第10章 隻腕鬼に気を付けろ

 廊下で会ったお手伝いさんに、お茶でもいただきたいので台所の場所を教えてくれないかと聞くと、部屋まで持って行ってくれると言われた。素直に好意に甘えておこう。部屋へと戻る途中、今度は源市げんいちと出会った。


安堂あんどうさん、いかがかな、捜査の進捗は」

「申し訳ありません。芳しくありません」


 理真りまは正直に答える。沖庭おきにわにこっそり家庭の事情を根掘り葉掘り聞いたり、本職の原稿執筆をしてました、とまでは言えない。

 そうか、と、きびすを返しかけた源市に、理真は、


「よろしければ、少しお話をお聞かせ願えますか?」


 と声を掛けて引き留めた。源市は若干躊躇したらしかったが、


「いいだろう。では、応接室にでも行くか。お茶でも持ってこさせよう」



 私たちの部屋に届けられるはずだったお茶は、ひとり分増やされて応接間へ運ばれた。


「聞きたいこととは、何かね」


 私たちと対峙するようにテーブルを挟んで座った源市は、湯飲みを手にすると早速口を開いてきた。


里中さとなかさんについて」


 理真が言うと、湯飲みを持つ手が止まった。理真は続ける。


「お嬢さんの可南子かなこさんは、玲奈れいなさんと里中さんのお付き合いに反対されているそうですね。なぜですか」

「どうしてそれを……沖庭だな」

「昨夜の様子を観察したら分かります」

「それが事件と関係あるのかね」

「分かりません。ですが、何が事件に繋がらないとも限りませんから、できる限り情報を知っておきたいんです」

「まあ、隠し立てするようなことではないからな。察しの通り、可南子は玲奈が里中と付き合うこと、結婚することに反対している。理由は分からん。とにかく反対の一点張りだ。一度、玲奈から、可南子をうまく諭してくれるよう頼まれたこともあったが、うまくはいかなかった」


 沖庭もそんなことがあったと話をしていた。


「心当たりなど、ないですか?」

「見当もつかんよ。だが、最初は可南子も里中に対してはあのような態度ではなかったのだ」

「と言いますと?」

「うちでは、新入社員の入社式のあと一席設けるのが慣わしなんだ。もちろん高卒の未成年には酒は飲まさんよ。それで、里中らが入社した年のことだ。うちの娘や女房などは会社で働いているわけではないんだが、そういう場では呼んで一緒に席に着いてもらうことにしている。毎年、可南子が新入社員に飲み物を注ぎに行くんだ。社長夫人としてな。そこで皆と二言三言、話をするんだが、里中とは他の新入社員よりも長く話しをしていてな。私のところへ来たときに里中を指して、あの男の子は優秀だと思う、などと言ってきたよ」

「そんなことがあったんですか」

「可南子の目に狂いはなかったんだがな。実際里中はいい働きをしている。それからも、あの里中という子はどうですか、と時折私に聞いてくることもあった。光一こういちもそんなことがあったと言っていたな」

「個人的に目を掛けていたということでしょうか。可南子さんと里中さんが直接会うことはなかったんですか?」

「そういったことはなかったようだ。里中も可南子が話しかけてくるようなことはないと言っている。里中自身が一番困惑してるのではないか? 本人にも全く身に憶えがないと言っているしな。まあ、人間、本人も知らないうちに、どこで誰にどんな恨みを持たれているか分からんがな」

「それにしても、可南子さんが何も語らないというのは変ですよね」

「ああ、私の一番の悩みだよ。可南子と里中のことは」

「隻腕鬼のことよりもですか?」


 源市の眉がぴくりと動いた。


「源市さん、もうひとつお訊きしてよろしいですか。これは事件と関係があることです。三十年前、間多良春頼まだらしゅんらいが左腕を失ったのは本当に事故だったんですか?」

「……もちろんだ。あれは事故だよ」

「源市さん、別荘の庭でみつかったあの死体の状態はご存じですよね。左腕が切断されていたんです。かつて本宅だった菊柳きくやなぎ家別荘の庭で。もう取り壊されましたけれど、間多良が腕を失った工場があった近くで。三十年前の事故、病院から消えた間多良青年、目撃の噂の絶えない片腕の怪人隻腕鬼。繋がっているんです、この事件は三十年前と。源市さん、知っていることを全て話して下さい。間多良の事故、彼が病院から消えたこと、隻腕鬼の正体、全て」

