第14章 残された左腕
翌朝。朝食をいただいていると、
「まだ十分間に合うね」
理真は時計を見た。現在午前七時半。絹江の入院している東
出発前に理真は
知らない土地での強い味方、カーナビで東新井総合病院を検索、目的地にセットして出発した。
駐車場に車を停め、自動ドアを抜け待合所へ入る。
すごい数の人だ。病院というのは、どうしていつもこんなに混雑しているのだろうか。この手の総合病院の待合所が空いているというのを見たことがない。そんなに世の中病人だらけなのか。そんなことを思いながら辺りを見回すと沖庭の姿をみつけた。向こうもこちらに気づいたようで会釈をされた。近づいてみると沖庭ひとりではなかった。源市、
「おはようございます、皆さん」
理真も沖庭ひとりだと思っていたはずで、この状況は予想外だったろうが、何事もなかったように挨拶をする。
「おはようございます」
沖庭が挨拶を返すと同時に、他の三人も頭を下げた。
「無理を言ってすみません。絹江さん、ご病気だというのに」
理真が面会を許可してくれた礼を言うと、
「礼には及ばん」源市が答える。「人と会えないほどの重体ではない。話をしたら、あいつも安堂さんと話したがってたよ。一日中病院の中で他人との会話に飢えているのかもしれん。ついでと言っては何だが、私たちも見舞いにご一緒させてもらうよ。問題ないかな」
「ええ、もちろん」
ついでに見舞い、か。奥さんが変なことを言わないように監視するため来たんじゃないのかな? ひとりでは怪しまれるので、可南子、玲奈も連れてきた。邪推のしすぎだろうか。
「では、参りましょうか」
沖庭の言葉で一同は立ち上がった。玲奈は空になった牛乳パックをくずかごに投げ入れる。ナイスシュート。だが行儀が悪いぞ。ほら、可南子に叱られてしまった。
絹江の病室は四階。案内板を見ると消化器科とある。
ナースステーションの脇を通る際、気がついた看護師が皆、源市に挨拶をする。ここでも有名人のようだ。絹江の部屋は一番奥の個室だった。
「入るぞ」と源市がノックもせずにドアを開ける。ベッドのリクライニングを使って上半身を起こした状態でテレビを見ていた女性が、ドアの開いた音に気がついてこちらを向く。
彼女が菊柳絹江。病院支給の院内着ではなく、高そうな花柄の寝間着を着て、八割ほど白く染まった髪を頭頂部で結わいている。顔もほんのりと紅が差しているようだ。私たちが訪れると聞いていたので身支度を調えたのかもしれない。御年八十ということだが、化粧のせいかもしれないが顔の血色はよく、髪にも艶がある。病院のベッドに寝てさえいなければ、とても健康そうなお年寄りに見える。
「どうも、こんにちは。玲奈ちゃんは久しぶりね」
絹江はテレビを消して笑顔を湛えた。沖庭が椅子を勧める。三脚しかないため源市と可南子が座り、残るひとつを譲り合った末、理真が腰を下ろすことになった。
「沖庭さん、そちらが……」絹江は私たちに目を向ける。
「はい、事件の捜査で警察に助力なさっておられます、
「安堂理真です」
「江嶋
「どうも初めまして。菊柳絹江で御座います。まあ、探偵さんに会えるなんて、しかも取り調べを受けるだなんて、長生きはするものですね」
「そう言えば、お前は探偵ものの小説なんかが好きだったね」
源市の言葉に絹江は頷いて、
「はい、主人の前で何ですけれど、私、
絹江はひとりで顔を赤らめ源市の肩を叩く。元気じゃないか。どこの病気なんだろうか。
「先生が活躍する小説も、憧れの男性が出てくるというだけで、きゃぁきゃぁ言いながら読んでましてね」
そういうファンがいるのは昔も今も変わらない。イケメンの探偵には大勢の女性ファンが付いていたりするものだ。
「取り調べだなんて、そんなものじゃないんです。ちょっとお話を伺いたくてお邪魔しました」
理真が言うと絹江は表情を暗くし、
「……そうでしたね。次晴ちゃんが……」
「次晴さんのことについて、何かお心当たりはないでしょうか?」
理真は一応、次晴の事件についても聞き込みをするつもりだ。
「いえ、何にも分かりません。根はいい子だったんですよ。昔はよく玲奈ちゃんとも遊んで……」
「そうですか。ありがとうございます。他に今日はですね。三十年前のことについて憶えていることがあれば、お話願いたいと思い伺ったんです」
「三十年前、というと、
