追記21 Cyber Battle~川代なとりとハッキング~

 電子機器で埋め尽くされた薄暗い部屋にいてもなお、『ゲーミングウインナーコーヒー』に浮かぶ生クリームは怪しく虹色に輝いていた。

 とはいえわざわざ用意してくれたものを頂かないのはなとりに悪いし、何よりエアコンの効いたこの部屋――ゲームだったら床が滑ることは間違いない――に居ては、温かいものを口にしないと凍えてしまいそうだ。

「い、いただきます」

 目を瞑って一口啜ってみると、味は普通だった。ケミカルな見た目でありながら、味に変化がないのがかえって不気味である。

「……」

 なとりはただコーヒーが減るのをじっと見つめていた。

 ゲーミングウインナーコーヒーはまだ喫茶店サーカスに登場していない新作だというから、内申感想を聞きたがっていたのかもしれないが、なとりは何も言わなかった。


 川代なとりは人と話すのが苦手だ。

 玄爺は私に家庭教師の仕事を頼むとき、「お前さんの大学、孫の志望大と偏差値が近いんだよ」とか最もらしい理由を話していたが、稀代の天才であるなとりは、そもそも誰かに何かを教わる必要があまり無い。

 玄爺は孫が殆ど話をしてくれないことを店でぼやいていた。ゲーマーでありサブカルチャーに明るい私であれば、なとりの心理錠サイコロックを開錠出来るかもと期待したに違いない。

 玄爺から提示された給料に目がくらんで二つ返事で引き受けた私だが、なとりとのコミュニケーションは困難を極めた。

 しばらくは只々きまずい空気が流れるだけだったが、意外なところに共通の話題を発見して、それからはぎこちないながらも関係性を詰めることに成功したのだ。


 なとりがおどおどしながら口を開く。

「あの……は、博麗さんは……最近どうしてますか……?」

 なとりは、RTAにおける私のライバル――博麗新のファンなのである。


 オープンキャンパスに参加した際、当時在学していた博麗が案内してくれたらしい。博霊もまた憎たらしいほどの天才であり、そして相当な変わり者で、研究室とは随分浮いていたと聞く。自分に似た博霊に、親近感と憧れを抱いたのだろう。そんな訳で、博麗が卒業したのと同じ大学――つまり日本の最高学府を志望するようになったのだとか。

「この前も一緒に飲んだよ。なんでも『カードコンダクター』のゲームアプリを開発中らしいな」

「人気カードゲームのゲーム版……ですよね……雑誌で……博霊さんのインタビューが乗ってて……それで読みました。カードプールが広いゲームだから……これまでのゲーム化では……思考時間が長かったり……プレイングが変だったりしましたけど……博麗さんのアプリはCPUのAIに画期的な学習機能を搭載していて……」 

 こんな塩梅で、なとりは博霊の話題になると――呉藍みりあ程では無いが――なかなか饒舌になる。

 私と博麗はライバルとは言えどよく酒を飲む中なので――示し合わせたわけではなく、私が神田の行きつけの店に飲みに行くと決まって先に飲んでいるのだ――話題には事欠かない。

 ライバルの武勇伝というのは、裏を返せば私の敗北の歴史だ。それを語るというのはなかなかにみじめな話であるが、いつもなとりは嬉しそうに聞くので、それほど気にならなかった。


 さて、私となとりが博霊新の近況を語る間、手持ち無沙汰な依神は暇そうにしていた。ついてきたコイツが悪いのだが。

 しばらくはゲーミングウインナーコーヒーのホイップをコーヒーに溶かして色の変化を観察していたが、ついにはそれにも飽きたようだ。

「おい霧雨」退屈に耐えられなくなった依神が口を開いた。

「パソコンに詳しい奴のこと、なんて呼ぶんだっけ?チャンネルの視聴者に教えてもらったアニメで見たんだ。スーパーハカー、とか言うんだったか?」

「ハッカーな。悪意を持ったハッキングを仕掛ける奴のことはクラッカーと呼ぶ。 まあ、カチャカチャッターン、みたいなのは現実には無理だろうけど」

「で、できなくは……ないです……」

 ボソリとなとりが言った。出来てしまうのか。天才とは思っていたが、そこまでとは。

「で、でも……そんなに期待しないでください……CERNを攻めたりとかは、とても無理です……」

 いや、そこまでは期待していない。

「ええと……システムとか端末とかに……『脆弱性』があればなんとか……」

「脆弱性、ってなんだ霧雨?」

「システムやネットワークにおけるセキュリティ上の欠陥、つまり弱点のことだ」

「パソコンのことはよく分からないが、リーチしたら手替わりできない、みたいなことか」麻雀で例えるのが実に依神らしい。そして大体合っている。

「『ワンダフルワールド』とか『アンダーグラウンド』にそれがあれば、ムラサキを倒せるんじゃないか?」

「ひぃ……わ、私の技術では……見つかっちゃいますよ……大手のサービスですから……」

 そりゃそうだ。いくらなとりが天才といえど、まだ高校生。電子機器が充実しているように見えるが、所詮は個人レベルで揃えられる設備。

 ニート探偵とかラボメンナンバー003とかみたいなのは、ラノベやゲームの中だけのな存在であって……。


「そうだ、非常識……!!」

 名蜘蛛ムラサキには大きな脆弱性があるではないか。

 それは、ゲームに対するさ。

 ただ金儲けのためだけに渋々ゲームをやっているであろうムラサキは、ゲーマーなら誰もが知っていることを知らない。これ以上の脆弱性は無いではないか。無知は罪だ。

 

 攻略ルートが、見えた。


「一つ頼みたいことがあるんだが、話を聞いてくれるか?出来なかったり、怖かったりしたら、断ってくれて良いんだが」

「わ、私に出来ることなら……その、いつも、お世話になってますし……」

 なとりを巻き込むのは少し気が引けたが、他に手も思いつかない。まあ、相手は無知なVTuberだ。問題になることもあるまい。

「何をする気だ霧雨?」

「ムラサキと同じリングの上で戦ったら、俺たちは勝てない。だったら、リングに立たせなければ良いんだ」

 作戦は二段構えだ。


 実に地下アンダーグラウンドらしいやり方で、奴を倒す。

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