追記5 Suspicious eyes~社長ゲーマー博霊新~
全てを賭けて自分と勝利しろ――と、碓氷に喧嘩を吹っかけてしまった日の夜。
私はある男へメッセージを飛ばした。
碓氷と闘って敗北することは無い。
彼は彼で、私への勝利に強い「自信」を感じていたようだが、私のそれは「確信」に近いものであった。
私に敗北は許されない。そういう「呪い」のようなものが、私にはかかっていた。
とはいえ、何しろ相手はプロゲーマーだ。私が2D格闘ゲームをそれほど得意としていないことも合わさって、苦戦は免れないだろう。少しでも労せずに勝つために、私よりも2D格闘ゲームのジャンルに詳しい者の考察とアドバイスが欲しい。
それならば、碓氷と同じプロゲーマーに相談するのが最適解だろう。
しばらくぶりに連絡をとったその男の名は、
私にとって一番の友人であり、そして最大のライバルであった男である。
「明日の19時にいつもの店集合でどうよ?」
予想した通り、承諾のメッセージがすぐに返ってきた。
私の知る中で酒豪ランキング第2位に入る博麗は、二足どころか三足のわらじを履く多忙な日々を送っているはずだが、どういうわけなのか、飲みの誘いは絶対に断らない。
誰よりも先に飲み屋にいて、誰よりも飲み、誰よりも遅く帰る。いつ寝ているのかと心配になるほどに、あちこちの飲み屋に入り浸っていた。
秋葉原旧万世橋高架下のビアバルを教えてくれたのも博麗である。
――翌日。
神田駅南口から南方向へ3分ほど歩いたところに、博霊にとってのいつもの店――ビアレストラン「エンジェルパック」はある。
東京都内で醸造されたオリジナルのクラフトビールと、シカゴ風と呼ばれるパイのような分厚いピザが名物の店だ。店はいつ来ても繁盛していて、特に外国人の客が多く英語での会話や注文も当たり前に飛び交う。
「よう。早く着きすぎちゃったから先に始めてたわ」
着いたのは約束の5分前だったが、博麗はカウンター席に座り、ミックスナッツを摘みにして既に飲み始めていた。ちょうどグラスが空になったところだったらしい。
「ケルベロスタウト、パイントで」
博麗がビールのおかわりを注文する。
『ケルベロスタウト』は、ウイスキー樽で熟成させることでその香りを移す「バレルエイジ」と呼ばれる手法で醸造された、豊潤で濃厚な黒ビールである。
一般的なビールが5%から6%程度のアルコール度数なのに対して、このスタウトは13%と倍以上、日本酒クラスの濃さを誇る。
そのビールファンを惹き付ける優れた味と泥酔のリスクになぞらえて、「飲むと家に帰れなくなる」なんて宣伝文句まで生まれていた。
普通は小さめのグラスでちびちびと飲む酒だが、それを博麗はパイントグラス――居酒屋で言うところのジョッキ以上の量――で平然と頼み、ソフトドリンクの如くゴクゴクと喉を鳴らした。
平日の19時に私服で店に来て、そしてこのアルコール依存に片足を突っ込んだ酒の飲み方――彼を大企業の社長だと知ったら、店の誰もが驚愕することだろう。
博麗新は、「天は二物を与えず」という言葉に反して二物も三物も与えられた天才中の天才である。
いわゆる「お受験」に勝利し、都内有数の中高一貫校を経て、我が国の最高学府へ現役で入学。医学部に進める成績であったが「楽しくなさそう」というフワリとした理由で一蹴し、電子情報工学へと進んだ。その傍ら、在学中にIT企業を立ち上げ、若くして会社の社長として成功を収めている。
大学卒業後は社長業をこなしつつ、更に2D格闘ゲームのプロゲーマー『紅の巫女』としても活躍しており、ユニフォームに会社のロゴを貼り付けて、自らが社の広告塔となった。
流行っていないキャラを用いて上位のキャラを打ち破っていくのが博麗のスタイルで、そこダイヤブレイカーっぷり故にゲーマーからの人気は高く、特に最強格の相手を打ち破った時には「紅の巫女さんありがとう」なんてネットスラングが飛び交った。
そしてそんな彼の才能は、今年また一つの成果を引き寄せる。
『RTA』――リアルタイムアタックと呼ばれる、ゲームの最速クリアを目指す競技において、国内初にして唯一のプロゲーマーに選出されたのだ。
付け加えておくと、eスポーツバブルが膨らむにあたり、その概念もまた変容しつつあった。
例えばリアルスポーツは球技や格闘技といった「他人との競争」だけでは無い。陸上競技や水泳などの「記録の追求」、シンクロナイズドスイミングやフィギュアスケートといった「美の探究」もまたプロスポーツ化が成立しうる。
eスポーツにもそんな多様性をもたらせないか――という動きがあり、その一環としてRTAの世界大会の開催が決定した。
それに向けて、日本代表選抜大会が開かれたのが数ヶ月前のことだった。
私と博麗はその戦いで決勝を争ったライバルだった。
そして、世界への切符を手にしたのは博麗だったという訳だ。
「例の大会以来だな。とりあえず乾杯しとくか」
何一つ祝うことなど無かったが、博麗に促されてグラスを鳴らした。
ちなみに私の頼んだ『アルバトロスIPA』がテーブルに置かれるまでのごく短い間に、博麗のグラスは三分の1ほど減っていた。350mlの缶ビール1缶を一息で飲み干したにほぼ等しい。本当に大した酒豪である。
私は『
博麗は純然たる『表』の存在ではあるが、ゲーム業界のトップランナーとして、『裏』の事情も部分的には把握していて、それ故に理解が早い。
「『
「強キャラ厨……という奴か。まあ全一になりたくてプロゲーマーを志したそうだから、納得のプレイスタイルではあるか。『戦国の拳』では『マサムネ』ってキャラを使ってたが……」
「え?よりによって『マサムネ』だったのか?」
「プレイスタイル通りなら強キャラってことだろう?」
「弱キャラ中の弱キャラだよ。相手キャラによっては2:8とか、1:9とか、極端なダイアグラムを付けられてる」
ダイアグラムとは、キャラクター同士の有利・不利を表すゲーム用語だ。5:5だと互角で、数字の差が大きくなるにつれてキャラ同士の格差も開いていく。
1:9くらいになると「1」の側は先ず勝てない。せいぜい相手のミスでたまに勝ちを拾う程度だろう。
「原作でのキャラ人気があるから使用人口はそこそこいるんだけど、プロゲーマーが選択したら舐めプレイが疑われるよ。それで勝てるなら、会場は大盛りあがりだろうけどな」
確かに『表』の大会なら歓声が上がりそうだ。
だが、碓氷の今の戦場は『裏』。観客の存在を意識する必要はない。
「まあ、弱キャラを使うメリットが無いわけじゃないけどな」
「弱いことに、メリットがあるのか?」
「例えば……テストの範囲が微積分だと言われているのに、確率や数列の勉強をする馬鹿はいないだろ?
