第7話 やっぱええねぇ

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 祭り三日目の午前中に「舟御幸」が行われる。

 「舟御幸」は瀬戸内海に面する河西地区と河東地区とで1年交代で行われている。今年は河東地区で行われる番だった。そもそも太鼓祭は実りの秋の時期に、大地の恵みをその土地の神様に感謝する。それに対して船御幸は太鼓台を船に乗せて、海の恵みを海の神様に感謝する、らしい。

 昨日の皇野太鼓台とのケンカ、というより小競り合いに対するバツはなかった。予定通り、峰泉太鼓台は船御幸の行われる東港へ向かうことになっている。じいちゃんからの情報なので間違いない。

 ケンカに対する処分は重い。即刻に太鼓台の解体命令が出たり、翌年に出場停止になることもある。実際、峰泉太鼓台は一昨年にケンカして昨年は出られなかった。

 朝起きると筋肉痛で全身が痛かった。普段から運動はしている方だと思うけど、それでも普段使う筋肉とはまた違うようだった。とくに首から肩にかけては筋肉痛ではなく、触れてみると軽く腫れあがっているみたいだった。痛いけど、その痛みを感じてうれしくもなる。名誉の痛みでもある。

 家の中にいても太鼓の音が聞こえてくる。自治会館ではもう出発の準備が進められている頃だろう。泣いても笑っても今日が最終日、朝から太鼓台について行こうと決めていた。我が家で祭りの日には決まって、いなり寿司が作り置きしてあった。腹が減っては戦はできぬ。昨日のケンカの続きがどこかでないとも限らない。口に頬張り3個を平らげた。

 そのとき、家のチャイムが鳴った。まだ朝7時を過ぎたばかりなのに、朝早くから誰だろうか。望光だろうか。でもあいつがチャイムなんて鳴らすことなんてない。勝手に入ってくるはず。玄関の鍵が閉まっているのだろうか。またチャイムが鳴った。

 玄関を開けると、そこには担任の上山京子と2年の学年主任の本間孝造が立っていた。

「久谷。何しに来たか、わかってるな」

 ぼくはすっかり油断していた。とっさに逃げようとしたが、本間に後ろから手を捕まれ、あっという間に後ろから羽交い絞めにされた。

「もう観念しろ。久谷、昨日太鼓をかいとったやろ。テレビにばっちり顔が出とったけんの。言い逃れはできんぞ」

 本間は通称「ゴリマ」。体格も顔もゴリラに似ている。柔道部の顧問をしていて、普段から指導の名のもとに柔道の技を使う。

 調子に乗って目立とうとしたことが失敗だった。いくらもがいてもゴリマの太い腕にがっちりと抑え込まれて逃れられない。それに襦袢に鳶ズボン。法被さえ着てないものぼくの姿は明らかに太鼓台をかきに行きます、と言っているようなものだった。もう言い訳のしようがない。

 それにしても家にまで来るなんて完全に予想外だった。

「久谷。学校でおれが言ったことを覚えているか。中学生は見に行くのはええけど、かくのはいかん。せめて中学校を卒業するまで我慢しとけ」

 カミキョがぼくの顔を見ながら鋭く言った。不適に笑うゴリマの太い腕がぎりぎりと首に食い込んでくる。いくら抵抗しようとしてもびくともしない。

 情けなかった。望まないことでも、譲れないことでも、無理やりにでも押し付けられる現実がある。世の中にはそんなことが多いのは、いくら中学生でもイヤでも分かる。大人からこうだって言われたら、それに黙って従うしかない。ぼくには海空に何もしてあげられない。それが現実。今のこの状況にさえ抗う力さえ持っていない。これも現実だった。悔しくて涙が出そうになる。

「わしらも鬼やない。祭りに行くなとは言わん。今日はおとなしく見るだけにしとかんかい。今日は太鼓台をかかんって約束するんなら放してやるぞ。素直に大人しくしていれば…」

