第20章 疑惑

「おかえりなさい」


 新井あらい署の刑事部屋に入ってきた桑原くわばら刑事を私たちは迎えた。こちらに戻ってからは捜査本部に待機して、捜索状況の確認や報告を受けて過ごしていた。


「おう。駄目だ、何も見つからん」


 桑原刑事は椅子のひとつに腰を下ろした。私たちもそれは分かっていた。逐一入る捜査報告にめぼしい情報は全く聞かれなかったからだ。時間は午後九時。昼夜交替制で捜索に当たるため夜間班が引き継ぎで捜索に出るのだろう。桑原刑事はコーヒーを出してくれた婦警の早苗さなえに礼を言い、


「今日はもう帰っていいぞ」と告げた。

「すぐに加藤かとう中野なかの刑事も来る」


 続けて桑原刑事が言った、一、二分後、その二人が刑事部屋に姿を見せた。


安堂あんどうさん、いったいどういうことなんですか?」

「わけが分かりません」


 二人とも入って来るなり憤懣やるかたないといったふうな言葉を投げた。桑原刑事は二人を落ち着かせ、まずは座らせた。早苗は二人分のコーヒーを出し終えてから、お先に失礼します、と帰っていった。刑事部屋にいるのは私たちだけだ。


「まずは、こちらの報告からしようか」桑原刑事は手帳を広げ、「会社員からの通報を受けて目撃現場に行ってみた。確かに路上のアスファルトに刃物で叩きつけたような傷跡があった。鑑識によれば、次晴の左腕を切断して車を壊した凶器と同じ物である可能性は極めて高いそうだ。薪割り用の斧だな。傷も真新しく、昨夜付けられたもので間違いないようだ。付近の捜索や遺留品の調べ、近所の聞き込みを行ったが、めぼしい情報はないな。遅くまで起きていた浪人生なんかが深夜一時頃に男の悲鳴を聞いたという証言はあった。隻腕鬼目撃時に会社員が発した悲鳴だろうな。その後は車の音なんかを聞いたと言っていたが、あの辺は普段から深夜でも車が通ることは珍しくない。もちろんその浪人生もいちいち窓を開けて車種の確認なんかしていないしな。目撃地から半径十キロ圏内を一通り捜索、聞き込みをしたが、有力な情報、手掛かりは今のところない」


 桑原刑事の報告を中野、加藤両刑事も疲れたように聞いていた。成果がなかったことは捜査に駆け回った彼らが一番よく分かっているのだろう。


「次はそちらの話を聞かせてもらうんだが、電話で大体の概要は分かったが、先にこちらから報告がある。別荘裏に面する窓が一枚割られていた。割られていたといっても半月錠の位置だけだ。ガムテープを貼って叩き割り、手を入れて解錠したものと思われる。現場にガムテープが残っていたが指紋は出なかった。窓や錠からもだ手袋をして作業したんだろうな」

「じゃあ、犯人はそこから侵入を?」と丸柴まるしば刑事。

「ああ。昨夜は寝る前に沖庭が家中の戸締まりの確認をして回っており、玄関と全ての窓は施錠されていたと言っている。侵入するにはそうするよりなかったんだろう。だが気になる点がある。鑑識の調べでは、屋内に土など外から持ち込まれた物質が一切発見出来ないというんだ。犯人は余程慎重に靴の汚れを取ってから侵入したのか、窓の外で靴を脱いで侵入した可能性もある」


 それを聞いた理真りまは、うーん、と唸ったが、何も意見はしなかった。

 桑原刑事の報告が終わり、理真は科捜研組の情報を話した。箱の中身が木片にすり替わっていたこと、すり替えのチャンスは昨夜夜から朝に掛けてしかないと思われること。


「どうだ加藤、中野刑事。中身がすり替えられたのは、いつだと思う?」

「まだ起きている時間でないことは確かです」はっきりと答えたのは中野刑事だ。「みんなで箱の中身、間多良まだらの骨を検めた後、元通りしまって寝室に置いておきましたが、俺と加藤くんはちょくちょく居間と寝室を行ったり来たりしていました。それに窓には施錠していましたから、俺たちの寝室に行くには居間を通らなければなりません。居間には常に誰かしらいたと思うのですが」


 加藤刑事も、その通りです、と答える。


「とすると、やはり皆が寝入ってからか。窓を割り鍵を開けて家に侵入して箱の中身を入れ替え、立ち去った……くそ、俺も一緒に寝ていながら何てザマだ」


 桑原刑事は苦々しげに拳を握る。


「あの夜は疲れてたからか、いつも以上によく寝てしまっていました。それにしても、怪しいやつが部屋に侵入してたのに気が付かなかったなんて……」加藤刑事も悔しそうな顔を見せ、「俺、普段は眠り浅いほうなんですよ。俺の枕元を犯人が通ったはずなのに……」

