第4章 目撃者

「先代、今は先々代となるのですか、源市げんいち様のお父様、源太郎げんたろう様は骨董品の収集がご趣味でして、結構な量を買い込んでいたそうです」


 私たちは座卓を囲んで座った。沖庭おきにわが煎れたお茶を配りながら話す。


「その当時はこの山のあちこちに木の伐採をする職人の休憩所や、道具をしまう倉庫などが点在していまして。その中のひとつを先々代は、ご自身のコレクションの倉庫として使っていたそうでして、しかし、その場所は誰にも教えなかったそうです。先々代は目利きも鋭いほうでしたようで、紛い物を掴まされるということはほとんどなかったといいます。そのため、先々代のコレクションの価値はかなりのものになるだろうと社内や近隣でも評判が立つほどでした。ところが先々代は、自分のコレクションをしまった倉庫のある場所を結局誰にも教えぬまま亡くなってしまいました。それから伐採工場は閉鎖、取り壊され、山に入る人間もいなくなったため当時の山道も荒れ放題となり、その所在は今でも不明なままなのです」

次晴つぎはるさんは、そのお宝を探し出そうとしている、と」


 聞きながら理真りまは遠慮なくお茶菓子に手を伸ばしている。


「左様で。今の世代には先々代のお宝の話はもう伝わっていなかったのですが、次晴様は最近何かでその話を耳にされたらしいのです。それで暇を見つけてはこうして足をお運びになり、林の中を探索しておられるという次第なのです」


 沖庭に続いて可南子かなこも、


「私も、その話は知りませんでした。お父様はそんなお話したことがなかったので」

「もっとも」沖庭は最後に自分のお茶を煎れながら、「先々代が場所を秘密にしていたのは、すでにお宝をほとんどお金に換えてしまって倉庫は空同然だったからだという話もあります。菊柳きくやなぎ興産も順風満帆でここまで来たわけではありませんので、お金が入り用になると、その都度先々代がコレクションを売り払ってきたという噂もあります。先々代は大変気位の高かった方でして、自身のコレクションをそういう形で手放してしまったことを人に知られたくなかったのでしょう。先代、可南子様のお父上、源市様はそれを御存じで、だから誰にも、可南子様にも先々代のコレクションのお話はされないのだろうと」

「でも、次晴さんは今でもこの山のどこかの倉庫にお宝が眠っていると考えている」


 理真の言葉に、沖庭は黙って頷いた。


「暇を見つけては、ということですけど」理真はひとりでどんどんお茶菓子を消費しながら、「次晴さんは何のお仕事をされているんですか?」

「今は特に定職には就いておられないのではないかと」


 資料にも次晴の職業は無職とあった。


康幸やすゆきおじさんの脛を囓ってるのよ」


 可南子が諫めるように、今口を開いた玲奈の膝を叩く。「だって本当のことじゃない」と玲奈は気にもしないようだ。


「一緒にいた女性は? 次晴さんの彼女さんでしょうか?」

「さあ、前にもお見かけしたかもしれませんが、お名前までは。次晴様は大勢ガールフレンドをお持ちですので……」


 沖庭は困ったような表情を浮かべる。


「あんな男のどこがいいんだか」


 玲奈はお茶菓子を頬張りながら言った。可南子も今度は娘を諫めるような言動は取らなかった。



 私と理真は、丸柴まるしば刑事と一緒に捜査本部の立っている所轄の新井あらい署へ行くことになった。捜査担当の刑事に話を聞いたりしようということだ。駐車場は来たときから車が一台減っていた。当然なくなっているのはウイングの付いた赤い車、次晴のものだ。可南子たちの予定は、と聞くと、これから自宅へ戻るという。


「沖庭さん、私、テリアまで送ってよ」

「……申し訳ありません、どちらへと?」


 運転席に座った沖庭は困惑したように玲奈に聞き返す。


「テリアよ、喫茶店の。友達と会う約束してるんだ。この前も送ってもらったじゃない」

「そうでしたか。私、若い方が行かれるような場所にはどうにも疎くて……道案内をお願いしても?」

「ナビがあるじゃない。この前行ったとき私、登録しておいたよ」


 玲奈は助手席に潜り込みカーナビを操作する。電子音を鳴らしながら軽快にタッチパネルを操作していく玲奈を見て沖庭は、


「私、どうもこのカーナビというのが苦手でして。いや、機械全般が苦手なんですけれど。ビデオの録画予約操作なんて最後まで憶えられませんでした。でも今はテレビの番組表から予約できるので分かりやすくて便利ですね」

