追記12 Room of Angel~依神維織とその習性~

 覚悟して帰って来たんだよ。

 けど……。

 なんかこうして、自分の部屋を見たらさ……。


「悪い やっぱつれえわ」

「そりゃ辛ぇでしょ」


 思わず正直な気持ちを吐露した私を、呉藍くれないみりあが慰めてくれた。

 ありがとう……いやいやいや、何を他人事のような顔をしているんだ。

 お前もこの惨状の一因だろうに!




 錦糸町のカプセルホテルをチェックアウトした私は、駅前のデパートの1階にあるフードホールで昼食を取っていた。

 これから私は、家に帰る。

 帰る家があるのは幸せなことだし、帰れるというなら喜ぶのが普通だ。

 今も多くの大学生が「帰りたい」と思いながら居眠りに興じ、多くの社会人が「帰りたい」と思いながらタバコをふかしているはずである。

 私自身、専門課程が始まった大学3年生の頃は、その難解さと忙しさに「帰りたい」とばかり考えていた。大学に行きたくなさすぎて、家で目覚めた瞬間に「帰りたい」と呟いたこともある。

 だが、今の私にとって「家に帰る」とは、覚悟の要る行為になった。

 飲まないとやってられない。ビールを一杯引っ掛けて、ネガティブ思考を上方修正してから、フードホールを後にする。


 総武線に揺られ、秋葉原駅の昭和口側を出てしばらく歩いたところに、愛しの我が家――秋葉原の古マンション『メゾン・ド・ポルポ』は建っている。

 外階段を登り、302号室のドアの前に立つ。

 ゴクリ……ツバを飲み込んでからチャイムを鳴らすと、私の帰宅を予期していたか、勢いよくドアが空いた。

「いらっしゃい!!今回もいつもの感じだから、よろしくね!!」

 行きつけの喫茶店の常連の一人、呉藍みりあが私を出迎えた。

 自分の家なのに「いらっしゃい」と迎えられることに苦笑しつつ、一週間ぶりの我が家へと足を踏み入れる。


 私の部屋は……異界と化していた。


 床には菓子や弁当やカップ麺の残骸が散らばり、デスクにはゲームの攻略本やら楽譜やらが高く積み重なり、台所には皿とコップが洗われることなく無造作に放られている。先週片付けたばかりなのに、たった一週間でゴミ屋敷に逆戻り。

 確かに、「いつもの感じ」だな……。


 昨年末から居候となった依神維織は、生活力が極めて低い。

 そのことを指摘すると、「お前は失礼だな。私だってカップ麺の作り方くらいは知っているんだぞ」と反論された。

 碓氷と一緒に居た時に真似して覚えたそうだが、それが炊事力の限界である。「ボンカレーはどう作ってもうまいのだ」と思っていたが、それすら不味く作ってのける。

 家事全般もからきしだ。家庭科でやった記憶すら無いという。「麻雀牌より重いものを持ったことがない」と依神は言っていた。初めは冗談だろうと思っていたが、本当のことかもしれない。

 更には、誰かに言われないと入浴どころか着替えすらしないズボラぶりだ。

 一体どういう育ち方をして来たのだろう。

 余程劣悪な環境で育てられたか……あるいは、全部周りが勝手にやってくれるようなお嬢様なのか……。

 本人が自分のことを何も語らないので、何も分からない。


 私が世話するわけにもいかず、数少ない女性の友人である呉藍みりあに事情を部分的に話して、依神の面倒を見て貰うよう頼み込んだ。

 呉藍とは訳合ってそれまでしばらく距離を置いていた。喫茶店で遭遇しても言葉を交わさないくらいに。

 「家出少女が私の家に忍び込んで帰らない」という話――呉藍は私の『裏』稼業を知らないので、ゲーム博打のことは伏せてある――を信じて貰えるとも思えない。

 それでもダメ元で頼んでみた訳だが、存外にも「A piece of cake!楽勝だぜ!」と二つ返事で快諾してくれた。

 それ以来、呉藍には合鍵を渡してある。私よりも頻回に我が家を訪れては、まるでホームヘルパーのように、食事の差し入れや入浴の介助なんかをしてくれている。


 本来は感謝すべきだが、コイツはコイツで問題を抱えていて、私を悩ませる。

 呉藍は育ちが良いためか家事は一通りこなせるのだが、一つの物事に集中できない。

 作業の途端で何か思いつくとそちらに手を出し始めるので、中途半端な状態で止まったタスクが積み重なっていく。「揚げ物の途中でソーシャルゲームのガチャを始めて、そのまま夢中になっちゃった!」などと屈託のない笑顔で話された時は、私も流石に凍りついた。

 そんな訳で、呉藍みりあは掃除だけが壊滅的にできない。

 片付けようとすればするほど、ますます物が散らばっていく。カップ麺や菓子の空き容器は依神が放置したものだろうが、バンドスコアは呉藍が時間潰しにと持ってきて、そのまま置き去りにして行ったものだろう。

