第21章 執刀医かく語りき

 目的地は海沿いにある古いが大きな住宅だった。駐車スペースがあったのでそこに車を停めさせてもらい、車を降りて玄関へ向かう。表札には『飯田いいだ』とある。

 桑原くわばら刑事が呼び鈴のボタンを押すと、備え付けられたスピーカーから「警察の方かね?」と声がした。桑原刑事が「そうです」と答えると、スピーカーのスイッチは切れたようで、代わりに玄関扉の向こうから廊下を歩いてくるスリッパの足音が聞こえてきた。



「どうぞ、お掛けになって」


 着流し姿の老人と、同年齢程度の和服の女性二人に案内され、私たちは応接間に通された。老人は「飯田です」と自己紹介し、お茶を出してくれた隣の女性は家内だと紹介された。子供達が結婚して出て行って無駄に広い家を夫婦二人でもてあましている、などと、お茶請け代わりに世間話を始める。


「で、今日は何をお話すれば? 昔一緒だった看護師から、警察の方が間多良くんのことで訊きたいことがあるそうだと連絡をもらいまして」


 茶飲み話が一段落したところで、飯田医師――元医師か――は、用件を尋ねてきた。


「はい、先生が執刀された、間多良春頼まだらしゅんらいの手術のことで伺いたいことが」


 桑原刑事は言い終えると理真りまに目をやった。この医師に面会したいと言ったのは理真なのだから当然だろう。


「そちらのお二人も刑事さん?」


 飯田は私と理真に不思議そうな視線を寄越した。無理もない。挨拶のときに警察手帳を開示して身分を明かしたのは桑原、丸柴まるしば両刑事だけだったのだ。


安堂あんどう理真と言います。私は民間の人間なんですけれど、警察の捜査に協力させてもらっています」


 理真のあとに、私、江嶋由宇えじまゆうはその助手だと自己紹介した。


「ということは素人探偵ですか? 菊柳きくやなぎさんのとこで起きた事件を捜査していると? いや、探偵の捜査に協力できる日が来るとは、長生きはするものですな」


 飯田は相好を崩した。隣の細君も笑みを浮かべる。素人探偵に理解のある人でよかった。明智小五郎あけちこごろう金田一耕助きんだいちこうすけの事件譚を胸躍らせて読んだことがあるのだろうか。先輩方の活躍に感謝だ。とはいっても、本邦名探偵両巨頭のそのお二人はれっきとした職業探偵なのだが。


「何でも聞いて下され。わしに分かることなら、憶えている限り答えますから」

「ありがとうございます」理真は礼を述べて、「間多良さんが病院に運び込まれたときのことから、出来るだけ事細かに教えて下さい」


 分かりました、と飯田は体を揺すり話を始める態勢を取る。私も鞄から手帳とシャープペンシルを取り出して記帳の態勢を整えた。


「ううむ。あれはもう何年前だ? 三十年前? そんなに経つかの。確か祝日だったな。救急からの連絡を受けて、すわ一大事と慌てて手術の準備をしての。ちょうどデートの最中じゃったが、市内の喫茶店だったのですぐに対応できた。その相手が今の家内じゃよ」


 そこで飯田は隣の細君を見る。細君は微笑んで小さく頭を下げた。


「しかし、いざ運び込まれた患者を見ると、さすがに緊張したな。しかも菊柳家の可南子かなこお嬢さんの婿として有名な間多良くんときた。わしの医者人生の中でも忘れようにも忘れられんよ」


 飯田は感慨深げに言って腕を組む。執刀時の緊迫した様子。間多良が姿を消してからの病院の騒ぎなど、これから多くのことが語られることになるのだろう。これは長い話になりそうだ。私はシャープペンシルを握る手に力を込めた。腕を組んだ飯田が話を再開し、


「手術台に乗せた間多良くんの左腕は、肘からすぐ上でばっさりと――」

「今、何て?」理真が飯田の話を遮った。

「へ?」突然語りを中断された飯田は理真を見て無言になる。

「今、何ておっしゃいました?」


 ぐぐっと顔を寄せる理真に気圧されるように、飯田は少し身を引く。


「間多良さんの左腕が、どうだったとおっしゃいましたか?」

「だ、だから、左腕は肘からすぐ上で、ばっさりと……切断されていて――」

「しまった!」


 理真は突然立ち上がった。


「もっと早くこの話を聞いておけばよかった! ……もしくはあの骨を……」


 立ち上がったまま、右手人差し指を下唇に当てて理真は黙り込む。これは理真が考え事をするときの癖だ。そんな彼女を、私と丸柴刑事以外の全員が呆気に取られて見上げている。しばし無言を貫いていたが、突然口を開いた理真は、