絹江は、ちらと可南子の顔を見た。可南子は窓の外に目をやっていたため、視線が合うことはなかった。
「そうです。絹江さんの憶えていらっしゃる範囲で構いませんので、あの事故のことを話していただけないでしょうか」
源市のいる手前か、理真は、〈事件〉ではなく〈事故〉と言った。
「あれは、大変な事故でした……」
そこで絹江は、冷蔵庫に飲み物があるから何か飲みなさいと皆に勧める。源市と沖庭は喉が渇いていないからと固辞し、可南子もいらないと言った。玲奈と私はオレンジジュースを、理真は日本茶のパックをもらった。
「もう三十年も前になるのですか……」絹江は遠い目をして語り始めた。「あの日は確か休日でしたね。私が事故を知ったのは出先から帰ってきたときでした。お友達とおしゃべりをしてタクシーで帰ってきたのです。そうしましたら、当時いた家政婦から、間多良くんが事故に遭ったと聞きまして、急いで病院へ行きました。病院には主人と可南子、沖庭さんがいて、手術の真っ最中でした。手術が終わって、可南子と沖庭さんが病院に泊まってくれるというので、私と主人は家へ帰ったんです。それで翌朝、病院から連絡があって……それからのことはもうご存じでしょう?」
「ええ」
「でしたら、私の口から申し上げることはございませんわ。それが、私が知るあの事故の全てです」
絹江は、可南子がいる手前、あまり詳しく話したがらないような感じを受けた。源市はこれを見越して可南子も同席させたのだろうか。
「絹江さんは病院とのやりとりをなされたそうですね」
理真は詳しく訊きただすわけにもいかず、別の内容に話を向けた。
「ええ、そうなんです。主人が何もやらないものですから。手術代の支払いやら、なにやら。全部私が窓口になったんですよ」
絹江は、やれやれといった表情で源市を見る。源市は、ばつがわるそうに目をそらした。
「手術費用とか、そんなものはいいんです。私は間多良くんのことだけが気がかりで。一体どこへ行ってしまったのやら……」
絹江の視線は窓の外へ向けられた。その先には、小高い山々。
「世間で噂される謎の人物について、ご存じですか」
「ええ、隻腕鬼でしょう。誰が言い出したのやら。私も、もしかしたら間多良くんなのかと思ったこともありましたけれど、隻腕鬼が人を襲うなんて噂を聞いてからは、そんなはずはないと確信しました。あの青年が、人に危害を加えるなんて真似、出来るわけありませんから。今度の事件だって、そうです。犯人が間多良くんであるはずがありません。彼に人殺しなんて出来ません」
強い口調で言い切った。間多良に対する印象はすこぶる良いようだ。かつての娘の婚約相手。ふと、里中に対する可南子とは全く反対だなと思った。
「可南子は随分と辛かったでしょう……」
絹江は娘の顔を見た。可南子は、
「……ええ、けれど、もう過去のことですから」
と答えたが、やはり目は合わせなかった。
「間多良くんの残したものも、ほとんどなかったですし、画材道具くらいですか。……あれももう処分してしまったかしら? ……ああ、そういえば……」絹江は何かを思い出したように顔を上げ、「間多良くんの腕、あれはまだ倉にあるんじゃないかしら?」
「腕? 間多良さんの切断された左腕ですか?」
理真は身を乗り出し絹江に近づく。源市らも全員、驚きの表情を浮かべる。
「え、ええ。手術などで切断した体の部位は、患者が費用を払って火葬場で焼いてもらうんです。救急車で運ばれたときに間多良くんの腕も一緒に病院に持っていったんですよ、そう聞きました。それで、お医者様から腕の処分は私どものほうでしてほしいと、火葬場で焼くための書類を渡されました。それで私、火葬場へ持っていって焼いてもらったんです。そのお骨を入れた壺を、壺だったかしら? 桐の箱に入れたのかしら? とにかく、倉のどこかにしまったはずなんです」
「そんなことがあったのか? 私は初耳だぞ」と源市。
「だって、あなたは間多良くんのことに一切関わろうとなさらなかったじゃありませんか」
「……私も、初めて聞きました」
可南子は、ここに来てから初めて絹江の顔を見た。
「そのとき、可南子はもう海外へ旅立った後だったから。帰ってきてからは間多良くんのことは忘れようとしているみたいだったから、つい言いそびれて……。それから話す機会もないまま、今の今まで忘れていたわ。ごめんなさいね」
