追記20 Ice Cave Chant~川代なとりと家庭教師~
例によって酷い空腹で目が覚めた。
見慣れた天井だ。
依神を家に居候させてからずっと、泊まれるサウナやスーパー銭湯やネットカフェをローテーションする生活を送っていたので、自室で寝泊りするのは久しぶりのことである。
ムラサキとバトルロイヤルFPSゲーム『Narrow Down』で一戦交えて……『時間遡行』の
「やっと目が覚めたか霧雨。移動の邪魔だから、早く起きてくれ」
隣で横たわる私を気にせず、依神は黙々とオンライン麻雀を打っていた。
「ベッドに寝かせるくらいの優しさがあっても良かったんじゃないか」
「霧雨がベッドで寝たら、私が寝るところが無くなるだろう。それに、私は麻雀牌より重い物を持ったことが無いんだ。霧雨をベッドに持ち上げる力なんて無い」
背中と腰が酷く痛い。あれからずっと床に寝ていたとなれば当然である。
何か腹に入れたら、湯に浸かって体を
「サウナにでも行くか……でも休日は混むんだよな……」
「何言ってるんだ霧雨。今日は平日だぞ」
「……え?」
慌ててスマートフォンを拾い上げる。火曜日の昼。ムラサキと対決したのが土曜日だったから、丸3日寝ていたことになる。
留年して以来大学にも行かず、新作ゲームの発売日だけを気にするニート同然の生活をしていた私だったが、毎週火曜だけは予定を入れているのだ。
「やばい……!時間が無い……!!」
急いで身嗜みを整え、冬用のコートを脇に抱え、冷蔵庫で冷やしておいた試供品の経口栄養剤を口に咥え――パンをかじりながら走るラブコメのヒロインの如く――私は自宅を飛び出した。
総武線各停がちょうど良い時間に秋葉原駅に来たおかげで、目的地にはなんとか時間通りに着くことが出来た。
千葉県は本八幡にある高級マンション。エントランスから見える広いロビーには、アンティークでロイヤルな――たぬきちの店なら10万ベル以上しそうな――ソファや置物が鎮座している。
「なんとか間に合ったな……」
「霧雨、ここは誰の家だ?」
「うわぁ!?」
後ろから突然話しかけられて、落ちものパズルゲームで7連鎖を食らった時のようなリアクションをしてしまった。
依神がしれっと付いてきていた。
「随分慌てて出て行ったからな。ムラサキとの対決に関係あることかと思ったんだ」と依神。
「悪いが関係ない。毎週火曜は家庭教師のバイトなんだ」
私が大学に真面目に通っていた頃、個人的に頼まれて始めたバイトだ。博打以外では唯一の、そして安定した収入である。
「平日の昼から家庭教師?学校に行っている時間だろう?」
「通信制だからな。訳ありらしい」
依神にも「子供は学校に行くもの」という常識は一応備わっていることに少し驚いた。「お前は行かなくて良いのか」という疑問が浮かんだが、地雷を踏みそうな予感がして聞くのをこらえた。
「一人で……は帰れないよな。終わるまで大人しくしててくれよ」
依神は一人で外に出たがらない。外出したとしてもアパート1階の喫茶店が関の山だ。家庭教師の仕事を終わらせて、一緒に帰るしか無いだろう。
本八幡には良いサウナがあっていつも寄って帰るのだが、今日は無理だな……などと思いながら、エントランス端末のテンキーで部屋番号を押し、インターホンを呼び出す。
私の訪れを待っていたのか、すぐに返事が返ってきて、同時にロックされていた自動ドアが開錠された。
「あ……えと……今日もよろしく……お願いします……です……」
彼女が私の教え子――川代なとり。
純喫茶サーカスのマスター、玄爺の孫娘である。
川代家は、なとり、両親、玄爺の4人暮らしだという。川代家の両親は共働きで、遅く帰って朝早く家を出るので、殆ど家に居ないそうだ。
玄爺も日中は純喫茶サーカスに出ているので、私が家庭教師としてこの家に来る時、居るのはなとりだけだ。いつ来ても家はしんと静まりかえり、私達の足音と、電子機器の作動音が聞こえるのみである。
玄爺から家庭教師のバイトを頼まれ、初めて家を訪れた時は動揺した。
娘一人しか居ない家に男を入れて、平気なのだろうか……と。
つまりは玄爺から信頼されているということであり、そして――両親の娘に対する関心の無さの現れでもある。
「……こ、コーヒーを入れて来るので……待っててください……です……」
通されたなとりの部屋は、パソコンやタブレット端末などの電子機器で埋め尽くされていた。6画面ディスプレイなんて物が拝めるのは、病院の放射線検査室か、『神にい様』の自室か、なとりの部屋くらいのものだろう。
整頓はされているが何しろ物が多いので、生活スペースは依神が居候してからの私の自室とさほど変わらない。配線に足を引っ掛けないよう気をつけながら、座布団に腰を落とす。
「凄いな……そして寒いな!?」
依神は体を震わせていた。この部屋は春だというのにクーラーがガンガン効いていて――電子機器を守るためらしい――ホットドリンクが無ければスタミナ減少必死の極寒である。
私は冬用のコートを持参していたが、何も知らずに付いてきた依神には何の耐寒装備も無い。不本意ながらコートを依神に渡してやると、感謝の言葉を口にすることもなくそれを羽織った。
「あの……ええと……その人……き、霧雨さんのお友達ですか……?」
コーヒーカップと茶菓子を乗せたお盆を持って戻ってきたなとりが、当然の疑問を口にした。
「も、もしかして……霧雨さんの……か、か、彼女さんですか……?」
「いや、えーと、なんて説明すれば良いのか……」
「博打仲間だ。依神維織という。コンゴトモヨロシク」
依神がオブラートに包むこともなくストレートに答える。博打仲間か……まあ確かにそうとしか言いようがないが。
「……その声……もしかして……し、『シオン』さんですか……?」
「VTuberとしての私を知ってるのか?」
「ええと、その……も、モデルを……私が作ったので……」
なとりはコミュニケーション能力と引き換えに、デジタル方面に天与の才を授かった――大学の授業で教わったところでは、なとりのような人達を「ニューロダイバーシティ」と呼ぶのだったか。
ウェブデザイン、プログラミング、モデリングなどなど、電子機器を使った作業なら何でもござれで、夜光瑠美の描いたキャラクターデザインを3Dモデルに起こしたのが彼女なのだ。
「つまり『シオン』の生みの親か。おお……」
「……こ、コーヒーを入れてきたので……温まってください……」
依神から好奇の目を向けられ、なとりが恥ずかしげに俯き、話題を逸らした。運んできたコーヒーカップをゆっくりとテーブルに乗せる。
「……し、新作を作ってみました……良かったら……どうぞ……」
「おい霧雨、これって……」
コーヒーの上にたっぷりと浮かべられたホイップクリームが――怪しく虹色に光っている。さしづめ『ゲーミングウインナーコーヒー』といったところか。
「なとりは、純喫茶サーカスの『ゲーミングメニュー』の生みの親でもあるんだ」
デジタル方面に関しては天才な彼女も、料理の才能は授からなかったらしい。
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