第13章 事情聴取の続き

「おじさん、ママに何か変なこと訊いた?」


 座るなり、挑むように玲奈れいな桑原くわばら刑事に突っかかってきた。


「玲奈ちゃん、さっき話した通り……」

「ママ、ちょっと泣いてたみたいだったよ」


 丸柴まるしば刑事の言葉も耳に入らないかのようだ。廊下でまず丸柴刑事に問い詰めたのだろう。お母さんも疲れていて……と桑原刑事も弁明する。さすがのベテラン刑事も矢作やはぎらを扱うようにはいかない。


「ま、いいわ。で、何? アリバイとか話せばいいの? 何時の?」

「あ、ああ、昨日の午後四時から四時半の……」

「その時間なら友達と一緒だったよ。確認取る?」


 玲奈は携帯電話を取りだして操作をする。


「いや、番号だけ教えてもらえば、明日にでも掛けるから……」


 桑原刑事は手帳に名前と番号を控えた。


「できれば丸柴さんから電話してくれる? 警察から電話が行くって友達には私からも言っておくけどさ、おじさんよりも女の刑事さんから電話してもらったほうが安心するから。ちなみに帰りは友達の車で送ってもらったわよ」

「あ、ああ」


 桑原刑事は丸柴刑事を見る。代わってくれ、とその目が訴えているようだ。その意を汲んだのか、丸柴刑事が、


「お友達の他に、誰か確認の取れる人はいない?」

「うーん、そうだなー……友達の証言だけじゃ駄目なの? 家族のアリバイ証言は無効だって聞いたことはあるけど」

「そんなことはないんだけどね。一応、聞いてみたの。それで、次晴つぎはるさんのことなんだけど」


 それを聞くと、玲奈は表情を曇らせた。


「……ハルちゃん、本当に殺されるなんて……私、全然そんなつもりじゃなかったのに。ただの冗談だったの」


 桑原刑事が何のことか訪ねたので、理真は一昨日の夕食時に言った言葉のことを説明した。『隻腕鬼に気をつけて』


「次晴さんがあんなことになって、何か心当たりとか、あるかな?」


 玲奈は二、三回、首を横に振り、


「何にも分からないよ。ハルちゃん、おじさんたちやお爺ちゃんに迷惑掛けっぱなしだったけど、やっぱり子供に死なれると悲しいんだね。通夜でのおじさんとおばさん、かわいそうで見てられなかったよ。出来の悪い子ほどかわいいって本当なのかな。せめて、お宝は見つけられたのかな……」


 源市げんいちの先代が残した骨董品。次晴は林の中でそれを探していたのだ。現場にも、その周辺にも、車の中からもそういった品物は見つかっていない。


「玲奈ちゃん」ここで理真が質問を代わった。「里中さとなかさんとのこと、ちょっと訊いてもいいかな」

まことさんのこと? 彼も事件に関係あるの?」


 玲奈は理真を見る。その目が何かを用心しているように見えた。


「ううん、そうじゃないんだけどね」

「……いいわよ、別に」

「ありがとう。里中さんって、どんな人?」

「とてもいい人よ。やさしくて、仕事もできて」


 おまけにルックスも良い、とまでは言わなかった。


「出身はどこなの」


 沖庭おきにわから聞いて知っているが、知らないふりをして尋ねている。


「山形県って言ってた。高校まで向こうにいたんだって。で、新潟の大学に進学して、こっちじゃないよ、新潟市内の大学。それで新卒でパパの会社に入ったの」

「新潟市内から、上越じょうえつの会社に就職。こっちに知り合いでもいたの?」

「いないみたい。今は会社の寮暮らしよ。もうアパートでも借りて住んでもいいんだけど、お金を貯めてるから」

「二人が、その、一緒になるために?」


 理真のその言葉を聞いた玲奈の表情が明らかに暗くなった。


「……お母さんのこと?」


 理真の問いかけに玲奈は顔を上げると、


「誰から聞いたの? ……沖庭さんね」

「違うわよ、一昨日の夕食の時に。観察してたら分かるわ」


 沖庭にあまり迷惑は掛けられない。理真の言ったことも半分は本当だ。


「……そうなの? さすが探偵ね。そう、ママがあんなだから……他のことでは何もママに不満はないわ。やさしくて、悪いことはちゃんと叱ってくれて。でも、誠さんのことになると……」

「何も理由は分からないのね」


 玲奈は首を縦に振った。


「ねえ」玲奈は顔を上げて、「安堂あんどうさんから、何かママに言ってもらえないかな」

「私が?」予想外の頼みに、さすがの理真も表情を変えた。

「探偵なんでしょ。私からの依頼ってことで、どうかな」

「うーん、そういう事案は初めてだなー。不可能犯罪専門だし……」

「恋愛小説家でもあるしさ、何とか説得できないかな? 私、『プリティスキル』読んだよ。あれに出てきた魔法猫みたいにさ、何とかしてよ」


 小説家でもあるというか、そっちが本業だから。玲奈の言った『プリティスキル』――正確なタイトルは、『プリティスキル~猫と少女と大魔王~』という――とは、理真がいつもの対象年齢よりも少し下げた、中学生くらいに向けて書いたジュブナイル小説だ。片思いに悩む女子高生の前に言葉を喋る猫が現れ、少女にささやかな魔法を使わせる代わりに自分の頼みをきかせるというコメディタッチの展開で幕を開ける。その頼みが、やがて封印された悪の魔法使いの復活に関わり、最後は魔法バトルを繰り広げた末、片思いの彼と結ばれハッピーエンド。作者曰く「慣れないことをして、とりとめのない終わり方をしてしまった」と評した作品だ。