「複雑な機械は若い人に任せたほうがいいですよ」


 理真が運転席の沖庭に話しかけた。


「しかし、今はパソコンやらを使いこなしていらっしゃる年配の方も大勢おいででございましょう。私もパソコン教室に通おうかと思ったこともあったのですが、どうにも腰が重くて。機械アレルギーなんでしょうか。私、未だに帳簿は紙に手書きですよ。安堂あんどう様も、原稿のご執筆はパソコンでおやりになっていらっしゃるのでしょう?」


 玲奈のカーナビ操作に時間がかかっているらしく、沖庭は運転席を下りた。


「そうですね。でも、私なんかだと、逆に紙の原稿用紙に書くということのほうが大変だって思いますよ。後から前に書いた部分を修正しようとしても、つぎはぎになっちゃいますもん。紙の管理だけでも大変そうで。私なんか昨日書いたものでもすぐにころころ変えちゃうから」

「なるほど、そういう考えもございますね」

「でも、だからこそ失敗できないっていう、気迫みたいなものを昔の小説家は原稿用紙に込めたのかもしれませんね。まさに一筆入魂。そういうインクと紙だけが持つ熱気が今の出版物には足りないのかも」


 それを小説家が言ってりゃ世話ないよ。理真は続けて、


「電子原稿だと、何でもすぐに書けちゃいますしね、『衝撃的なまでの憂鬱が襲った』なんて、辞書を調べて紙に書いてたら、いったい何分かかることか」

「沖庭さん、いいわよ」車の中から玲奈の声がした。「沖庭さん、カーナビの履歴残しすぎ。もう使わない目的地履歴は消しておいたほうがいいわよ。私、だいぶ整理したから。地図のそこら中に旗が立って見にくかったでしょ」

「履歴の消し方も存じ上げなかったもので。それに私、あまりカーナビの画面は見ませんから」


 運転席に座り直した沖庭は再びハンドルを握る。


「安堂さん、江嶋えじまさん」可南子が話しかけてきた。「今夜、うちにいらして下さるかしら。主人を始め家族が全員揃う予定ですので、夕食のご馳走がてら、ご紹介します。お宿はもう? まだですか。でしたらそのままうちに泊まって下さい。部屋はたくさん空いてますから」


 理真は、ぜひ、と招待を受けた。関係者といっぺんに会えるのであれば、こんなにいい機会はない。もっとも、理真は出されるご馳走のほうにも大いに興味を惹かれているはずだ。


 沖庭の運転するセダンが走り去った後、私たちも新井署に向けて車を走らせた。丸柴刑事の覆面パトカーが先行し、私たちの車は後についていく。

 新井署の駐車場に車を停め署内へと入る。途中すれ違う警官が、丸柴刑事に敬礼すると同時に私と理真に不思議そうに目をくれる。


「あれ? 桑原くわばらさんは?」


 入室した刑事部屋を見回しながら、丸柴刑事は席で書きものをしていた若い婦人警官に尋ねた。


「あ、丸柴刑事。桑原刑事は今取り調べ中です」


 婦人警官はペンを止め顔を上げて答えた。


「取り調べ? 別の事件かしら?」

「さあ、詳しいことは分かりませんけど……あ、そちら、もしかして」


 婦人警官は丸柴刑事の後ろにいた理真と私に視線を向けた。


「そう、捜査協力してもらう安堂さんと助手の江嶋さんよ」

「わー、名探偵さんですか。すごいですねー。かっこいいです」


 婦人警官は立ち上がって理真に賛辞を投げかける。理真も、どうぞよろしく、と挨拶を返した。


「本業は作家さんなんですよね。私、失礼ながら存じ上げなかったんですけれど、安堂さんが捜査に来るって聞いて、本読ませてもらいました。とても面白かったです。本持ってくればよかったー、サインしてもらえたのにー」