「何しよんでや!!」

 突然、割り込んできた声の主はゴリマにとび蹴りを食らわせた。その衝撃でバランスを崩して、力が緩んだその隙にぼくはゴリマから逃れることができた。

「うちの息子に何するんですか!」

 飛び蹴りしたのは、母さんだった。ゴリマは蹴られた辺りを痛そうにさすっていた。

「まあ、お母さん落ち着いてください。志羽くんの担任の上川です。本間先生の行き過ぎた指導をお詫びします」

「か、上川先生。私は行き過ぎた指導など…」とゴリマの訴えを、カミキョは無視して続けた。

「ご存知とは思いますが、我が校では中学生が太鼓台をかくのを禁止しています。これは規則ですから本校の生徒である以上はこれを守らなくてはいけません。お母さんからも止めるように息子さんに言ってください」

 カミキョが丁寧な言葉使いになるときは決まって機嫌が悪い。今まで一度も聞いたことのないような低い凄みのある声で言い放った。

「では、先生たちに聞きますが、中学生はなぜ太鼓台をかいてはいけないんですか?納得する答えをください」

 母さんの声は耳に痛いほどの威圧感をまとい、負けずに言い返す。ぼくの長年の経験からするとこちらもかなり機嫌が悪い。

「太鼓祭は古くからある伝統なお祭りだということは知っています。地域の人から愛され守られてきたから今日までそれが続いているのもわかります。ですが、危険が伴うのもまた事実です。年によっては怪我をしたり亡くなってしまう人もいます。未来ある志羽くんのような若者のことを考えてあげるのも教師の務めです。万が一、そのような事態になれば辛いのは本人ですし、何より苦しむのはご家族のあなた方なんですよ」

 それを聞いていた母さんの表情が一瞬だけ曇ったような気がした。

 辺りを包む沈黙が息苦しかった。心臓の鼓音が聞こえそうなくらいバクバクと激しく脈打ち続ける。母さんもカミキョも何も言わずに睨み合っていた。「まあまあ二人とも落ち着いて」と仲裁するゴリマをもろともせず、

「上川先生はこちらの生まれですか?」

 突然、そんなことを母さんは言った。

「いえ、私は道後の生まれで教師になってから出て、こちらにはもう4年暮らしています。それが何か?」

「そうですか。ここの生まれでも、道後でも、県外でも、どこで生まれたなんてどこで育っても関係がない。昔は私もそう思ってました。でもこの太鼓台だけは違うんです。想像することはできても傷を負った本当の苦しみっていうのは当事者にしかわからないように、これはここの人間にしかわからん感覚やから」

 母さんは、言葉を繋ぐ。

「でも先生。それでもあえて言います。危ないからやめておけ、傷つくから何もするな。人間の成長には苦しみや痛みを伴うもやないんですか。何にもしないで逃げてばかりで人は強くなれるわけない。そんな成長するチャンスを子供から奪いたくはありません。そんな権利は、先生にも、学校にも、親の私にだってない。そうやって人は強うなっていくんです」

 間髪入れずにカミキョも反撃に転じた。 

「そんな精神論はきれいごとだ。学校は規則を教えるところだ。それをなくして学校教育は成り立たない。何を言われようが、おたくの息子はそれを破ったことに変わりない」

「今の先生に何を言ってもきっと理解してもらえんでしょう。もし先生がここで結婚でもして子供ができたら、そしたら少しはわかるようになる思いますよ」

 どちらも一歩も引かなかった。引くどころか、鼻と鼻が触れそうなくらい二人の距離は近い。今にもつかみ合いを始めそうなピリピリした空気の中で二人はしばらくにらみ合っていた。ぼくはなるべく音を立てないようにゆっくりと生唾を飲み込む。このまま時間が止まって永遠に続くのかと思えるほどに。

「おやおや、何か騒がしいと思ったら。まあ、そうカリカリせんと。今日は年にたった一度のお祭なんじゃけん」

 その沈黙を打ち破ったのは、法被姿のじいちゃんだった。

「彩。先生に向かってその口のきき方はないじゃろ。先生方、すみません。昔っから娘は頑固なとこがありまして。負けん気だけは人一倍強くて困っとります。一体誰に似てしまったのやら」