「それで」家族の会話が終わるや否や、理真は絹江に話しかける。「今、そのお骨はどこに?」
「倉のひとつにしまったことは確かなんですけれどね。うちは林の中に倉をたくさん建ててますでしょう、ご存じかしら? ええ、そのどれかなんですけれど……」
絹江は上目遣いになり、うんうん唸るが、思い出せないようだ。
「……そうですか。ありがとうございました」
理真も諦めたようだ。
「源市様、そろそろ」
沖庭が腕時計を見た。私も腕時計に目を落とすと、十時に近い。そろそろ葬式の時間ということだろう。私たちは慌ただしく病室を辞した。式に出席しない私と理真は残ってもう少し話しを聞いてもよかったのだが、源市にやんわりと辞するよう言われ、やむなくお
「探偵さんたち、またいらして」
最後に絹江がそう言葉を掛けてくれたため、私はこの病室を再訪する口実ができたと思った。
かといって、病院を出てそのままUターンして、また絹江に会うほど面の皮は厚くない。とりあえず斎場の近くにファミリーレストランでも探して、昼食がてら今後の方針を定めることにした。車中で私は理真に訊いてみる。
「間多良の左腕のお骨が、何か重要な手がかりになるの?」
「ううん、分かんない。ちょっと衝撃的な話だったんで飛びついちゃったけど。分からないけど、一度見ておいてもいい気がするのよね」
カーナビに頼るまでもなく、斎場から車で五分ほどのところにファミリーレストランをみつけた。入店する前に理真は桑原刑事に電話を掛けた。
「……はい、はい、では、先に入ってますね」理真は電話を切って、「昨日聞いたアリバイについて裏を取って調べているから、その結果について一緒に検討したいって。ここに
さすがの理真も、すぐに昼食を取る気にはならず、ケーキとドリンクバーで時間をつぶすことにした。話題は、事件から理真の連載小説の話になっていた。玲奈と里中の話から移行していったのだ。
「現実にサンプルがあるから、私の話も、そう古いと批判を受ける必要はないわけだね」
古いと気にしていたのは作者自身じゃないか。そんな話をしながらケーキを突いていると、入店してきた客の中に見知った顔を発見した。向こうもこちらを見つけたらしく軽く手を挙げて近づいてきた。桑原刑事と
「とりあえず飯を腹に入れよう」
席に着くなり桑原刑事はメニューを広げた。気が付けばもうお昼時だ。色々ページをめくっていたが、結局全員本日のランチに落ち着いた。
「どうだった、菊柳の婆さんのほうは」
桑原刑事はおしぼりで顔を拭きつつ訊いてきた。私と理真は病院での話を語った。
「……切断された間多良の腕のお骨か」話を聞き終わり桑原刑事は、「何か捜査の手掛かりになりそうなのか?」
「それは分かりません。ですが、三十年前の事件にまつわるものには、可能な限り接してみたいと思ってるんです」
「だが、当の保管場所を婆さんも憶えちゃいないってのがな」
「ええ、私と由宇で林の中にあるという倉をしらみつぶしに捜索してみようかと」
「危険よ」丸柴刑事が声を上げる。「犯人に出くわしたらどうするの」
「隻腕鬼が犯人じゃないってことは、証明されたようなものじゃない?」
理真は、犯人が次晴のマニュアル車を運転したことを言っている。
「あくまで推理でしょ。隻腕鬼が犯人じゃなくても、真犯人が林の中に潜んでいる可能性だってあるのよ。現に次晴さんが殺されているわ」
「よし」と桑原刑事は、「何人か警官を一緒に捜索に当たらせよう。これも事件解決のための捜査の一環だからな。そうだ」丸柴刑事に顔を向け、「応援に来てくれた県警の
県警の中野
「あの中野刑事、なかなか凛々しい青年で、さすが本部の捜査一課の刑事という貫禄ですね。うちの
「加藤さんのお仕事はいいんですか?」
理真が問う。確か、三十年前に間多良の手術を執刀した医者を捜しているはずだが。
「そっちは俺たちが引き継ぐよ。どうもあいつには荷が重いかもしれん。間多良の手術が行われたのは三十年も前だからな、記録もなくて関係者を捜すのにも苦労してるようだ。色々と顔の利くベテランの俺たちが当たったほうが早いだろうな」
四人分のランチが運ばれてきて、会話は一時中断となった。
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