早苗さなえちゃん、取調室はどっちかな?」

「あ、あ、すみません」早苗と呼ばれた婦人警官は刑事部屋の出入り口まできて、「ここを出て左です。プレートが掛かってるので、すぐに分かりますよ」

「ありがと」丸柴刑事は刑事部屋を出る直前に振り返って、「早苗ちゃん、今日、お昼一緒に食べる? 安堂さんと江嶋さんも一緒に」

「ぜ、ぜひお願いします!」


 早苗は深々と頭を下げて私たちを見送った。「早苗ちゃん、また後でね」と、理真はウインクを投げ、それを受けた早苗は頬に手をやった。


「理真、あんまり若い子をたぶらかさないでよ」

「ファンに挨拶しただけだからね」


 丸柴刑事と理真が会話をするうちに、〈取調室〉とプレートの掛かったドアの前に着いた。丸柴刑事がドアをノックすると無言のままドアが細く開き、中年男性が顔を出した。


「おお、丸柴刑事。お、そっちは探偵さんだね」


 私たちの姿を確認すると、男性は取調室を出てドアを閉めた。


「安堂理真です。よろしくお願いします」


 理真の挨拶の後に、助手である私も挨拶した。


「こちら、新井署の桑原刑事」


 丸柴刑事が中年男性を紹介してくれた。


城島じょうしまさんから話は聞いてるよ。大活躍なんだって?」

「お手伝いをさせてもらってるだけです」


 理真は謙遜した。桑原刑事が口にした城島さんとは、新潟県警捜査一課の城島淳一じゅんいち警部のことだ。理真のよき理解者であり、不可能犯罪発生時に理真への出馬要請の決定を出すのも多くは城島警部で、今回のように丸柴刑事を通して理真に話がくる。

 民間人が捜査に介入することを嫌う警官も、県警の城島警部のお墨付きとあれば、たいてい受け入れてくれる。たとえそれが嫌々ながらでも。だからこそ理真は絶対に事件を解決しなければならない。民間人でありながら警察捜査に加わっておいて、『すみません、解決できませんでした』では、城島警部の顔に泥を塗ることにもなってしまうからだ。素人探偵全般に対する評価も下げてしまう。他で活躍している探偵にも申し訳が立たない。


「桑原さん、別の事件ですか?」

「いや、ちょうどよかった」丸柴刑事の質問に桑原刑事は、「今、ひとりしょっ引いてきてるんだが、こいつがね、〈隻腕鬼〉を見たって言ってんだよ」

「隻腕鬼を見た?」


 丸柴刑事がオウム返しに口にして、理真も表情を鋭くした。


「ああ」桑原刑事は続ける。「今朝、死体発見現場周辺で聞き込みをしてたんだが、まあ、あの辺りはほとんど民家はないから、聞く相手もそんなにいなかったんだけど。菊柳の別荘の近くにある、もう使われていないどこかの事務所を覗き込んでるやつがいたんで声をかけたんだよ。それが今しょっ引いているやつで」


 桑原刑事は親指で取調室をさした。今、桑原刑事が言った使われていない事務所とは、私たちが別荘へ行く途中に見た、門からすぐにあった建物のことだろう。


「ここらでよくいざこざを起こす常連の浮浪者でな、一応不法侵入で連れてきたんだよ。形だけでも調書を取ってる最中、何か変わったことがなかったかと訊いてみたら、あいつ、青い顔し出してな、『隻腕鬼を見た』と。あんたらも色々聞きたいことがあるだろう、まあ、入んなよ」


 桑原刑事はドアを開き、私たちを招き入れた。

 決して広いとは言えない取調室は、かなりの人口密度となった。部屋の中には全部で六人の人間がいる。桑原刑事、丸柴刑事、理真、私。そして、机に向かい合って二人の男性が腰を掛けている。


加藤かとう、ちょっと代わってやれ」


 桑原刑事の声に振り向いた若い男性は椅子から立ち上がった。新井署の刑事だろう。


「探偵さんだ」


 桑原刑事の声に、加藤と呼ばれた若い刑事は理真を見て意外そうな顔をした。探偵が来ると聞いて男性とばかり思っていたのかもしれない。少しの間、理真と目を合わせていたが、理真が微笑むと顔を横に向け、どうぞ、と後ろに退いた。丸柴刑事と理真は目でやりとりをして、丸柴刑事が椅子に座ることになったようだ。


「県警の丸柴です、よろしく」


 椅子に腰を下ろすと同時に対面の男の顔を見た。


「ほほ、県警本部には、こんな別嬪さんの刑事デカがいるんですか。そちらは探偵とおっしゃった? こんな若い女の子がね。殺風景な部屋が一気に華やかになりましたね」


 男は顔をほころばせる。浮浪者と聞いていたが、みるからに汚れた身なりはしていない。薄手のセーターに作業ズボン、安物のスニーカー、普通にそこらを歩いているおっさんとそう大差ない。私のその視線を感じ取ったのか男は、


「お嬢ちゃん、クワさんから何吹き込まれたのか知らないが、俺たちは浮浪者なんていかがわしいもんじゃないからね。寝るところと職がないだけであって、人様に不快感を持たせるような身なりはしないように気を遣ってるんだよ」

「いいから、訊かれたことだけ喋りゃいいんだ、お前は」

「おっかねぇなぁ、クワさん。ちょっと雨風をしのげる場所がないかって覗いてただけなのに、しょっ引いちまったうえ、そんな言い方ないんじゃない?」男は後ろに立っている加藤刑事に顔をやり、「あんたはこんな悪い先輩は手本にしなさんな。……ああ、分かってるよ」