 そう言って、じいちゃんのあげた豪快な笑い声をあげた。それで、ぴんと張り詰めていた場の空気を壊していく。

「まぁ、私ら大人もちゃんとついとりますけん。危ないことなんて絶対にさせませんから。学校に迷惑はかけません。どうか今日だけは大目に見てやってください」

 それからじいちゃんはゆっくりとひざを地面について、先生二人に向かって深々と頭を下げた。つまり土下座した。

「ち、ちょっと止めてください」

 じいちゃんは頭を下げ固まったまま、ゴリマがいくら立たそうとしても一向に頭を上げなかった。

「そんなことされてもこっちだって困ります。ねえ、上川先生」

「本間先生。帰りましょう」

 カミキョは思いも寄らない言葉を口にした。

「えっ?でもこんなことを許してしまったら、他の生徒にも示しがつかなく…」

「いいから帰るぞ」

 カミキョはいつもの口調に戻り、「お騒がせしました」とゴリマを引きずるようにしてぼくの家から去っていった。

 何が起こったのか、ぼくには分からなかった。あのカミキョが引き下がるなんて信じられない。

「あの先生は物事の本質をちゃんとわかってくれとる」

 じいちゃんはゆっくりと立ち上がり、地面につけていたひざをポンポンと叩いた。

「はよ行ってこんかい。親がかまんっていいよんやけん」

 母さんはそう言って、緑色の峰泉の法被をぼくに手渡す。

 本当にいいのだろうか。カミキョが言うようにぼくは学校の規則を破っている。廊下は走らない。チャイムが鳴ったら席に着く。自転車に乗るときはヘルメットをかぶる。1年生のうちは必ず何か部活に入る。疑問に感じてもこれも必要なことなんだと守ってきた。

「また怒られたら、一緒にじいちゃんがなんぼでも頭下げに行ってやるけん」

 じいちゃんはそう言って自分の薄い頭をぺしぺしと叩いた。

「あんたねぇ、太鼓かきたいんやろ?そんなんでびびるくらいなら太鼓やかもうかかれん」

 少なくとも自分の気持ちだけははっきりとしている。最初から決まりきった答えで、簡単すぎて考えるまでもない。ぼくは自分の気持ちを口にしたが、

「え、何て?」

と、母さんはそれでは納得しない。

 何より大事なのは自分がどうしたいかだ。だから、ぼくは精一杯でかい声で言ってやった。

「かきたい!!」

 庭の犬小屋の前では寝ていたポチリがぼくの大きな声に驚いて立ち上がった。ぼくの声に呼応するようにワーンと鳴いた。




「すげー。海が光ってる」

 望光が言うように、陽の光に反射して揺れる波の表面がキラキラと光り輝いていた。

 何本かの川の河口に位置する東港は湾になっている。その港にはこの町と大阪を結ぶ大型フェリーの停泊場があり、大型タンカーが停留できるように港湾も整備されていた。瀬戸内でも大きな港の部類に入る。ずっと昔、市政何周年かの記念に白い帆を張った船が来たこともあった。

 東港には太鼓台を載せる船がすでに用意されていた。それは船というよりも海に浮かぶ四角い島のようだった。その島には運転席も柵も何もない。よくこんなものが浮いているものだ。それが海に3つ浮かんでいる。これに太鼓台を乗せて東港の湾内を周回させる。

 ぼくは緑色の法被を着て、峰泉太鼓台のかき夫の中にいる。今朝のことを望光に話してやった。

「おれんちには来んかった、おれもおまえの近くにおったのに危なかった。それにしてもすげーな。おまえんちの母ちゃんもじいちゃんも。おれんちなら今日は間違いなく、白ハタ上げて太鼓かかしてもらえんなっとる」

 今日は見つからないように学習したぼくらは、周りから見えにくい本棒の中ほどの位置についていた。

 岸壁につけられた船には太鼓台が3、4台ずつ載せられていく。太鼓台を載せる船には観客は乗ることはできない。だからぼくも望光も、舟御幸を見たことはあってもこの船に乗るのは初めてのことだった。

 乗せるときに潮の満ち引きの具合で岸壁と船の甲板との高低差ができて、太鼓台をクレーンで吊るして載せる年もある。今年は船の方が岸壁よりもひざの高さほど低かったが、このくらいの差なら人手で渡す。まさに宮口太鼓台が乗せられようとしていた。次に稜津、惣昭と続き、峰泉は最後に載せられる。

