追記30 Outlaw's Lullaby~風見組~

 『風見組』。

 秋葉原を裏から支え、そして牛耳って来たとされる連中だ。

 表であれ裏であれ、社会集団の中で生きていくならば上下関係からは逃げられない。企業が本社や支社、元請や下請などと格付けされるように、ヤクザにも直系、二次団体、三次団体……という序列ヒエラルキーがある。風見組もその礼に漏れず、関東一円に根を張る『東方会』の下部組織にあたるらしい。龍の刺青を背負った男が虎を殴り倒すゲームで学んだ知識なので、風見組が何次団体なのかは知らない。

 その事務所は、秋葉原と呼ぶにも御徒町と呼ぶにも浅草橋と呼ぶにも遠い、中途半端な場所に立っていた。

 誰しもリスクに身を晒したくはない。この辺りにはなるべく近寄らないのが、秋葉原で生活する者の常識だ。

 秋葉原は東京の一大観光地でもあるわけだが、地方民や外国人向けの観光ガイドに載っている地図を見てみると、何も無いかのように書かれていたり、この区域自体が地図から省かれていたりする。


 そんな秋葉原民の恐怖の対象が、残念なことに、我が屋からはわずか徒歩5分の距離なのである。

 親からの仕送りを止められてもなお東京都心のマンションに住み続けて来られたのは、この位置関係のおかげで家賃が抑えられていたからなのだが、大学へのアクセスを犠牲にしてでも安全な街に済んでおくべきだったと後悔した。依神を連れ去るのは、さぞ容易いことだったろう。


 覚悟の準備をしておく時間すら無いままに事務所の前に辿り着いてしまった私は、ただ狼狽えていた。

 『裏』プロゲーマーといっても、所詮はゲームばかりやっているだけの、一介のオタクである。

 情けないことに、私は心底ビビっていた。

 『時間遡行』はゲームでの敗北が発動条件である。現実で殴られたり、死んだりしたとして、それを無かったことには出来ない。事務所に足を踏み入れ、万が一「死にたい奴だけかかってこい」なんて言われてしまったら、私を守ってくれる物は何もないのだ。


 卵を孵化すべく歩数を稼ぐトレーナーの如く、事務所の前を彷徨いていると、後ろから声をかけられた。

「何やってるんですか」

 黒スーツの男が立っていた。明らかに堅気カタギでは無かったが、私はその男と面識があった。

「ワイルドドッグの……店長?」

 ゲーム賭博が公然と行われる『ワイルドドッグ秋葉原店』。その店の店長をしていたのがこの男だ。

 店のカウンターに立っていた時は、いつも系列店のロゴが入ったくたびれたポロシャツを着ていた。確か名前は……米良といったか。名前を知っているのは、胸ポケットに名札を止めていたからだ。

 ゲームのメンテナンスの相談で何度か話したことがあるが、腰が低く、客からタメ口で話しかけられても敬語で返し、細かい調整にも嫌な顔せず応じてくれた。賭場と化したゲーセンを仕切っているとは思えない、善良な市民という感じだった。

「こんなところで何を?」

「それはこっちのセリフですよ。どうして入ってこないんですか。オヤジが待ってますよ」

「オヤジって、もしかして……?」

 私が無言で事務所を指差すと、無言で頷いた。

「『ワイルドドッグ』はウチの組のシノギなんですよ。それで俺が店長を任されてるんです」

 なるほど。店内で派手に金が行き交っても咎められることがないのは、そういう理屈か。

「安心して入って来てください。組長オヤジは、ゲーマーに理解のある方ですから」

 そんなことを言われても、依神を人質に撮られている以上は全く安心出来ないのだが――と反論する余地も与えられず、強く背中を押されるままに、私は魔窟へ足を踏み入れた。

 