菊柳きくやなぎ家の人たちにも訊いてみましたか?」と理真。

「ああ、夜中にすり替えられたのでは、とは俺も思ったんで訊いてみた。夜中に何か物音を聞いたりしなかったかって。駄目だったよ。みんなぐっすり眠っていて、夜中に一度目を覚ましたという人も誰もいなかった。窓の割り方も、あの方法だと音は最小限に抑えられるしな。誰も目を覚ますほどの音はしなかったんだろう」

「そうですか……」

「朝すぐに箱の中身を検めればよかったですね。いや、そのときすでにすり替えられていたとしても、安堂さんたちがわざわざ科捜研に行く手間は省けた」


 加藤刑事は益々悔しげだ。


「あの朝は隻腕鬼目撃情報が入ってきて、ばたばたしてたからな。しかも、中身を盗むだけじゃなく、木片が代わりに入れられていたから中身が入れ替わってることも容易には気づけなかった」


 桑原刑事の言うとおりだ、私も箱が揺れたりするたび、かたかたと音がしたので、すり替えが行われていたなどとは夢にも思わなかった。


「入れ替えられていた木片は?」

「別荘の周辺に生えている木の落ち枝でした。適当に拾ってきたんでしょう」


 桑原刑事の質問に理真が答えた。


「そもそも、犯人はどうして間多良の骨を盗んだんでしょう?」

「犯人が間多良なら、自分の腕の骨が発見されたことを知って取り返した、とか?」


 今度の質問は加藤刑事から。答えたのは中野刑事だ。


「会社員が目撃した隻腕鬼らしき人物と、この入れ替え犯人が同一犯ならば」理真は話し出す。「どちらが先か前後は分かりませんが、別荘で間多良の骨のすり替えと住宅地への出現、どちらも一夜で行われています。ここにきて随分と活発に動き出しましたね。目撃された住宅地は、ここからどのくらい離れているんですか?」

「車で片道二十分くらいだな。夜なら道が空いているので、もっと短縮できるだろう」


 と桑原刑事。実際に車を走らせて調べたのだろう。


「犯人が町に潜んでいて」理真は腕を組んで、「別荘に骨をすり替えに行って町まで戻り会社員に目撃されたのだとしたら、片道十五分として、往復三十分ですか……」


 それを受けて加藤刑事は、


「家に侵入して箱の中身を入れ替え、立ち去るのに十分。会社員に目撃された時間はほんの一分もなかったでしょうから、合計四十一分。一時間もあれば全ての行動は可能ですね」

「それは車を使っての時間ですよね? 徒歩であれば、相当の時間がかかります」


 理真が指摘する。


「……そうですね。車で十五分の距離を歩こうとしたら何時間もかかります。一晩で完了できるか微妙ですね。でも、間多良は運転免許を持ってます。どこかでオートマ車を調達したなら運転可能なのでは?」

「犯人は両腕とも使える人物だと分かってるぞ」


 桑原刑事が言ったが、加藤刑事は、


「それだって、安堂さんの推理にケチつけるんじゃないですけど、あくまで可能性ですよね。犯人が隻腕鬼、間多良だって考えたほうが全部説明が付きませんか? 死体の左腕を切り取り自分の存在をアピールして、俺たちが火葬された自分の腕の骨を発見したのを知って取り返した。車を壊したのだって、間多良の狂気のせいですよ」


 言い終えて加藤刑事は、ごくりと唾を飲み込んだ。


「それで、間多良がそこまでする目的は何なんだ」

「復讐ですよ。菊柳源市げんいちに対する。それだって、最初から言われてたことじゃないですか」

「そうだとしたら」加藤刑事の言葉を受けて理真は、「一向に源市さんが襲われないのが分かりません。特に昨夜なんてどうですか。源市さんが寝ている家に侵入したんですよ。殺すには絶好の機会です。なのに、やったことといえば骨と木片をすり替えただけ」