 順番待ちをしている間に乗船前に太鼓台の峰泉太鼓台のタイヤが外された。前側のかき夫が順に乗り移り、渡ったかき夫が太鼓台を支え、太鼓台を少しずつずらしながら徐々にかき夫が船に乗り移っていく。

 そしてぼくらの番が来た。岸壁と船には30cmほどの隙間があり、下の海面が見えた。海面まで2階くらいの高さがあるだろうか。周りのかき夫や指揮者たちから「落ちるなよ、よーに下見とけ」と言うので余計に恐怖を覚える。ぼくはビクビクしながらもその隙間を飛び越えた。渡り終えてほっとした。

 東港の岸壁からゆっくりと遠ざかっていった。同じ船には峰泉太鼓台のほかに、稜津、惣昭、宮口の太鼓台が載せられている。合わせて3t×4台にかき夫150人×60kgの重量が加わる。これだけ乗っても船はびくともせず揺れもしないかった。

 それを10分の1の大きさにも満たない小さな船が大きな島を引っ張っていく。まるで小ガモの後に親ガモがついていくみたいだった。それが3組、瀬戸内の海を泳いでいた。

 岸壁には太鼓台を見ようと取り囲むように見物人がずらりと並んでいる。対岸の岸壁にも人影が見えた。それらは陸から離れるとともに小さくなっていった。

「見てみいや」

 望光の指差す方には、釣り船やレジャーボートを出し、海の上から見物している人たちがいた。それも一隻二隻の数ではない。一番間近で見られる特等席に違いない。

 船が東港の湾内をゆっくりと周回し始める。その間、太鼓台はただ乗せているだけではない。先を行く船に乗せられた太鼓台が船の上でさしあげを始めると観客から歓声と拍手が沸き起こった。その船には昨夜のいざこざ相手の皇野太鼓台の姿もあった。

 こちらからも隣に待機していた先陣を切って惣昭太鼓台が動いた。さしあげを指示する太鼓を響かせる。さしあげは一度肩に置いてからさしあげるのが通常だが、それを屈んだ状態から一気にさしあげる。

 「そうりゃそうりゃー」の掛け声とともに腰の位置から頭上までかき棒をさしあげた。惣昭太鼓台は太鼓の拍子に合わせて太鼓台全体を揺らして、房を左右に割ってみせた。そして天幕にいる重係の手から準備されていた紙テープが蜘蛛の糸のように放物線状に放たれて辺りに舞う。岸壁から見ている大勢の観客からの無数の拍手が船上まで送られた。

 次々に太鼓台がさしあげられる中、峰泉太鼓台も動いた。峰泉太鼓台は4台並ぶ太鼓台の一番端に位置していた。海側に近い。船の縁まではまだ距離があるが、どうしても海が気になりバランスを崩してしまう。太鼓台は船の内側に向かって大きく傾いた。昨夜の喜多浜駅前よりもかき夫の人数が少ないこともある。その分太鼓台の重量がかき夫の肩にのしかかる。軽く腫れていた肩は、かき棒が触れただけで痛んだ。

「もういっちょう!せーの」

 奥歯を食いしばり、力を振り絞る。指揮者の二度目の仕切りなおしで太鼓台はさしあがった。腕を突っ張ったまま、周りを見る余裕もない。手のひらから伝わる重みが徐々に増していく。ついには耐え切れなくなり、糸が切れたように太鼓台は船上に落ちた。

 このわずかな時間のさしあげだけで汗が体中から吹き出ていた。船に乗っていた周りのかき夫の拍手が耳に届く。

「あれれ、まだ地面が揺れよるわ」

 望光が言いように、太鼓台が船から陸に戻っても地面がゆらゆらと揺れていた。実際に地面が揺れているわけではないが、船に乗っていた余韻が残っている。

 峰泉太鼓台は房を揺らしながら太鼓と笛の合図ともに歩き始める。これで午前中の行事はこれで終了し、舟御幸のあと、各太鼓台は一度、自分の地区へと戻ることになっていた。午後からは皇野太鼓台のホームとなる八海神社へ宮入りする。

