第15章 不透明なアリバイ

「それで、アリバイの裏取りのほうはどうですか」


 メインのハンバーグを箸で割りながら理真りまが尋ねる。意外にも、と言っては失礼だが、ナイフとフォークを器用に使ってハンバーグを口に運んでいた桑原くわばら刑事は、


「各人が訪れた店舗なんかを聞いて回ったんだが、どうもはっきりしないな。移動時間なんかもあるから一概には言えんのだろうが、次晴つぎはるの死亡推定時刻の午後四時から四時半の間に明確なアリバイを持つものはいなかった。いや、玲奈れいなだけは友達が証言したな、ずっと一緒だったと。しかし、俺の見たところ、この証言は怪しいな」

「玲奈ちゃんの友達が嘘をついていると?」

「確信や証拠があるわけじゃないんだがな。どうも受け答えが軽いというか。その時間は確かに玲奈と一緒だった、と言うだけなんだ。どんな話をしていたかとか聞いても要領を得なくてな。友人のひとりの家というかアパートで数人で集まっていたそうなんだが、誰に聞いても判を押したように同じような答え。しまいには、自分たちの言うことが信用できないのか、と凄まれる始末でな……丸柴まるしば刑事がいなかったら、どうなっていたことか」


 隣で丸柴刑事が小さく笑う。相当苦労したようだ。


「その他も同じようなものだ。可南子かなこ沖庭おきにわが訪れた店の店員に聞いてみても、確かに来店したという証言は取れたが、具体的に何時から何時までいたとなるとあやふやだな。日曜日で客も多かったらしいしな。レシートも当てにならないな。何も買わずにウインドウショッピングだけで済ませた店もあるし。源市げんいち光一こういちのほうも、ずっと家にいたというのは互いの証言とお手伝いさんの証言だけだな」

「明確なアリバイを持つ人はいない、と」


 桑原刑事は黙って頷いた。


「玲奈ちゃんのアリバイがあやふやというのは、意外ですね」

「でも、玲奈ちゃんは免許を持ってないわよ」と丸柴刑事。

「免許といっても、別荘から脇道までの間ですよね。別荘までは歩いて行けない距離じゃない。運転の仕方さえ知っていれば、車を動かせない距離ではないのでは?」


 私が述べると、桑原刑事はフォークの背にご飯を乗せながら、


「しかし、あの車はマニュアル車だぞ。ゲームみたいなオートマ車とはわけが違う。スポーツカーともなれば癖もあるだろう。そううまく乗りこなせるか? 矢作やはぎらの話じゃ、巧みにシフトチェンジして走ったそうじゃないか」


 そこまで言ってご飯を頬張った桑原刑事に続いて、丸柴刑事が、


「マニュアル車を脇道まで運転できたとして、帰りはどうするの? 玲奈ちゃんはその日の夕飯の時間には家に帰っていたんでしょ? 何時だっけ?」

「七時より前だったね」


 理真が私の顔を見た。私は、


「六時半に私と理真が階下に下りたら、もう帰ってきてたね」と補足する。

「六時に帰ってきたとしたら、四時半に脇道を出て一時間半、いえ、車を壊す時間もあるから一時間少し。徒歩で家まで帰ってくるには厳しい時間じゃないですか?」


 丸柴刑事の最後の言葉は、地元の地理に詳しい桑原刑事に向けられていた。


「うーむ、そうだな。女性の脚では厳しいな。帰る頃には汗びっしょりになっているかもしれん。そんな姿を見られたら怪しまれるだろうな」

「ちなみに、玲奈ちゃんは自宅まで友達に送ってもらったと言っていましたが」と理真。

「ああ、その友達は、それも証言した」

里中さとなかさんは? 里中さんのアリバイはあるんですか?」

「里中? いや、そっちは確認を取ってないな。そうか、里中がいれば車で送ってもらえるな。おまけにマニュアル車の運転も問題ないだろう」

「でも、そうすると、里中さんは玲奈ちゃんの共犯ということになりますね?」


 丸柴刑事の言葉に理真は、


「そうね。でも、もし二人が共犯だったとしたなら、里中さんは玲奈ちゃんをわざわざ現場に連れて行ったりしないような気がします。自分ひとりでやってくるからと言って」


 今度はそれを聞いた丸柴刑事が、


「二人は共犯ではなく、玲奈ちゃんが里中さんを利用していた、というのは? 何か口実を設けて里中さんに別荘まで送らせて、犯行後にまた車に乗せて家まで送ってもらう」

「犯行の間、里中さんはどうするの? 別荘の中にでも待たせておく? その間に玲奈ちゃんは次晴さんを撲殺、左腕を切断、死体を車に乗せて脇道まで行って死体を遺棄。あ、車をボコボコにする仕事もあるわね。それから別荘に戻って、まことさん帰りましょう、って言うの?」