「そうですね……」


 加藤刑事は冷静になったのか、深くため息をついた。


「……とにかく」重苦しい雰囲気になった場の空気を散らすように桑原刑事は、「俺は明日、里中さとなかを叩いてみようと思う。菊柳玲奈れいなも一緒にな」

「アリバイが不明瞭な二人ですね」と理真。

「ああ、仲のいい二人が揃ってというのが気になってな。それに、もうひとつ。第一の死体発見時の証言を憶えてるか?」

「はい」理真は首を縦に振る。

可南子かなこ、玲奈親子と沖庭おきにわが別荘の庭で同時に死体を発見したということになっているが、厳密には一番最初に死体を見ているのは玲奈だ」


 私は証言を思い出してみる。可南子と沖庭が荷物を下ろすのも手伝わずに玲奈はひとりで先に家に上がり込み、庭で死体を見つけて悲鳴を上げる。それを聞いた可南子と沖庭が慌てて家に入り、玲奈と合流して死体発見。そんないきさつだったはずだ。


「それも怪しい。死亡推定時刻や傷口の様子から考えて、その場で玲奈が殺したり死体の左腕を切断したというのはありえないが、他の二人が死体を見る前に、何かしら細工か何かをやったという考えも浮かんでくる」


 玲奈が怪しい? しかし、何の決定的な手掛かりもない今、桑原刑事の考えも分かる。理真も異論を唱えることなく黙って聞いている。


「玲奈や、その友達の相手をすることになる。すまないが丸柴刑事、明日は俺と同行していただきたい」


 頭を下げた桑原刑事に、丸柴刑事は笑顔で了承した。


「それと、探偵さん、間多良の手術を執刀した医者がみつかりそうだ」

「本当ですか?」

「ああ、当時の看護師に連絡を取るところまで辿り着いた。隻腕鬼目撃のばたばたで今日は何もできなかったが。近いうちに会えると思う。もう医者は引退したそうだが」

「よろしくお願いします」


 そうだ、私は理真がそんなことを言っていたのをすっかり忘れていた。その話を最後に今夜は解散となった。刑事の方々は当然署に寝泊まり。私と理真は別荘へ帰る。まだ寝泊まりセットは別荘に置いたままだし鍵も預かっている。中野刑事が預かっていた鍵はすでに菊柳家に返却したそうだ。



 別荘の居間に入り明かりを付ける。蛍光灯がいつもの座卓や畳を照らし出す。昨日まで加藤、中野両刑事と朝食、夕食をとっていたのが嘘のように殺風景に映る。


由宇ゆう、割られた窓を見に行こうよ」


 理真に言われ、私は別荘奥へ向かった。そこは台所近くの廊下。全面サッシではなく腰の高さくらいまでの普通の窓だった。半月錠位置のガラスが割られ、拳が入る程度の穴が開いている。外側にはガムテープの跡がガラスに残っているのが分かる。ガムテープは鑑識が回収していったと聞いた。理真は懐中電灯を持ってきていた。窓を開けて懐中電灯のスイッチを入れる。すぐそばに林の木々が迫っており、窓直下まで背の低い草がまばらに地面を覆っている。


「足跡は期待できないね」


 理真は地面を指さす。確かに。ここは庭のものと同じく固い地面のようだ。余程踏みしめて歩かなければ足跡は残らないだろう。足跡があったとしたら鑑識が見逃すはずはなく、桑原刑事から話が出ていたはずだ。


「屋内から土とかは見つからなかったんだよね。靴を脱いで上がったのかな?」


 私は桑原刑事から聞いた情報を思い出して言った。理真は、


「だとしたら、随分と几帳面な泥棒ね。犯人が隻腕鬼間多良なら、片腕でやったってことだよね」

「そうなるね」

「うーん……今日はもうご飯食べて寝よう」

「そういえば夕御飯食べてなかったね」思い出した途端、急にお腹が空いてきた。「ラーメンでいい?」ちゃんとした食事を作るまで空腹に耐えられそうにない。

「えー」

「じゃあ、理真が何か作ってよ」

「ラーメンでよろしくお願いします」

「しょうがないな……」


 私たちは台所へ向かう。途中背後から、


「でも何か具材は入れてね」

「はいはい、理真も手伝ってよね……あ、あの窓、鍵掛けられないよ。不用心じゃない? 加藤さんか中野さんに来てもらえばよかったね」


 私は立ち止まって、今しがた見た窓のことを思い出した。もしその申し出をしていたら、どちらが行くかで一悶着あったであろうことは想像に難くない。


「もうここには何も取る物ないでしょ。もし怪しいやつが進入してきたら私が返り討ちにしてくれるわ」


 理真が不格好なファイティングポーズを取ったが無視する。

 窓をそのままにしておくのはやはり不安だ。私は窓の目立たない位置に棒をくっつけ、台所から持ってきたコップをセットし、窓が開けられたらコップが廊下に落ちる仕掛けを作った。コップの割れる音がしたら眠っていても目が覚めるだろう。そこで侵入者と出くわしたなら……レジェンド探偵シャーロック・ホームズを始め、格闘術にも長けている探偵は少なくないが、理真にそんな期待はできない。もちろん私も。二人とも脱兎のごとく逃げ出して警察に救いを求めるのが落ちだろうな。



