追記4 Inferiority Complex~豪遊するプロゲーマー~

「特ロースかつ定食でいいっスよね?3人前でお願いします。あとはビールと……」


 ゲーム博打の賭場となっていたゲームセンター『ワイルドドッグ』を後にした私達は、秋葉原のとあるトンカツ屋を訪れていた。

 碓氷から、私のファンだからじっくり話がしたいなどとと言い始めて、流れで夕食に誘われたのである。

 「アキバに美味いトンカツ屋があるんでそこ行きましょう!有名店なんで多分並ぶと思うっスけど……」と、道すがら碓氷が言っていた。

 その店は秋葉原どころか東京でも五指に入ると言われる名店で、電気街から離れた人の少ないエリアにあるにも関わらず、夕方以降に近くを通るといつも大行列ができていた。一度食べてみたいと想ってはいたが行列の長さに気圧され、近くのトンカツチェーン店屋や、加賀カレー屋のカツカレーで、揚げ物欲を仕方なく満たすのが私の行動パターンであった、

 しかしこの日は奇跡が起きていた。どういう訳か全く行列がなく、待ち時間ゼロで2階のテーブル席に通された。

 これもプロゲーマー故の強運がなせる技なのだろうか……?

 ちなみにゲームセンターで碓氷の隣にずっと控えていた女子高生も、離れることなく付いてきて、それが当たり前かのようにテーブルについた。やはり単なるファン以上の親密な関係なのだろう。その割に2人の間に会話が乏しすぎるのが気にはなったが……。


 「あ、支払いは気にしないでください。自分が奢るっスから!」と碓氷が財布の中身をひけらかした。ロゴマークが薄れて消えかけるほど使い込まれたマジックテープ式の財布の中に、ブ厚い札束が収められていた。

 ふと、トンカツをいつでも食えるようになれ――なんて台詞をグルメ漫画で読んだのを思い出した。トンカツは貧乏すぎず偉すぎない丁度良いご馳走だ、というニュアンスだったと思う。

 だがこの店のロースカツは、あまりにも美味すぎた。サクサクな衣、分厚さを感じさせない柔らかさ、迸る肉汁。卓上に用意された漬物や梅干しも美味で、これだけでご飯がおかわりできそうだった。

 慢性的な睡眠不足すら吹き飛ばされるそのクオリティは、「かつまんの ヒレカツていしょくを 3かいは くっちゃうね」な私をも唸らせた。

 そしてそんな完成度に相応しく、特ロースカツ定食のお値段は……なんと一食3000円。

 3人分頼んで酒まで飲んだら「さらば諭吉!」であり、もはやちょうど良いというレベルではない。碓氷の本来の交際相手、夜光が言っていた通りの羽振りの良さだった。

 そしてその資金源はゲーム賭博――ゲームの勝負に金を賭けて得たのだということは、先程見てきたとおりだ。

 

 そもそも何故ゲームが博打に使われるようになったのか。それはeスポーツを取り巻く現実故である。

 確かにeスポーツバブル下のゲーム業界は金回りが良く、プロゲーマーも増加傾向にあって、ゲームを仕事にする門の入り口は広がったと言えよう。

 一方で、その門を潜ろうとする者も増えているのである。激化する競争が、多くの成功者と、さらに多くの挫折者を生んだ。

 そんな現状を理解して、他の道も選べるようにと努力し、世界を広げることを怠らなかった者であれば、まだ人生の取り返しは効く。

 だが「プロゲーマーになる」という夢を免罪符に使い、その実「勉強したくないから」なんて理由でゲームに逃避し、覚悟なく人生を浪費した「ゲームしかできない」大人に現実は冷たい。

 それでもゲームの実力を武器に生きていきたい――そんな幻想を捨てられなかった者たちは、勝負に金を賭けあうことで端金を得ようとした。

 それがゲーム賭博の原点である。


 ――他にも。

 プロゲーマーになったが、それで生活していける程には稼げなかった者。

 反則行為やスキャンダル、SNSの炎上などによって、一度得た地位を追われた者。

 あるいはゲームの実力が「人間卒業」と呼ばれる領域にまで達してしまい、表の世界に相手がいなくなってしまった者。

 そういう訳ありな者たちが、なおゲームに居場所を求めた結果、彼らは『裏』プロゲーマーとなって賭場に集ったのである。


 『ワイルドドッグ』ではゲーマー同士のサシ勝負が行われていたが、競馬の如くゲーマーの勝敗に金をかける博打や、『裏』プロゲーマー限定の賞金制大会――当然賞金を出すのもロクな連中では無い――なんての開かれている。