「考えとくね」理真は、お茶を濁すような表情で答えた。

「うん、ハルちゃんを殺した犯人も、捕まえてね……」


 玲奈は、理真だけでなく、丸柴刑事、桑原刑事、私まで見て言った。この言葉には全員がしっかりと頷いた。



「いやー、俺は、やっぱり若い女の子は苦手だ」


 次に聴取することになっている沖庭を呼んできてくれるよう頼み、玲奈が部屋を出たあと、桑原刑事は苦笑した。


「丸柴刑事や探偵さんたちがいてくれて、助かるよ」


 残っていたコーヒーを一気に飲み干す。


「玲奈ちゃんって、いくつでしたっけ?」

「ん? ああ、確か……」理真の問いに桑原刑事は手帳のページをめくりながら、「二十五だな」

「働いていないんですか?」

「ああ、地元の大学を出てから、何件かアルバイトはやったみたいだがな。基本は無職だな。まあ、すぐに菊柳興産社長夫人となる立場だからな、特に就職する必要もないんだろう」

「社長夫人の座に付くには、可南子かなこさんという障害がありますけどね」

「……そうだな」


 足音が近づいてきてノックがされた。どうぞ、と桑原刑事が答えると、沖庭が入室してきた。

 沖庭は、空になっていた私たちのコーヒーカップを目に留め、おかわりを持ってこようかと言ったが、私たちは着席を促した。沖庭が腰を下ろすと、すぐに桑原刑事がアリバイを尋ねる。


「昨日の午後四時から四時半ですか。家の必要なものなどの買い物をしておりました。スーパーやら、ホームセンターやら、数軒の店に寄りました。レシートは取ってありますが、移動時間も多かったもので、その時間に確実にどこにいたとは明確には出来ません」

「可南子さんも買い物をされていたそうですが」

「そうなんですか?」

「ご存じなかった?」

「はい、お嬢様のご予定は伺っていなかったもので。お車を運転されて?」

「ええ、そうおっしゃっていました。可南子さんが買い物に出ることはあまりない?」

「……はい。家の買い物は私が言いつけられて済ませますので、お嬢様がご自分でお買い物に行かれることはほとんどございません。ご趣味で百貨店などに出向かれることはございますが、そういうときは大抵私が送迎するか、タクシーをご利用になられますので」

「なるほど……」桑原刑事は少し考え、「次晴くんのことについて、何か彼が殺害される心当たりなどありますか?」


 沖庭はため息をつき、


「……何も分かりません。どうしてこんなことになったのか……」

「彼に恨みを持つ人など、聞いたことはありませんか?」


 沖庭の番になって、初めてそれらしい聴取の形となった。


「申し訳ありません。次晴様の交友関係までは……」

「左腕が切断されていたことに関しては、どうですか」

「……」沖庭は目を伏せたまま黙っていたが、「隻腕鬼の仕業と、警察ではお考えなのでしょうか」

「現時点では何とも言えません。ただ、死体の状況により、最初の事件との関連は疑いようがないと考えています。沖庭さんも隻腕鬼の犯行だと?」

「……いえ、それこそ私には全く分かりません」

「次晴さんの車が壊されていたことについては、何か心当たりはありますか?」

「申し訳ありません。それについても全く……」

「……ありがとうございます。また必要なことがあれば話を聞かせて下さい。すみませんが、光一こういちさんを呼んできていただけますか」


 まともな聴取の形にはなったが、内容は芳しくない。

 沖庭に代わって、光一が部屋に入ってきて席に着いた。さっそく桑原刑事がアリバイを問う。


「昨日の午後四時から四時半ですか。家でテレビを見てましたね。その日は外に出ず、本を読んだりテレビを見て過ごしていましたから、お手伝いさんや会長に聞けば分かると思います」

「可南子さんがお出かけになられたことはご存じでしたか?」

「ええ、ひとりで車を運転して出かけると言っていたので、珍しいなとは思いました」

「どこへ行くとか、おっしゃっていましたか?」

「いえ、特には……可南子がどうかしたんですか?」

「形式的な質問ですので、あまりお気になさらずに。それで、次晴くんのことなのですが」

「……はい」

「彼に恨みを持つような人物、それらしい話など、耳にしたことはありますか?」

「……分かりません。次晴くん、あんなでしたから、あまり私たちと交流はなかったので。小さい頃は玲奈と遊んだりしていたのですが……」

「車があんな状態で見つかったことについては、何か思い当たるところはありますか?」

「さっぱりですよ。犯人は、どうしてあんなことをしたのか。あの車は、数年前に会長が買い与えたものだったと記憶しています」

「源市さんが」

「はい、最初は父親である康幸やすゆきくんにねだったらしいのですが、その話を聞いた会長が。会長は仕事の世話をしてやったり、何かと面倒を見ていたのですがね。次晴くんがそれに報いることは結局ありませんでした。最後の最後まで宝探しなんて真似をして……」