 桑原刑事にじろりと睨まれた男は大人しく口を閉じた。


「桑原刑事や加藤刑事に訊かれたことと重複するかもしれないけど、もう一度話してもらえるかしら。隻腕鬼を見たそうだけど、いつのこと?」


 丸柴刑事が聴取を開始すると、男はついさっきまで軽口を叩いていたときとは表情を一変させ、


「昨日だよ。菊柳のお屋敷で死体が出たって聞いて、興味本位で現場を見てみようと思って。そろそろ暖かくなるんで、山のほうにねぐらを変えようかと下見も兼ねて、お屋敷のほうへ行こうとしたんだよ。そうしたら、山の入り口付近、林の中に、いたんだよ、あいつが……」

「あいつって、隻腕鬼ね」

「そうだよ……」

「どんな格好をしてたのか憶えてる?」

「灰色のコートを着て、裾に隠れてズボンはよく見えなかった。髪はぼさぼさの長髪だったよ。コートの左腕は空っぽらしく揺れていて、それで、右手には斧を持ってて……」

「顔は? 顔は見なかったの?」

「ああ、俺が見たのは後ろ姿だったから……最後にあいつ、こっちを振り返ったんだけど、俺はもう、それだけで恐ろしくて、顔なんか見ないまま逃げだしちまったよ……」


 男は体を小さくして背を丸めた。丸柴刑事は理真を向く。何か訊きたいことはないかということだろう。それを受けて理真は、


「私からいいですか? 隻腕鬼とあなたとの距離はどのくらい離れていましたか?」

「どれくらいって、そうだね、五メートル、いや、十メートルくらいあったかな」

「随分曖昧だな、しっかり思い出せ」


 腕を組んで聞いていた桑原刑事が鋭い声を出した。


「そんなこと言いますがね、本当におっかなかったんだから。いちいち距離なんて憶えちゃいられませんて」

「斧も持っていたそうですけど、どんな斧だったかは憶えてますか?」


 理真は質問を続ける。


「普通の斧だったよ。薪割りに使うような」

「あなたが隻腕鬼を見たのは、昨日が初めてですか? 過去に目撃したことは?」

「俺は、初めてだった」

「じゃあ、他に見たことがあるという人の話を聞いたことはあるんですね」

「ああ、ここいらに住んでる人なら、一度は隻腕鬼の話を見聞きしたことがあるんじゃないか? 俺も仲間から聞いたことがあるよ」

「どんな話ですか?」

「そりゃ、色々だよ。山ん中で見たってのから、斧を振り回して追いかけられたなんて話まで……」

「それは実際に追いかけられたという人から聞いた話ですか?」

「……いや、それはさすがに仲間の知り合いが体験したって話だけど」

「友達の友達、典型的な都市伝説ですね」

「でも、俺が昨日見たのは本当だよ! 嘘じゃないって!」

「分かったから騒ぐな」


 急に大声を上げた男を桑原刑事が諫める。


「その隻腕鬼の話のもとになった事件については知っていますか?」


 桑原刑事の声よりも、理真のその言葉に男は静かになったようだった。


「もちろん知ってるよ。俺も昔、菊柳んとこに世話になってた時期があったし……」

「それについてはどう思いますか」

「どう、って言われてもな……」

「隻腕鬼の正体は、間多良まだらさんだと思いますか」

「間多良って、あの先代に左腕切り飛ばされたって……いやいや、そんなの俺が知るわけねえだろ」

「詳しく御存じなんですね。その話は本当だと思いますか?」

「本当って……」

「先代社長、菊柳源市さんが、間多良さんの左腕を切り落としたという話です。源市さんは本当にそんなことをやりかねない人だと思いますか?」

「め、滅多なことは言えねえよ。俺だって菊柳には多少恩はあるし、これからまた世話にならねえとも限らねえし……」


 その言い方だと、やりかねない、と肯定しているようなものだ。


「そうですか……」


 理真はそれを最後に質問を終えた。


「クワさん、もうお昼だよ、腹減った。何か食わせてくれよ」


 男は腹を押さえる。私は腕時計を見ると、お昼を十分ばかり過ぎている。


「じゃあ」理真が口を開き、「お昼を食べたら、隻腕鬼を目撃した場所まで案内してもらいましょう」

「いいか」


 桑原刑事の言葉に男は頷いた。


「それでは」桑原刑事は私、理真、丸柴刑事に向かって、「一時に署の前に集合でいいですか? それじゃまた後で」

「何だい、お嬢ちゃんとランチご一緒できるんじゃないのかい」


 男がぼそりと呟いた。


「馬鹿野郎、ランチって顔か! 署内食堂の定食を食わせてやるから、ついてこい。加藤も」


 桑原刑事の声が響いた。取り調べの男と、もうひとりの加藤刑事までもが残念そうな顔をしていた。

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