 

 放っておくと本当に部屋が異界に通じかねないので、週に一度は私も帰宅して、掃除だけして去るのが習慣となった。

 さて、気力が失せない内にさっさと済ませてしまおう。勢いがあるときは勢いに乗るッス。これ、ブリッツの鉄則。

 依神はパソコンにかじり付いて微動だにしない。床を片付けるにはたいそう邪魔なので、とりあえず水回りに着手することにした。

 呉藍も掃除を手伝おうとは思ってくれたようで、デスクの本の整理に取り掛かろうとはしたが、その中の音楽理論の本に夢中になって、依神と同様に置物と化した。



  

 部屋をこんなありさまにした主犯の依神はというと、配信用の機材を揃えた私のPCに向かい、ゲーム配信の準備を進めていた。

 深呼吸してリラックスしてから、「配信開始」のボタンをクリックする。

「『シオンちゃんねる』にようこそ。今日も暇人達が集まってるな。今日も麻雀を打つぞ。昇段するまで辞めない覚悟だ」

 二台並んだモニタの片方にはオンライン麻雀ゲームの画面が、もう片方には地に着きそうなくらい長い蒼髪を靡かせた、美少女キャラクターの3Dモデルが映っている。

 依神が喋ると、画面の中のキャラクターの口も動く。カメラの前で依神が動くと、それをキャプチャして画面の中のキャラクターも同じように動いた。

 YouTuberのバーチャルアイドル版――VTuberという奴だ。

 依神はVTuber『シオン』の中の人となって、配信でファンを楽しませている。


 キャラクターデザインは、碓氷精司の彼女である夜光やこう瑠美るみに有償で依頼した。碓氷から博打で奪い取った金を、少し返したかったという意味もある。

 芸大に通っているとはいえ、製品デザインを専攻する夜光にとって本来畑違いの仕事ではあるが、期待以上のクオリティでやってのけた。初めて会ったとき、夜光は「デザインの進路に進んだのは父の会社で役立つため」と話していたが、創作が心の底から好きなのだろう。

 イラストを配信用の3Dモデルに起こす作業は別の知り合いに頼んだ。別用で会った時に話題に出したのだが、翌週に会った時には出来上がっていて驚いた。

 こうしてVTuber『シオン』は電脳空間に生を受けたのである。


 居候する気ならせめて家賃を少しは払って欲しい。だが、依神は家から出たがらない。外で物音がすると敏感に反応する。まるで何かに怯えているように。

 家にいながら依神に稼がせる方法は無いかと考えて、始めさせたのがVTuberだった。苦肉の策だったが、これが思いのほか上手くいった。

 キャラクターデザインも3Dモデルもハイクオリティで、依神のぶっきらぼうな喋り方によって結果的にキャラが立っている。何よりゲーム配信が面白い。このあいだ収益化の基準も満たしたので、この家の家賃を少しは補填できそうだ。


「下家は国士狙いだな。おそらく『中』待ちだ。内二つは私が握ってるから、まず上がれない」

『ツモ』

「なっ!!??」

 依神の読みを他所に、下家シモチャが残り一牌を引き当てて、国士無双をツモ和了り。依神扮するシオンは箱割れして敗北を期した。

 依神は間違いなく熟達した麻雀打ちだ。テンパイ気配を的確に読み、時にその当たり牌を一点読みで止めてみせる。振り込まない堅実な麻雀を展開していた。

 しかし、上がることも出来ていない。打てども打てども集まるのはクズ牌ばかりで、一向牌イーシャンテンに持っていくのがやっとという感じだった。どれだけ他家の動きを邪魔しようと、上がれなければ勝てないのが麻雀である。

 対する他家ターチャはチートを疑うレベルのバカヅキで、四暗刻スーアンコウ単騎タンキ九蓮宝燈チューレンポウトウ、挙げ句天和テンホウまで飛び出して、依神は惨敗を重ねた。

 かつて七倍役満を決めてのけた打ち手とは思えない、運の萎れっぷりだ。

 シオンチャンネルの配信は大勝ちか、大負けか、そのどちらかしかしないので、見ていて面白い。

 勝てば調子に乗り、負ければムキになるシオンの反応も、視聴者には好評のようだ。

 だから配信に人は集い、チャンネル登録数も伸びる。

「私は負けたんだぞ。おい視聴者リスナー、ねぎらいの言葉くらいかけろ。『w』ってなんだ。どういう意味だ!」

 ……依神は不本意そうであるが。


 依神の運は、ムラが激しい。

 単発でSSRを引き当てる強運を見せたかと思えば、1回目の『まもる』や『みきり』を失敗する凶運に見舞われたりもする。

 どうやら、今日は運を使い果たした後だったらしい。

 彼女の持つ『異能アノマリー』、その副作用である。

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