 想像してみると、恐ろしいというか、もはや滑稽に思えてしまう。


「死体を遺棄した帰り道、事務所から帰る矢作たちに遭遇するんじゃないのか?」


 桑原刑事が疑問を投げた。それについて理真は、


「私は、それはあまり問題ではないと思っています。誰かに目撃されることに注意しながら歩けば、矢作さんたちに目撃されるより早く向こうを見つけて、咄嗟に林の中にでも逃げ込んでやり過ごすことは難しくないはずです」


 そうか、と言って桑原刑事は考え込むような表情になったが、顔を上げて、


「じゃあ、犯人は里中? 里中の単独犯?」

「であれば、それこそ玲奈ちゃんが犯行現場についていく必要はないと思いますが」

「そうだな」桑原刑事は再び思慮するような顔になり、「玲奈のアリバイが怪しいというのは俺の考えすぎか?」

「どちらが主犯にせよ、ひとりでは不安なので二人で同行したのかも」


 私は言った。理真は、それもありえるわね、と私の言葉に頷いて、


「もしくは、やはり二人はガチガチの共犯関係だった。一連の犯行は二人で協力してやった。まあ、何にせよ」理真はハンバーグ最後のひと切れを箸でつまみ、「動機がないわ。玲奈ちゃんにも、里中さんにも」それをひょいと口に放り込む。

「第一の殺人も玲奈ちゃんの犯行?」これは丸柴刑事だ。「被害者を知らないというのは玲奈ちゃんの嘘で、恨みを持つ誰かだった?」


 ごちそうさま、と箸を置いた理真は、


「そうだとしても、左腕を切断した理由は何? 隻腕鬼の仕業に見せかけるため? 都市伝説の怪人に罪をなすり付けるため?」

「そんなことのためにそこまでするかな?」私も完食して箸を置き、「余計なことをして、かえって事件を大きくしてるだけなんじゃ」


 丸柴刑事も食事を終え神妙な顔をしている。


「とにかく」最後に食事を終えた桑原刑事はナイフとフォークを置き、「里中のアリバイを調べてみよう。動機については全く分からんが、分かることは全てはっきりさせようと思う」


 私たちは頷いた。



 ファミリーレストランを出ると、桑原刑事はさっそく捜査員に里中のアリバイを調べるよう電話で指示を出した。時間調整に食事のあと一杯コーヒーを飲んだので、ちょうど葬式が終わる時間だ。康幸やすゆき俊子としこに話を訊きに行く。実の両親が犯人だとは思えないが、そんな事件は過去にいくらでもある。桑原刑事は昨夜ほとんど何も訊けなかった源市と可南子にも話を訊くつもりだと言った。私たちは車で斎場へ向かった。ちなみに食事代は全員分、桑原刑事が出してくれた。ここのところ年長者に甘えっぱなしである。



 康幸に会ったのは三日前の食事の時に一度だけだが、それでも随分とやつれたように見えた。斎場の一室を借り聴取を開始する。


「犯人は見つかったんでしょうか」


 先に康幸から質問を投げられてしまった。桑原刑事は、申し訳ありません、と詫びる。康幸もよい答えが聞かれるとは思っていなかったのだろう。そうですか、と落胆した様子もなく答えた。もっとも、これ以上落胆しようのない状態に見える。


「次晴くんに恨みを持つ人物など、心当たりはありませんか?」


 桑原刑事の質問に、康幸は力なく首を横に振り、


「正直、あいつの交友関係はよく分からないんです。式にも友達が何人か来てくれましたが、私や妻の知る顔はほとんどありませんでした」

「何かトラブルに巻き込まれたなどの話も、御存じありませんか?」

「さあ。あまり柄の良くない友達との付き合いもあったようですが、何か危ないことをやっているようではなかったのではないかと。最近は宝探しに興味が向いていましたが」

「亡くなったその日も、次晴くんは宝探しに別荘へ行っていたと思われるのですが、何か発見したとかという話は?」


 康幸は、またも力なく首を横に振る。


「事件の日は、ご自宅にいらっしゃったのでしょうか?」


 桑原刑事は、やんわりと聞いたつもりだったのだろうが、康幸は薄い笑みを浮かべて、


「実の親にもアリバイですか。まあ、仕方ないんでしょうな。ええ、一日家にいました。夕方に妻と一緒に夕食の買い物に出ました。近所のスーパーの店員が証明してくれると思います。顔なじみで、二、三会話もしましたから。時間ですか? 確か午後四時半くらいでしたか」