 『風見組』の事務所は、まさしく事務所といった感じだった。オフィスデスクが並び、壁際の書類棚には分厚いファイルが隙間をつくらず几帳面に並んでいる。

 大学の事務室とも見紛いそうな無機質な空間だが、机にはそれぞれゲーミングPCが置かれて虹色に輝き、並んだゲーミングチェアが部屋のスペースを圧迫していた。

「組長は奥です。こちらにどうぞ」米良はそう言って、私を奥の部屋に通す。

 黒の絨毯が敷かれた窓のない部屋だった。中央にローテーブルが置かれ、それを挟むように大きな黒革のソファが並ぶ。会社の応接間という感じだった。

 米良が組長と呼ぶ男は、そんな部屋の奥に座し、旨そうに麺を啜っていた。湯気が立っていないところを見ると、どうやら冷麺らしい。

「組長、例の裏プロを連れて来ました」

「来るまで随分かかったな。まあ座れよ。リラックスしてくれ。ゲームでもやろう」

 組長は冷麺をスープまで完食し、顔を上げた。

 穏やかで、どこかトボけた顔付きだった。組長というよりは、個人で輸入雑貨の貿易商でも営んでいそうな雰囲気だ。

 しかし立ち上がってみると、190cmにも届こうかという背丈で、スーツの上からでも鍛えているのが分かるガッシリした身体をしていた。

 こんな男と喧嘩したら、指先ひとつでダウンしかねない。私の緊張感はいっそう増した。


 私をソファに座らせ、そして自らも隣に座る。傍に控えている米良に指示すると、壁掛けの4Kモニタを点け、その真下のキャビネットに収納されていたゲームの電源を入れた。

「これって……!」

 モニタに表示されたのはよりによって、サイコロを振って日本をめぐり物件を買い漁るあのゲーム。別名、友情破壊ゲームである。

 これを組事務所で、組長とやれというのか。リラックス出来るはずがない。万一友情に亀裂が入る立ち回りをしようものなら、亀裂が入るのは私の骨の方ではないか。

 組長がプレイヤー名を入力した――ゆう社長。

「名乗ってなかったな。ここの組長をやってる風見かざみ ゆうだ」

 米良が寄ってきて耳打ちする。

「手加減してやってくださいね。組長オヤジはサイコロに破門されてるんで」

「聞こえてるぞ。余計なこと言うんじゃねえよ」

「ウス」

 米良に忠告された通り、風見組長の運は酷いものだった。牛歩カードでも使ったかのように、遅々として進まない。特急周遊カードと新幹線カードを温存して、物件を買ったりカードを買ったり、接待プレイと気取られない程度に遠回りして、それでもなお私の方が先に目的駅へ到着した。

 貧乏神に物件を売られ、スリに金を擦られる組長。

 それでも組長はずっと穏やかなままだった。

「組織の長がゲーム。滑稽な光景だろ」と組長が自嘲する。

「昔は『燕返しのユウ』なんて言われて『東方会』で恐れられたものだが、もう麻雀も流行らん。賭博の主流がゲームになっちまったから、組長の俺も知っておかなきゃならん」そう言いながら組長はゲームを途中セーブし、本体の電源を自分で切った。


 この頃には、私の緊張も少しは溶けつつあった。この人は――組長をやっているのが不思議なくらいに――真面目で、無駄や虚飾を嫌い、そして米良のいう通り、ゲーマーに理解のある人だ。妨害より目的地への到着を重視する愚直なプレイングにも、そんな性格が現れている。

 「怠惰を求めて勤勉に至る」とある麻雀漫画に出てきた名言が、ふと頭をよぎった。

「続きはまた今度だ。そろそろ本題に入ろう」ついに来たか。私は反射的に姿勢を正す。


「霧雨祐。お前に代打ちを頼みたい」

 私の言葉を待たず、風見組長は話を進める。

「今度、金と覇権をかけたデカい博打がある。レースゲーム『エアリアルV2』のタイマン勝負だ。これに組の代表として参戦して勝て。それが女を解放する条件だ。カタギ相手に人質を取るってのも大人気ないが、他に選択肢は無かったからな」

 どうやら依神を攫ったのは目的ではなく、手段であったらしい。風見組は、依神を私の恋人か何かだと思ったようだ。

 実際のところは居候に過ぎないのだが、だからと言って、我が身可愛さに放って置けるほど、私も白状な人間じゃない。これは依頼という名の命令だ。やるしかない。

 だが、どうにも解せないことがある。

「なんで自分なのか、って顔してやがるな。『ワイルドドッグ』は組のシノギだってのは米良から聞いたな。学生風情が格闘ゲームで荒稼ぎしてるってことでマークしてた」

 依神が配信で収益を得られるようになるまで、私はあの店で生活費を工面していた。目を付けられたのは無理もない。

 だが、あの店での私を知っているというなら、なおのこと私に白羽の矢が立つのはおかしい。

「……レースゲームは得意じゃないんですけど」

 恐る恐る呟いた。私は『表』でRTA走者として知られ、碓氷との一件以来『裏』の稼ぎは2D格闘ゲームがメインだ。ゲーマーとしてレースゲームも有名どころを一通り遊んではいるし、『エアリアルV2』にも触れているが、誇れるほどの実力じゃない。

「だろうな。お前が『エアリアルV2』をプレイしていたという報告は無かった。だが、それでもお前に頼らねばならん。事情が事情だからな。全く、冗談じゃねえ」

「事情……?」

 風見組長が私を指差し、そして告げる。


「お前が、『アルムナイ』だからだ」

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