RTAの分野なら……ラスボスのクルールより、フレーム単位の操作が要求される『3-5』とか『6-4』とかを練習するだろ?」
「クルール戦も大事だとは思うが……まあ、そういう考え方もあるか」
有耶無耶に答えた。博霊は少ない労力で最大の成果を上げる効率重視の考え方をする。私はむしろ細部まで完璧にしないと不安になる類の人間なので、こういった話では意見が一致しないのだ。
博麗が構わず続ける。
「それと同じことさ。3:7くらいならともかく、1:9くらいに圧倒的なキャラ差がついている弱キャラが相手なら、歴戦のプレイヤーであっても研究はサボる。その時間で強キャラ
なるほど、対策されないということか。相手のキャラ理解の薄さを突いて、裏をかける訳だ。
「そして『マサムネ』ってのは、他のキャラ達と同じ舞台に上がれてない弱キャラなんだよ 。使ってるのは原作ファンとか、そもそも弱キャラばかり使うモノ好きくらいだ。エキシビションマッチでも無い限り、大会とかでは先ず見かけないな。真面目に対策を練ってるゲーマーは先ず居ない。
そうはいっても、決定的な弱点を抱えてるからこその弱キャラな訳だし、そんな余裕綽綽な態度は普通取れないけどなあ」
そう、eスポーツに油断は許されない。残酷なほどに平等なスポーツだからだ。
何よりも身体能力の差が絡まない。強いて言うなら反射神経や動体視力だが、トレーニングで伸ばすのはそう簡単なことではなく、むしろ歳とともに容易に衰える。
子供に大人がスクラムで押し負けたり、横綱が投げられたりといったことはリアルスポーツではまずあり得ないが、eスポーツではそれがありうる。
仮にもプロゲーマーまで登り詰めたゲーマーなら、それは重々承知のはず。
例え兎を狩る場合であっても、全力を尽くすべき――博麗も、私も、その点では考えが一致していた。
「よっぽど決定的なバグ技か何かを掴んでんのかね。誰にも気付かれずにゲームの隠れた仕様を利用しているなら、そういう態度も分からんでもない。そんなモンが残ってれば、早々に潰されてそうだけど」
博霊曰く『戦国の拳』というゲームは、お世辞にも対戦バランスが良いとは言えないが、タイムアップまで操作が出来なくなるといった致命的なバグが散見されたことから、バグフィクスに関してはオンラインアップデートを介してかなり徹底的に行われたらしい。
ゲームにバグが無いとすれば――バグを抱えているのは人間の方か。
『裏』には存在する。
人でありながら、
「話が聞けて助かった。勝てそうな気がしてきた」
「は?対戦すんの?相手は一応プロゲーマーだぞ?必勝法でもあるのか?」
「そんなものは無いが、碓氷の過剰な自信に対して一つの仮説は立った。1%くらいは勝つ確率もあると思う」
「1%に賭けんのか……ギャンブラーだねえ。RTAでは広く安全マージンを取ってたのに、随分とプレイスタイルが変わっちまったんだな」
博霊は私の事情を知らないので言わなかったが、私には低確率に賭けているという感覚はまるで無かった。
私の本質は何も変わっていない。臆病で、不安を払拭するためなら、果てのない遠回りをも受容出来る、そんな人間だ。
勝率なんてものは、1%もあれば十分。
繰り返し続ければ、いつかは勝てるのだから。
博霊と飲む時はいつもそうだが、話題が無くなっても、シカゴピザやツマミの皿が無くなっても、博霊は延々飲み続けてお開きになる気配が無い。というか、この男は例え1人残されても二次会三次会四次会へと平然と飲み歩くのである。
そういう訳なので、私は自分の会計だけ済ませて先に帰ることにした。
「勝負が終わったらまた飲もう。結果が知りたいからさ」
「分かった。その時は情報の礼も兼ねて、勝った金で1杯奢る」
「要らん要らん。金には困ってないからな。これでも社長だし。飲みの場を作ってくれるだけで、お礼は十分だ」
そう言って、博霊はもう何杯目か分からないパイントグラスを飲み干した。
私が店のガラス戸を開けた時、博麗が小声で呟いた。
「……早く『表』に戻ってこいよ。競争相手がいないのはつまらん」
その言葉は私に届いていたが、私は振り返ることなく店を後にした。
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