「飯田さん!」

「は、はい?」

「運び込まれた間多良さんの腕は、肘のすぐ上で切断されていたんですね! この辺ですか?」


 理真は自分の左腕の肘から少し上辺りに右手で手刀を当てる。


「そ、そう、確かその辺りだった……」

「……」


 左手から離した右手を再び下唇に持って行き、再び無言を貫く理真。桑原刑事が、おいおいどうした、という困惑した顔で私を見てくる。私と丸柴刑事は黙って見守るしかない。


「……飯田さん、ありがとうございました。桑原さん、行きましょう」


 理真が私たちを出口へ誘おうとする。


「ええ、わしの話、もう終わり?」


 飯田とその細君は口を開けて固まった。



 帰りの車中。理真は相変わらず下唇に指を当てたまま考え込んでいたが、高速道路北陸道から上越ジャンクションで上信越道に折れた辺りでようやく口を開いた。


「桑原さん、お願いが」

「おう、何だ」


 理真が何か言うのを待っていたとばかりに、桑原刑事は助手席から振り向いた。


「壊された次晴つぎはるさんの車のカーナビのデータは復元できますか?」

「カーナビ? 何でまた?」


 桑原刑事は運転席を見る。その視線を受けた丸柴刑事が代わりに、


「恐らく可能よ。機械はめちゃめちゃに壊されてたけど、データ自体は内蔵されたデータカードに残ってるはず。データカードは小さいから無傷で残ってる可能性は高いわ。まあ、多少のダメージがあっても鑑識か科捜研で復元できるかも」


 桑原刑事はこういった機械関連に弱いらしく、丸柴刑事に話を振ったようだ。


「お願いするわ、丸柴刑事。桑原さん、それともうひとつ」

「今度は俺にも出来ることか?」

「はい。第一の死体が発見される前、最後にあの別荘を訪れていたのは誰か、調べて欲しいんです」

「そんなことなら任せときな」


 機械関連ではなく足を使う仕事だと分かり、桑原刑事は胸を叩いた。


「お願いします。それと、第一の死体のDNA鑑定結果は出ているんですよね?」

「ああ、だが、過去の犯罪者データの記録に該当者はいなかった」

「わかりました」と理真は今度は私に顔を向けて、「由宇、私たちはちょっと調べに出るわよ」

「調べって、どこへ?」

「山形」

「山形?」最近聞いたことのある地名だが。

里中さとなかさんの実家へ」

「ああ」そういえば、里中の実家があるところか。

「やはり里中が事件に関係してるのか?」桑原刑事が訊いた。

「いえ、それはまだ。直接関係はしていないかもしれませんが、はっきりさせておきたいんです」


 警察が管轄外へ捜査の手を広げるのはいちいち面倒だ。事件に直接関係のない事であれば、なおさら。こういうときには素人探偵のフットワークの軽さが役に立つ。私は桑原刑事に里中の実家の住所を電話で調べてもらい、メモした。

 署に到着し、私と理真は旅支度を調えるため別荘へ向かった。関係者には理真が山形へ行くことは内緒にしてもらい、本業の関係で少し留守にすると警察から伝えてもらうことにした。



「さて、皆さん……」


 菊柳家の広間。関係者一同が揃って畳の上に座した前で理真はひとり立ち、事件の経過の説明に入った。山形で一泊して帰ってきた日の夜だ。列席しているのは菊柳家と里中。警察の人間は立ち会っていない。


「左腕が切断された身元不明の死体発見に端を発したこの事件。次晴さんのこと、発見した間多良さんの骨がすり替えられたこと、私の力が至らぬばかりに数々の不幸が降りかかりました。お詫びいたします。ですが、ここにもうすぐ事件は解決を迎える目処がつきました」


 理真がそこまで言うと、おお、と聴衆から声が漏れた。殺された次晴の両親、康幸やすゆき俊子としこも伏せていた顔を上げた。


「事件解決の鍵となるのは……私たちが発見した間多良さんの骨です」


 理真はそう宣言した。が、案の定、声が上がる。


「それは犯人に奪われたんじゃなかったのか?」


 声を上げたのは源市げんいちだった。


「はい、ですが、皆さんには、由宇や警察の方々にも……」と理真は一度私の顔を見て、「内緒にしていたのですが、私は発見直後、こっそり骨の一本を箱から失敬して隠し持っていたのです」


 再び、おお、と声が上がった。


「これは私の奥の手でしたが、ここが使うときと判断しました。私は明日、この骨を科捜研に持ち込んでDNA鑑定してもらいます。焼かれた骨から細胞を取り出すことは困難だと言われていますが、私は中でも比較的熱を受けなかったと思われる部位を選択して失敬していました。これならば高い可能性で細胞の取り出しに成功すると思います」