「……今、伝わっていることが事実だ。間多良は事故で左腕を失い病院から消えた。行方は誰にも分からない。隻腕鬼とかいう怪人が間多良なのかどうか、それも分からない。本当にそんなんものがいるのかどうかさえ」


 源市は、お茶を一気に飲み干した。


「目撃情報があります」

「子供の噂だろう。そんなものは、今までにいくつもある」

「つい先日です。死体が発見された翌日に。浮浪者のひとりが見ています。別荘へ続く道の横、林の中に」

「だったら、早く警察は捕まえて欲しいものだな」

「源市さん、犯人が本当に間多良春頼なら――」

「私を殺しに来る、ということか」


 理真は黙って源市を見る。源市も理真を見据えて、


「知っているよ、巷間のくだらない噂は。だが見当外れもいいところだよ。間多良のあれは事故だ。私が恨みを買う理由などない」

「間多良のほうでは、そうは思っていないかもしれない、という可能性はありませんか」

「逆恨みというわけか。それなら、なぜ今になって間多良はそんな行動を起こすんだ。この三十年間、なにをしていたというんだ。どうして見ず知らずの浮浪者を殺したりするんだ、しかも……」

「……なぜ、死体の左腕を切断したのか」


 源市が言い淀んだであろう言葉を理真が受けとった。


「……用事を思い出した。失礼する」


 源市は立ち上がり、ドアへ向かい歩を進めたが、


「源市さん」


 理真の呼び止めに立ち止まる。


「源市さん、あなたは、この事件を解決したいんですか、それとも、うやむやのうちに迷宮入りしてしまったほうがいいと考えているんですか」


 源市は少しの間、理真を見つめたまま立っていたが、何も言わずドアを開けて出て行ってしまった。



 結局そのあとは理真も原稿の続きを書く気にはならなかったようで、私と一緒に部屋の畳に寝そべったまま、まんじりと過ごした。もっとも、理真は頭の中で事件のことを考えていたのかもしれないが。

 やがて、お手伝いさんの呼ぶ声で夕飯時が知らされた。時計を見ると午後六時三十分。いい具合にお腹が減った時間だ。場所は昨夜と同じ広間。人数が半分以下となったため、昨夜は取り払われていた襖が何枚か敷居に収められ、広さは半分程度となっている。それでも数人が座卓を囲むのには十分だ。いつの間に帰ってきていたのか、可南子と玲奈はすでに席に着いており、私たちのあとから光一と源市が入ってきた。理真は源市の表情を窺おうとしたのか、その顔を見たが、源市のほうからは理真に顔を向けることはなく席に着いた。


「全員揃ったので、いただきましょう」


 可南子の言葉に、いち早く理真が手を合わせようとしたそのとき、聞き慣れた電子音が鳴った。〈着信音1〉理真は、ばつが悪そうに合わせかけた手をジーンズの尻ポケットに突っ込み携帯電話を取り出したが、ディスプレイに表示された発信者名を見ると、ばつの悪い表情を消した。誰に断りもなく着信ボタンを押して電話に出る。


「もしもし、安堂です。……はい……えっ? それで……はい、はい、……分かりました、すぐに向かっても? はい、では……」


 理真は通話を終えた。


「誰からだね」


 源市が尋ねる。食事時に携帯電話に出る不作法を諫めるより、ただならぬ空気を感じ取り、電話の内容を聞きたがっているような口ぶりだった。


「……」言いあぐねるような理真の顔、しかし、意を決したように、「次晴つぎはるさんが、死体で発見されました」


 沈黙。誰かがつばを飲み込んだ喉の鳴る音まではっきりと聞こえた。


「まさか……」


 源市は、広間に入ってきたときとは逆に理真の目をまっすぐに見る。その先に言葉を続けるべきだが、どうしても口に出せない、そんなふうに見える。理真はそれを察したように、


「はい、遺体は、左腕が切断されているそうです」



 理真に電話してきたのは、新井あらい署の桑原くわばら刑事だった。

 現場へ向かうため私と理真は車を出す。菊柳家もそれは同じだった。沖庭が運転手を務めるセダンに、源市、光一、可南子、玲奈が乗り込んだ。現場の場所は告げた。行き間違うようなことはないだろう。死体発見現場は菊柳家別荘へ向かう道路から分岐する狭い脇道だからだ。行き慣れた道のため沖庭の運転する菊柳家の車が先行し、私たちはそのあとをついていく。町を抜け街灯の少ない暗い林道を上っていくと、やがて警察の非常線と赤色誘導灯を振る制服警官の姿がライトに浮かびあがった。菊柳家の車は身元をあかして通してもらうようだ。私たちの車にも警官が寄ってきたが、


