追記29 Tokyo Emergency~依神維織の行方~
依神 維織。
奇妙な巡り合わせから、我が家に居候させることになった女。どういう訳か博打全般に造詣が深く、とりわけ麻雀の実力が高い。
私が『時間遡行』の異能を持つように、彼女もまた『確率操作』――本人は『乱数を調整する程度の
その代償として自分の運を消費する副作用が存在するのだが、リスクも気にせず力を使いたがる。
私が裏プロゲーマーとして稼ぎに行く時。友人がガチャを引く時。アーケードの麻雀ゲームで負けている人を見かけた時。異能の使い道があろうとなかろうと、その必要性の大小を問わず、決まって彼女は言う――「私を役に立ててくれ」と。
強迫的なその利他主義、自己犠牲に危なっかしさを感じ、故に放っておけず、その結果としてもう半年近くも我が家に居候させている。
思えば、私は依神のことを何も知らない。
依神は「人の役に立つ」ため以外では外に出たがらない。警察と関わることも恐れる。実家と何かあったのだろうか、誰かに追われているのだろうか――などと、かろうじて察することが出来るのみであった。
そんな依神が、誘拐された。
呉藍からもたらされた衝撃のニュースに、急用ができたとだけ行って博麗と別れ、私は慌てて自宅マンションへと走った。
呉藍はマンション一階にある『純喫茶サーカス』の前で待っていた。
閉店時間間近で、既に店内のゲーム筐体は電源が落とされつつあったが、息が上がった私と泣きじゃくる呉藍を見て、店主の玄爺は無言で私たちを店に招き入れてくれた。
「ご注文は?」
「……ブレンドコーヒーを二つ」
普段なら孫娘が考案した虹色に輝く奇抜な料理「ゲーミングメニュー」の押し売りに余念がない源爺だが、この日は注文を聞くと、ただ一言「あいよ」とだけ言って、カウンターの向こうへ消えていった。そんな店主の察しの良さも、私がこの店を気に入っている理由の一つである。
いつもはゲーム音楽やゲームのビープ音、そして呉藍みりあの大声のせいで静けさとは無縁の店だが、この日はそのどれもが消えて、コポコポと沸くコーヒーサイフォンの音だけが響いていた。
静寂に耐えられなくなって、私から話を切り出すことにした。
「そもそもなんで家に来てたんだ?今日は普通に平日だし、それもこんな夜中に」
呉藍みりあは私の部屋の合鍵を持っていて、生活力の低い依神の面倒をみてくれている。二人は頻回に顔を合わせているし、仲も良い。
だが呉藍が家を訪ねてくるのは、大学の講義が無い時の日中に限られていたはずだ。
「今日は蓬莱アリスちゃんとシオンちゃんのコラボ配信の日だったんだけど、シオンちゃんが全然繋いでこなくて、ドタキャンだったみたいで、アリスちゃんも慌ててたから、それで……」
依神維織は『シオン』という名のギャンブル好きVTuber――ネットアイドルのようなもの――として動画配信をしており、得られた収益を我が家の家賃や生活費に当てさせている。
蓬莱アリスというのも同業者で、春に助けてやった縁からシオンとはネット上での交友が今も続いている。時々動画配信でコラボレートすることもあり、アリスの知名度のおかげでシオンのチャンネル登録者数は万単位で増加していた。
「もしかして寝坊でもしたかと思って、部屋に行ってみたら、鍵は閉まってたんだけど、維織ちゃんは居なくて、部屋は散らかってて、あ、それはいつも通りだけど」
殆ど部屋から出ない依神だが、呉藍と同じく合鍵を作って渡してある。鍵が閉まっていたということは連れ去られたわけではなく、自分の意志で外に出た可能性が高い。
「それで、入口のあたりにこの封筒が……」
そう言って呉藍が一つの茶封筒を差し出す。折れ目も汚れもついていない。散らかり汚れた我が家にあってこの真新しさということは、つい最近置かれた物ということだろう。
封筒の中にはペラ紙が一枚入っているのみ。そこには、妙に達筆な字でこう書かれていた。
「女を返して欲しければここに来い」
添えられていた住所を見て、私は絶句した。
「ここって……!」
「うん……」
私も呉藍も秋葉原を庭とするオタク達だから、すぐにピンとくる住所だった。
「『風見組』の事務所……!」
この時からである。『裏』プロゲーマーでしかなかった私が、本格的に裏社会と関わることになったのは。
「冗談じゃねえ」そう言う他無かった。
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