 光一は、もうこれ以上喋ることはない、と無言の訴えをしているようだったので、桑原刑事は礼を言って光一を解放した。



「さて、全員終わったな」


 光一が部屋を出て、足音が聞こえなくなったのを確認してから、桑原刑事は立ち上がって大きく伸びをした。


「まだ被害者のご両親の康幸さん夫妻が残ってます」と丸柴刑事。

「あ、ああ、そうだったな。明日、葬式の前にでも話を聞きに行こう」桑原刑事はソファに座り直し、「それと、今日聞いた各人のアリバイの裏付けだ」

「理真は、明日はどうするの?」丸柴刑事が訊く。

「差し支えなければ、桑原刑事たちと一緒に康幸さんたちの聴取に同行したいわね」

「それは構わんよ」と桑原刑事。

「それと」理真は続ける。「三十年前の間多良まだらの事故、それを知っている人に話を聞きたい」

「間多良の事故のことを?」


 桑原刑事の問いに理真は、


「はい。まだ私たちの知らない情報があるはずなんです、あの事故には。事件かもしれないんですけど。当時直接関わった当事者は……沖庭さんには話を聞きました。源市さんは素直に話してはくれませんでした。可南子さんも、あまり期待は出来ないでしょう。他に誰かいませんか?」

「そうだな……」桑原刑事はあごに手をやり、「光一は当時は、いち社員で無関係だし、源市爺さんの弟の源助げんすけや、その子供の康幸も、あの事故には関わっていないはずだ。あとは源市爺さんの奥さんの絹江きぬえさんくらいか」

「現在は入院中だということでしたね」

「そうらしいな。明日、面会できるか頼んでみるか」

「それなら、私のほうから沖庭さんを通して頼んでみます」

「それと、間多良の手術を担当した医師とか」

「それです! そのお医者さんにぜひ会って話を聞かせてもらいたいです」

「恐らくとっくに引退してるだろう。もしかしたら、もう故人になってるかもしれんが……医師本人はいなくても看護師がまだ健在かもしれんしな。よし、そっちは警察で当たる。加藤かとうに探させよう」


 桑原刑事は携帯電話を取りだしダイヤルする。こんな時間でも容赦なしだ。刑事は大変だ。


「……おう、俺だ、ちょっと頼みがあってな。聞き込み? お前は外れていい。探してほしい人がいるんだ。三十年前に間多良の手術を担当した医者だ。もし駄目なら看護師でもいい、当時、間多良に関わった医師か看護師だ。……違うよ、俺じゃねぇ、探偵さんの依頼なんだよ。……分かったな、よし、頼むぞ」


 桑原刑事は携帯電話を切って、


「あいつ、探偵さんの頼みだって言ったら、急に元気な声になりやがって……よし、今日はもう寝るか。明日も早いからな」


 桑原刑事と丸柴刑事は署まで戻る。私たちは当然引き続き菊柳家に泊めてもらう。明日の理真の動きは不確定だ。絹江に面会できる時間に会わせて動きを決めることになる。次晴の葬式は午前十時半から。その前か後、康幸らの聴取は理真抜きでやってもらうことになるかもしれない。詳細が分かり次第、相互に連絡を取ることに決めた。

 二人を玄関まで見送りに出ると、沖庭もまだ居間にいたらしく、見送りに顔を出してくれた。


「沖庭さん」二人の刑事を乗せた覆面パトが遠ざかっていく音を聞きながら理真は、「絹江さんに面会をお願いしたいのですが、可能でしょうか」

「奥様に? ええ、面会謝絶のような重体ではないので、それは出来ますが。奥様にもお話を?」

「はい、三十年前のことについて。絹江さんも少しは関わっていたんですよね」

「はい、間多良が失踪した後の病院とのやりとりなどは、全て奥様がご対応なさいましたから。源市様に伺いますが、いやとはおっしゃらないでしょう。明日の朝、頼んでみます」

「ありがとうございます。お願いします」

「本当は、源市様がご自身の口から全てお話になればよいのでしょうが……」

「沖庭さんも、源市さんが本当のことを語っていないと考えているんですか?」

「いえ、これは失言でした。今の言葉は聞かなかったことに」

「……分かりました。昨日、色々聞かせてもらったので、これで相殺にしましょう」

「それは助かります。ですが、もし昨日のお昼のアリバイ証明が必要となったら証言して下さいよ。私は安堂様、江嶋えじま様と一緒にいたと。探偵が証人になってくれるなら、これほど心強い証言はありませんから」

「了解です」

「そうだ、お二人とも、よろしければ、お茶でもどうです? もう遅いのでカフェインの入っていないハーブティーをご用意しますが」

「ご馳走になります」


 理真と私は同時に答えた。ハーブティーをいただいたあとは、お風呂に入って疲れを癒して寝よう。明日に備えて。

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