「安堂さんですね。どうぞ」


 すんなり通してくれた。桑原刑事が話を通しておいてくれたのだろう。非常線を越えたすぐで車は止められた。ここからは徒歩になる。大型のライトが数機立つ昼間のような明るさの中、脇道に入る。舗装はされておらず車一台が通れる程度の幅しかない。十メートルほど歩くと、行き止まりのようにブルーシートが道を塞いでいた。その中から桑原刑事が出てきた。理真に気付くと軽く手を挙げる。


「菊柳さんですね。次晴くんのご両親ですか?」


 近づいてきた桑原刑事は、私たちの隣にいた菊柳家の面々から光一と可南子を選んで話しかけた。自分たちは親戚だと光一が答え運転免許証を見せると、失礼しました、と桑原刑事は言って、次晴の携帯電話から両親には連絡済みだと語った。その康幸やすゆき俊子としこはまだ到着していないらしい。


「次晴は?」


 一歩進み出て源市が桑原刑事に質す。


「では、ご両親よりも先に身元確認をお願いできますか? ご婦人方にはご遠慮願ったほうがいいかもしれません」


 桑原刑事が言うまでもなく、可南子と玲奈は手を取り合って立ち尽くしており、とても死体を見に行ける状態ではないようだ。二人をその場に残して、源市、光一が桑原刑事のあとに続く。沖庭は可南子と玲奈のそばについている。私と理真も向かう。ご婦人である前に探偵とその助手なのだ。


「これは……」


 桑原刑事のすぐ後ろを歩く源市が声を漏らした。ブルーシートをくぐった先に、すぐに次晴の死体があるものと思っていたが、違った。


「これは、次晴くんの……」


 光一も声を漏らした。そこにあったのは一台の自動車だった。見覚えのあるワインレッドのボディ、後部に付けられたウイング。間違いなく昨日見た次晴のスポーツカーだ。こちらに後部を向けている。だが。


「……随分と派手に暴れたらしいわね」


 理真の感想が、その車の状態を物語っていた。車はめちゃめちゃに叩き壊されている。リアガラス、フロントガラス、サイドガラスは全て割られ、運転席のドアは取れかけ、自慢のウイングはおかしな方向に曲がっている。車体を彩るワインレッドの塗装も至る所が傷つけられ、金属の下地が無残に浮き出ている。左後タイヤはパンクしており、平地にもかかわらず車が傾いで見えるのはそのためだ。


「ひどいもんだろ、もうボコボコだよ」


 呆れたように桑原刑事が腕を組んだ。破壊の傷跡は外装だけに留まらない。切り裂かれたシートからはクッション材が飛び出ており、シフトレバーは叩き折られ、カーナビのディスプレイも叩き壊されている。


「これらの傷跡を見るに……」理真は車を眺めて、「凶器は斧のようなもの、ですね」

「……斧」


 私は呟いた。桑原刑事はそれを聞くと頷き、


「そうだ、斧が凶器だと見られている。そして、被害者のほうも……」


 桑原刑事は無残に破壊された車の脇をすり抜けるようにして通り、車の前側へ出る。私たちもそれに続く。そこには、車から一メートルほど離れて地面にブルーシートが被せてあった。中央が細長く盛り上がっている。下に何があるかは明白だ。桑原刑事は「いいですか」と皆に心の準備をさせてから、ゆっくりと半分ほどシートをめくり上げた。


「次晴……」


 源市の絞り出すような声。光一は、すぐに目を逸らしてしまった。


「間違いありませんか? 菊柳次晴くんに」


 桑原刑事が身元の確認を頼んだ。源市は一度、光一は、ちらと遺体の顔に目をやってから、二、三度頷いた。上半身のみ露わになった次晴の遺体。服装は昨夜と同じもののようだ。そして、理真の電話の通り、


「左腕は見つかっていない」


 と桑原刑事。その左腕は、二の腕の肩口辺りで衣服ごと切断されていた。



 次晴の遺体は運び出された。警察車両に乗せられる寸前、康幸と俊子が現場に駆けつけ悲しい対面を果たした。悲痛な泣き声と息子の名を呼ぶ声が聞こえてきた。菊柳家の人たちは次晴の遺体とともに、そのまま警察病院へ向かった。少しでもそばにいてやろうということか。可南子と玲奈は最後まで次晴の遺体を見ることはなかった。沖庭、康幸、俊子の証言で、改めて遺体が次晴であることが確認された。現場には私と理真が残された。