「それで」と源市は、「それで事件は解決するのか。犯人も……」

「はい。この鑑定結果が出たら事件は解決します。犯人も明らかになるでしょう。今日は皆さんに一刻も早く安心してもらいたいと、この場を設けさせてもらいました」


 場は一斉にさざめいた。源市、可南子、光一こういち沖庭おきにわ、皆一様に神妙な表情を見せる。玲奈れいなと里中は目は合わせないものの、互いに小さく手を取り合う。可南子の目にそれは入っていないようだ。いや、見て見ぬ振りをしているのかも。


「私と由宇はこれから別荘まで戻ります。道具は全て向こうに置いてきているので。翌朝、私自ら科捜研に骨を持って行くつもりです。では、骨のDNA鑑定結果が出たらまたお集まりいただきます」


 理真は締めにかかった。


「大丈夫なのか?」声を上げたのはまたも源市だった。「また、その骨が犯人に奪われるなんてことは……」

「それは大丈夫でしょう。私の推理なら、もう犯人が骨を狙う必要はないはずなんです。でも一応、私は骨を肌身離さず持って寝るつもりです。あんまり色っぽい添い寝じゃないですけど」


 理真の冗談には、誰も笑みひとつ見せなかった。


「警察は今夜も総動員で隻腕鬼の捜索に町中を走り回っています。警察が組織力で犯人を捕らえるのが早いか、DNA鑑定の結果が出るのが早いか、ですね」


 その言葉を最後に、私と理真は菊柳邸を出て寝床である別荘へ向かった。



 極めて慎重な動作であることが窺える。鍵を差し込むわずかな音がした後、ゆっくりと鍵を回す金属の擦れあう音、かたり、と解錠された音が続く。ドアを引き開ける音。玄関に入る足音。靴を脱ぐ音。どれも細心の注意を払い行われている。

 鍵を差し込む前にはわずかに足音が聞こえたのみで、車のエンジン音はしなかった。恐らくはるか手前で車を降り、ここまでは徒歩で来たのだろう。

 廊下に一歩踏み出したらしい。ぎしり、と床板が鳴る。こればかりは当人がいかに気を遣っても消せるものではない。その代わり、さらに慎重に、牛歩のごとく一歩一歩踏みしめるように歩く。階段に差し掛かった。階段を上る際は、廊下のそれに比べて踏み板の鳴る音は小さい。なるべく踏み板の端ぎりぎりを踏むことで、体重の影響で踏み板に掛かるたわみを最低限に抑えているのだろう。

 階段が終わり再び廊下となる。廊下もなるべく壁に近い端を渡ることで床板の鳴りを抑えることを憶えたようだ。脚を動かす服の衣擦れのほうが大きく聞こえる。衣擦れの音は引き戸の前で止んだ。

 ゆっくりと引き戸が開けられる。そこは畳敷きの和室で二組の布団が並べられている。いずれも掛け布団が大きく膨らんでいる。室内の照明は完全に消されているが、カーテンのない廊下の窓から射す月明かりによって、二組の布団を見下ろすその人物が右手に何か携えているのが確認できた。それは、ひと振りの斧だった。

 しばしの間、その人物は二つの布団の膨らみを眺めていたが、やがて意を決したように右手に斧を構えたまま、左手で片一方の布団に手を伸ばす。手が布団に差し掛かる直前に動きは止まった。部屋の中まで月明かりは届かないため窺い知ることは出来ないが、その表情は逡巡しているのか。その人物の息づかいだけが聞こえる。

 カチッ、カチッ。蛍光灯に明かりが灯る直前の独特の音がして、天井からぶら下がった同心円二本の環状蛍光灯が瞬き室内に明かりを投げかけた。その人物は、うっ、と声を漏らし、何事が起きたかと周囲を見回すと、背後に顔をやったまま動きを止める。その視線の先にいたのは、引き戸のそばの暗がりに隠れていた安堂理真だった。今は立ち上がり蛍光灯のスイッチに手を伸ばしている。侵入者はすぐに今度は押入に目をやった。押入の引き戸が開く音がして、私が姿を現したためだ。そして自分が手を伸ばしていた掛け布団を見る。これほど明るい照明のもとでは明らかだが、それは丸めた布団を人の形に見えるように配して掛け布団を被せただけのものだった。どさり、と斧が畳に落ちる音がした。私はその人物の顔を見て、声を掛けずにいられなかった。


「どうしてなんですか……」


 ちらと私の顔を見て、彼はすぐに視線を落とした。私の目に涙が浮かんでいるのを知ったためだろうか。沖庭晋太郎しんたろうは、ゆっくりとまぶたを閉じ、詫びるように一礼した。

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