 突然、誰かに自分の名前を呼ばれた気がした。今朝のこともあるのでびくりとした。今度は望光の名前が呼ばれた。気のせいではない。聞き覚えがある声だった。辺りを見渡して声の主を探す。

 望光とかき棒を抜けて、太鼓台の横へ出た。

「二人ともかきよんやね。内申書に響いても知らんよ」

 この声、この顔、この姿、この感じ、紛れもなく、そこに日浦海空がいた。秋色のベージュのワンピースを着ている。

「なんで?」

と、尋ねるぼくの声は望光と重なってしまった。

「なんでって、二人とも何言よんよ。地球の裏側におったってお祭のこの日はここに帰ってくるやろ。びっくりした?この前の仕返し。しいちゃんものんちゃんも、二人とも考えることが一緒なんやけん」

 ん?海空の言葉に、ぼくには引っかかる部分があった。ぼくが首をかしげていると、

「しいちゃんが来た次の週にのんちゃんも高知に来たんよ」

 望光も、ぼくと同じように高知まで海空に会いに行っていたなんて、そんなこと聞いてない。

「おまえやって、おれに黙って行ってたやんか。お互いさまやろ」

 確かにぼくも望光に高知に行っていたことを言わなかった。でも望光はその後で行ったからぼくが行ったのを知っていたということになる。全然お互いさまなんかじゃない。

 それよりも海空の隣には、

「なんで?おまえまで」

「おったらいかんか。まっことここの人間はこんな祭りやりよるきに、ケンカっぱやいやつばっかりなりゆうが」

 海空の同級生、戸賀郁斗の姿があった。

「のんちゃん、しいちゃんと同じように、郁斗とケンカして帰っていったんよ」

 海空の祖父の姿もあった。太鼓台を見ているだけではもの足りずに近付いて、手でなでたり叩いたりしている。よっぽど興味があるのだろうか。

 そのとき、ぼくは閃いた。

「おまえも太鼓かいてみるか?」

 ぼくは戸賀に言った。法被の柄は前のデザインになるが、家に帰れば余っている古い法被があったはずだった。

「かまんのか?」

「見とるだけじゃよくわからんやろ。手取り足取りおれが教えてやるけんの」

 望光と目と目が合って、戸賀の肩を二人でぽんぽんと叩く。

「ええねぇ、男の子はそうやってすぐ仲良くなれるんやけん。うらやましいわ。太鼓ってやっぱええねぇ」

 望光と目で合図する。仲良くなれる?海空に悪いが、そんなわけないだろ。おまえんところのかわいい神輿ちゃんとは違うってところを、イヤというほど味合わせてやるからな。

 そんな企みを知らずに戸賀は、さっそく望光にかけ声の出し方を習っていた。

「三人とも怪我せんように頑張らんかいよ」

 海空の声は、太鼓の音が響き渡る中でもよく聴こえた。まったく人の気も知らないで。




 暑い日だったことを思い出す。10月18日の祭の最終日、小学生になったばかりのぼくらは峰泉太鼓台の後ろをついて歩いていた。

 峰泉太鼓台は八海神社に向かって進んでいた。隣には望光がいて海空がいる。子供だけで太鼓台について歩くのは初めてのことだった。それまではずっと家族の誰かに手を引かれて祭を見にきていた。そうは言っても、かき夫の中には、ぼくのじいちゃんもいるし、近所の知った人たちの顔もあった。何より指揮者には望光の父ちゃんがいてかき棒の上に立つ勇ましい姿が離れていても見えた。

 太鼓台の指揮者というのは、野球でいえばエースで4番、サッカーでいえばエースストライカーだった。望光も父ちゃんが指揮者をしているということを誇らしげに学校でも話していた。もしぼくの父さんも生きていれば、指揮者になっていただろうか。