 翌朝、目を覚ましたのは九時近かった。目覚ましを掛けないで寝たので、体が欲するままの睡眠時間をたっぷり取ることができた。理真はまだ寝ている。私は真っ先に裏の窓へ向かう。仕掛けは昨夜のままだ。コップの位置も狂いはない。私は仕掛けを取り外した。台所で冷蔵庫を開ける。昨夜はインスタントラーメンだったので、せめて朝は手を掛けたものを作ってやろう。

 と思っていたが、おかずは半分以上、消費期限が迫ったお総菜の処理となった。


 朝食を終え、理真に今後の捜査方針を質すと、今は桑原刑事らの連絡待ちだという。町中での隻腕鬼の捜索に加えて里中と玲奈のアリバイ調査。さらに間多良に執刀した医師との連絡。色々と警察は動いている。理真は居間にノートパソコンを下ろして原稿の執筆をしだした。林の中を捜索していた期間も夜に執筆してはいたが、疲れもあって中々進んでいなかった。延ばしてもらった締切も、もう近いと言っていた。阻止限界点が近づいているらしい。捜査もだが本業のほうも大丈夫なんだろうか。


 お昼何食べる? と相談していたところに、理真の携帯電話が鳴った。「桑原さんだ」理真は電話に出る。


「……わかりました。では、あとで」理真は電話を切り、「由宇、署に行くから、お昼は途中で食べていこう」

「うん、わかった。呼ばれたのね。何か進展あった?」

「間多良の手術を執刀した医者が見つかった。これから会えるそうよ」



 途中で見つけた、いい感じにぼろい(失礼)大衆食堂で昼食を済ませた。私も理真もこういういかにもな個人がやってる食堂は嫌いじゃない。署に着いたのは午後一時半少し前。約束の時間ぴったり、と言いながら理真は車を駐車場に入れた。


「おう、来たな」


 刑事部屋では桑原、丸柴両刑事が待っていた。私たち四人は、早苗の「いってらっしゃい」の声を背に受けて、すぐに署を出て見憶えのある覆面パトに乗り込む。ハンドルを握るのは丸柴刑事。助手席に桑原刑事が乗り込み、私と理真は後部座席へ。


「間多良の手術をした医者は糸魚川いといがわに住んでる。そこの出身だそうで、今は引退しているそうだ。住居は海沿いのほうだが、ここから車で一時間かからんだろう」


 桑原刑事がそう教えてくれている間、丸柴刑事は手帳を開きカーナビのディスプレイに指をやる。


「うわ、何これ」


 丸柴刑事はカーナビの画面を見て頓狂な声を上げた。見ると画面のある地点一帯に、登録した目的地を意味する旗マークがぎっしりと林立している。


「あ、これ、加藤さんが乗ってた覆面パトですね?」


 理真もカーナビの画面を見た。桑原刑事も同じく視線を向けて、


「ああ、そうだ、あいつは他の刑事とパトカーに同乗して隻腕鬼の捜査だからな。それにしても、こりゃ何だ?」

「それは、林を捜索した時にマークしていた、小屋や倉があった位置ですよ。紙の地図にも書き込んだんですけど、加藤さんがカーナビにも位置登録しておいてくれたんです」


 理真が説明する。捜索しているときは縮尺を大きくしていたので気にならなかったが、縮尺を小さくすると一定の範囲に旗マークが密集して、確かに、これは何だ、と思う。


「まあいいわ、えっと、目的地は、新潟県糸魚川市……」


 丸柴刑事が目的地設定画面を出し、手帳を見ながら住所を入力していく。目的地までは高速道路を使って五十六分と出た。


「そういえば、里中さんと玲奈ちゃんのアリバイはどうだったんですか?」


 高速道路を走る中、私は訊いてみた。答えたのは桑原刑事だ。


「うむ、言ってることは前回と変わらないが、ありゃやっぱりおかしいな。特に玲奈の友達だ、ピザのことを聞いたら、あっ、と声を出したやつがいた」

「私が見た感じだと」と丸柴刑事は、「あれは玲奈ちゃんを庇ってるわね。女の友情。そういう態度は出ちゃうものよ」

「例によって丸柴刑事がいてくれて助かった。俺と加藤や、男の刑事だったら、話もしてもらえず門前払いだったろうな。丸柴刑事、人気なんだぞ。かっこいい、って」


 若い女性にかっこいいと言われたという女刑事は、ふふ、と少し笑った。

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