅い。
空はまだかろうじて空色を保っていたが、やがてそれも夜の闇に飲み込まれるだろう。
いつもは点灯する街灯も、今はついていない。
家々から漏れるあかりも、一つもない。
生活音が、一切聞こえない。
八百屋は、プラスチックのかごや段ボールに積まれた野菜を夜気にさらしたまま、沈黙を保っている。
駅舎は暗闇につつまれ、もう二度と来ることのないであろう列車を待ち続けている。
国道にはエンジンの冷えた車がまばらに止まっている。
当然、人は乗っていない。
ふと、愛用の自動巻き機械式時計で時間を見ると、もう七時を回っていた。
人間、絶望に支配されると、不思議と冷静になれるものなのかもしれない。
どうせもうやれることは無い。家に帰って寝よう。寝たところで解決する事ではないが、とりあえず寝よう、と家に向かう道すがら、僅かに残った明るさの中、
――人の影が見えた。
もう、駆け寄る気力は残っていなかったが、
「誰だ?」
とだけ、尋ねた。
すると、影はどんどん大きくなり、俺と同じくらいの大きさになったと思ったら、その瞬間、影が自分に衝突した。
否、抱きつかれた。
人間の体温を感じると同時に、胸元で荒い息とともに泣き声が聞こえた。
声からして女子だろうか。
そして、この声には聞き覚えがあった。
「…児玉?」
同じ高校で同じクラス、そして、小学校のころからの幼馴染である児玉優香だった。
児玉は俺に抱きついたまま何度も頷き、堰を切ったように叫び始めた。
「私、部活終わったあと帰ろうとしたら、先生とか友達とかみんないなくなってて、探し回ってもだれもいなくて、ひとりぼっちで寂しくて。でも、やっと人に会えた!私嬉しくて…」
と、叫ぶ声が止んだとおもうと、児玉は俺の背中に回していた腕を放して、ちょっと距離を置いて、恥ずかしそうに少し下を向いて訊いた。
「高山君…だよね?」
「ああ、そうだが…」
「ごめんね、いきなり抱きついたりして」
「いや…、別にっ」
こんな状況にも関わらずついテンパってしまった。
「高山君も、一人?」
「ああ。旅行に行くのに列車を待ってたんだが、その間に、これだ。父さんも母さんも消えたよ。町中探しまわったけど――」
「ねぇっ!私のお父さんとお母さんは?見かけなかった?」
俺は返事に迷った。彼女とは家もほどほどに近く、俺も気づかぬうちにそこを回っていたはずだ。
だが、現実からは逃れることは出来ない。認めなければならなかった。
児玉が縋るような目で俺を見ていた。
俺は、ゆっくりと、首を横に振った。
児玉の顔がひたひたと絶望の色に染まっていく。
「この町にはもう誰もいない。少なくとも、俺とお前を除いて、な」
「そんな……」
児玉の目から、新たな涙が零れ落ちる。
でも、もう泣き顔は見せまいと歯を食いしばって嗚咽をこらえている。
そんな彼女の姿がいたたまれなくなり、俺は少しためらいながらも、児玉の頭に手をまわして、そっと抱き寄せた。
一瞬びっくりしたような顔をしていた児玉だが、安心したのか、俺の胸に顔をつけて大声で泣き始めた。
その声を聞く俺の頬にも、一筋、涙が流れた。
だが、それに気づく者はいない。
しばらくして、ねえ、と胸元から声が聞こえた。
「私、ここに居たくない」
今度は顔を上げ、まっすぐに俺を見て言った。
「どこか遠くに行ってしまいたい」
少し間をおいて、答えた。
「俺もだ」
そうして、行き先の無い旅が、始まった。
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