 始めて強固なアリバイを持つと思われる人物が出た。


「そうですか。他に何かあればお聞かせ願いたいのですが」

「玲奈ちゃんの言うことを聞いてればよかったんだ……」

「は?」

「刑事さん、そこの探偵さんから聞きませんでした? 探偵さんをお迎えした夕食の席で、玲奈ちゃんが言ったんですよ、明日も宝探しに行くと言った次晴に、『隻腕鬼に気を付けろ』って」

「その話なら聞いています。しかし、ただの冗談だったのでしょう」

「でも、実際、次晴は……」


 その言葉を聞き、桑原刑事も黙ってしまった。


「犯人は隻腕鬼なんでしょうか? 犯人は、例の間多良という男なんでしょうか? お願いします刑事さん、山狩りでも何でもやって犯人を捕まえて下さい……」


 桑原刑事は、全力を尽くします、と答え、俊子を呼んできてくれるよう頼んだ。


 代わって入って来た俊子も、一度会ったときよりやつれたように見えた。俊子の証言は、ほぼ康幸のそれをなぞっただけのものだった。俊子が退室してから、桑原刑事は電話で捜査員に夫妻のアリバイの裏取りを指示した。


 続いて入室してきたのは、源市、可南子、沖庭の三人だった。この後用事があるため、聴取をするなら一度にしてくれと源市から申し出があったのだ。そう言われてはやむを得ない。源市と可南子は私たちの向かいに座り、沖庭はその後ろに立つ。


「まだ何かあるのか。知っていることは昨夜のうちに話したつもりなんだが」


 源市の先制パンチだ。


「昨夜はお疲れのようでしたので。ゆっくりと睡眠を取られて、何か思い出したことがあればと思いまして」


 桑原刑事は怯まない。


「何もない」と源市も相変わらずそっけない。

「可南子さんと沖庭さんのアリバイですが、残念ながら確実な証言は得られませんでした。源市さんと光一さんも、お手伝いさんの方以外からの証言はありませんね」


 桑原刑事からそう聞かされても、誰の顔色も変わらない。


「玲奈は?」と可南子が聞いてきたので、

「お友達の証言が取れています」桑原刑事は答えた。その証言が怪しいとは言わなかった。可南子は、そうですか、と安堵の表情を見せたようだった。

「可南子さんも、昨夜のこと以外に、何か思い出したことなどありませんか」


 可南子はゆっくりと首を横に振った。これで三人は退散するかと思ったら、源市は理真のほうに顔を向け、


「安堂さん、もしや、間多良の骨を探すつもりではないでしょうな」

「そのつもりです」理真は答えた。

「何のために」

「三十年間の事件について、少しでも情報が欲しいんです」

「事件? あれは事故だよ」

「……そうでしたね。捜索についてはよろしいですか? 林に入って倉の中を探すことになりますが」

「やりたければそうすればいい。それが事件解決に繋がるのならな」

「でしたら」と可南子が、「安堂さんたちは別荘に宿泊されては? 林の倉や小屋をひとつひとつ調べるのでしたら、家まで帰ってくるのは面倒でしょうし」

「それは助かります」


 理真は礼を言って源市を向く。家主の許可が当然必要だろう。源市は黙って頷いた。


「別荘にはお客様用のお布団がありますので。電気、水道、ガスも使えます。食べるものだけご用意なさって下さい」

「いつから捜索を始めるんだ」

「今日、別荘に泊めてもらって、明日からでも」


 源市の問いに理真は答えた。


「沖庭、このあと付いていって、別荘の中を案内してやれ」


 源市の言葉に、承知いたしました、と沖庭は頭を下げた。


「源市さん、山狩りも行いますよ。今、正式に手続きを取っています」


 桑原刑事の言葉に源市は、そうか、と答えただけで席を立ち、可南子を連れて部屋を出て行った。



 桑原刑事は携帯電話で何か喋っている。どうやら、加藤かとう刑事に、中野なかの刑事を連れて別荘まで来るよう伝えているようだ。


「すみません沖庭さん」


 ひとり残った沖庭に理真が礼を言う。


「いえ、事件解決のためですから」

「源市さんと可南子さんは? 沖庭さんが運転する車で来られたんですよね」

「光一様の運転されるお車で帰られますので、ご心配いりません」

「聴取の時はあんなことおっしゃってましたけど、この後、用事なんてないんですよね」

「はい、まあ……」


 沖庭は、ぶっちゃけた。


「よし、行くか。沖庭さん、お願いします」


 携帯電話を懐にしまい桑原刑事が声を掛けた。沖庭のセダン、桑原、丸柴両刑事の覆面パト、私と理真のR1と、三台の車は一列になって斎場を後にした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る