 麻雀や花札なんかよりずっと競技人口が多いので、反社会組織のシノギや覇権争いに使われるようになった……なんて荒唐無稽な話も流布していた。

 洋館レジデント真菌の温床ハザードになるかの如く、陽の当たらないところで『裏』は確実にその根を張り巡らせていたのだ。


 果たして碓氷が、『裏』に身を窶してしまったのはどんな動機からだろうか。


 どうやらこの男は、あまり酒には強くないようだ。生ビールの中ジョッキ一杯だけで顔は随分と赤く染まっていた。笑い上戸らしく、自分のゲーム遍歴だとか、夜光との思い出であるとか、そういう聞いていないことまでベラベラと、上機嫌に喋り出した。

 聞きづらいことを尋ねるには良い頃合いだ――そう思い、「何故あの店で博打を?」とストレートに質問をぶつけてみた。

 その問いに、碓氷もストレートな答えを返す。

「だってプロゲーマーって儲からないっスから」




「プロゲーマーになってしばらくは普通にプロゲーマーしてたんスよ。何しろ長年の夢だったんで。でも、プロゲーマーの先輩方から色々話を聞いて、我に返ったっていうか……。

 プロゲーマーだけでは食ってけないとか、良いバイトを紹介するとか。ゲームを続けるためには、ゲーム以外のこともやんなきゃいけないみたいな、そんな説教をされたわけっスよ。

 それまで全一になることしか考えて無かったけど、好きだった子に勢い余ってプロポーズしちゃったりもあったんで、このままで生きてけるのか、養っていけるのか、とか突然不安になったんスよね」

 彼が『裏』に落ちたのは、経済的不安からか。夢を諦める理由としては、あまりにもありふれた口実だ。

 碓氷が続けた。

「そんな時……渡りになんとかって奴ですよね。誰かからゲーム博打のことを聞いて、実際やってみたんスよ。プロゲーマーって肩書のおかげで、みんな自分と戦いたがるんスよね。お陰で荒稼ぎっスよ。何しろ自分は……絶対に負けないっスからね。そうこうしてるうちに、『ワイルドドッグ』に入り浸るようになった訳っス」

「……いつまで続けられるか分からないぞ」

「分かってるっス。でも、プロゲーマーだってそうじゃないっスか」

 碓氷も馬鹿なりに現実を見ようとしているのだと気付いて、少しだけ感心した。


 ――感心したけれど。

「いつまでも馬鹿じゃいられないっスから。少しは利口にならないと」

 ――碓氷、お前は本当にそれで良いのか。

「これだけ稼ぎがあれば、あいつと一緒にやってけると思うんスよ」

 ――夜光がそれで喜ぶとでも思ってるのか。

「『TAS』さんと話が出来て良かったっス。自分の気持ちを、分かってくれる気がしてたんスよ」

 ――今のままでは駄目だ。そのまま進んだら……

「プロゲーマーへの道を辞退した、『TAS』さんなら」

 ――私と同じ失敗をすることになるんだぞ。


 哀れみか、あるいは怒りか……カセット半差しで起動した画面みたいな混沌とした感情が、自動操縦ガンビットのように私の口を動かした。

「今日はご馳走してくれてありがとう。折角こうして会った訳だし、一度格ゲーで勝負してみないか。勿論金を賭けて」

「マジっスか!?勿論いいっスよ。ありがとうございます!」

 碓氷の口から溢れたのは感謝の言葉。自分が負けることは断じてない――そんな自信が透けて見えた。彼は、食事を奢ったお礼に博打を通して返金してくれるとでも思っているのだろう。

 だが、そうではない。

「大した自信だな。そこまでずっと言うからには賭けられるよな」

 私が碓氷に戦いを挑むのは、彼を完膚なきまでに叩き潰し……そして、正しく導くためだ。


 一呼吸置いて、私は改めて宣戦布告した。

「これまで裏プロゲーマーとして博打で得たモノ、その全てを賭けろ。それに釣り合うだけの賭け金を用意する」

 碓氷は理解が追いついていないようだった。それまでリスペクトしていた相手から、喧嘩を売られたのだから無理もない。隣に付き従っていた無表情な女子高生も流石に驚いたようで、少し眉が動いたように見えた。


「負けた奴は、裸にならないといけない。それが古くから続くギャンブラーの掟。『裏』の流儀だ」

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