「理真、由宇ゆうちゃん」


 丸柴まるしば刑事が姿を見せた。そのまま桑原刑事のもとへ行き、


「この暗さでは無理ですね。木や藪に遮られて、明かりも届きませんし」

「ええ、明るくなってからやりなおしたほうがいいでしょうね」


 証拠品や遺留物の捜索だろう。確かに、林の中を夜中に捜索するのは無理がある。


「遺体の所見はどうですか」

「はい」桑原刑事の問いに丸柴刑事は手帳を開いて、「死亡推定時刻は本日午後三時から六時の間だと見られます。死因は後頭部打撲による脳挫傷。左腕は死後切断されたものと思われます。後頭部の打撲痕から殺害凶器は石のようなもの。腕を切断した凶器は斧のようなものとそれぞれ見られています。どちらも今のところ現場周辺からは発見されていません。斧が先日の犯行に使用されたものでないことは明白です。あれは現在署に保管されていますから。電話で間違いなく所在を確認しました」

「凶器が石であれば、林の中にでも投げ捨ててしまえば、この暗い中じゃ見つかりませんね。死体の所見も解剖が済めばより詳細なものが上がってくるでしょう。死体の腕が切られたのが死んでからだというのも予想通りです。現場に血痕がほとんどない」


 桑原刑事の言うとおりだった。血痕は車のシートや地面に少し残るのみだ。


「死体の第一発見者は、誰なんですか?」


 理真が手を挙げて質問した。


「第一発見者は警察だ」桑原刑事が答える。「通報があったんだよ。この前の林道を通った車両の運転手から。脇道にボロボロの車が乗り捨ててあるのが見えたって。死体は車の陰に倒れていたし、草や木に遮られて見えなかったんだろう。通報は午後六時半、携帯電話からだ。番号を確認したら運送屋の配送ドライバーだった。幸い市内の支店勤務なんで、明日、詳しい話を聞くことになってる。お前さんの見つけた車のそばに死体があったって言ったら心底驚いてたよ。で、通報を受けた所轄の交通課警官が来て死体を発見した。免許証を所持していたから身元が割れたんだ。驚いたよ、菊柳の人間が殺されて、しかも……」

「またしても左腕が切断されていた」


 理真が受けて言った言葉に桑原刑事は頷き、


「それにしても、いったいどういうことなんだ、これは?」


 改めて壊された車を見る。丸柴刑事も無残な姿となった車を見て、


「この状況から考えてみると、次晴さんは前の道路を走っていて、この脇道に車を入れ、止める。その理由は分かりませんが、とにかく停車させて降りたところを襲われ殺害される。犯人は斧で車をこの通りめちゃめちゃに壊して、最後に死んだ次晴さんの左腕を切断し逃走。凶器は持ち去ったのか、林の中か逃走中に捨てたのか、それは明日になってからの捜索結果待ちですね」


 車がある脇道の道幅は車一台分しかないが、ドアを開いて乗り降りするくらいの余裕はある。


「左腕も?」と理真。

「腕? ああ、切断した左腕ね。そうね、それも発見されていないわね」

「桑原刑事」理真は桑原刑事に、「ここから菊柳家の別荘までは近いんですか?」

「ん? ああ、遠くはないはずだ。恐らく車で五分くらいだろう」

「次晴さんは今日は別荘に行くと言っていました。その行きか帰りに襲われたのかも。いや、死亡推定時刻からすると帰りの可能性が高いですね」

「そうか、そっちも徹底的に捜索する必要があるな。今夜はこれで引き上げるか、明るくならなきゃ何もできん。おい!」


 桑原刑事は警官たちに呼びかけ、交代で何人か見張りに残して撤収する旨を告げた。その代わり明日は日の出とともに捜査を開始するから十分休んでおけ、とも通達していた。


「理真」私は考え込んでいる理真に話しかける。「玲奈ちゃんの言ってたこと、本当になっちゃったね」

「何が?」

「宝探しに行く次晴さんに、『隻腕鬼に気を付けてね』そう言ってた……」



 現場を出る間際に沖庭から電話が来た。康幸と俊子は今夜は病院へ泊まるが、源市たちはこれから帰るという。私と理真は警察について行って新井署に泊まることにして、その旨を告げた。私たちも帰る気にはならなかった。着替えの下着と簡単な洗顔、メイク用具だけコンビニで調達すればよい。署に着いたら早く寝てしまおう。明日は早い。

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