「父ちゃんが言いよった。太鼓台には魔法がかかってるって」

「えー、どんな魔法?」

 海空が目を輝かせて望光にたずねる。

「龍の魔力で太鼓台が軽くなっているんだって」

「ぼくは、そうりゃそうりゃの呪文の力でかき夫が強くなるって、じいちゃんから聞いたけど」

「えー、そんなんうそだ」と海空は疑う。

「いやいや、ほんとなんだって」

 ぼくと望光は声を揃えて言った。

 太鼓台は、どんでんどんと太鼓の低音を轟かせながらゆっくり進む。時々、駆け足になるとき、ぼくらはまだ大人の足についていくには精一杯で、懸命になってその後を追いかけた。これもお祭の効果もなのか、それとも魔法にかかっているのか、その足取りは軽かった。

 秋晴れの空の下、神社に近づくにつれて、太鼓台について歩く人の数はだんだん増えていった。

 他の友達も誘ったのに一緒には来なかった。太鼓台には興味がないらしくて、家でゲームをしている方がいいという。ゲームはいつでもできるけど、祭は年にこの三日間しかないのにもったいない。

 峰泉太鼓台は見上げるほど大きくて金ピカ色に輝いていた。平面の画面に出てくる立体に見えるキャラクターよりもやっぱり実物の方がずっとかっこいいと思う。

 峰泉太鼓台のかき夫には、高校を中退して暴走族に入っているという噂の近所のおにいちゃんも、一日中テレビばかり見ているタバコ屋のおいちゃんも、隣の家の前でよく立ちションしている姿を見かけるおじいちゃんもみんな普段とは違い、法被を着ただけでかっこよく見える。ぼくもいつかはその中に混じることができるだろうか。そう考えるだけで胸がドキドキした。

 峰泉太鼓台は行く先々の各地区で歓迎を受ける。紅白の幕が装飾された高台から、着物を着た若い女性から花束を指揮者が受け取る。その高台の後ろには「ようこそ。宮武地区へ」と横断幕が掲げられていた。

「さしあげるぞ!」

 指揮者の声に、応えるように太鼓台をさしあげた。かき棒が揺れ、房が弾み、かけ声が飛ぶ。辺りは熱気に包まれていた。

「そりゃあ、そうりゃー」

 海空が叫んだ。望光も叫ぶ。秋の空気を胸一杯に吸い込んでぼくも大声で叫んだ。その瞬間、魔法がかかったように太鼓台は地球の引力から開放されて空に浮かぶ。どんでんどんという太鼓のリズムが跳ねる。そうりゃそうりゃのかけ声が踊る。一回、二回、空へと舞った。もう一回。ぼくも、指揮者も、かき夫も、太鼓係も、観客も、今度は太鼓台の引力に引かれて一つになる。

「ちょうさじゃー、よーいとせいじゃー」

 太鼓台は再びゆっくりと歩き出す。八海神社への道のりはまだ長い。かけ声に合わせて、ぼくらもその後をついていく。

「おれも早くかきてぇ」と、いつものテンションより3倍増しで望光が言う。

「あー、私も私も」

「みっちゃんは女の子やけん、太鼓はかけんやろ」

「そんなん差別や。しいちゃん、そんないじわる言わんと女の子もかかしてや」

 海空は頬を膨らませた。しかしそんなことをぼくに言われてもどうしようもない。

 峰泉太鼓台の引力はまだ消えてない。それに引かれてぼくたちもぞろぞろと歩き出す。

 それは同時にぼくらだって同じように引力を持っている証拠でもある。たしか万有引力の法則とか何とかというやつ。それはぼくにも、海空にも、望光にもあって、三人が互いに引かれ合っている。

「おれ、将来サッカー選手になってもお祭りの三日間はこっちに帰ってくるけん」

「おれも」

 この頃のぼくらはサッカーチームに所属して、二人でプロ選手になるのが夢だった。

「二人ともしその日に試合あったらどうんの?」

「んー、おれは休む」

「ほーなん。それが日本代表の大事な試合だったとしても?」

「それでもおれは休む」

 望光はきっぱりと言うが、ぼくはちょっと悩むなぁ。

 秋晴れの青く澄み渡った空の下で、ぼくらは太鼓台について歩いていく。

 どこまでもずっと。この先もずっと。大きくなってたとえ離れ離れになったとしてもせめてこの日だけは三人でずーっといれたらいいのに。


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